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大人ならば 4
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かすかに走ったのは、緊張だっただろうか。
敵意と判断できなくもなかったが、それにしては瞬間的に過ぎた。
サマンサの感情が揺らいだ、というのは間違いないのだけれども。
(もし敵意だったのなら隠すのが上手い。だとしても、私が気づく程度のことに、我が君が気づいておられないはずはない、か)
本音をすべて語りはしないものの、公爵は嘘はつかない。
その公爵が、アシュリーを「大事」だと言っている。
この場で、サマンサが敵意を剥き出しにするのを見過ごすことはないはずだ。
サマンサも理解していて感情を抑えたのかもしれない。
「きみは、やりたいことをやっていいし、言いたいことを言ったってかまわない。それで、とやかく言う者がいたら、私が必ず懲らしめてあげる。ああ、もちろん、ジョバンニもね」
アシュリーが、ジョバンニへと問うような視線を向けてくる。
受け止めて、わざと真面目くさった顔で、うなずいた。
「ええ、そのような者は、私とて許してはおきませんよ、姫様」
嬉しそうに顔をほころばせ、アシュリーもうなずく。
彼女の笑顔に、ジョバンニの胸が暖かくなった。
サマンサを前にしてアシュリーがどう反応するか、本当には心配だったのだ。
相手がどうであれ、傷つくのではないか、と。
サマンサは、貴族で言うところの「美女」ではない。
体型で嘲笑されている女性でもある。
だが、アシュリーはアシュリーで、己に引け目を感じているところがあった。
見た目で比較して、サマンサの優位に立っていると判断する性格でもない。
良い悪いはともかく、アシュリーは「貴族ずれ」していないのだ。
快活さは損なわれていたが、本質まで歪められることはなかったのだろう。
彼女の感情からは、前向きさや好奇心旺盛さが、出たり隠れたりしている。
消極的な面が表に出ていようとも、穿った見方はしていない。
彼女自身の感覚で、素直に受け止めている。
「あ……」
不意に、アシュリーが、なにかを思い立ったように、公爵を見た。
そして、今度はサマンサに顔を向ける。
「サマンサ様、ジェレミー様とダンスはいかがですか?」
「え……っ……」
声を上げたのは、サマンサだ。
ジョバンニも、少なからず驚いている。
驚かれたことに、アシュリーは、きょとんとしていた。
首をかしげつつ、公爵を振り仰いでいる。
「ジェレミー様?」
「そうだね。きみは間違えちゃいないよ」
「私はジョバンニと待っていますから」
安心したように、アシュリーが、にっこりした。
サマンサは、ジョバンニの前に立っているため表情は見えなかったが、戸惑っているのがわかる。
婚約者であるアシュリーが、公爵を「愛妾」に引き渡したのだ。
戸惑うのも当然と言える。
実際、ジョバンニも軽く戸惑っていたのだから。
「アシュリリス様……」
「あ、あの、あの、よ、よろしければ、アシュリーとお呼びくださいませ」
「…………では……アシュリー様、本当に、よろしいのですか?」
「はい? はい。ジェレミー様は、ダンスもお上手だと思いますわ」
「え……アシュリー様は、まだ……」
サマンサの言いたいことがなにか。
ジョバンニにも理解できた。
アシュリーは、まだ公爵と踊っていない。
だから「上手だと思う」と、推測で語っている。
アシュリーが踊っていないということは、公爵も同じく。
結果、サマンサと踊れば、夜会での「ファーストダンス」となるのだ。
それは、優先度において大きな意味を持つ。
「サム、サミー、きみは、なにも心配することはないよ」
サマンサの言葉を公爵が遮った。
なぜだか、ちりちりっとした空気が走る。
さっきの「ぴりっ」とした一瞬の気配と似ていた。
とすると、サマンサの緊張や敵意は、アシュリーではなく公爵に向けられているということになる。
「いいじゃないか、サム。ちょいとホールに行って、ダンスを披露するくらいは、どうということもないだろう?」
公爵も、やけに挑発的な口調だ。
間に挟まれた格好のアシュリーは、交互に2人に視線を投げている。
サマンサは公爵の「特別な客人」であるはずなのに、甘い雰囲気など、どこにもなかった。
むしろ、2人とも喧嘩腰だ。
「サマンサ様は、ダンスがお好きではないのでしょうか?」
「あ……いえ……そういうわけでは……」
「それなら行こう。私は足を踏まれても、ちっともかまいやしないがね」
「あなたが、どうしても踏んでくれと懇願でもしない限り、踏みはしません。ですから、どうぞ、ご安心くださいませ」
「そうかい。これは、いよいよホールに行かなくちゃいけないなあ」
公爵が、すたすたとサマンサに歩み寄り、肩を抱く。
瞬間、公爵をキッとにらむサマンサの横顔が見えた。
「ねえ、サム。きみの華麗なステップを、彼らに見せてやろうじゃないか」
