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第2章 彼女の話は通じない
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ザイードは、ダイスとダイスの「別宅」にいる。
キャスは、ノノマと一緒に、ほかの家に移動した。
今夜のシャノンは、もう動かないと予測している。
なので、休みを取るように言ったのだ。
ザイードとダイスは、2,3日睡眠をとらなくても問題はない。
食事さえしっかりとれば、魔力で補える。
ノノマは、まだそういう魔力の使いかたはできないのだ。
平たく言えば、経験不足。
キャスは言うまでもない。
「お前は、そんなだから女が寄りつかねぇんだぞ」
唐突に、ダイスに言われる。
とはいえ、常々、言われているので気にせずにいた。
自分に女が寄りつかないことくらい知っている。
弟のラシッドを含め、言われ慣れているし。
「いいのかよ?」
「なにがだ?」
「あのなあ、お前がキャスに惚れてることはわかってんだ。なのに、求愛もしてねぇんだろ? それでいいのかって言ってんだよ」
すぱーんっと言われ、ザイードは言葉をなくした。
ダイスは、ふんっとばかりに、尾を揺らせる。
喜んでいる時とは違い、ゆっくりと左右に振っていた。
フサッフサッと、尾が小さな音を立てている。
「そりゃあな、キャスは、お前に気がねぇさ。シュザがノノマと番になるほうが、有り得る話だ。振り向かせるには、まぁ、時間はかかるだろうぜ」
ダイスの口調には、からかうような調子はなかった。
らしくもなく「真面目」に話しているのだ。
それが、ザイードの心をえぐっている。
上手く隠していたつもりでいたので、キャスへの想いを見抜かれたことだけで、心に打撃を受けていた。
「けどな、なんもせずに諦めるってのは、いただけねぇぞ。駄目なら駄目でもいいじゃねぇか。キャスに番ができるまでなら、何回でも求愛できるんだ。断られても死ぬわけじゃあるまいし」
ザイードは、ダイスから視線を外して、うつむく。
尾が、ぺたりと床に落ちていた。
「……キャスには、想い人がおる……」
というより、その相手しかキャスの心にはいないのだ。
どんな誰からの求愛も受けるはずがない。
死すらも、心変わりの理由には成り得ていなかった。
キャスの隣は、その者のいるべき場所なのだ。
「余は……魔物ゆえ……人にはなれぬ……」
「当たり前だろ。なんだ、お前、人になりてぇのか?」
「そのようなことは思うておらぬ! 思うては……おらぬが……」
ダイスの視線から逃げるように、顔をそむける。
キャスに出会うまで、変化することすら避けてきた。
魔物であり、ガリダであるのを誇りに思っている。
そもそも変化自体、少々、自然の摂理から外れているのではないか、との思いもあったのだ。
「人の理は……わからぬ……わかってやれぬのだ」
「そりゃそうだ。オレたちは魔物だからな。人のことなんかわかりゃしねぇし、わかる必要もねぇだろ」
「しかし、キャスは人ぞ? 人の理の中で生きておる」
「だったら、なんだ? わからねぇから、なんだってんだよ」
生きる「理」が違うというのは、種族の違いよりも大きい。
その行動や感情の意味そのものがわからないのだから、どうすればいいのかが、わからなくなる。
たとえば、怒っているとしても宥める方法がわからない。
悲しんでいても、慰める言葉が見つけられない。
なにかにつけ、相手の心に寄り添うことができないのだ。
「オレなんか未だにキサラの考えてることなんか、ちぃっともわかんねぇぜ?」
キサラというのは、ダイスの番の名だった。
ダイスは、こんなふうでも、実はルーポ族の中では好まれる男だ。
百歳を越える前から、大勢の女から求愛を受けていたのを知っている。
それらを、ダイスは、すべて断っていた。
「なにゆえ、お前は、キサラを選んだのだ?」
キサラは、正直、それほど魅力的な女ではない。
ルーポが美しいとしている基準で言えば、毛並みも普通だし、尾は長過ぎる。
逆に鼻は短く、体は痩せていて、どちらかといえば貧相だ。
ダイスがキサラに求愛をしたことに、ルーポだけではなく、魔物の国のものたち全員が首をかしげたほどだった。
誰もが「似合いの番」だとは思わなかったと言える。
「オレがキサラを選んだんじゃねぇよ。求愛したのはオレだ。キサラがオレを選んでくれたのさ」
「そうだの……」
「お前が考えてるように、だ。キサラには断られ続けてた。ええと、114歳から20年で、確か……586回は断られたな」
