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恋愛事情 3

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 アントワーヌ・シャロテール。
 リフルワンスの王太子だ。
 ジョゼフィーネの父親は国務大臣をしている。
 王太子とも懇意にしているようだった。
 
(ジョゼは、だいぶ緊張しておるようだな)
 
 あまり顔色が良くない。
 同席させないほうがいいかとも思ったが、事は明確にしておく必要がある。
 ジョゼフィーネには、アントワーヌが来た理由を知る権利があった。
 アントワーヌ自身が「ジョゼフィーネのこと」と言っているのだから。
 
 リロイが点門てんもんを開く。
 門の向こうは、謁見室だ。
 アントワーヌらしき男が立っているのが、見えた。
 
 リフルワンスの王太子という自尊心があるのだろう。
 ひざまずいて待つつもりはないらしい。
 さりとて、ディーナリアスは、そんな「些末」なことは気にしないのだ。
 
 ジョゼフィーネを抱きかかえ、門を抜ける。
 彼女はディーナリアスの胸に顔を押しつけていた。
 顔を合わせたくないと思っているらしい。
 が、アントワーヌは、それに気づかなかったのだろう。
 
「ジョージー!」
 
 大きな声で、ジョゼフィーネを呼ぶ。
 いかに「無礼」な真似をしているかの自覚もないようだ。
 リロイとリスが、剣呑な目つきで、アントワーヌを見ていた。
 
 ジョゼフィーネは、ディーナリアスの「嫁」となっている。
 他国の妃を、昔の愛称で呼ぶなど、失礼にもほどがあった。
 けれど、それもディーナリアスは無視。
 アントワーヌのことなど、どうでもよかったからだ。
 
 自身にかけられた声に、反応を返さないジョゼフィーネが気がかりだった。
 会いたくないと思うには、相応の理由があるのだろうし。
 
「案ずるな。俺がついておる」
 
 ひそっと、ジョゼフィーネに耳打ちをする。
 少しは安心したのか、しがみついている手の力が、わずかに弱まった。
 謁見前にリロイが入れ替えたとおぼしき、肘置きのない玉座に座る。
 もちろんジョゼフィーネは膝抱っこだ。
 
「ディーナリアス殿下、謁見をお許しくださったことに感謝いたします」
「形式的なやり取りは不要だ。どのような用件か申せ」
「それでは……彼女、ジョゼフィーネを返していただきたいのです」
 
 びくっと、ジョゼフィーネが体を震わせる。
 初日にも言っていたが、彼女は国に帰りたいとは思っていないのだ。
 それは、ジョゼフィーネの態度からも、はっきりしている。
 
「彼女が、こちらに来たのは……ある意味では手違いでした」
「手違い?」
「ディーナリアス殿下には、より相応しき女性をと考えております」
 
 ディーナリアスは眉をひそめた。
 ジョゼフィーネの肩を抱く手に力が入る。
 
(この男は、いったい何を言っておるのだ。意味がわからん)
 
 わかるのは、ジョゼフィーネを返せ、と言っていること。
 アントワーヌは手違いだと言うが、どんな手違いがあろうとも、すでにジョゼフィーネはディーナリアスの「嫁」なのだ。
 
 そもそも、アントワーヌの言い草が気に入らない。
 まるで、林檎と梨を取り違えました、とでもいうような言い訳の仕方が。
 
「ジョゼフィーネは……愛妾の子なのです。そのような者を正妃などにすれば、ディーナリアス殿下が各国の笑い者とされるでしょう」
 
 ジョゼフィーネが、腕の中で、ぷるぷるしている。
 にもかかわらず、全身をこわばらせていた。
 こうして支えていなければ倒れてしまうのではないかと思える。
 ディーナリアスの心に明確な苛立ちがわき上がっていた。
 
 アントワーヌの言葉が、ジョゼフィーネを傷つけている。
 
 アントワーヌがどういうつもりかなど、どうでもよかった。
 ディーナリアスの心は、ジョゼフィーネの反応だけに向けられている。
 
 もとより、ジョゼフィーネは、とても繊細な性格だ。
 砂粒程度の悪意にすら傷ついてしまう。
 そんな彼女を守るのが自分の役割だと、ディーナリアスは思っていた。
 
「こちらの手違いでご迷惑をおかけする事態になったことは申し訳なく思っております。ですが、ディーナリアス殿下が恥をかく前にと、こうして伺った次第なのです」
 
 ディーナリアスは、アントワーヌを、じっと見つめる。
 本気で思っていた。
 
 この男は、いったいなんなのか。
 
 王太子のくせに、禁を破ってまで他国に入ってきた理由が「手違い」を正すためだなとど、よく言えたものだ。
 アントワーヌが、己のために、ジョゼフィーネを返してほしい、と言ってきたのなら、まだ理解もできる。
 してやらなくも、ない。
 
 だが、アントワーヌは、あくまでも「ディーナリアスのため」とした。
 よって、アントワーヌの言葉に理解を示す必要はないと判断する。
 
「絶対に返さんぞ」
 
 ぐっと、ジョゼフィーネの体を片腕で抱き込んだ。
 これ以上、アントワーヌの心ない言葉で彼女を傷つけさせたりはしない。
 ディーナリアスはジョゼフィーネを抱えて立ち上がる。
 
「お待ちください! 彼女を正妃にしても、我が国との友好関係を結ぶことはできません! それどころか、逆に笑い者にされるだけなのです!」
 
 ディーナリアスは、アントワーヌに冷ややかな視線を投げた。
 リフルワンスと友好関係を結ぼうなどとは思っていないし、望んでもいない。
 望まれたって、ごめんだ。
 
「絶対に返さんと言っておるのが、わからぬか」
 
 アントワーヌが不快そうに顔をしかめる。
 これで説得をしに来たというのなら、頭が悪いとしか言いようがなかった。
 
「ジョゼは、俺の嫁だ。なにがあっても、絶対に返さん」
「ディーナリアス殿下! 彼女と私は、婚姻を誓いあっておりました!」
 
 びくっと、ひと際、大きくジョゼフィーネが体を震わせる。
 そして、ディーナリアスの腕の中で縮こまっていた。
 
「だから、なんだ?」
 
 冷たくアントワーヌの言葉を切り捨てる。
 ジョゼフィーネは「帰りたくない」のだ。
 ディーナリアスにとって、大事なのはそれだけだった。
 
「俺は、なにがあっても、と言ったであろう」
「ディーナリアス殿下!」
「同じことを何度も言わせるな。不快だ」
 
 アントワーヌに完全に背を向けたディーナリアスの前に、点門が開く。
 あとはリスとリロイがなんとかするはずだ。
 ディーナリアスは迷いなく門を抜ける。
 
(謁見など許すのではなかった。ジョゼが気に病んでおるではないか)
 
 私室に戻り、ディーナリアスはカウチに座り直した。
 ジョゼフィーネを安心させたくて、黙って、頭を繰り返し撫でる。
 彼女は、結局、1度もアントワーヌを見なかった。
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