伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

闇に光に 2

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 リーストンの屋敷内は、2年近く使われていなかったせいか、埃っぽく感じた。
 その上、昼間なのに暗いし、湿気も酷い。
 領地でも、人が離れた家は壊れ易かった。
 空き家という意味では、屋敷もたいして変わりはないらしい。
 
 手入れがなされず、朽ちていく。
 
 人が住むということは、とりもなおさず、生気が宿るということなのだ。
 掃除もするだろうし、換気だってする。
 傷んだ箇所を修繕したり、使い勝手を良くしようとしたりもする。
 そうやって人が環境を整えるので、家は家でいられるのだろう。
 
 ファニーは、薄暗がりの中を歩いていた。
 リーストンの屋敷には入ったことがない。
 そのため、どこに「形見」があるのかも知らなかった。
 手紙に書かれていた簡単な地図だけが頼りだ。
 
「ぇえっと、この奥かな」
 
 じっとりした空気に窓を開けたくなる。
 だが、今日は「形見」を取りに来ただけで、掃除をしに来たのではない。
 用事をすませて、早く帰ることにした。
 
(これが最後……最後かぁ……)
 
 ふう…と息をつく。
 なんだか、やりきれない気持ちが胸に広がった。
 前リーストン卿には、本当に世話になったからだ。
 騎士団の中で、何人かの騎士とは会話をしたこともある。
 
 城塞から兵が引き上げ、その代わりに配置されたリーストンの騎士団とは長いつきあいだった。
 これで縁が切れてしまうのかと思うと、どうしても物哀しく感じてしまう。
 この屋敷も住人を失い、今以上に寂れていくに違いない。
 
「ここを曲がって、と……」
 
 1階の奥に進んだ先を、左に曲がる。
 突き当りにドアがあった。
 そこが、前リーストン卿の部屋だったようだ。
 ファニーは感傷的な気分を振りはらい、ドアを開く。
 
「あ~……」
 
 室内は空っぽ。
 テーブルひとつ残っていない。
 箱らしきものもなく、ひと目で「形見」などないことがわかった。
 
 ファニーの立っている位置から見て、右側にドアがある。
 地図に矢印は書かれていなかったが、そっちの部屋かもしれない。
 そう思って、ドアに向かって、スタスタと歩いた。
 
 が、辿り着く前に、ドアがガチャリと開かれる。
 
 バタバタっと足音を立てて、騎士たちが入って来た。
 見たところ、オリヴィアの姿はない。
 ファニーは、落胆して肩を落とす。
 
「大人しくついて来れば、怪我はさせない」
 
 ここに形見はないのだ。
 オリヴィアは嘘をついた。
 伯爵領の、たった1人の領民をさらうつもりらしい。
 なんのためかは知らないけれども。
 
「私は伯爵領の領民なので、どこにも行きませんよ」
「伯爵にずいぶんとご執心だとは聞いていたが、馬鹿な女だ」
「ここは伯爵領です。領地侵害になるので、みなさん、帰ってください」
 
 今ならまだ軽い罰ですむはずだ。
 リーストン騎士団は伯爵に帰属しているので、明らかな命令違反がない限りは、領地を侵害したことにはならない。
 だが、自分を攫えば叛逆と見做みなされ、確実に「領地侵害」になる。
 
「そんなことはわかっていて、ここにいるんだよ」
「そうですか」
「生意気な女だな。殺さない程度に、少し痛めつけてやるか」
 
 何人かの騎士が剣を抜いた。
 ファニーは、目を閉じる。
 
 もうオリヴィアを庇えない。
 
 オリヴィアは騎士団長なのだ。
 率いている騎士の叛逆は、オリヴィアの責任となる。
 たとえ重い罰を言い渡されても、ファニーに彼女を救うすべはない。
 オリヴィアは「一線を越えて」しまった。
 
「私の婚約者に、ふざけた真似をしてくれる」
 
 するっと、伯爵がファニーの前に現れる。
 ポール・カーズデンから守ってくれた時のように、その背でファニーを守ってくれていた。
 
「伯爵領にあるお屋敷に、伯爵様の許しなく、私が立ち入るわけないのに……」
 
 ファニーは、どこまでも伯爵の味方をする。
 伯爵に黙って、勝手なことをしたりはしなかった。
 だから、ちゃんと手順を踏んだのだ。
 
(形見を取りに行ってほしいっていうのが本当で、なにも起きなかったら……)
 
 オリヴィアの行動を不問にしてほしいと、ファニーは伯爵に頼んでいた。
 父親を亡くし、形見を取り戻したい気持ちを理解してほしいと。
 
 伯爵は、その願いを聞き入れてくれた。
 だから、ギリギリになるまで姿を隠していてくれたのだ。
 何事も起きなければ「見なかった」ことにできるから。
 
「くそ……っ……これでは……」
「予定外だ、退くぞ!」
 
 どうやら「境界鍵ドメインキー」を使って行き来していたらしい。
 騎士たちが、入って来たドアに駆け込んで行く。
 男爵領にある騎士団の宿舎にでも連れて行こうとしていたのだろうか。
 理由は、やはり不明だが、オリヴィアも加担していたのは確かだ。
 
(あの手紙を渡してきたのは、オリヴィア様だもん……私を攫うための罠だったってことだよね……形見だって言えば、私が言うこときくって思って……)
 
 ある意味で、それは信頼だったかもしれない。
 だが、同じ境遇のファニーの気持ちを利用したとも言える。
 オリヴィアの心情を汲み、ファニーが黙って屋敷に来ると考えたのだろう。
 
 ファニーは、きゅっと伯爵の袖を掴む。
 伯爵に動く気がなかったと、わかっていた。
 ただ胸が苦しくて、泣きたくなるのをこらえるために、掴んだのだ。
 
「ファニー、どうか……」
 
 伯爵が振り向いて、ファニーの頬に手を伸ばす。
 その手が途中で、ぴたっと、止まった。
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