伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

海辺に理性に 2

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 うわぁ、と、ファニーは心の中で声を上げる。
 実際には声も出せないくらいの「うわぁ」だ。
 
(は、伯爵様のあれも……み、水着???)
 
 最初に着替えをしたのと同じ部屋で、ファニーは水着に着替えた。
 そこに、ドアを開いて伯爵が入って来たのだけれども。
 
(き、貴族は肌を見せたがらないって……でも、伯爵様、お腹きれい……)
 
 伯爵は、膝下までの黒いズボンのみ。
 当然のことながら、上半身は裸。
 胸も腹も隠されていない。
 服の隙間から見える程度ではないのだ。
 
 胸元から腹まで、なんともすっきりしている。
 しかも、いかつくはないのに、ひ弱そうには見えない。
 かっちりしていて硬そうだ。
 引き締まっている、というのが、しっくりくるだろうか。
 
 長めの髪を後ろで束ねているので、首元や肩も露わ。
 
 こういう場合、「きゃっ」と言って目をそらせるべきかもしれない。
 だが、いつものごとく、ファニーは伯爵から視線を外せずにいる。
 はしたないとか礼儀に欠けるという意識もなかった。
 服を着ても「着ていなくても」伯爵は恰好いいのだと、感慨深くなっている。
 
(父さんのお腹は、あんなじゃなかった。お酒のせい? でも、伯爵様も、お酒は飲んでるよね? なのに、なんであんなに、ぺこっめきってしてるんだろ……)
 
 なにしろファニーは男性の裸を見たことがない。
 あるとすれば、父親くらいのものだ。
 伯爵もしくはファニー自身と同世代の男性がどうなのかなんて比較のしようがなかった。
 
「こういう格好は、お気に召しませんか?」
「そっ、そうじゃなくて、すごく似合ってます! それも水着なんですか?」
 
 訊くと、伯爵が苦笑しつつ、肩をすくめる。
 なにか違うらしい。
 
「実は、水着というものが気に入りませんでした。ああ、ファニーの水着はしげ……とても可愛らしくて良いのですが、男物はどうにも」
「普通の服とは違うんですよね?」
「下着の上下を繋ぎ合わせたようなものです。あれは見苦しくていけません」
 
 明確にイメージできてはいないが、ズボン型のワンピースみたいなものに思える。
 だとすれば、伯爵が好まないのも分かる気がした。
 伯爵は古風な貴族服を好むタイプの男性なのだ。
 
「であれば、いっそ下着のほうが良いとカーリーに言ったところ、これを用意してきました。ですから、一応は水着ということになるのでしょうね」
 
 ファニーは、伯爵の近くに控えている無表情のカーリーを見て、小さく笑う。
 カーリーは伯爵の「お気に召す」ように、なにかと苦心惨憺しているに違いない。
 
「だったら、私も下着で良かったかもしれないですね」
 
 ファニーは、伯爵の言葉に気持ちが軽くなっていた。
 なので、ナタリーの「あ!」という表情にも気づかない。
 
「だって、泳ぐのに水着を着るなんて聞いたことなかったですし、どんなものかも知らなかったの、で……」
 
 あれ?と思う。
 伯爵が口元を手で押さえ、顔を横に向けていた。
 なにかまずかっただろうかと思い、慌てて言葉を付け足す。
 
「用意してもらった水着が気に入らないってことじゃないんですよ? でも、伯爵様も下着でいいって思ったみたいなので、それなら私も下着にひらひらをつければ代用できてたかなって」
「ファニー様、それはあまりに刺激が強過ぎるかと存じます」
 
 伯爵の代弁とでもいうように、カーリーから言われた。
 ファニーは、カーリーを見て、わかっているとばかりにうなずく。
 
「海は塩水だから、肌への刺激が強いんでしょう? だから、水着が必要なんですよね? ナタリーからも刺激が強いって言われました」
「仰る通りにございます。伯爵様は海水にも慣れておいでにございますから、あのような水着といたしましたが、初めて海に入られるファニー様は、きちんとした水着をお召しになったほうが、よろしいのではないかと存じます」
「わかりました。それに、せっかくナタリーが用意してくれたので」
 
 カーリーがうなずくのを見てから、あ!と思った。
 ファニーの水着は、上下に分かれている。
 長袖の上着と半ズボンみたいな仕様だ。
 上も下も、それぞれに「ひらひら」がついていた。
 
 ぴろん。
 
「カーリーさん、ここから塩水が入ってきたら、お腹に悪いですかね?」
 
 ファニーは、ひらひらのついた上着の裾を持ち上げ、お腹丸出し。
 カーリーとナタリーに確認するためだ。
 
「ナタリー。刺激が強過ぎるようです」
「かしこまりました」
 
 すさささっと、ナタリーが近寄ってくる。
 そして、上着の裾をズボンの中に入れ込んだ。
 腰を紐でしっかり括ってくれたので、これなら裾が出ることもないだろう。
 ズボンがお腹まで覆う形になったため、冷える心配もない。
 
「もう……よろしいですかな?」
 
 伯爵の声に、パッとそっちに顔を向ける。
 なぜか視線が繋がらないが、横顔もいいなぁと、ファニーは思うだけだ。
 もとより、まっすぐに見つめ合うほうが不可思議な現象なので、顔を背けられているとも感じていない。
 
「伯爵様は丈夫なんですね! 塩水も平気なんですか?」
「ゼビロスにいながら話すのはいささか気が引けますが、彼らとの戦いにおいては、海中に潜んでいたこともありました。もちろん海中で甲冑はつけられませんから、これと似たような格好をしていたのですよ」
 
 さあ、というように手を差し出され、その手を握り返す。
 伯爵が開いたドアの向こうには砂浜が広がっていた。
 太陽の眩しさに目を細めながら、ファニーは砂の上に足を踏み出す。
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