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【side:政文】それぞれの思惑とそれぞれの想い。
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学食に着くと食券を買い、伊織には席を探してもらう。いつもより遅くなってしまったため席を確保するのに少し苦戦するかもしれないけれど、ふたり分の食事を運ぶことを伊織にさせるつもりはない。
並びながら様子を伺えば席を見つけたようで近くに座る生徒に声をかけているところだった。
笑顔で話しかけ、席を確保した伊織だったけど、座ってしまえば不機嫌というか、不貞腐れた顔を見せる。きっと教室での出来事を思い出しているのだろう。そんな表情の伊織は珍しく、列に並んでいてもその表情を見たくて視線は自然と引き寄せられる。
ふたりで過ごす時間の長さが増すごとに心を許したかのように無防備になる伊織に勘違いしそうになるけれど、その根底には【羽琉のことが好き】という仲間意識があるのだと時々自分に言い聞かせる。伊織が自分に向ける好意は仲間意識であって、友情でしかないのだと。
不貞腐れた伊織に声をかける者はいないけれど、ひとりで座る伊織を気にする視線に気付き、そちらに少しだけ威嚇を向ける。燈哉みたいによそ見をする気はないし、誰かに伊織を譲る気も無い。
「燈哉が誰を選ぶかだよな…」
小さく呟いた声は誰にも届くことなく、自分自身を苛立たせただけだった。
「『羽琉は今まで通り、俺と一緒に過ごす。伊織も今まで通り政文と過ごしてくれれば大丈夫だから』って、言われた」
伊織の前にトレーを置き、自分も席に着けば待っていたと言わんばかりに不満を口にすると、それでも「いただきます」と手を合わせる。そのアンバランさを面白いと思いながらも次の言葉を待つ。
「羽琉が体調崩したから燈哉が付き添ってるって言ったら『相模が一緒なら問題ない』とか言われるし。
政文には昨日、さっさと戻れって言ったのに燈哉なら付き添えるとか、扱い違いすぎない?」
担任に言われた言葉が余程面白くなかったのだろう。食事をしながらも不満の言葉を口にする。
「今までの積み重ねもあるからな」
「そうだけど…」
食事をしながらも燈哉とのやり取りを思い出しているのだろう。食事の手は止めないけれど、合間合間に不満を漏らす。
「校内は安全だから今居のことは大丈夫。
だから羽琉とは今まで通り過ごすって言うけど、今居が安全なら羽琉だって安全だって思わない?」
「燈哉の心情的なモノだろうな、きっと」
「うん。
納得できなくて羽琉には僕も政文もいるんだから今居の方が心配じゃないかっていったら選んだのは羽琉だって言われたし」
「それ、逆効果じゃないのか?」
伊織の言葉に呆れてしまったのは仕方がないことだろう。そんな話の最中に自分や俺の存在を伝えれば燈哉だって面白くないはずだ。
「でも今居のことが大切なら側にいた方が安心だろうし。
羽琉はこの学校に慣れてるけど今居は燈哉のせいで色々と距離置かれそうじゃない?」
「確かにな。
でも燈哉の手前、何もできない奴も多いんじゃないか?」
「そうかもしれないけど…」
そんな話をした翌日から羽琉は執拗にマーキングされるようになり、伊織は近付くことすらできなくなってしまった。
近付くことができないならと、大丈夫なのかとメッセージで羽琉に問いかけたけれど、《大丈夫》と答えが来るばかりで何もできないと肩を落とす。
大丈夫と言いながらも俺や伊織に何かを訴えるような視線を向ける羽琉に気付いていたけれど、それでも《大丈夫》と言い続けるのだから静観するしかない。
「羽琉はやっぱり燈哉を選ぶんだね」
そう呟く伊織は少しずつ弱っていく羽琉を見ているせいで沈んだ表情を見せることも多くなっていく。
羽琉に引き摺られる伊織のためにも何かしなければと思うものの、側から見ていて燈哉は羽琉を大切にしているようには見える。学校にいる間は常に羽琉に寄り添い、離れようとしないし、マーキングは弱まることはない。
だけど燈哉からは羽琉以外の残り香がするのは周知の事実で、羽琉の香りと似ているけれど、羽琉のモノよりも甘いソレは今居のフェロモンなのだろう。
