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選択肢の外 4
しおりを挟む「これが、この間、蒔いた種のお花?」
「そうですよ。スナップドラゴンと呼ばれています」
「スナップドラゴン?」
「花の形が、おとぎ話に出てくるドラゴンの口に似ているから、だそうですね」
アシュリーは、白色の花を見つめる。
可愛らしくて、とても火を噴くドラゴンの口には見えなかった。
近くで、くすっという笑い声が聞こえる。
しゃがみこんで花を見ていたのだが、そのアシュリーの背後から手が伸びてくる。
ちょんっとつつかれた花が、小さく揺れた。
「見る人によっては、そのように見えたということでしょう。色の種類もたくさんある花ですから、赤色だとドラゴンに見えるかもしれませんよ?」
「ここには、白色だけ?」
「今回は、手に入ったのが白色の種だけだったのです。次は赤色も頼んでおきます」
言葉に、アシュリーは、こくんとうなずく。
同じ花なのに、色が違うというのが、ちょっぴり不思議だった。
薔薇やラベンダーなど、いつも同じ色で咲いている花しか、知らなかったのだ。
もっともそれは、子爵家の庭師が、咎める者がいないのをいいことに、手抜きをしているに過ぎない。
一定周期で枯れ、種蒔きをしなければならない草花が、子爵家には少なかった。
「そろそろ戻って、お茶にしましょうね。クリームと蜂蜜たっぷりのワッフルをご用意しております」
「やった! タルトよりワッフルのほうが好き!」
アシュリーは立ち上がって振り向く。
条件反射のように両手を差し出した。
彼は、いつもアシュリーを抱き上げてくれるのだ。
物心つく前から、ずっとそうだった。
「なにやってんだ!」
声に、びくっとして動きを止める。
相手が誰かは、すぐにわかった。
こんなふうに怒鳴る者は1人しかいないからだ。
アシュリーの6つ年上の従兄弟。
アシュリーは、この従兄弟を嫌っている。
大嫌いだった。
すぐに怒るし、怒鳴るし、暴れる。
その理由をあれこれ言うが、アシュリーは、まったく理解していない。
「勤め人の分際で、主の娘にさわるんじゃねぇよ!」
勤め人の分際、というところが、十歳のアシュリーには、すでに意味不明だ。
8歳から始まった貴族教育で、勤め人と主の関係性については学んでいる。
だとしても、彼は「違う」と思っていた。
常に両親はいないし、ほかの勤め人とも親しくはない。
幼い頃から、彼だけがアシュリーの世話をしてくれている。
「申し訳ございません、ハインリヒ様」
「こいつだって、もう十歳なんだぞ。抱っこが必要な歳じゃねぇだろ。人に見られたら外聞が悪いってことくらいわかれ!」
十歳だから、どうだと言うのか。
今まで、ずっと彼はアシュリーを抱き上げてくれた。
歳が変わっても、アシュリーの中で、彼との関係は、なにも変わっていない。
いつも傍にいてくれる人だ。
「私が頼んだの! だから、文句を言わないで!」
「なんだと?」
ハインリヒににらまれたが、アシュリーは怯まず前に出る。
せっかくの楽しい気分を台無しにされ、腹が立っていたのだ。
「ここはアシュリーの家よ! どうして勝手に入って来るのっ?」
ハインリヒの顔が歪む。
それから、嫌なふうに、にやっと笑った。
「そのうち、ここは俺のものになるからな。今だって、ほとんど俺のものだって言ってもいいくらいなんだぜ?」
この屋敷が従兄弟のものになる。
アシュリーにとっては衝撃だ。
大嫌いな従兄弟が、毎日、屋敷にいるなんて、考えただけでゾッとした。
反射的に、その気持ちが口をついて出る。
「だったら、出て行く! ここには、いたくないっ!」
「出て行くなんて、できっこないだろ! お前は、この家の娘だぞ!」
「どうせ、ここは、あなたのものになるんでしょ? 私の家じゃなくなるもの!」
「ふざけんな!」
「あなたがいる家になんか、いたくないっ!」
怒鳴ったアシュリーに向かって、ハインリヒが大股で近づいて来た。
振り上げられた足が見える。
蹴られると感じた。
ドガッ!!
音はしたが、体に衝撃はない。
咄嗟につむっていた目を開くと、彼が倒れている。
駆け寄ろうとしたアシュリーに、彼は目配せをした。
近づいてはいけない、という合図だと、わかる。
「申し訳ございません、ハインリヒ様。私の配慮が足りませんでした。お嬢様は、まだ幼く、物事がわかっておられないのです。どうかお許しください」
彼が地面に両手をつき、従兄弟に頭を下げていた。
その頭を、従兄弟が踏みつける。
止めようとしたが、やはり彼からのわずかな視線により、足が止まった。
「アシュリー、お前が、そんな調子だと、こいつを追い出さなきゃならなくなる」
ガツッと彼を蹴り飛ばしてから、従兄弟は花壇に目を向ける。
黙りこくるアシュリーの前で、せっかく咲いたばかりの白い花を踏みつけて無茶苦茶にした。
白い花が泥で汚れ、くたっと地面にへばりついている。
「わかったのか、アシュリー」
なおも花を踏みつけ続けながら、アシュリーを見て、従兄弟が言った。
ひどく腹が立っている。
従兄弟の言うことなど、少しもわからない。
けれど、うなずかなければ、彼が追い出されてしまうかもしれないのだ。
両親が従兄弟の言うなりだと、うっすら感じていた。
自分の言うことより、従兄弟のことを優先する気がする。
「わかったのかって訊いてんだろうが!」
うなずきたくはなかった。
できるなら、この場で彼と一緒に屋敷から出て行ってしまいたい。
とはいえ、アシュリーがうなずくまで、従兄弟は居座って彼を虐めるだろう。
両手を握り締め、小さくうなずいた。
「まぁ、お前はまだ子供だからな。許してやるよ。お茶は俺とだ。そいつは連れて来るな。その汚れた手を洗ってから、お前だけ小ホールに来い」
しかたなく、もう1度うなずく。
従兄弟は満足そうな表情を浮かべ、立ち去った。
すぐに彼へと駆け寄る。
唇の端が切れているのに気づき、泣きたくなった。
「怪我……してる……」
「大丈夫ですよ、お嬢様。ご存知でしょう?」
淡い緑色の光が、彼の傷を癒やしていく。
それを見て、ホッとした。
2人だけの内緒。
彼は簡単な魔術を使えるのだ。
アシュリーが転んで怪我をしても、すぐに治してくれる。
立ち上がった彼に、もう「抱っこ」はせがめなかった。
従兄弟がいる間は気をつけなければならない。
「お花……ダメになっちゃった……」
「あの花は冬にも強いので、種を蒔いておけば年明けまでには見られます」
「冬になったら、また咲くのね」
「そうです。その時は一緒に見ましょうね」
「そうね! 次は……ね……だ………よ、………ニ……」
薄茶色の髪と瞳が、ぼんやりと見え、そして、消えていく。
追いかけようとしたところで、アシュリーは目を覚ました。
とたん、白い花も、彼の名も顔も記憶の底に沈み、思い出せなくなる。
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