アシュリーは気づかなかったかもしれないが、ジョバンニは気づいている。
わざとらしいほど、公爵は、にこやかだった。
というより、やはり故意にサマンサを挑発している。
公爵は「彼ら」と言ったが、そこには「ティモシー・ラウズワース」が含まれているのだ。
「あなたは、ダンスが、お好きなようね」
「ダンス嫌いな貴族などいやしないさ」
ジョバンニは、2人のやりとりの合間に、アシュリーを庇うようにして立つ。
火花を散らせている理由は不明だが、アシュリーが巻き込まれてはかなわない。
「お2人とも、結論が出たのであれば、ホールに行かれては?」
「ああ、そうするよ、いいね、サミー」
「……ええ、いいわ」
「ジョバンニ、アシュリーを頼んだよ?」
「かしこまりました」
公爵はサマンサの肩を抱き、半ば引きずるようにして、その場を離れた。
2人の姿がテラスから消える。
ホッと息をついたとたんだ。
「ジェレミー様ったら、サマンサ様を本当に気に入っておられるのね」
言って、アシュリーが笑っていた。
無理をしているのでも、意地を張っているのでもない。
掛け値なしに、笑っている。
「姫様は気にされておられませんか?」
「なにを?」
「最初のダンスを、まだ踊られておられないのでしょう?」
「私は背が低いもの。ジェレミー様に恥をかかせるかもって心配していたのよ。だから、サマンサ様がお相手をしてくださって良かったわ」
強がりを言っているようではなかった。
アシュリーは、まだ、くすくす笑っている。
「あんなジェレミー様は初めてね。ちょっぴり面白かったって言ったら不謹慎?」
「いいえ、私も、少々、戸惑いました」
「そうよね? きっと、あんなふうに話せるかただから、サマンサ様を気に入っておられるのだわ」
アシュリーが、ジョバンニの袖を、ちょんと掴んだ。
その仕草に、ほんの少し、どきりとする。
「ねえ、ジョバンニ。ホールに行ってはダメ?」
「お2人のダンスを、ご覧になられたいのですか?」
「ダメ?」
「駄目ということは……」
本当は、あまり良くない。
ホールには、口さがない貴族が、うようよいるのだ。
婚約者と愛妾が、同じ場にいるとなれば、なにを言われるか、わからなかった。
とはいえ、アシュリーの好奇心に満ち、きらきらと期待に輝く瞳には勝てない。
昔から、そうだった。
ジョバンニは、彼女の青色の瞳に弱いのだ。
アシュリーの期待に応えたくて、たまらなくなる。
「わかりました。まいりましょう。ですが、姫様。絶対に私から離れないことと、誰が来ても会話は私に任せると、お約束くださいね」
敵意と判断できなくもなかったが、それにしては瞬間的に過ぎた。
サマンサの感情が揺らいだ、というのは間違いないのだけれども。
(もし敵意だったのなら隠すのが上手い。だとしても、私が気づく程度のことに、我が君が気づいておられないはずはない、か)
本音をすべて語りはしないものの、公爵は嘘はつかない。
その公爵が、アシュリーを「大事」だと言っている。
この場で、サマンサが敵意を剥き出しにするのを見過ごすことはないはずだ。
サマンサも理解していて感情を抑えたのかもしれない。
「きみは、やりたいことをやっていいし、言いたいことを言ったってかまわない。それで、とやかく言う者がいたら、私が必ず懲らしめてあげる。ああ、もちろん、ジョバンニもね」
アシュリーが、ジョバンニへと問うような視線を向けてくる。
受け止めて、わざと真面目くさった顔で、うなずいた。
「ええ、そのような者は、私とて許してはおきませんよ、姫様」
嬉しそうに顔をほころばせ、アシュリーもうなずく。
彼女の笑顔に、ジョバンニの胸が暖かくなった。
サマンサを前にしてアシュリーがどう反応するか、本当には心配だったのだ。
相手がどうであれ、傷つくのではないか、と。
サマンサは、貴族で言うところの「美女」ではない。
体型で嘲笑されている女性でもある。
だが、アシュリーはアシュリーで、己に引け目を感じているところがあった。
見た目で比較して、サマンサの優位に立っていると判断する性格でもない。
良い悪いはともかく、アシュリーは「貴族ずれ」していないのだ。
快活さは損なわれていたが、本質まで歪められることはなかったのだろう。
彼女の感情からは、前向きさや好奇心旺盛さが、出たり隠れたりしている。
消極的な面が表に出ていようとも、穿った見方はしていない。
彼女自身の感覚で、素直に受け止めている。
「あ……」
不意に、アシュリーが、なにかを思い立ったように、公爵を見た。
そして、今度はサマンサに顔を向ける。
「サマンサ様、ジェレミー様とダンスはいかがですか?」
「え……っ……」
声を上げたのは、サマンサだ。
ジョバンニも、少なからず驚いている。
驚かれたことに、アシュリーは、きょとんとしていた。
首をかしげつつ、公爵を振り仰いでいる。
「ジェレミー様?」
「そうだね。きみは間違えちゃいないよ」
「私はジョバンニと待っていますから」
