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後編

すべてはそこに 3

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 体が重い。
 頭が、ずきずきする。
 そのせいか、吐き気もした。
 体も熱っぽくて、だるい。
 
(なんだか、前にもあったわね。こういうこと……)
 
 サマンサは、はあ…と大きく息をつく。
 意識はあるのだが、瞼も重くて、目を開く気にならなかった。
 体には虚脱感しかなく、なにもかもが億劫に感じる。
 
「もう大丈夫なんだろー? なんで起きねーのかな」
「血を入れ替えたようなものだからね。しばらくは起きられないだろうよ」
「時をかければ元に戻るのであれば、問題なかろう」
「そうですとも、公爵様」
 
 ん?と思った。
 目を伏せていても、気づく。
 
(彼の従兄弟と……フレデリック? どういうこと?)
 
 自分の周りに、3人はいるようだ。
 サマンサは、状況がつかめていない。
 なぜ3人が自分を取り囲み、会話をしているのかわからなかった。
 なにより、彼の「血を入れ替えた」という意味が不明だ。
 
「ジェレミーは、平気なのか?」
「ラスのおかげで、なんとか無事でいられたな」
「我が君の力の影響下で動けるとは、驚きました」
 
 は?と思った。
 執事までもがいるではないか。
 どういうことだ、と混乱する。
 しかも、彼が無事だったとかなんとか。
 起き上がりたかったが、体が思うようにならない。
 
「俺たちは、あの力に慣れておるのでな」
「兄上のほうが、ちょっと長生きしてる分、耐性があるんだよ。でも、兄上、解毒するつもりで、近くにいたのか?」
「当然だ。浄化をすれば、ジェレミーも毒に侵されるに決まっておるだろうが。あの毒は治癒が効かぬのだぞ」
「お見事にございました」
「僕も、公爵様がお倒れになるのではないかと、ハラハラしましたよ」
 
 合計5人。
 彼らは、サマンサが意識を取り戻していることに気づいていないようだ。
 その割には、彼女の周りから離れる気もないらしい。
 
(というより、ここは、どこなの? 私の寝室に、男性が5人もいるってこと?)
 
 それは、ちょっとどうかと思う。
 彼はともかく、彼の従兄弟たちもともかく。
 フレデリックと執事には「遠慮」してほしかった
 動けないなりに、身なりも気になるし。
 
「いつも助けられてばかりだね。それに部外者を、勝手に連れて来てしまった」
「あの状況では、しかたなかろう。かまわんさ。お前の身内だ。おいそれとここのことを口にするとは思わぬ」
「もちろん黙っていますから、ご心配には及びません」
「我が君の秘匿すべきことは、私にとっても同じにございます」
「ジェレミーの連れなら、いつ来てもいいじゃん。前は、そういうことあったって聞いてるぞ」
「そういうわけにもいかないよ、ノア。ここは特別な地なのだからね」
 
 会話の内容からすると、ここはアドラントではないようだ。
 隠れ場所のようなところにいるらしい。
 彼の従兄弟たちが、森から帰る時、彼は点門てんもんを使っている。
 だが、向こう側は見えなかった。
 ここは、その場所なのだろう。
 
(瞼がこんなに重いなんて、いつぶりかしら? ああ、それにしても体がだるい)
 
 会話を聞いている間も、鈍い頭痛に悩まされていた。
 体が、ぼやぁっとした熱につつまれていて、それも気持ちが悪い。
 風邪でも引いて倒れたのだろうか。
 
(でも、さっき毒がどうこうって言っていたわよね……毒……)
 
 サマンサの中に、おぼろげに、倒れる直前の光景が思い浮かんでくる。
 森にいたサマンサの前に、ジェシーが現れた。
 彼が助けてくれたが、そのあと、意識を失ったのだ。
 焦った表情で駆け寄ってくる彼の姿が思い出される。
 
(……あれは、毒だったのだわ……)
 
 突然、体から血の気の引く感覚を覚えたのだ。
 すぐに力が入らなくなり、ふっと意識が途切れた。
 だが、途中、少しだけ意識を取り戻したのを覚えている。
 
 『……サミー……そんな……無理だ……サミー……きみの傍を離れるなんて』
 
 彼の声が聞こえた。
 つらそうな声に、サマンサの胸まで痛んだ。
 それでも、ジェシーを逃がさないよう、彼に言ったのだ。
 どうなったのかはわからないが、彼は片をつけたに違いない。
 
(私は、死にかけていたのでしょう? でも、あなたは、私の言ったことを信じてくれたのね……)
 