よく心が折れなかったものだ、と思った。
単純に言って、10日に1回は求愛し、断られていたことになる。
それでもダイスは求愛し続けた。
結果、今では5頭の子をもうけている。
この「別宅」を作ったのも、キサラとの時間を確保するためだとか。
子供たちはここで過ごさせ、従兄弟たちに世話を頼む。
その間が、ダイスとキサラの時間なのだ。
泥だらけになりながら、ダイスが、この家を作っている姿を、ザイードは呆れた目で見ていたのを覚えている。
「オレはキサラに惚れてたから受け入れてもらえるんなら、理由なんかなんでも良かった。訊いたこともねぇし、なんで587回目で承諾してくれたんだか、今もわかりゃしねぇまんまだ。急にすげえ怒るし、かと思や、甘えてきたりして、意味わかんねぇことばっかりなんだぜ?」
「よくそれでやっていけておるな」
ダイスの、フサッフサッと揺れていた尾が動きを止めた。
後ろ脚で、耳の後ろを掻いている。
「そりゃ、キサラの考えてることはわからなくても、オレがキサラに惚れてるってのが、わかってるからだ」
「だが、キサラの心がわからぬでは、いつ番を外れると言われるかわからぬのではないか? お前に不満をいだいておるかもしれぬであろうが」
きょとん。
ダイスが、ゆっくりと首をかしげた。
まさしく「意味がわからない」という顔をしている。
「さように考えたことはないのか?」
「ない」
「キサラの心もわからぬのにか?」
「だって、オレ、努力してるし」
「なに?」
また、ダイスの尾が、フサッフサッと揺れ始めた。
床の上で軽く重ねた両の前脚に、顎を乗せている。
「番になったら、それで終わりじゃねぇんだぞ。そっからのほうが、大変なんだ。子ができるのはいいことだが、キサラの注意をオレに向けるために、オレはかなり努力してる。番になっても、オレがキサラに惚れてるってのは変わらねぇのさ」
初めて、ダイスが「大人」に見えた。
言っていることは少し子供じみている気はしたが、芯が通っている。
番になる前も、なったあとも、ダイスの心に変わりはない。
たとえキサラの心がわからなくても、己の心はわかっている。
だから、努力をし続けているのだと。
「お前にオレの真似をしろとは言わねぇよ。けど、たかだか1回や2回、断られても、死にやしねぇってことだ」
「……お前は、キサラの心が別のところにあっても、平気か?」
586回も断ったのには理由があったに違いない。
ダイスが好みではなかったとか、ほかに想う相手がいたとか。
根負けしてダイスと番になったとしても、心がダイスにあるかはわからない。
実際、ダイスはキサラがなにを考えているのかわからないと言っている。
「平気だね。そんでも、キサラはオレの番だ。オレを選んでくれたってのが、大事なんだ。それ以外は、どうでもいい」
「お前は、単純よな」
「そんなもんだろ。お前は難しく考え過ぎてんだよ、ザイード」
ダイスに「真面目」に説教をされる日がくるとは思わなかった。
けれど、やはり、ダイスほどには思いきり良くはなれない。
断られるのが怖いというより、キャスとの関係にヒビが入るのが嫌なのだ。
今でさえ距離があるのに、ますます遠ざけられてしまう。
「人と戦うんだぜ?」
ダイスの口調は変わらない。
なのに、やけに重く感じた。
「求愛を断られても死にやしねぇが、戦で死ぬことはあるんだぞ。そん時になってからじゃ遅えんだ。言いたくても言えなくなっちまうんだからな」
キャスに想いを伝えないまま、死ぬことになるかもしれない。
自分は後悔するのだろうか。
ザイードには、わからなかった。
「言うておけばよかったと思うかもしれぬが……まずは死なぬようにせねばな」
「まったく……そんなんだから女が寄りつかねぇんだよ」
話が最初に戻る。
ふと、気になった。
「それほど、余は分かり易いのであろうか?」
「気づいてねぇのは、キャスだけだろうぜ」
「…………さようか……」
ダイスが呆れたように溜め息をつく。
ぱたっと、ダイスの尾が床に落ちた。
「自然の摂理だ、ザイード」
「それは魔物の理だが……」
「わかんねぇのかよ。家はいくらでもあったのに、お前は、自分の家に、キャスを連れて帰ったんだ。自分の家にな」
指摘され、初めて「あ」と気づく。
そこは、ザイードの領域。
当然だが、室内のものはすべて「ザイードのもの」だ。
「もう1回、言っとく」
ザイードは、すっかりしょげていた。
最初から、キャスはザイードにとって特別だったのだ。
魔物で言う「ピンと来た相手」だった。
「そんなことだから、お前には女が寄りつかねぇんだよ」
