いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

いくら望んだところとて 4

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 ラフロは己の関心欲を満たすためだけに、フェリシアを試した。
 その先に起きたことも、さぞラフロを満足させたに違いない。
 
 取引のせいで、フェリシアとキリヴァンは引き裂かれ、フェリシアはともかく、キリヴァンの心に憎悪の種を植えつけた。
 その種によってカサンドラは斬首されるはめになったし、生き戻ったキャスも、このザマだ。
 
 聖者、とりわけラフロとの「取引」なんてするものではない。
 
 心は、激しく警鐘を鳴らしている。
 なのに、うなずく自分が見えてもいた。
 ラフロの「取引」が、なにを意味するかを察していたからだ。
 
「…………フィッツを……生き返らせる……」
「そうとも、私の娘。彼を生き返らせることが、私にはできるのだよ」
 
 フィッツへの愛と、なにを天秤にかけさせるつもりなのか。
 
 ラフロは、キャスを試そうとしている。
 フェリシアと同じように「高潔な愛」を持っているのかどうか。
 持っているならば、それがどのようなものなのかを知るために。
 
「私が取引において公正なのはわかっているね?」
「この2百年、壁に穴は空かなった」
 
 ラフロは公平な取引をする。
 事実、取引後、壁に穴が空くことはなく、魔人が暴れることはなかった。
 この2百年の安寧は、フェリシアの犠牲の上に成り立っている。
 
(たぶん……キリヴァンも感じてたんだ。だからフェリシアを信じて、探して……だけど……許せなかったんだね……)
 
 キリヴァンは、自分自身を許せなかったのだ。
 結局のところ、フェリシアに犠牲をはらわせたのは、キリヴァンだった。
 
 フェリシアがキリヴァンを愛していなければ、別の手立てを取れただろう。
 けれど、キリヴァンの怒りは自分だけにとどまらなかった。
 その息子や娘にまで、ツケをはらわせようとした。
 
(迷惑な話だよ、本当に……でもさ、私だって変わらないよね……)
 
 フィッツを喪った時の悲しみと怒りと憎悪。
 
 それを、はっきりと覚えている。
 今となっては、裏で動いていたのがロキティスだとわかっているが、あの時にはわからなかった。
 わからず、感情に任せて、アトゥリノの兵を壊したのだ。
 
 キャスは、服の上から、ひし形に手をあてる。
 そこには、フィッツがいた。
 形見として扱ってきたが、ラフロの「取引」を前提にすると意味が違ってくる。
 
「これを見てごらん」
 
 湖面が揺らいだ。
 そこに映し出された光景に、キャスは目を見開く。
 イスから飛び降り、湖面に両手をついた。
 冷たい感触しかしない。
 
「……フィッツ……なんで? なんでフィッツが……」
 
 薄金色の髪に、顔立ち、体つき。
 なにもかもが、フィッツだ。
 目を伏せているので瞳の色まではわからないが、それでもフィッツだと思う。
 
「ティニカというのは、不思議な者だちだと思わないかね?」
 
 言葉に、ハッとした。
 見た目はフィッツで間違いない。
 だが、そこにいる人物はフィッツではないのだ。
 ティニカが「作った」存在。
 
「憐れな子さ。双子の片割れ、使われることのなかった器」
「使われ、なかった……って……」
「簡単に言えば、予備? ティニカは失敗作を処分する。でもねえ、手持ちがなくなると困るじゃないか。そのために、いつでも予備を残しておくのだよ。さらなままでね。この子は、自我どころか、目覚めたことすらない」
 
 どくどくと、心臓の鼓動が速まっている。
 こめかみで脈を感じるほど、全身が循環する血液に耐えていた。
 息が苦しく、体中から血を噴きそうな痛みを感じる。
 
 ティニカは、どこまでもティニカだった。
 元の世界では「禁忌」とされていたことでも、平気でやる。
 
 それも、ヴェスキルの名のもとに。
 
 つまり、これは「カサンドラ・ヴェスキル」のためなのだ。
 感情が維持できる状態だったら、吐いていたかもしれない。
 
「そして、きみの持っているそれは、彼の魂、と言えるだろうねえ。知識や経験、感覚に感情、思い出やなんかも、その中に封印されているから」
「……体と魂がある、って言いたいわけ?」
「だって、体のほうには魂はなく、魂のほうには体がないというのが事実だもの。きみも、それを否定はしないはずさ」
 
 あの体にフィッツの魂を入れれば、フィッツは生き返る。
 ただし、そのためにはラフロの力が絶対条件。
 簡単にできることなら、取引にはならない。
 
「ティニカは……予備をどうするの? 体だけ生かしておく意味ある?」
「それが後付けできることくらい、わかっているのではないかな?」
 
 フィッツは、以前、ティニカが「人を作る」過程について語っていた。
 ティニカの優秀な種を作り、人工子宮で育てる。
 時間の短縮はできないのだと、言っていた。
 体が成長するまでには時間がかかる、ということだ。
 