以前、違うΩの香りを纏わせて羽琉に近付くなと言ってからは今居の香りを纏うことはなかったけれど、一緒に過ごせば残り香を完全に遮断させることはできないだろう。それでも羽琉と過ごすためにと気を使う素振りを見せていた燈哉だったけれど、いつからか今居の残り香を隠さなくなっていった。
そうなると3人の関係を穿った見方をするような噂がまことしやかに囁かれるようになっていく。
燈哉は義務で羽琉と一緒にいるだけ。
今居は燈哉と付き合いの長い羽琉に遠慮して我慢している。
燈哉は本当は今居のことを大切に思ってる。
今居は羽琉に燈哉に近付くなと言われている。
ふたりの邪魔をしているのは羽琉の存在だ。
結局、燈哉がどっちつかずの対応をするせいで噂話は真実味を帯びていく。
強いαの寵愛を当たり前のように受け入れていた羽琉に対する風当たりは、今居のせいで日々強くなっていく。
燈哉に頼まれたから仕方なく、というスタンスでしていた羽琉の世話だったのに、伊織が羽琉に対する執着を度々見せてしまうのも原因のひとつだろう。
何をどうすればそんな話になるのかと思うけれど、誰かが言い出した出鱈目は他人の口を介して真実味を帯びていく。
マーキングの強さに引き摺られるように日に日に表情が乏しくなり、顔色の悪くなる羽琉を見ていればそんなのは誤解だと気付くはずなのに、人は自分の見たいモノしか見ない生き物だから羽琉の様子なんて目に映っていても見えていないようだ。
「燈哉、羽琉のマーキングキツすぎないか」
伊織が羽琉のことを心配するあまりその執着を増していくことに危うさを感じて燈哉に声をかけたのは、羽琉が車に乗り込み駐車場から出て行ったのを見届けてから。
俺の言葉に嫌そうな顔をした燈哉は待たせているであろう今居を気にしながら「お前らには関係無い」とその言葉を一蹴する。そして、明確な嫌悪を隠すことなく言葉を続ける。
「αのくせにΩを庇護する気がない奴らは余計な口を挟むな」
「それは、」
「伊織」
反論しようとした伊織を止めて、盾になるつもりで前に立つ。燈哉は不機嫌さを隠すことなく威圧を強めていく。
「燈哉は羽琉と今居、両方囲うつもりなのか?」
純粋に不思議に思っていたことを口にしてみるけれど、燈哉は威圧を強めて敵意をむき出しにする。
「お前には関係無い。
でも囲うのは羽琉だけだよ。涼夏は守りはするけど囲う気は無い」
「何だ、それ。
お前、何様のつもり?」
「だからお前らには関係無いと言っているだろう。α同士で完結してる生産性のない奴らには分からないよ」
俺の言葉が余程気に入らなかったのだろう。こちらを挑発するような言葉をわざと選び、様子を伺っているように見える。伊織が羽琉に対して執着を見せることが気に入らず、それを止めない俺に対しても苛立っているのかもしれない。
「生産性って、羽琉とも今居とも生産性のある関係になるつもりなのか?」
「それは涼夏次第かな?
羽琉は身体弱いし」
「それこそ羽琉の身体が弱いことを理由に今居と関係を続けるなら、羽琉との関係こそ生産性が無いってことにならないか?」
「羽琉との間に生産性なんて関係無い。
羽琉は特別だから」
当たり前のように告げた言葉に羽琉に対する執着は有るけれど、羽琉に対する愛情を疑ってしまう。特別だと言うのなら羽琉以外に心を向けることを理解できない。
今居に対する気持ちが俺が羽琉を庇護しなければと思うようなものだとしてもその対応は過剰に見える。
本当に羽琉のことが大切なら今居のことは信頼できる誰かに託すことだってできるはずだ。
「生産性が関係無いと言うなら俺たちの関係にも口を出すな」
「………先に口を出したのは伊織だろう?」
あまりにも身勝手な言葉に言い返せば伊織の名前を出されてしまい、何も言えなくなる。
伊織の羽琉に対する気持ちと、俺の羽琉に対する気持ちの温度差に燈哉は気付いているのだろう。俺の言葉が伊織の代弁だとも理解しているようだ。
いつの間にか羽琉に対するマーキングの話が有耶無耶になってしまい、気不味い空気が流れる。
「もういいか?涼夏が待ってるから。
それと、羽琉に対するマーキングを強くする気はあっても弱くする気は無い。
羽琉は俺が囲う」
「羽琉の体調、ちゃんと把握してる?
