伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

罪人に番人に 1

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 遠くから声が聞こえる。
 小さな光が見える。
 あたたかなそれに、伯爵は無意識に手を伸ばした。
 
 ふわふわとしていてやわらかい。
 そんな感覚が広がっていく。
 伯爵自身、自分の状況を把握しきれていなかった。
 
(伯爵様、お気づきになられましたか?)
(カーリー……いったい……)
(申し訳ございません。不測の事態が……)
 
 歯切れの悪いカーリーに、伯爵の感情が、すうっと落ち着いてくる。
 同時に、周囲の闇が消え始めた。
 
(その話はあとだ。現状は?)
(ムスタファとファルコが領地民を守っており、被害は出ておりません。そのほかの葉がディエゴを支援し、男爵領は持ちこたえてございます)
(支援要請はきたか?)
(ディエゴからの騎士団叛逆に対する支援要請の書状を、ライラが持って来ております)
 
 ならば、問題はない。
 ディエゴのところには、騎士団以外の兵はいないのだ。
 領地内扮装であっても、対抗措置がとれないため、他領地に援軍を要請することはできる。
 
 もっとも伯爵領以外の援軍は見込めないはずだ。
 計画を主導し、加担している貴族しか周りにはいない。
 仮に支援要請を受け取っても、なにやかやと口実をつけ、兵の出発を遅らせるに決まっている。
 
 ふっと、伯爵は自分のものではないぬくもりを感じた。
 視線を下げると、薄茶色の瞳と視線がぶつかる。
 
「ファニー……」
 
 ばらばらっと記憶が戻ってきた。
 自分は闇にのまれかけ、ファニーを突き飛ばしたのだ。
 しかも、1度ならず何度も。
 
「すみません。あなたに……怪我を……」
「ちょっと擦りむいたくらい、どうってことないです。仕事中はいつものことですから、気にしないでください」
 
 ファニーは、離さないとでもいうように、伯爵の背中にくっついている。
 はっきりとしたぬくもりが、そこから伝わっていた。
 
「恐い思いをさせましたね……」
 
 暗い闇に引き込まれそうになったのは覚えている。
 眠りにつく前と同じで、自分の周りには闇が広がっていたのだ。
 そんな姿を目にして、恐ろしいと感じるのは当然だった。
 
 ファニーさえ守れればいいと思っていたのに、激情に駆られ、見せてはならない姿を見せている。
 これまでの穏やかな日々を台無しにしてしまった。
 
「私は、ちっとも怖くなかったですよ。怖かったのは、伯爵様でしょう?」
「私が……?」
「あんな暗いところに、ずっと長くいるのは怖いです。独りだったら、もっと嫌ですよね? だから、私もついて行こうと思ったんですけど」
 
 ファニーは周りを見回してから、へへっと小さく笑う。
 本当に、なんということもなさそうに。
 
「なくなっちゃいましたね。黒いの」
「ファニー……あなたは……」
 
 ちゃんと振り向いて、ファニーと向き合った。
 伯爵は背が高いので見下ろす形になる。
 こんなにも小さくて細いのに、と思った。
 
 伯爵に突き飛ばされたせいか、バサバサになった栗色の髪。
 初めて会った時と変わらない、きらきらと輝く薄茶色の瞳。
 そして、顔に散ったそばかす。
 
 闇でさえ恐ろしくはなかったと言ってのける女性。
 
 伯爵は、ファニーの両肩に、そっと手を置いた。
 目をぱちぱちさせているファニーに顔を近づけ、額に唇を落とす。
 
「は、伯爵様……っ……?」
 
 顔を真っ赤にしているファニーに、微笑んでみせた。
 闇の中にあってなお、彼女は光を失わない。
 しかも、それは伯爵を想っての光なのだ。
 
───もう手放すことはできそうにないな。
 
 そのためにこそ、自分の役目を果たす必要がある。
 ファニーとの穏やかな暮らしを望むのなら、環境を整えておかなければならない。
 きちんと「手順」に則って、だ。
 
「ディエゴから支援要請がきました。私は行かねばなりません」
 
 ファニーは察したように、うなずく。
 そして、少し困った顔で、肩をすくめた。
 
「さっきはついて行くって言いましたけど、今は、ついて行きません。棍棒を持ってないので」
「あなたは、とても勇敢ですよ。棍棒なしでも」
 
 伯爵は手にした「番人の鍵マスターキー」に視線を落とす。
 番人ならば番人らしくあろう、と思った。
 必要はなかったが、ドアの鍵穴に鍵を差し込む。
 
(ナタリー、いるか?)
(近くに控えております)
(ファニーを家におくってくれ。傷の手当と、あたたかい風呂もだ)
(かしこまりました)
 
 ナタリーの口調が、心なし弱々しい。
 指示だけではなく、何か声をかけるべきか思った時だ。
 伯爵の頬を、ゆるやかな風が撫でる。
 
───伯爵様……ファニー様は……ミナイも……いるから。
───そうか、お前はミナイというのだな。
 
 散らされてしまった「葉」だ。
 人の姿をした「葉」でさえ伯爵と会話はできないはずなのに、声が聞こえる。
 
───僕……落ち葉に、なる……みたい。
───いつも私の傍にいろ。お前の名を覚えておくぞ、ミナイ。
───いる。ずっと……伯爵様……役に立……。
 
 風が消え、声が遠ざかっていった。
 彼らは人ではないが、ただの駒でもない。
 落ち葉になっても自分の役に立ちたいと言う、伯爵にとっては大事な「愛し子」だ。
 
 鍵をカチャと回す。
 開く前に、ファニーに告げた。
 
「私が、法の番人であるのは、これが最後となるでしょう」
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