 だから、体だけを成長させ「予備」としておく。
 必要が生じれば、後付けで知識や技術を教え込めば「使える」ように、だ。
 もちろん、それにも時間はかかるだろうが、体の成長速度よりは速いのだろう。
 
「あの憐れな子は、そう長くは、あそこにはいられない」
「どういうこと?」
「だって、彼はいなくなってしまったのに、きみは生きている」
「私のために……また……」
「次のティニカを用意しなくてはならない。それがティニカのことわりだからねえ」
「で、でも、それじゃあ、あなたが借りたティニカは……?」
 
 ラフロは軽く肩をすくめた。
 妙に人間くさい仕草が鼻につく。
 やっとラフロに不快を感じられた。
 
「あれが死んだあとで、フェリシアはティニカを完全に遠ざけていたよ。当然かもしれないね。最も信頼を置いていたティニカが、あんなことをしでかしたわけだから。それでも、きみを守るため、再びティニカと繋がることを選んだわけだ」
 
 自分で「しでかして」おいて他人事ひとごとのような言い草をするラフロに、だんだんキャスの感情が鮮明になってくる。
 
 ラフロにとって、ティニカなど、どうでもいいのだ。
 フェリシアやキャス、そこに宿る「愛」にしか関心をいだいていない。
 証拠に、自らが「借りた」体の持ち主の名すら呼ばなかった。
 
「……あなたが体を借りた人は……自死した」
「おや、よくわかったねえ」
「ティニカだもの……ティニカだから……そうするに、決まってる……」
 
 ティニカはヴェスキルを守り、世話をする。
 それがティニカの存在理由なのだ。
 自らの意思でなくとも、フェリシアを傷つけて平気でいられるはずがない。
 きっと激しい恐慌に襲われ、罪の意識に押し潰された。
 
「カサンドラがどう思うか知らないけどさ。私は、あんたを父親だとは思わない。だから、さっさと言いなよ」
 
 天秤の片方には、すでにフィッツの命が乗せられている。
 時間も差し迫っていた。
 
(わかんないよ、フィッツ……本当は、わかんないんだ……)
 
 ティニカで「予備」とされている自我のない体。
 だとしても、ティニカの教えにより、自我を持つことはできる。
 当然、ティニカとして育てられるのだから、自我はあっても意思はないだろう。
 ティニカは、ティニカの教えによってのみ動く者だからだ。
 
(けど、フィッツは違ったじゃん……あの人が、そうならないって保証は……どこにもないのに……フィッツみたいに、意思を持てるかもしれないのに……)
 
 その可能性を奪うことになる。
 今は自我も意思もないのだろうが、先のことはわからない。
 フィッツという「実例」もある。
 
 なのに、フィッツの「入れ物」として扱っていいのか。
 
 わからなかった。
 正しいことだと言えないのだけは確かだけれど。
 
(でもさぁ、フィッツ……私は……フィッツに会いたいんだよ……私が呼んだら、応えてくれる……フィッツに、ここに……いてほしいんだよ……)
 
 キャスのほうこそ、ラフロに訊きたくなる。
 愛というのは、なんなのか。
 酷く残酷で、醜い感情のように思えた。
 
 善悪の見境もつかなくなるのだから。
 
 しかし、そう思うこと自体、綺麗事だとも感じる。
 フィッツがいない世界は、とてもとても寂しいのだ。
 かと言って、フィッツを忘れ、いなかったことにもしたくない。
 フィッツを取り戻せるのなら、と考えている自分の心を自覚している。
 
「公正を期するために言っておこうか。私が行うのは、あの体に彼の魂を呼び込むことなのだよ。厳密に言えば、生き返らせることとは違う。元の体が蘇るわけではないからねえ。それと、今回は時間を巻き戻せない。あれは、私の力を直接に与えなければできないことだから」
「それでも、フィッツは戻ってくる。そうなんでしょ?」
「ティニカは、それを魂だとは見なさず、単なる情報の蓄積と捉えていたらしい。だが、私は、それこそが魂だと思っているし、きみも同じではないかな?」
 
 ラーザの技術の流出を防ぐため、ティニカは細胞とともに体を消滅させる。
 だが、あのひし形の中に、すべてが記憶されているのだろう。
 知識や情報という言葉では括れない「思い出」が、詰まっているのだ。
 
 ラフロの言うことは正しい。
 元の体にこだわりさえしなければ、フィッツを戻せる。
 
「きみだって元の体とは違う体で生きている。そうだろう、愛しい子」
「……前置きが長過ぎでしょ……さっさと言って……」
 
 ラフロの言うなりになんてなりたくはなかった。
 取引を蹴飛ばせたら、どれほど清々しかったか。
 けれど、そうするには、あまりにも、その取引は魅力的に過ぎたのだ。
 
「私は、彼を戻す。きみは、壁を壊す。いい取引だと思わないかね?」
 
 キャスは、返事ができずにいる。
 そのキャスに、穏やかな優しい口調で、ラフロが言った。
 
「私の娘、可愛い子。きみの愛は、フェリシアと同じくらい高潔だろうか」
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