安心したように、アシュリーが、にっこりした。
サマンサは、ジョバンニの前に立っているため表情は見えなかったが、戸惑っているのがわかる。
婚約者であるアシュリーが、公爵を「愛妾」に引き渡したのだ。
戸惑うのも当然と言える。
実際、ジョバンニも軽く戸惑っていたのだから。
「アシュリリス様……」
「あ、あの、あの、よ、よろしければ、アシュリーとお呼びくださいませ」
「…………では……アシュリー様、本当に、よろしいのですか?」
「はい? はい。ジェレミー様は、ダンスもお上手だと思いますわ」
「え……アシュリー様は、まだ……」
サマンサの言いたいことがなにか。
ジョバンニにも理解できた。
アシュリーは、まだ公爵と踊っていない。
だから「上手だと思う」と、推測で語っている。
アシュリーが踊っていないということは、公爵も同じく。
結果、サマンサと踊れば、夜会での「ファーストダンス」となるのだ。
それは、優先度において大きな意味を持つ。
「サム、サミー、きみは、なにも心配することはないよ」
サマンサの言葉を公爵が遮った。
なぜだか、ちりちりっとした空気が走る。
さっきの「ぴりっ」とした一瞬の気配と似ていた。
とすると、サマンサの緊張や敵意は、アシュリーではなく公爵に向けられているということになる。
「いいじゃないか、サム。ちょいとホールに行って、ダンスを披露するくらいは、どうということもないだろう?」
公爵も、やけに挑発的な口調だ。
間に挟まれた格好のアシュリーは、交互に2人に視線を投げている。
サマンサは公爵の「特別な客人」であるはずなのに、甘い雰囲気など、どこにもなかった。
むしろ、2人とも喧嘩腰だ。
「サマンサ様は、ダンスがお好きではないのでしょうか?」
「あ……いえ……そういうわけでは……」
「それなら行こう。私は足を踏まれても、ちっともかまいやしないがね」
「あなたが、どうしても踏んでくれと懇願でもしない限り、踏みはしません。ですから、どうぞ、ご安心くださいませ」
「そうかい。これは、いよいよホールに行かなくちゃいけないなあ」
公爵が、すたすたとサマンサに歩み寄り、肩を抱く。
瞬間、公爵をキッとにらむサマンサの横顔が見えた。
「ねえ、サム。きみの華麗なステップを、彼らに見せてやろうじゃないか」
アシュリーは気づかなかったかもしれないが、ジョバンニは気づいている。
わざとらしいほど、公爵は、にこやかだった。
というより、やはり故意にサマンサを挑発している。
公爵は「彼ら」と言ったが、そこには「ティモシー・ラウズワース」が含まれているのだ。
「あなたは、ダンスが、お好きなようね」
「ダンス嫌いな貴族などいやしないさ」
ジョバンニは、2人のやりとりの合間に、アシュリーを庇うようにして立つ。
火花を散らせている理由は不明だが、アシュリーが巻き込まれてはかなわない。
「お2人とも、結論が出たのであれば、ホールに行かれては?」
「ああ、そうするよ、いいね、サミー」
「……ええ、いいわ」
「ジョバンニ、アシュリーを頼んだよ?」
「かしこまりました」
公爵はサマンサの肩を抱き、半ば引きずるようにして、その場を離れた。
2人の姿がテラスから消える。
ホッと息をついたとたんだ。
「ジェレミー様ったら、サマンサ様を本当に気に入っておられるのね」
言って、アシュリーが笑っていた。
無理をしているのでも、意地を張っているのでもない。
掛け値なしに、笑っている。
「姫様は気にされておられませんか?」
「なにを?」
「最初のダンスを、まだ踊られておられないのでしょう?」
「私は背が低いもの。ジェレミー様に恥をかかせるかもって心配していたのよ。だから、サマンサ様がお相手をしてくださって良かったわ」
強がりを言っているようではなかった。
アシュリーは、まだ、くすくす笑っている。
「あんなジェレミー様は初めてね。ちょっぴり面白かったって言ったら不謹慎?」
「いいえ、私も、少々、戸惑いました」
「そうよね? きっと、あんなふうに話せるかただから、サマンサ様を気に入っておられるのだわ」
アシュリーが、ジョバンニの袖を、ちょんと掴んだ。
その仕草に、ほんの少し、どきりとする。
「ねえ、ジョバンニ。ホールに行ってはダメ?」
「お2人のダンスを、ご覧になられたいのですか?」
「ダメ?」
「駄目ということは……」
本当は、あまり良くない。
ホールには、口さがない貴族が、うようよいるのだ。
婚約者と愛妾が、同じ場にいるとなれば、なにを言われるか、わからなかった。
とはいえ、アシュリーの好奇心に満ち、きらきらと期待に輝く瞳には勝てない。
昔から、そうだった。
ジョバンニは、彼女の青色の瞳に弱いのだ。
アシュリーの期待に応えたくて、たまらなくなる。
「わかりました。まいりましょう。ですが、姫様。絶対に私から離れないことと、誰が来ても会話は私に任せると、お約束くださいね」
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