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恋愛事情 4

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 頭を撫でてくれる手は、いつものように優しい。
 けれど、ジョゼフィーネは顔を上げられずにいる。
 ディーナリアスの胸に、じっとしがみついていた。
 ずっと、こうしていられはしない。
 わかっていても、動けずにいる。
 
 なぜ隠していたのかと思われているだろうか。
 なぜ話さなかったのかと思われてはいないか。
 後ろ暗いところがあるのではと、疑われているかもしれない。
 
 それに。
 
(トニーの言う通りだ……私じゃ、役に立たない……なんにも……)
 
 愛妾の子である自分と婚姻すれば、ディーナリアスが笑い者になる。
 リフルワンスとの友好にもならないのだ。
 政略結婚だというのに、その意味を果たせない。
 そんな自分に、どんな価値があるというのだろう。
 
「俺は、お前を返さんぞ? 絶対にだ」
 
 落ち着いた声が聞こえてくる。
 ジョゼフィーネは、黙ってディーナリアスの言葉を聞いていた。
 
「正妃選びの儀の日、お前に帰りたいかと問うた。お前は首を横に振った」
 
 それはジョゼフィーネも覚えている。
 怖かったからではない。
 本心から、帰りたくなかったし、帰れるはずもないと思ったからだ。
 帰ったって喜んでくれる人などいない、そう思った。
 
「お前は国に帰りたいとは思っておらぬ。違うか?」
「ち、違わない……」
 
 ディーナリアスの胸に顔を押しつけたまま、小さく答える。
 そのジョゼフィーネの額に、キスが落ちてきた。
 いつもと変わらない、ディーナリアスの仕草だ。
 
「お前は帰りたくない。俺は帰したくない。やはり相性が良いのだな」
 
 じわ…と、胸の奥にぬくもりが広がっていく。
 ディーナリアスは「返さない」と言い「帰したくない」と言ってくれた。
 そろりと顔を上げる。
 ディーナリアスの青みがかった緑の瞳が、優しく細められた。
 
「あ、あの……トニー……アントワーヌ殿下とは……私……」
「婚姻を誓い合っておることは知っておった」
「え……?」
「正妃選びの儀の前に、正妃候補は調べることになっておるのでな」
 
 言われると、当然のような気もする。
 前世の記憶にあるドラマでも、そんな展開のものがあった。
 名家に息子の恋人が興信所に調べられ、母親に結婚を反対されるといった話。
 いわゆる昼ドラだ。
 
「それゆえ、国に帰りたがっておるのではないかと、念のため確認をした」
 
 そういえば、あの時、ディーナリアスは2回も同じ言葉を繰り返している。
 こちらの意思を、ちゃんと確認しようとしてくれたのだろう。
 彼は、そういう人だ。
 とても真面目だし。
 
「俺は、お前に帰る気がないのであれば、それでかまわぬと思ってはおるが、少しばかり気になることがある」
「な、なに……?」
 
 ディーナリアスが、ちょっぴり「変な」顔をする。
 どう変かはともかく。
 
「あの男との婚姻は……諦めた、と思って、よいのか?」
「あ、諦めた……?」
「ジョゼは、あの男と婚姻したかったのであろう?」
 
 諦めるもなにも。
 
 そんな話は、元々なかったようなものなのだ。
 ジョゼフィーネは信じていたが、実際には存在しない架空の約束に過ぎない。
 アントワーヌに、その気はなかったのだから。
 
 アントワーヌは、いい人だった。
 悪い人だとは思っていないし、彼の立場も理解はしている。
 
 リフルワンスは、差別の激しい国だ。
 そして、そのリフルワンスの王太子なのだ、アントワーヌは。
 今思えば、愛妾の子と婚姻できるはずなどなかった。
 
「婚姻するんだって……思ってただけで……」
 
 ジョゼフィーネ自身、先のことを明確に考えていたわけではない。
 アントワーヌに求婚され、嬉しかったのは確かだ。
 
 あの頃のジョゼフィーネの世界には、アントワーヌしかいなかった。
 信じられるのも、頼れるのも、笑い合えるのもアントワーヌだけ。
 たった1人で生きていた彼女にとっての光だった。
 
「婚姻すれば……ずっと一緒にいられるから……」
 
 甘かった、と思う。
 そこに伴う責任とか、正妃になる意味だとか。
 そういうことは、少しも頭になかったのだ。
 考えていて、ハッとなる。
 
「わ、私……ディーンの、せ、正妃になる意味ない、よね……」
 
 メリットがないどころか、むしろ、デメリットしかない。
 自分はディーナリアスに、なにも与えられないのだ。
 けれど、それでも、ディーナリアスのそばにはいたかった。
 
「あ、あ、愛妾でも……いいから……そ、傍に……」
 
 アントワーヌの時には、愛妾でもいいなんて思えなかった。
 ジョゼフィーネは、虐げられる立場というものを誰よりも知っている。
 だから、愛妾となることに激しい抵抗感をいだいた。
 なのに、今は、ディーナリアスと離れるほうがつらいと感じる。
 
「何を言う。お前は俺の嫁だ。愛妾になどするわけがない」
「で、でも……私は愛妾の子で……ディーンが笑い者に……」
「ジョゼ……」
 
 どうしたのか、わからない。
 なにがなんだか、わからない。
 ディーナリアスが、急に繰り返し小さなキスをしてくる。
 そして、やっぱり我慢しているようだった。
 
 回数の多さが、それを証している。
 
 本当は、違う種類のキスがしたいのだろう。
 が、それよりなにより、キスの意味が今はわからない。
 
「お前は、本当に愛くるしいな」
 
 ジョゼフィーネからすると「きょとん」だ。
 深刻な話をしていたはずだった。
 愛くるしいことなど、なにもしていないし、言っていない。
 
 ぎゅぎゅぎゅう。
 
 抱きしめられ、ジョゼフィーネは少しだけ笑う。
 ディーナリアスは、よくわからない人だと思った。
 けれど、自分という人間を求めてくれているのは、わかる。
 
 愛し愛される婚姻。
 もしかすると、ディーナリアスとなら実現できるのかもしれない、と思えた。
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