このままだと、」
「羽琉、頸が弱いんだ。
毎朝、可愛い声を聞かせてくれるよ?」
それでも羽琉のことを心配する言葉を発した伊織に対して燈哉が告げた言葉は明らかな牽制。
頸が弱い。
可愛い声。
その言葉に性的な意味を含めているのは伊織に対する明確な悪意。
ふたりの関係を見せつけるためにわざと言った言葉というだけでなく、羽琉のことを支配しているのは自分だと、伊織にはどうすることもできないのだとその格の違いを見せつける。
「羽琉が望んでいるんだから関係無い奴が口を挟む必要はない。
政文と伊織は付き合ってるんだろう?政文も伊織のこと、ちゃんと囲っておけよ。羽琉は俺が囲う」
同じ言葉をもう一度繰り返し、「もういいだろ?」と言って燈哉は背中を向ける。
燈哉の気持ちがどこにあるのか、羽琉のことをどう思っているのか、今居とどうなりたいのか。
先ほどの言葉で羽琉のことが性の対象でもあると示したけれど、その一方で羽琉との間に生産性がなくても受け入れると告げる。
孕む性であるのに生産性が無くても良いと羽琉を囲おうとする燈哉。
孕むことのない性なのに伊織を囲いたい俺。
燈哉の気持ちがわかると言えば伊織は怒り、俺から離れようとするかもしれない。
俺がそんなことを考えているなんて気付きもせず燈哉に対して威嚇を向けた伊織だったけど、その威嚇に燈哉が動じるわけもないため「止めとけ」と宥める。
「様子を見るしか無いな」
そう告げれば俺にまで威嚇を向ける伊織のことを苦々しく思い、この執着の一部でいいから自分に向けてくれたらいいのにと思ってしまう。
「政文は平気なの?」
そう言った伊織の瞳は暗く沈んでいるように見える。
「羽琉がそれでもいいと言ってるなら仕方ない」
「でも、」
「優先すべきは羽琉の気持ちだろ?
それより大丈夫だったか、燈哉、かなり怒ってたけど」
「正直キツかった」
敵わないと理解していないわけではないだろう。だけど、羽琉を諦めきれないのは伊織もαだから。
もしも伊織がΩであれば有無を言わせず囲っていただろう。αである伊織を何とかして囲うことができないかと思ってしまう俺に、燈哉を諌める資格はないのかもしれない。
「何で僕はこんなに弱いんだろう」
「伊織は弱いわけじゃないよ。
燈哉が強過ぎるだけ」
悔しそうな言葉にそう答えたけれど、「仕方ないのかな…」と呟いた伊織に対して慰める言葉は見つからなかった。
並びながら様子を伺えば席を見つけたようで近くに座る生徒に声をかけているところだった。
笑顔で話しかけ、席を確保した伊織だったけど、座ってしまえば不機嫌というか、不貞腐れた顔を見せる。きっと教室での出来事を思い出しているのだろう。そんな表情の伊織は珍しく、列に並んでいてもその表情を見たくて視線は自然と引き寄せられる。
ふたりで過ごす時間の長さが増すごとに心を許したかのように無防備になる伊織に勘違いしそうになるけれど、その根底には【羽琉のことが好き】という仲間意識があるのだと時々自分に言い聞かせる。伊織が自分に向ける好意は仲間意識であって、友情でしかないのだと。
不貞腐れた伊織に声をかける者はいないけれど、ひとりで座る伊織を気にする視線に気付き、そちらに少しだけ威嚇を向ける。燈哉みたいによそ見をする気はないし、誰かに伊織を譲る気も無い。
「燈哉が誰を選ぶかだよな…」
小さく呟いた声は誰にも届くことなく、自分自身を苛立たせただけだった。
「『羽琉は今まで通り、俺と一緒に過ごす。伊織も今まで通り政文と過ごしてくれれば大丈夫だから』って、言われた」
伊織の前にトレーを置き、自分も席に着けば待っていたと言わんばかりに不満を口にすると、それでも「いただきます」と手を合わせる。そのアンバランさを面白いと思いながらも次の言葉を待つ。
「羽琉が体調崩したから燈哉が付き添ってるって言ったら『相模が一緒なら問題ない』とか言われるし。
政文には昨日、さっさと戻れって言ったのに燈哉なら付き添えるとか、扱い違いすぎない?」
担任に言われた言葉が余程面白くなかったのだろう。食事をしながらも不満の言葉を口にする。
「今までの積み重ねもあるからな」
「そうだけど…」
食事をしながらも燈哉とのやり取りを思い出しているのだろう。食事の手は止めないけれど、合間合間に不満を漏らす。
「校内は安全だから今居のことは大丈夫。
だから羽琉とは今まで通り過ごすって言うけど、今居が安全なら羽琉だって安全だって思わない?」
「燈哉の心情的なモノだろうな、きっと」
「うん。
