若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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必然の再会 4

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 ジョバンニは、アシュリーの部屋から出て、自室に戻っている。
 ベッドの縁に腰かけ、溜め息をついた。
 
 リビーが止めてくれて良かったと思う。
 そうでなければ、うっかり「長話」をしていたに違いない。
 消極的な姿を見せるアシュリーが、昔のように瞳を輝かせたので、ついなんでも話したくなってしまったのだ。
 
 『ねえ、ジョバンニ、どうしてカエルはカエルの姿で産まれないの?』
 『ねえ、ジョバンニ、月がある日とない日があるのは、なぜ?』
 『ねえ。ジョバンニ、同じ色なのに果物と野菜の味は、どうして違うの?』
 
 そんなふうに、彼女は少し不思議だと感じることがあると、決まって彼に問うてきた。
 とても無邪気な問いの数々に、頭を悩ませながら、ジョバンニは答えている。
 彼が考えたこともないようなことを不思議がる彼女は、とても愛らしかった。
 
 アシュリーが産まれたのは、ジョバンニが16歳の時だ。
 14歳でセシエヴィル子爵家に勤め始め、2年目のことになる。
 下働きをしていた彼は「子守り」の役を言いつけられたのだ。
 
 アシュリーの両親が、彼女をほしがっていなかったと、誰もが知っていた。
 そのため、誰もアシュリーの世話をしたがらず、押しつけられたとも言える。
 とはいえ、子爵夫妻も、子供をないがしろにしているという外聞の悪い噂は避けたかったらしい。
 ジョバンニを下働きから解放し、アシュリー専属の「世話役」とした。
 
 あんなことがなければ、今も彼女の世話を続けていただろうか。
 
 妹のように、というと立場が違い過ぎておこがましかったが、それでも、同等の感覚をもって、彼はアシュリーを慈しんでいた。
 ずっと悲観してきた自分の境遇を、彼女の存在が覆してくれたからだ。
 
 アシュリーと過ごせる毎日があるのなら、この人生も悪くはない。
 そう思えた。
 
 けれど、アシュリーとの毎日は、突然に断ち切られている。
 26歳にもなって、十歳のアシュリーを守り切れなかった。
 それを、ジョバンニは、今でも悔いている。
 だから、アシュリーの記憶に自分がいないのは正しい、と感じていた。
 
 彼を守ろうとして、彼女は死にかけている。
 どれほど恐ろしく、怖かったことか。
 思えば、そんな恐怖とともに、自分の存在など消えていたほうがいいのだ。
 
(ジョバンニ)
 
 唐突に、頭に声が響く。
 即言葉そくことばという魔術による連絡が入っていた。
 即言葉は、特定の人物と会話をする魔術だ。
 ほかの者に、会話は聞こえない。
 
(いかがされましたか、我が君)
(アシュリーは、大丈夫そうかね?)
(まだ戸惑っておいででしたが、じきに慣れてくださるでしょう)
(それは、なにより)
 
 ジョバンニには、少し気になっていることがある。
 主を信頼してはいるが、確認はしておきたかった。
 
(ひとつお訊きしても?)
(猫のことかい? アシュリーが怯えていたので、手土産代わりに渡したのだよ)
(……いえ、そのことではございません)
(おや、違ったのか。まぁ、私も外すことくらいはあるさ。それで?)
(どうして、この時期に動かれたのかということです)
 
 公爵は「16歳になったら」と言っていたのだ。
 2年も前倒しにするには、なにか理由がある。
 ジョバンニの主は、無意味なことは、いっさいしないので。
 
(彼女の従兄弟を知っているかい?)
(ハインリヒ・セシエヴィルですね)
(彼は、どうも私とは違う考えを持っているらしいのさ)
 
 瞬間、ジョバンニの眉が、きゅっと寄る。
 6つ年上のアシュリーの従兄弟は、ジョバンニが屋敷にいる頃から、不快な存在だった。
 
 次期当主となることが決まっていたためか、子爵家でも、やりたい放題。
 傲慢な態度に、粗野な振る舞い。
 年を重ねても幼稚くささが抜けきることはなかった。
 
 アシュリーのことも、お気に入りの玩具程度に考えていたのか、強引に連れ回すことも少なくなかったのだ。
 止めに入ったジョバンニは、ハインリヒに幾度となく、暴力を受けている。
 だが、自分に対する暴力より、アシュリーへの態度が、彼を不快にさせていた。
 
(まさか、ハインリヒは姫様との婚姻を考えているのですか?)
(まさかどころではないよ、ジョバンニ。彼は、とても真剣だ)
(確かに、従姉妹であれば婚姻は認められていますが、どの道、家督は彼のものになるはずです。姫様と婚姻しなければならない理由はないのでは?)
 