ダイスの言葉が耳に痛い。
自分の心でさえもわかっていない未熟者だと、ダイスは言っているのだ。
キャスは、ノノマと一緒に、ほかの家に移動した。
今夜のシャノンは、もう動かないと予測している。
なので、休みを取るように言ったのだ。
ザイードとダイスは、2,3日睡眠をとらなくても問題はない。
食事さえしっかりとれば、魔力で補える。
ノノマは、まだそういう魔力の使いかたはできないのだ。
平たく言えば、経験不足。
キャスは言うまでもない。
「お前は、そんなだから女が寄りつかねぇんだぞ」
唐突に、ダイスに言われる。
とはいえ、常々、言われているので気にせずにいた。
自分に女が寄りつかないことくらい知っている。
弟のラシッドを含め、言われ慣れているし。
「いいのかよ?」
「なにがだ?」
「あのなあ、お前がキャスに惚れてることはわかってんだ。なのに、求愛もしてねぇんだろ? それでいいのかって言ってんだよ」
すぱーんっと言われ、ザイードは言葉をなくした。
ダイスは、ふんっとばかりに、尾を揺らせる。
喜んでいる時とは違い、ゆっくりと左右に振っていた。
フサッフサッと、尾が小さな音を立てている。
「そりゃあな、キャスは、お前に気がねぇさ。シュザがノノマと番になるほうが、有り得る話だ。振り向かせるには、まぁ、時間はかかるだろうぜ」
ダイスの口調には、からかうような調子はなかった。
らしくもなく「真面目」に話しているのだ。
それが、ザイードの心をえぐっている。
上手く隠していたつもりでいたので、キャスへの想いを見抜かれたことだけで、心に打撃を受けていた。
「けどな、なんもせずに諦めるってのは、いただけねぇぞ。駄目なら駄目でもいいじゃねぇか。キャスに番ができるまでなら、何回でも求愛できるんだ。断られても死ぬわけじゃあるまいし」
ザイードは、ダイスから視線を外して、うつむく。
尾が、ぺたりと床に落ちていた。
「……キャスには、想い人がおる……」
というより、その相手しかキャスの心にはいないのだ。
どんな誰からの求愛も受けるはずがない。
死すらも、心変わりの理由には成り得ていなかった。
キャスの隣は、その者のいるべき場所なのだ。
「余は……魔物ゆえ……人にはなれぬ……」
「当たり前だろ。なんだ、お前、人になりてぇのか?」
「そのようなことは思うておらぬ! 思うては……おらぬが……」
ダイスの視線から逃げるように、顔をそむける。
キャスに出会うまで、変化することすら避けてきた。
魔物であり、ガリダであるのを誇りに思っている。
そもそも変化自体、少々、自然の摂理から外れているのではないか、との思いもあったのだ。
「人の理は……わからぬ……わかってやれぬのだ」
「そりゃそうだ。オレたちは魔物だからな。人のことなんかわかりゃしねぇし、わかる必要もねぇだろ」
「しかし、キャスは人ぞ? 人の理の中で生きておる」
「だったら、なんだ? わからねぇから、なんだってんだよ」
生きる「理」が違うというのは、種族の違いよりも大きい。
その行動や感情の意味そのものがわからないのだから、どうすればいいのかが、わからなくなる。
たとえば、怒っているとしても宥める方法がわからない。
悲しんでいても、慰める言葉が見つけられない。
なにかにつけ、相手の心に寄り添うことができないのだ。
「オレなんか未だにキサラの考えてることなんか、ちぃっともわかんねぇぜ?」
キサラというのは、ダイスの番の名だった。
ダイスは、こんなふうでも、実はルーポ族の中では好まれる男だ。
百歳を越える前から、大勢の女から求愛を受けていたのを知っている。
それらを、ダイスは、すべて断っていた。
「なにゆえ、お前は、キサラを選んだのだ?」
キサラは、正直、それほど魅力的な女ではない。
ルーポが美しいとしている基準で言えば、毛並みも普通だし、尾は長過ぎる。
逆に鼻は短く、体は痩せていて、どちらかといえば貧相だ。
ダイスがキサラに求愛をしたことに、ルーポだけではなく、魔物の国のものたち全員が首をかしげたほどだった。
誰もが「似合いの番」だとは思わなかったと言える。
「オレがキサラを選んだんじゃねぇよ。求愛したのはオレだ。キサラがオレを選んでくれたのさ」
「そうだの……」
「お前が考えてるように、だ。キサラには断られ続けてた。ええと、114歳から20年で、確か……586回は断られたな」
よく心が折れなかったものだ、と思った。
単純に言って、10日に1回は求愛し、断られていたことになる。
それでもダイスは求愛し続けた。
結果、今では5頭の子をもうけている。
