世界が終わる、次の日に。

佳乃

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紗凪

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 目が覚めて、いつもと違う寝具の感触に身動ぎする。

 使い慣れた寝具とは違い硬い感触のそれに戸惑い、周囲を見回し、服のままの自分に気付きやっと現状を理解する。新しい寝具と新しいカーテン。
 布団から抜け出すために身体を起こし、襲ってくる頭痛に顔を顰めた。

「飲み過ぎた…」

 部屋を整え、買ってきたものを並べたテーブルで消費されたものはアルコールばかりだったのだから仕方ない。途中、何かお腹に入れろと大輝に怒られた記憶はあるけれど、そう言いながらグラスを満たし続けたのは彼なのだから怒られる筋合いはない。

 吐き気は無いけれど頭痛はある。

 仕方なく布団から抜け出しキッチンに向かう。テーブルは片付けられ、グラスも洗われている。
 きっと大輝が片付けてくれたのだろう。

 冷蔵庫から水を出し、一気に飲み干す。コスパが悪いと2リットルのペットボトルを常に入れているところは変わっていなくて、貴哉と再会する前の生活に戻ったような気になる。

 あの会社で貴哉に再会しなければ。

 貴哉の誘いに乗ってあの部屋に引っ越したりしなければ。

 気を許して言われるがままにワインを飲まなければ。

 脅迫に屈して身体を重ねなければ。

 二日酔いの頭で考えても後悔ばかりが頭に浮かぶのに、それなのに考えることを止めることができない。

 どうして僕に声をかけたのか。
 僕は気付いていなかったのだから無視することだってできたのに。

 どうして僕を部屋に誘ったのか。
 あの部屋には姉と過ごした思い出だって染み付いていただろう。

 騙すようにワインを飲ませたのは僕の身体を暴くためで、動画や写真を残したのは僕を離さないため。

 そんなことを言いながら姉とも繋がっていただなんて、貴哉の真意はどこにあったのか知りたいと思いながらも、今この時に姉の元に向かったことこそが真実なのだと溜め息を吐く。

 結局ボクは姉の身代わりだったのだろう。

 欲を満たすだけのための乱暴な交わりと、何度も呼ばれるボクとよく似た名前。その名前を聞きたくなくて貴哉の口を塞いだけれど、貴哉は貴哉でボクの声を聞きたくなくて唇を重ね、舌を絡めたのかもしれない。
 そう言えばいつからか後ろから穿つように抱かれることが増えた。ボクが身体を支えることができなくなるほどに激しく腰を打ちつけ、声が漏れないように枕に顔を押し付けられたのは顔も見たくないし、声も聞きたくないから。そして、姉とは違う柔らかさのない身体を実感したくなかったからなのかもしれない。

「好きだったのにな…」

 小さくそう呟きもう一度水を注ぎ、今度はゆっくりと飲む。
 ボクのいない間に大輝と彼女が過ごしていたはずのこの家は何も変わっていなくて、もしかしたら貴哉とのことはボクの見た夢だったのかもしれないと考える。だけど、夢じゃないことはボクの身体が1番覚えていて、大輝との昨夜の会話を思い出して泣きたい気持ちになってしまう。

 ⌘⌘⌘

「結局、あの人って紗凪のお姉さんが好きだったってこと?」

 耳に痛い言葉に「さあ、」と短く答えるけれど、何も言わずにボクの言葉を待つ様子を見せる大輝に仕方なく重い口を開く。

「別れてからも連絡は取ってたみたいだからそうなんじゃないのかな?
 別に嫌いになって別れたわけじゃないし」

「………でも、別れた理由って前に話してくれたあれだろう?」

「うん。
 ボクも声かけられて貴哉だって気付いた時に気不味くて。距離を取ろうと思ったのに、気にしてないみたいに話しかけてくるし」

「オレがあの人の立場なら…無理だな」

「ボクもだよ」

「でもさ、」

 アルコールは口を軽くするのだろう。
 今まで大輝に話していなかったことを聞かれるがままに答え、無理矢理に始まった関係を告白してしまう。
 その時に大輝の顔色が変わったのは気のせいだったのだろうか。

