若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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離れの人は 4

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 離れで「特別な客人」が暮らすようになって5日。
 あまり実感はない。
 というのも、アシュリーは、まったく関わることがなかったからだ。
 名を知っているくらいのもので、姿も見ていない。
 
(離れは中庭の奥にあるから、中庭でバッタリなんてこともあるかなって、思っていたけど)
 
 まったくない。
 影すら見えない。
 本当に暮らしているのか疑わしくなるほど静かだった。
 
 貴族教育で「愛妾」が、どういう存在なのかは学んでいる。
 さりとて、具体的な暮らしぶりまでは教わっていない。
 住まいから出ない生活が普通なのか、それとも、あえて離れから出ないようにしているのか。
 そのあたりは、アシュリーでは判断できかねた。
 
 かと言って、ジョバンニやリビーには訊けずにいる。
 2人が「あちら」を良く思っていないと感じているからだ。
 最も身近な2人に訊けないことを、ほかの勤め人に訊くのも気が引ける。
 というわけで、現状、アシュリーの生活は、なにも変わっていない。
 
(どんなかたなのかしら、サマンサ様って)
 
 ティンザーは公爵家なので、子爵家のアシュリーとは接点がなにもなかった。
 セシエヴィル子爵家の上位貴族がティンザーであったなら、話は違っただろう。
 だが、残念と言うべきか、セシエヴィル子爵家の上位貴族はラペル公爵家だ。
 よって、ティンザーの情報は、まるきり入ってきていない。
 
 サマンサ・ティンザー。
 
 名だけは教えてもらえたが、外見も性格もわからずじまいだった。
 公爵は「いずれ顔を合わせる」と言っていたが、いつ頃になるのだろうか。
 正直に言えば、アシュリーはサマンサに対し、好奇心でいっぱい。
 ジョバンニに、あれこれ訊きたくてたまらないほどだ。
 
 本来的には、正妻や側室と、愛妾は、ある種の敵対関係にある。
 正妻は側室を抱き込んでまで、愛妾を排除しようとすることもあった。
 側室を嫌う正妻もいるが、それでもまだ「子を成すため」との名分がある。
 だが、愛妾には、それがない。
 
 主の「寵愛」のみが、その存在理由なのだ。
 そこに、妻とされる者たちは嫉妬をする。
 加えて「遊蕩」をはばからないも同然のため、外聞が悪いと、それも嫌う。
 彼女らにとって「愛妾」ほど嫌悪する相手はいないのだ。
 事あるごとに、なんとか追い出せないものかと画策するのが一般的。
 
 しかし、アシュリーは「愛妾」の概念を知っているに過ぎない。
 両親は仲が良く、父は特定の「愛妾」をかかえてはいなかった。
 お互いに別の相手がいる、というだけで。
 
 そのため、正妻と「愛妾」が敵対している光景を見ずにすんでいる。
 敵対関係となることすら知らずにいるのだ。
 女性同士の諍いは屋敷の内情であり、どこの家も外に漏らさないように気をつけている。
 噂が立つことはあるが、その噂すらアシュリーには耳にする機会がなかった。
 
 しかも、彼女には、婚約者の立場を死守したいとの考えがない。
 
 婚約者だと言われたので、この屋敷に来た。
 ここでの暮らしは快適で楽しくで、ずっとここにいたいとは思う。
 けれど、婚約が解消されることもあると知っていた。
 2年後の婚姻は確約されたものではないのだ。
 
 婚約が解消されたら、子爵家に戻ることになる。
 今さら、またハインリヒの横暴に耐えるのは嫌だった。
 婚約者でなくなったとしても、この屋敷に残りたいと考えている。
 
(モーリンは男爵家の出だし、私も、お願いすれば雇ってもらえるかもしれない)
 
 そんなことを思い、アシュリーは、食事時、勤め人たちと話す際、仕事のことをあれこれと訊いていた。
 もちろん、最初はうまくできないだろうが、努力するつもりだ。
 ハインリヒのいる子爵家に戻されるよりも、この屋敷で勤めるほうが楽しいに違いない
 仕事を軽く考えているのではなく、ハインリヒのいる生活が耐え難過ぎるのだ。
 
 要は、アシュリーにとって大事なのは、この屋敷に残れるか否か。
 婚約者で在り続けられるかどうかは、さしたる重要性を持たない。
 公爵は穏やかで優しくて、素敵な人だ。
 けれど、将来、自分の夫になる相手だとは意識できずにいる。
 
