伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

闇に光に 3

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 枝葉えだはが、ザワッと大きく揺らいでいた。
 ファニーに伸ばした手が、ぱたりと勝手に落ちる。
 目は開いているのに、視界には何もない。
 
 つうっと、伯爵の瞳から涙がこぼれた。
 
 自覚がないという以上に、無意識だ。
 伯爵は、自分の涙に気づいていない。
 だが、胸にある激しい痛みに、息が苦しいと感じている。
 
「伯爵様……?」
 
 ファニーの声も遠くにあった。
 音としての認識はあるが、言葉と認識していない。
 代わりに、頭の中に「言葉」があふれる。
 
(ちょっと返事しなさいよっ! なんで返事しないのっ?)
(こんなのねぇだろ……オレが……)
(だから、言っただろうが!!)
(なぜ、こんなことを……理解できないね、私には……)
(なんでだ……意味がわかんねえ……なんで、こんな……)
 
 いつもは聞こえない「葉」の声までもが流れこんでいる。
 それだけ伯爵の感情が強くなっているのだ。
 
 嘆きと、怒りによる激情。
 
 伯爵の周囲に闇が広がっている。
 何も映していない瞳からは、まだ涙がこぼれていた。
 やはり無意識に口が開かれる。
 
「……私の葉……私の愛し子が……死んだ……」
 
 死んだというより、殺されたのだ。
 自然に命が尽き、枝から離れたのではない。
 無理やり枝から引きちぎられた。
 
 常日頃、伯爵は「枝」も「葉」も認識していない。
 カーリーを介してさえ「葉」とは会話もできないのだ。
 名を知らない「葉」のほうが圧倒的に多かった。
 それでも、彼らは伯爵の感情と共感している。
 
 伯爵の役に立つためだけに生きている存在。
 
 姿を見たこともなく、声をかけられたことすらないのに、彼らは伯爵を慕い、伯爵のために存ろうとしてきた。
 伯爵が眠りについていた間、どれだけの「葉」が散っていったか。
 名を呼ばれもしないまま。
 
 枝葉が、ファニーという存在に共鳴してから、伯爵は「光」を見るようになった。
 垣間見えた光景は、枝葉が見せていたのだ。
 ファニーから「楽しい」や「嬉しい」を受け取り、そして、願った。
 
 この世には闇に負けない光があるのだと。
 それを見せたいのだと。
 だから、目覚めてほしいと。
 
 多くの願いが伯爵にファニーの姿を見せ、伯爵もまた光に導かれて目覚めた。
 ファニーがいたことが大きな原因ではあるが、彼らが願わなければ、起こり得ないことでもあったのだ。
 
 これまで生きてこられたことや生きていた甲斐があったと思えたことのすべてに彼らは関わっている。
 長い年月を、ともに過ごしている。
 彼らは従順で、従順に過ぎて、純粋だった。
 
 名を知らなくても、姿が見えなくても、言葉ひとつかけたことがなくても、伯爵にとって彼らは、ただただ自分を慕う健気な「愛し子」なのだ。
 
───私が、何をした。
───ああ、カーズデンを粛清したからか。
───罪を犯せば罰せられるのは当然だろうが。
───私が、何をした。
───目覚めることさえ許さないと言うのか。
 
 もとよりカーズデン男爵が伯爵領に手出しをしなければ粛清したりしていない。
 その後も、伯爵からは「何も」していなかった。
 ファニーと穏やかに暮らせれば、ほかのことはどうでもよかったのだ。
 
───こんな国は創るべきではなかった。創らなければよかった。
 
 ぶわっと、伯爵の体から濃く深い闇が広がる。
 闇夜の森より深い闇が室内を覆っていた。
 けれど、伯爵には自覚がない。
 ファニーの姿も見えていないのだ。
 
 理由は様々だが、平穏な世でも人は人を殺すだろうと予測はしていた。
 だから、それを裁くための「法」を作った。
 なのに「裁かれない奴」らがいる。
 
───最早、この国は無法も同じ。皇家を、貴族を、根絶やしにしなければ。
 
 理想ではなく、野心で動く者たちに、法を説いても無駄だ。
 領地侵害に対する法とて、元は不当な攻撃から守るためのものであったはずなのに、今では「正当な領地拡大の法」と成り果てている。
 正しく読み解く者がいない法など、なんの役にも立たない。
 
───法で縛れると思っていた私が愚かだった。
 
 それも自分の「理想」という幻想。
 愚かにも、まだ「法」により秩序が保たれると信じていたのだと気づく。
 
 男爵領を落とせなければ、伯爵領に手がとどくことはない。
 伯爵領に手がとどかなければ、罰せられるのは攻撃をしかけてきた者たちだ。
 ディエゴだけならばまだしも、無辜むこの民に害を成せば罪が重くなる。
 その程度のことがわからないはずはなく、わかれば踏みとどまると、そう信じていた。
 
───スラノの理想の国家には、慈悲も法の番人も不要。ならば、そのように。
 
 体に闇を纏い、伯爵は騎士が消えたドアへと歩き出した。
 まずは、あの先にいる「敵」を皆殺しにする。
 それが終わったら。
 
「……っ様!!」
 
 体に何かがぶつかってきた。
 邪魔だと思い、振りはらう。
 そのまま進む伯爵に、また何かがぶつかってくる。
 ひどく煩わしい。
 
「どけ」
 
 伯爵は、たった独り、戦場にいた。
 周りにあるのは屍だけだ。
 
 そして、闇。
 
 人を殺し、殺され、多くの血と屍の上に、リセリアはある。
 2百年前も、今も。
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