この「別宅」を作ったのも、キサラとの時間を確保するためだとか。
子供たちはここで過ごさせ、従兄弟たちに世話を頼む。
その間が、ダイスとキサラの時間なのだ。
泥だらけになりながら、ダイスが、この家を作っている姿を、ザイードは呆れた目で見ていたのを覚えている。
「オレはキサラに惚れてたから受け入れてもらえるんなら、理由なんかなんでも良かった。訊いたこともねぇし、なんで587回目で承諾してくれたんだか、今もわかりゃしねぇまんまだ。急にすげえ怒るし、かと思や、甘えてきたりして、意味わかんねぇことばっかりなんだぜ?」
「よくそれでやっていけておるな」
ダイスの、フサッフサッと揺れていた尾が動きを止めた。
後ろ脚で、耳の後ろを掻いている。
「そりゃ、キサラの考えてることはわからなくても、オレがキサラに惚れてるってのが、わかってるからだ」
「だが、キサラの心がわからぬでは、いつ番を外れると言われるかわからぬのではないか? お前に不満をいだいておるかもしれぬであろうが」
きょとん。
ダイスが、ゆっくりと首をかしげた。
まさしく「意味がわからない」という顔をしている。
「さように考えたことはないのか?」
「ない」
「キサラの心もわからぬのにか?」
「だって、オレ、努力してるし」
「なに?」
また、ダイスの尾が、フサッフサッと揺れ始めた。
床の上で軽く重ねた両の前脚に、顎を乗せている。
「番になったら、それで終わりじゃねぇんだぞ。そっからのほうが、大変なんだ。子ができるのはいいことだが、キサラの注意をオレに向けるために、オレはかなり努力してる。番になっても、オレがキサラに惚れてるってのは変わらねぇのさ」
初めて、ダイスが「大人」に見えた。
言っていることは少し子供じみている気はしたが、芯が通っている。
番になる前も、なったあとも、ダイスの心に変わりはない。
たとえキサラの心がわからなくても、己の心はわかっている。
だから、努力をし続けているのだと。
「お前にオレの真似をしろとは言わねぇよ。けど、たかだか1回や2回、断られても、死にやしねぇってことだ」
「……お前は、キサラの心が別のところにあっても、平気か?」
586回も断ったのには理由があったに違いない。
ダイスが好みではなかったとか、ほかに想う相手がいたとか。
根負けしてダイスと番になったとしても、心がダイスにあるかはわからない。
実際、ダイスはキサラがなにを考えているのかわからないと言っている。
「平気だね。そんでも、キサラはオレの番だ。オレを選んでくれたってのが、大事なんだ。それ以外は、どうでもいい」
「お前は、単純よな」
「そんなもんだろ。お前は難しく考え過ぎてんだよ、ザイード」
ダイスに「真面目」に説教をされる日がくるとは思わなかった。
けれど、やはり、ダイスほどには思いきり良くはなれない。
断られるのが怖いというより、キャスとの関係にヒビが入るのが嫌なのだ。
今でさえ距離があるのに、ますます遠ざけられてしまう。
「人と戦うんだぜ?」
ダイスの口調は変わらない。
なのに、やけに重く感じた。
「求愛を断られても死にやしねぇが、戦で死ぬことはあるんだぞ。そん時になってからじゃ遅えんだ。言いたくても言えなくなっちまうんだからな」
キャスに想いを伝えないまま、死ぬことになるかもしれない。
自分は後悔するのだろうか。
ザイードには、わからなかった。
「言うておけばよかったと思うかもしれぬが……まずは死なぬようにせねばな」
「まったく……そんなんだから女が寄りつかねぇんだよ」
話が最初に戻る。
ふと、気になった。
「それほど、余は分かり易いのであろうか?」
「気づいてねぇのは、キャスだけだろうぜ」
「…………さようか……」
ダイスが呆れたように溜め息をつく。
ぱたっと、ダイスの尾が床に落ちた。
「自然の摂理だ、ザイード」
「それは魔物の理だが……」
「わかんねぇのかよ。家はいくらでもあったのに、お前は、自分の家に、キャスを連れて帰ったんだ。自分の家にな」
指摘され、初めて「あ」と気づく。
そこは、ザイードの領域。
当然だが、室内のものはすべて「ザイードのもの」だ。
「もう1回、言っとく」
ザイードは、すっかりしょげていた。
最初から、キャスはザイードにとって特別だったのだ。
魔物で言う「ピンと来た相手」だった。
「そんなことだから、お前には女が寄りつかねぇんだよ」
ダイスの言葉が耳に痛い。
自分の心でさえもわかっていない未熟者だと、ダイスは言っているのだ。
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