 なにやら、ピンとこない。
 
 あまりにも立派で、偉い人との印象が強いせいだろう。
 その隣に並ぶ、自分の姿が想像できなかった。
 あと2年経ち、もっと大人になったら、印象も変わるのかもしれないけれど。
 それは、アシュリーにとって遠い未来の話。
 
 目下のところ、彼女の興味は「離れ」にある。
 昼食後、毎日のように中庭を散策したが、サマンサとは遭遇しなかった。
 無理に挨拶がしたいわけではないものの、チラッと姿を見るくらいはしたい。
 
 もし、バッタリ出くわしてしまったら、これは不可抗力だ。
 ジョバンニもリビーも、いたしかたないと諦めてくれるだろう。
 そうなれば、きちんと挨拶をして、お茶に誘うこともできる。
 サマンサが同意してくれれば、話だってできるのだ。
 
 そう思っていたのに、サマンサは、いっこう姿を現さない。
 内心、アシュリーは、がっかりしていた。
 概念はあれど、彼女は、婚約者も愛妾も似たような立場だと誤認している。
 勤め人たちからすれば、まったくもって違う立場なのだが、それはともかく。
 
(私より4つ年上のかただから、すごく大人の女性……ジェレミー様に恋をしていらっしゃるのかしら。こちらに訪ねていらしたくらいだもの、情熱的なのね)
 
 アシュリーは、まだ恋を知らない。
 どういうものなのか、どんなふうに感じるものなのか。
 恋をすると変わるらしいが、その変わりかたさえ、わからずにいる。
 恋そのものに憧れじみた感情をいだいていた。
 
 さりとて、今までアシュリーの近くにいたのは、ハインリヒだけだ。
 うんざりしたり、憂鬱になったりすることばかりで、あまりいい記憶がない。
 ハインリヒは従兄弟であり、自分を気にかけてくれていたのは知っている。
 ありがたくなかったとは言い切れない部分もあった。
 だとしても、ハインリヒに恋をしていないことだけは確かだ。
 
 ハインリヒが来たと知った時の、あの落ち込み感が恋であるはずがない。
 
 唯一、可能性があるとすれば、ジョバンニだった。
 ジョバンニに見つめられたり、笑いかけられたりすると、どきどきする。
 だが、甘えたくなるというのは、恋とは違う気もした。
 アシュリーにとって、まだまだ恋は未知のものなのだ。
 
「ねえ、リビー」
「なんでございましょう、姫様」
 
 寝る前の着替えを、リビーが手伝い終えたところだった。
 ベッドに座り、立っているリビーを見上げる。
 
「リビーは、恋をしたことがある?」
「恋ですか……なくはないですね」
「それって、ジョバンニ?」
「いえ、全然、違います」
 
 あっさり否定された。
 あんなに優しく微笑まれても、リビーは、どきどきしないのだろうか。
 屋敷に勤め人は大勢いるし、男性も多い。
 外見が整っている者も少なからずいる。
 それでも、ジョバンニを越える人などいないように思えた。
 
「ジョバンニは見た目はともかく……あまりに過保護と言いますか」
「過保護……心配性ということ?」
「さようにございます、姫様。私は世話を焼くほうが好きなので、ああいう男性はちょっと……」
 
 リビーが苦笑いを浮かべている。
 確かにリビーはテキパキしていて、アシュリーの世話も細々としてくれていた。
 根っからの世話焼き体質なのだろう。
 メイドだからという以上に、そういうことが好きなのだ。
 
「きっと、彼は婚姻したら、妻の靴紐まで結びますよ」
「それが嫌なの?」
「嫌ですね。私は、自分のことは自分でして、相手のことも私がしてあげたいって思う性格なんです」
「ジョバンニは、女性に人気がないのかしら」
「そんなことはないと思いますけれど、ウチで、ジョバンニに恋をする者はいないでしょうね。彼は、自分でなんでもできてしまいますから」
 
 アシュリーは、少し想像してみる。
 ジョバンニに靴紐を結んでもらっても、嫌な気持ちにはならなさそうだ。
 ベッドに横になりつつ、心の中で、うーんと唸る。
 
(やっぱり私が子供だってことかも。きっと、まだ甘えたいだけなのだわ)
 
 大人と呼ばれる歳になりはしたが、自分は子供なのだろう。
 恋とは縁遠いと感じ、アシュリーは、ちょっぴり自分にがっかりした。
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