いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

無関心の高見 1

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 妹の「出来」が悪いことは知っていた。
 なんの期待もしていない。
 どうせ、こんなことになると思っていたからだ。
 計画もなにもないさまなのだから、呆れてしまう。
 
 ロキティス・アトゥリノ。
 
 アトゥリノの第1王子であり、8歳年上のディオンヌの兄だった。
 とはいえ、兄が妹にいだくような親しみを、ディオンヌには感じていない。
 12歳で帝都に送られて以来、あまり会うことのない妹だ。
 
 ロキティスは、公式の行事で帝都を訪れることもある。
 だが、私的な時間を費やしてまで、ディオンヌに会う機会は設けなかった。
 行事の場で、少しやりとりをする程度だ。
 
 役に立たない者を、ロキティスは好まない。
 
 12歳になるまで、ディオンヌはアトゥリノの宮殿で育てられていたが、その頃から、ただの1度も「妹」だと認識せずにいる。
 第2王女という立場の割に、国王である父にも大事にはされていない妹だった。
 見栄えはいいが、それもロキティスからすれば「並み」でしかない。
 
 おそらく、父がディオンヌを大事にしない理由も、そこにある。
 より外見の整っている、第1王女と第4王女を寵愛しているのが、その証だ。
 もちろん、アトゥリノの中では遜色のないほうなのだが、その程度では「失格」とされるのが、王女という立場だった。
 
 彼女らは、まつりごとにおける道具となれてこそ、価値がある。
 
 本来なら、第1王女を皇太子の妃にしようとするだろう。
 子ができれば、アトゥリノ出身の皇帝となり、それは大きな力と成り得る。
 
 にもかかわらず、たいして大事にもしていないディオンヌを、父は送り込んだ。
 ロキティスには、父の「魂胆」はわかっている。
 だからこそ、ディオンヌには、なんの期待もかけていなかった。
 
 内心、しくじりかけているのを喜んでいる。
 
 むしろ、ある意味では、ロキティスの期待に応えたと言えるかもしれない。
 皇太子妃になれる可能性を、自ら潰しにかかっているのだから。
 
 さりとて。
 
 そんなことは、口にはしなかった。
 声にも口調にも出さずにいる。
 今後、ディオンヌが、ロキティスの「役に立つ」ことも考えられたので、今は、切り捨て時ではないと判断したのだ。
 
 愚かな妹だが、その愚かさで兄の役に立てれば幸いだと思え。
 
 ロキティスは、さらりと髪をかきあげる。
 暗い色の金髪に、銀色の瞳していた。
 
 皇太子とは従兄弟同士なのだ。
 銀色の瞳は、アトゥリノの特徴とされている。
 皇太子の母も、銀の瞳だった。
 
(あの子、皇帝陛下に、よけいなことは言わないわよね?)
 
 通信装置を使ってまで、ディオンヌはロキティスに連絡してきている。
 それほど不安になっているに違いない。
 加えて言うなら、ディオンヌにはロキティス以外、頼れる者もいないのだ。
 父に大事にされていないと知っている。
 
 実際、ディオンヌが父に泣きついても、逆に叱責されるだけだ。
 ほかの兄や弟、そして姉や妹にすがることもできない。
 アトゥリノを出たディオンヌに対し、関心を示す者は誰もいなかった。
 公式行事で顔を合わせるロキティスしか、話せる相手がいないのだ。
 
 ロキティスも「なにかの時のため」と、ほかの兄弟姉妹のような、冷淡な態度は取らずにいる。
 当たり障りのない「兄」として振る舞っていた。
 
(それほど心配することはないよ、ディオンヌ)
(でも……皇帝陛下は、最近、どなたの謁見にも応じておられないのよ?)
(皇帝陛下が、皇后陛下を大事にされていたのは、お前も知っているだろう。その皇后陛下が亡くなられて、気分が滅入っておられるのだよ。だから、面影を感じる娘に会いたくなったとしても、不思議はないさ)
 
 ディオンヌは、皇太子が婚約者に無関心なのをいいことに、皇宮でやりたい放題しているようだ。
 皇太子は、実情を知らされていないらしい。
 周囲が皇太子に気を遣っているのだろう。
 皇命による婚約を、皇太子が快く思っていないと、敏感に察している。
 
 そして、皇太子はディオンヌを「気の毒な従姉妹」とでも思っているのだろう。
 公式行事で会った際、ディオンヌは誇らしげに、皇太子の隣に立っていた。
 あたかも、自らが皇太子の婚約者であるかのごとく振る舞い、皇太子が、いかに自分を大事にしているか、周囲にアピールしていた姿を覚えている。
 
 身の程をわきまえない者ほど、始末に負えないものはないのだ。
 皇太子の態度は、礼を尽くしてはいるものの、それを越えるものではない。
 ディオンヌに対する恋情など、まるきり感じなかった。
 