納得できなくて羽琉には僕も政文もいるんだから今居の方が心配じゃないかっていったら選んだのは羽琉だって言われたし」
「それ、逆効果じゃないのか?」
伊織の言葉に呆れてしまったのは仕方がないことだろう。そんな話の最中に自分や俺の存在を伝えれば燈哉だって面白くないはずだ。
「でも今居のことが大切なら側にいた方が安心だろうし。
羽琉はこの学校に慣れてるけど今居は燈哉のせいで色々と距離置かれそうじゃない?」
「確かにな。
でも燈哉の手前、何もできない奴も多いんじゃないか?」
「そうかもしれないけど…」
そんな話をした翌日から羽琉は執拗にマーキングされるようになり、伊織は近付くことすらできなくなってしまった。
近付くことができないならと、大丈夫なのかとメッセージで羽琉に問いかけたけれど、《大丈夫》と答えが来るばかりで何もできないと肩を落とす。
大丈夫と言いながらも俺や伊織に何かを訴えるような視線を向ける羽琉に気付いていたけれど、それでも《大丈夫》と言い続けるのだから静観するしかない。
「羽琉はやっぱり燈哉を選ぶんだね」
そう呟く伊織は少しずつ弱っていく羽琉を見ているせいで沈んだ表情を見せることも多くなっていく。
羽琉に引き摺られる伊織のためにも何かしなければと思うものの、側から見ていて燈哉は羽琉を大切にしているようには見える。学校にいる間は常に羽琉に寄り添い、離れようとしないし、マーキングは弱まることはない。
だけど燈哉からは羽琉以外の残り香がするのは周知の事実で、羽琉の香りと似ているけれど、羽琉のモノよりも甘いソレは今居のフェロモンなのだろう。
以前、違うΩの香りを纏わせて羽琉に近付くなと言ってからは今居の香りを纏うことはなかったけれど、一緒に過ごせば残り香を完全に遮断させることはできないだろう。それでも羽琉と過ごすためにと気を使う素振りを見せていた燈哉だったけれど、いつからか今居の残り香を隠さなくなっていった。
そうなると3人の関係を穿った見方をするような噂がまことしやかに囁かれるようになっていく。
燈哉は義務で羽琉と一緒にいるだけ。
今居は燈哉と付き合いの長い羽琉に遠慮して我慢している。
燈哉は本当は今居のことを大切に思ってる。
今居は羽琉に燈哉に近付くなと言われている。
ふたりの邪魔をしているのは羽琉の存在だ。
結局、燈哉がどっちつかずの対応をするせいで噂話は真実味を帯びていく。
強いαの寵愛を当たり前のように受け入れていた羽琉に対する風当たりは、今居のせいで日々強くなっていく。
燈哉に頼まれたから仕方なく、というスタンスでしていた羽琉の世話だったのに、伊織が羽琉に対する執着を度々見せてしまうのも原因のひとつだろう。
何をどうすればそんな話になるのかと思うけれど、誰かが言い出した出鱈目は他人の口を介して真実味を帯びていく。
マーキングの強さに引き摺られるように日に日に表情が乏しくなり、顔色の悪くなる羽琉を見ていればそんなのは誤解だと気付くはずなのに、人は自分の見たいモノしか見ない生き物だから羽琉の様子なんて目に映っていても見えていないようだ。
「燈哉、羽琉のマーキングキツすぎないか」
伊織が羽琉のことを心配するあまりその執着を増していくことに危うさを感じて燈哉に声をかけたのは、羽琉が車に乗り込み駐車場から出て行ったのを見届けてから。
俺の言葉に嫌そうな顔をした燈哉は待たせているであろう今居を気にしながら「お前らには関係無い」とその言葉を一蹴する。そして、明確な嫌悪を隠すことなく言葉を続ける。
「αのくせにΩを庇護する気がない奴らは余計な口を挟むな」
「それは、」
「伊織」
反論しようとした伊織を止めて、盾になるつもりで前に立つ。燈哉は不機嫌さを隠すことなく威圧を強めていく。
「燈哉は羽琉と今居、両方囲うつもりなのか?」
純粋に不思議に思っていたことを口にしてみるけれど、燈哉は威圧を強めて敵意をむき出しにする。
「お前には関係無い。
でも囲うのは羽琉だけだよ。涼夏は守りはするけど囲う気は無い」
「何だ、それ。
お前、何様のつもり?」
「だからお前らには関係無いと言っているだろう。α同士で完結してる生産性のない奴らには分からないよ」
俺の言葉が余程気に入らなかったのだろう。こちらを挑発するような言葉をわざと選び、様子を伺っているように見える。伊織が羽琉に対して執着を見せることが気に入らず、それを止めない俺に対しても苛立っているのかもしれない。
「生産性って、羽琉とも今居とも生産性のある関係になるつもりなのか?」
「それは涼夏次第かな?