 体はだるくて重く、熱っぽくて気分も最悪だった。
 けれど、彼は、サマンサの「自分は死なない」という言葉を信じてくれたのだ。
 そして、できる限りの手を尽くしてくれている。
 その結果として、自分は、ここにいるのだ。
 生きている。
 
 『きみを愛しているよ、サミー……これ以上ないってくらいに……きみを愛している……』
 
 ふっと、声が聞こえた。
 聞いた覚えはない言葉だったが、彼の心だ、と思う。
 その心と想いに引きめられ、サマンサの命は、この世界にとどまったのだ。
 体調は最悪でも、胸の奥が暖かくなる。
 
 自分たちには、未来が残された。
 
 そのことに安心する。
 生き延びられたのだから、きっと幸せを手にしてもいいのだ。
 彼も、自分も。
 
 体が回復したら、なにをしよう。
 大胆なドレスはやめておいたほうがいいかもしれない。
 夜会もごめんだ。
 面倒なことは後回しにして、彼とのんびり過ごしたい、と思う。
 
(一緒に、お茶をして……彼の軽口に怒ったり、笑ったりしたいわ……)
 
 お忍びで街に行きたい気もした。
 とはいえ、まだ街は落ち着きを取り戻していないだろう。
 しばらく街歩きは我慢すべきだ。
 街に住む人々の暮らしが、元通りになるまでは。
 
 ともあれ、彼と2人でいられるのなら、それだけでいい。
 そう思えた。
 
「む。ジェレミー」
「ああ、そのようだね」
「なに? どしたんだよ?」
「なにかありましたか、公爵様」
「サマンサ様が意識を取り戻されたようです」
 
 この執事だけは。
 
 彼の言う通り「よけいなことを」言う。
 正直、この状況で、意識が戻っていると気づかれたくなかった。
 少なくとも2人、気づいていない人もいたようだったのに。
 
「ノア、ゆくぞ」
「え? え? なんで?」
「では、私もお供させていただけますか?」
「そういたせ。そこの者もついて来い」
「あ、はい。じゃあ、公爵様、サマンサ、ごゆっくり」
「あー、そーいうコトか! ごゆっくり~!」
 
 複数の足音が響く。
 彼以外の者は、部屋から出て行ったようだ。
 サマンサの体が元気であれば、顔が真っ赤になっていただろう。
 どう「ごゆっくり」しろと言うのか。
 
(フレデリックの気遣いはありがたいけれど、よけいなことまで言わなくてもいいのに……あの無礼な執事に影響されているのじゃない?)
 
 目を伏せたまま、むうっとする。
 そのサマンサの頬に冷たいものがふれた。
 彼の手だ。
 とても気持ちがいい。
 
(サミー? 聞こえているかね?)
(聞こえているわ)
(体は、つらいかい?)
(かなりね。体がだるいわ。熱っぽいし、頭も痛いの)
 
 彼の手が、サマンサの手を握ってくる。
 腕のほうに向かって、揉みほぐしてくれた。
 手からは冷たさが伝わってきて、心地いい。
 熱を冷ましてくれている。
 
(どうしたのかしら?)
(なにがだい?)
(あなた、ちっとも軽口を叩かないわね?)
(きみが、こんな調子だというのに、そういう気分にはならないな)
 
 声が出せていたら、笑っていた。
 彼が、そんな殊勝なことを言うなんて思わなかったのだ。
 
(あなただって、毒を受けたのでしょう? 少しくらい大目に見るわよ?)
(きみは、わかっていない)
(わかっているわ。でも、私は生きているじゃない。ずっと、そんなふうに、しくしくしているつもり?)
 
 額に、暖かいものがふれる。
 彼の唇を感じた。
 ゆっくりと押しつけられたそれが、ゆっくりと離れていく。
 
(本当に、きみは、私を、きゃん!と言わせるのが好きだね)
(知らなかった? それって、とても楽しいのよ?)
 
 なぜか、彼が、ぴたっと動きを止めた。
 どうしたのかと思ったが、まだ目を開くことができない。
 彼の顔を見ることができないのが、もどかしかった。
 
(サミー……私の言ったことで、きみを最も傷つけた言葉を覚えているかい?)
 
 ほんのわずか考える。
 体が動いていたら、肩をすくめていたところだ。
 
(愛することはできなくても、大事にすることはできるって言葉よ)
 
 とたん、ぎゅっと抱きしめられた。
 体が動かないので、抱きしめかえせずにいる。
 そのサマンサに、彼が言った。
 
(撤回するよ、サミー。私は、きみを愛しているし、きみから愛されたい)
(愛しているわ。もうずっと前から、私は、あなたを愛しているのよ)
 
 唇に、口づけを感じる。
 サマンサは、早く回復して、彼を思いきり抱き締めたいと、思った。
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