 ロキティスは、そんなことにも気づかない愚かな妹を、心の中では冷ややかに突き放している。
 わずかにも「使いみち」がなければ、とっくに切り捨てていたはずだ。
 
(そうよね……周りも、みんな、私の味方だもの……心配することはないわ)
(その娘は臆病だと言っていなかったかな)
(ええ、そうよ。今まで私がなにをしても、誰にも相談できないくらい臆病なの。もちろん、彼女が誰かに相談したとしても、誰も信じなかったでしょうけれど)
(皇后陛下以外は?)
(たぶんね。でも、自分の母親にすら、なにも話せなかったみたい)
 
 そして、皇后は亡くなった。
 つまり、後ろ盾を失ったということになる。
 皇太子の婚約者だというのに、味方は1人もいないのだ。
 皇后が要請したという、従僕以外は。
 
(だとしても、従僕では話にならない。たとえ騒いだところで耳を貸す者はいないだろうな。皇太子も、婚約者を憎んでいるだろうし)
 
 皇太子の母であり、ロキティスの叔母ネルウィスタは死ぬまで側室だった。
 皇帝の気持ちが変わらないと知り、失意の中、自ら命を絶っている。
 おまけに、ネルウィスタの死後とはいえ、その婚約者の母が、あっさりと皇后の座についたのだ。
 言うなれば、皇后の存在が、皇太子の母を死に追いやったも同然だった。
 
 その連れ子である女が、婚約者なのだ。
 憎みこそすれ、愛するはずがない。
 無関心を貫いているのも、それが理由だと、簡単に想像がつく。
 
(心配なら、あとで問い詰めてやればいいじゃないか。臆病な者なら、多少、強く出れば、すぐ口を割るさ。なにか手を打つ必要があるかどうかは、話を聞いてからでも遅くはないよ、ディオンヌ。慌てて動けば、不審を招きかねないからね)
(わかったわ。話を聞いてから……でも、手を打つって、どうすればいいの?)
 
 肩から力が抜けそうになった。
 ディオンヌの頭の悪さに閉口する。
 
 それだから、馬鹿みたいな真似しかできないのだ。
 自らが危うい橋の上にいると、気づいてもいない。
 かなり苛々していたが、どうにか冷静さを保つ。
 
(そこを引き払って、その娘を呼び戻すしかないよ。ひとまずはね)
 
 ディオンヌが騒ぐとわかっていたので、あえて言葉を付け足した。
 これは一時的なことであり、不変ではないのだと示唆しておく。
 通信装置を挟んでいるにしても、喚き散らされるのは煩わしい。
 ロキティスの忍耐力にも限界はあるのだ。
 
(それに、別宮より、お前の部屋のほうが皇太子殿下の私室には近いのだろう? 宮など、所詮、建前に過ぎないのだから、気にすることはないさ)
(そうよね。彼、あの子に、まったく関心がないもの。皇太子妃宮ではなく、別宮しか与えていないのだって、会う気がないからなのよ。私の部屋には、時々、顔を出してくれるわ。彼が、私より、あの子を尊重するなんて有り得ないわね)
 
 その別宮にこだわっているのは誰だと言いたくなる。
 ディオンヌは「正当な婚約者」を追い出し、その部屋に居座っていた。
 別宮が「婚約者」に与えられた宮だというのが、気に食わなかったのだ。
 皇太子妃になれると、本気で信じてもいる。
 
(ただね、気をつけなければいけないよ、ディオンヌ)
(気をつける?)
(皇太子に遠ざけられるようなことになれば、父上は、お前を許さない)
 
 通信の向こうで、ディオンヌは怯えているに違いない。
 頭が悪くても、王族なのだ。
 ロキティスの言葉が、なにを意味しているかくらいは理解する。
 
 その国の国王が「許さない」となれば、罰も重いものとなるのが当然だった。
 死罪か幽閉かの、どちらかになるだろう。
 が、ディオンヌの場合は、仮に呼び戻された時点で死罪確定。
 呼び戻すということは、父の怒りが相当なものであると予測できるからだ。
 
(しくじらなければいいのさ。お前は、今までだって、上手く立ち回ってきたじゃないか。そうだろう、ディオンヌ)
 
 ロキティスの言葉に、ディオンヌは勇気づけられたらしい。
 明るい口調で返事をする
 
(2年もやってこられたんだもの。これからだって上手くやれるわ)
(そうとも。お前は、アトゥリノを背負っているのだからね)
(ありがとう。気持ちが楽になったみたい)
 
 連絡してきた時より落ち着いたらしく、傲慢な物言いに戻っていた。
 ディオンヌに感謝されても、なんの足しにもならないし、そもそもロキティスは自分のために会話を続けたに過ぎない。
 けして「妹」のためではなかった。
 最後に「役に立つ日」を見据え、ディオンヌに声をかけておく。
 
(なにかあれば、また連絡しておいで。僕は、いつでも、お前の力になるよ)
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