伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

快と不快と 2

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 ナタリーには、昨晩から父の部屋を使ってもらっている。
 修繕や増築をしてきたものの、伯爵家の屋敷とは比べものにならない。
 家全体が狭く、部屋数も少なかった。
 
 ファニー1人となって、手入れの行き届いていない場所も多々ある。
 その中で、父の部屋が最も広くてきれいだった。
 忙しい合間をぬって片付けをしたり、掃除をしたりしてきたからだ。
 
「ファニー様、どうぞお召し上がりくださいませ」
「ありがとう、ナタリー」
 
 両親、そして祖父と4人で囲んだこともある、父が作った木のテーブル。
 ファニーが6歳の頃に他界した母に「傾いている」と言われ、父が新しく作り直したものだ。
 4人で使うには十分な大きさだった。
 
(1人だと大き過ぎるんだけどね)
 
 ナタリーは「メイドとして」同じ席につくわけにはいかないそうだ。
 誘いはしたのだが、断られている。
 そして、言葉遣いに関しても、夕べ、平語を使ってほしいとお願いされた。
 理由は「伯爵様のご婚約者だから」とのこと。
 
(それって支援金を渡すための口実だったと思うんだよなぁ。2百年前だって、伯爵様は貴族だったわけで、平民相手に婚約っていうのは……)
 
 牧場管理だけでは説明のつかない支援金の額。
 追加で「婚約者」分が上乗せされていたとしか考えられない。
 伯爵が気を遣ってくれたのだと、ファニーは思っている。
 
 ナタリーは、ファニーの家にあった食材を使い、朝食を用意してくれたようだ。
 それにしても、自分で作るより見栄えもいいし、美味しい。
 というより、十何年ぶりに朝食をとっている。
 母が亡くなり、祖父が亡くなり、父と2人では、バタバタしていて朝食どころではなくなっていた。
 
 野菜スープとスコーン、ポテトサラダと輪切りにされたゆで卵。
 用意してもらった食事のありがたさを噛み締めながら食べる。
 横に立っているナタリーが、あたたかいお茶を淹れてくれた。
 不思議とナタリーの近さが気にならない。
 
(昨日、初めて会った人なのに、なんか気が抜けるっていうか……伯爵様にお仕えしてる人だからかな。立場は違うけど、私も似たようなもんだし)
 
 見た感じ、ナタリーは年上で、昨日が初対面。
 本来、緊張して、平語で話すのは難しかったはずだ。
 
 ファニーは貴族のようには話せないし、難しい言葉も知らない。
 それでも、平語と丁寧語の使い分けはする。
 慣れた相手でもないのに、平語ですらすら話せるのが不思議だった。
 
「ナタリーは、伯爵様のお屋敷で働いてるんだよね?」
「さようにございます」
「家族はいるの?」
「家族……と言えるかはわかりませんが、似たような者なら大勢おります」
 
 似たような者というのが、誰をさしているのかはわからない。
 おそらく一緒に働いている人たちか、遠縁の人たちだろう。
 もしかすると、離れて暮らしていてつきあいがないという意味かもしれない。
 とはいえ、頼れる先があるのはいいことだ、と思う。
 
「私は1人になっちゃったから、早目に養子を迎えようかなって思っててね」
「なにを仰いますやら。ファニー様には伯爵様がおられるではございませんか」
「それは伯爵様に甘え過ぎかなって」
 
 伯爵に頼めば、人手くらいなんとかしてくれるはずだ。
 だとしても、牧場管理はファニーの仕事なので、人手の確保まで伯爵に頼むのは甘え過ぎだと感じる。
 それに、たとえ実子でなくとも、この家を受け継がせる者は必要だ。
 
「伯爵様は、その……羊を……こよなく愛しておられます……」
「それはわかってるんだけど、でも……」
 
 言いかけた時、ナタリーの表情がキリッとしたものに変わった。
 ススッとファニーから離れる。
 
「ファニー様は、お食事をお続けください。来客のようです。危険かもしれませんので、私が対応いたします」
 
 危険という言葉に、にわかに緊張した。
 立ち上がりかけたファニーを、ナタリーが手で制する。
 伯爵が「護身術にも長けている」と言っていたのを思い出し、ファニーはイスに腰を落とした。
 
 無駄な動きをして、自分が邪魔になってはいけない。
 こういう場合は、ちゃんとわかっている人の言うことを聞くべきなのだ。
 もちろん食事を続ける気にはなれなかったけれども。
 
「なにかご用でしょうか、リーストン卿。私は、ファニー様の専属メイドをさせていただいております、ナタリーと申します」
「伯爵家から来たようね。それで? ベルはいるの? ここはベルの家よね?」
 
 ナタリーが相手を家に入れていないので、姿は見えない。
 だが、声でオリヴィアだとわかった。
 
「ナタリー、大丈夫。オリヴィア様は知り合いだから」
「かしこまりました。では、お入りください、リーストン卿」
 
 食卓を置いている、入り口から近い部屋にオリヴィアが入って来る。
 どうやら無事に騎士の称号を受けられたようだ。
 騎士服に、銀色をしたリーストンの紋章入り襟章がついている。
 
 ファニーが口を開くのも待たず、オリヴィアがファニーの向かい側に座った。
 その勢いに、少し驚いてしまう。
 オリヴィアと面識はあるが、実は、ほとんど話したことがない。
 
 騎士の叙任を受けるためには、首都の騎士学校を卒業する必要があった。
 十歳で首都に行き、帰ってきたのは16歳。
 その時に顔合わせはしたが、17歳の時にオリヴィアがカーズデン男爵家の養女となったため、つきあいは1年間だけだ。
 
 だからこそ、オリヴィアがカーズデン男爵家の養女になったのもしかたがないと思えたのだ。
 もし前リーストン卿と同じくらい懇意であったなら、裏切られたと感じたかもしれないし、ちょっぴり恨んだかもしれない。
 
「あなた、昨日、伯爵様と一緒にいたでしょう?」
「牧場の羊が3頭も殺されてましたし、昨日はポールが私に襲いかかってきたんです。だから、当事者として……」
「それなら、当事者として口添えを頼むわ。私たちが元いたリーストンの屋敷に帰れるように、伯爵様にお願いしてほしいのよ」
 
 いきなり言われても、困ってしまう。
 そもそも、自分には伯爵に「口添え」する権限なんてない。
 たぶん、未だカーズデン男爵領にいるのだろうが、それを決めたのは伯爵だ。
 なんの意味もなく、決めたことだとは思えなかった。
 
「あなたは、父に恩があるでしょう!」
 
 逡巡しているファニーに、オリヴィアが苛々した調子で言う。
 前リーストン卿に恩があるのを否定する気はない。
 騎士団があった頃は、ファニーの家族は、野犬や獣、盗賊への対処をせずにすんだのだ。
 なくなってから、騎士団のありがたみが、どれほど身に染みたことか。
 
 だが、それと伯爵に頼み事をするのは別の話だ。
 自分の裁量でなんとかできるものとできないものとがあった。
 
 すでにファニーは、オリヴィアの助命を乞うている。
 
 その上さらに「口添え」するとなると、伯爵の決定に異を唱えるも同然だ。
 自分の管理している牧場の人員確保だって頼むのが心苦しいくらいなのに。
 
「差し出がましいことを申し上げることをお許しください、ファニー様」
 
 スイッとナタリーが進み出る。
 そして、なにやら気難しそうな表情で言った。
 
「お悩みであれば、伯爵様に、直接、お伺いすればよろしいのではないでしょうか」
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