羽琉は身体弱いし」
「それこそ羽琉の身体が弱いことを理由に今居と関係を続けるなら、羽琉との関係こそ生産性が無いってことにならないか?」
「羽琉との間に生産性なんて関係無い。
羽琉は特別だから」
当たり前のように告げた言葉に羽琉に対する執着は有るけれど、羽琉に対する愛情を疑ってしまう。特別だと言うのなら羽琉以外に心を向けることを理解できない。
今居に対する気持ちが俺が羽琉を庇護しなければと思うようなものだとしてもその対応は過剰に見える。
本当に羽琉のことが大切なら今居のことは信頼できる誰かに託すことだってできるはずだ。
「生産性が関係無いと言うなら俺たちの関係にも口を出すな」
「………先に口を出したのは伊織だろう?」
あまりにも身勝手な言葉に言い返せば伊織の名前を出されてしまい、何も言えなくなる。
伊織の羽琉に対する気持ちと、俺の羽琉に対する気持ちの温度差に燈哉は気付いているのだろう。俺の言葉が伊織の代弁だとも理解しているようだ。
いつの間にか羽琉に対するマーキングの話が有耶無耶になってしまい、気不味い空気が流れる。
「もういいか?涼夏が待ってるから。
それと、羽琉に対するマーキングを強くする気はあっても弱くする気は無い。
羽琉は俺が囲う」
「羽琉の体調、ちゃんと把握してる?
このままだと、」
「羽琉、頸が弱いんだ。
毎朝、可愛い声を聞かせてくれるよ?」
それでも羽琉のことを心配する言葉を発した伊織に対して燈哉が告げた言葉は明らかな牽制。
頸が弱い。
可愛い声。
その言葉に性的な意味を含めているのは伊織に対する明確な悪意。
ふたりの関係を見せつけるためにわざと言った言葉というだけでなく、羽琉のことを支配しているのは自分だと、伊織にはどうすることもできないのだとその格の違いを見せつける。
「羽琉が望んでいるんだから関係無い奴が口を挟む必要はない。
政文と伊織は付き合ってるんだろう?政文も伊織のこと、ちゃんと囲っておけよ。羽琉は俺が囲う」
同じ言葉をもう一度繰り返し、「もういいだろ?」と言って燈哉は背中を向ける。
燈哉の気持ちがどこにあるのか、羽琉のことをどう思っているのか、今居とどうなりたいのか。
先ほどの言葉で羽琉のことが性の対象でもあると示したけれど、その一方で羽琉との間に生産性がなくても受け入れると告げる。
孕む性であるのに生産性が無くても良いと羽琉を囲おうとする燈哉。
孕むことのない性なのに伊織を囲いたい俺。
燈哉の気持ちがわかると言えば伊織は怒り、俺から離れようとするかもしれない。
俺がそんなことを考えているなんて気付きもせず燈哉に対して威嚇を向けた伊織だったけど、その威嚇に燈哉が動じるわけもないため「止めとけ」と宥める。
「様子を見るしか無いな」
そう告げれば俺にまで威嚇を向ける伊織のことを苦々しく思い、この執着の一部でいいから自分に向けてくれたらいいのにと思ってしまう。
「政文は平気なの?」
そう言った伊織の瞳は暗く沈んでいるように見える。
「羽琉がそれでもいいと言ってるなら仕方ない」
「でも、」
「優先すべきは羽琉の気持ちだろ?
それより大丈夫だったか、燈哉、かなり怒ってたけど」
「正直キツかった」
敵わないと理解していないわけではないだろう。だけど、羽琉を諦めきれないのは伊織もαだから。
もしも伊織がΩであれば有無を言わせず囲っていただろう。αである伊織を何とかして囲うことができないかと思ってしまう俺に、燈哉を諌める資格はないのかもしれない。
「何で僕はこんなに弱いんだろう」
「伊織は弱いわけじゃないよ。
燈哉が強過ぎるだけ」
悔しそうな言葉にそう答えたけれど、「仕方ないのかな…」と呟いた伊織に対して慰める言葉は見つからなかった。
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