 ジョバンニは、ハインリヒに不快感をいだいている。
 とはいえ、ハインリヒを、よく知っているわけではない。
 アシュリーの従兄弟ではあっても、直接的な関わりはなかったからだ。
 
(奴は、貴族なのさ、ジョバンニ)
 
 ふっと、公爵の声に冷淡さが宿る。
 即言葉では、声の抑揚は、ほとんど再現されない。
 だが、伝わってくるものはある。
 
(正当な血筋を得るための婚姻ですか)
(まったく、くだらない話さね。爵位なんてものに意味づけをするから、そういう愚かな者が現れる。実際的には、なんの拠り所にもならないのに、実に愚かしい。そうは思わないか、ジョバンニ)
 
 公爵の口調には、冷ややかさしかなかった。
 公爵とて、すべての貴族を嫌っているのではない。
 中には、懇意にしている貴族もいる。
 ただ、ハインリヒは、公爵の「好ましからざる貴族」の見本のような人物だ。
 
(奴にアシュリーを渡すようなことがあれば、それは間違いなく私の人生の汚点になる。わかるね?)
(けして、そのようなことにはさせません)
(もちろんだとも。きみの優秀さを疑っちゃいないさ)
 
 あの日、ジョバンニは、公爵から「力」を与えられた。
 信じられないほど大きな力だ。
 それにより、力不足で発動できずにいた魔術も難なく使えるようになっている。
 過信する気はないが、王宮にいる上級魔術師より上だと認識していた。
 
 もちろん、なんの土台もなく、そうなったのではない。
 ジョバンニが、アシュリーのためにと、知識をつけ、努力をしてきたからこそ、力不足を補うだけで、魔術師としての一定領域を越えられたのだ。
 彼には、公爵のように、息をするかのごとく魔術を使う能力はないのだから。
 
(だがねえ、アシュリーには自由な暮らしも必要だ。心が弱いわけではないのに、受け身に過ぎるきらいがある。この4年の生活に問題があったのだろうな)
 
 それは、ジョバンニも感じている。
 以前のアシュリーは、もっと快活で、よく笑っていた。
 今は、わずかに微笑むといった程度で、声をあげて笑うことは少なくなっているに違いない。
 
(もっと早く引き取れば良かったと、少しばかり悔やんでいるところさ)
 
 そのためには、アシュリーを、ローエルハイドの養女にしなければならかった。
 当時の彼女は十歳だ。
 大人と見做みなされる歳ではない。
 公爵であれば、強引に婚約者として引き取ることは可能だっただろうけれども。
 
(姫様が16歳になられるまで、待たれるおつもりだったのでしょう?)
(そのほうが、お互いに納得できる婚姻になっただろうからね)
(あと2年ございますし、その間に、元の姫様にお戻りいただけるよう、尽くしてまいります)
(そうだな。アシュリーのことを最も知っているのは、きみだ。任せるよ)
 
 少し突き放したような言いかたが気になったが、聞き返すのはやめておく。
 ジョバンニの主は、複雑な心の持ち主だった。
 そして、冷酷でもある。
 わかっていて従っているのだから、反論などすべきではないのだ。
 
(ああ、それと、奴の後ろには商人の祖父がいる。その辺りは、調べておく必要がありそうだ。ああいう手合いは、なにをするかわからないからね)
(かしこまりました)
 
 唐突な連絡と同じく、唐突に、ぷつっと繋がりが切れる。
 必要なことは話し終えたということだ。
 
「商人……そうだったな。分家のほうの正妻は商人の娘だった」
 
 ハインリヒが、どの程度、アシュリーに固執しているのかは、わからない。
 だが、ジョバンニの主は、けして無意味なことを口にはしないのだ。
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