「ちょっと待って、あの時ってあの人と付き合うかどうか悩んでたんじゃなかったの?」

「違うね。
 付き合うことを悩んでたんじゃなくて、諦めて受け入れようか、なんとか逃げようかって?」

「何で相談してくれなかったんだよ、」

「………言えないよ」

 険しくなった大輝の口調を気にしながら仕方なく言葉を続ける。

「大輝だって、同じ立場なら言えないと思うよ。
 姉の元婚約者に襲われて写真撮られました。その写真で脅されてますなんて、言える?」

「………言えないか」

 少し考えたあとでそう言うと、悔しそうに「でも、相談して欲しかった」と小さな声で呟く。
 あの時、もしも大輝にパートナーがいなければ相談していたかもしれない。
 貴哉にされたことを告げ、どうすれば穏便にやり過ごすことができるのかを相談することができていれば、こんなにも大きな傷を負うこともなかったのかもしれない。だけどあの時、大輝にはパートナーがいたし、将来を見据えた相手の仕事上のパートナーが同性を恋愛対象にしていると彼女が知れば、うまくいくはずのものを壊してしまうかも知れないという恐怖もあった。
 あの時の自分の恋愛対象は同性ではなかったけれど、同性に恋愛対象として見られることでボクもそうなのだと思い、大輝の側にいる事を許されなくなることも怖かった。

 大輝が部屋を開けて欲しいと言わなければこんな事にならなかったのに、と逆恨みめいたことを考えもしたけれど、そもそも金銭的な余裕ができてからもいつまでも甘えていたボクが言えることではなかった。

「でもさ、はじめはそんな感じだったけど、大切にしてくれたし、好きだったんだよ?」

「大切に思う相手なら無理矢理ヤったりしないし、写真とか動画で脅さないし」

「でも………」

「それって絆されたっていうより同情なんじゃないの?
 自分の姉さんに捨てられた可哀想なアイツに同情して、自分が癒してあげたいって。
 もしくは…共依存?」

「共依存って、」

「でも聞いてるとDVからの共依存って思わないでもないけど」

「でも、ボクだってはじめは自分で部屋を借りるつもりだったんだ。
 だけど、」

「だからそこだって。
 オレも専門的なことはわからないけど無理矢理ヤるのって、性暴力だよ?パートナーを暴力で支配して縛り付けて。
 これってDVなんじゃないの?」

 ボクだって専門的なことはわからないけれど、そう言われてしまうとDVに該当するのかと思ってしまう。

「それに食事もアイツが作るって言ってたけど、それって依存させるためなんじゃないの?
 餌付けじゃないけど胃袋を掴むって言葉もあるし」

 DVとか共依存とか、そんなことを思ったこともなかったけれど、そう言われると否定しきれない部分も出てきてしまう。
 大輝と暮らしていた頃は2人で決めたルールに沿って生活していたせいで、貴哉との生活もそれでいいと思っていたのに少しずつ変えられていった生活。

 食事だって、ひとり分を作るのは面倒だから適当に済ませればいいと思っていた。料理ができないわけではないけれど、貴哉の分を作ろうと思うこともなかった。だけど、自分のために作られた食事の温かさを知ってしまい、ひとりじゃない食卓を知ってしまったらそれが当たり前となっていく。

 姉のところに行くために仕事を詰めるからと同じ食卓につかなくなってから何を食べても美味しいと感じなかったのは、そのせいなのだろうか。
 そんなことで気を引いていると思われたくなくて自炊することなくコンビニ弁当や冷凍ミールで済ませていたけれど、ひとりの食事は味気なくて完食できない時も多かった。

 貴哉が帰って来ないんじゃないか、そんなふうに思いながら潜り込むベッドは寝心地が悪くて眠りは浅くなり、帰宅した貴哉が隣に来た気配で安心して眠りにつくけれど、これで疲れが取れるのかと心配になる程早い時間にベッドから出る気配で目が覚める毎日。

 本当は「おかえり」と声をかけたかった。

 ベッドから抜け出し「おはよう」と挨拶を交わし、少しの時間でいいから、コーヒーを飲むだけの時間でいいからボクのために使って欲しかった。

 だけどそれをして拒絶されたらと思うと何もできなかった。

 ⌘⌘⌘

「でも、好きだったんだ」

 もう一度気持ちを口に出してみる。
 暴力による支配で始まった関係だったけれれど、暴力に怯えて続けていた関係だったけれど、どこかでその気持ちが恋愛感情に移行したのだって事実で。だけどそれがDVによる共依存だと言われてしまえば何も言えなくなってしまう。

 好きだったのに。

 好きだと言ってくれたのに。

『本当に好きだったら、こんな時に紗凪のこと置いてかないんじゃないの?』

『大輝だって、置いてかれたくせに』

『だから、オレのことは本当に好きだったわけじゃないんだって』

 全てを受け入れた様子でそんなふうに笑う大輝に『淋しくないの?』と聞いても『紗凪がいれば淋しくないし』とはぐらかされてしまった。

「紗凪、起きた?」

 階下の事務所にいたのか、そう言いながらキッチンに来た大輝は昨日とは違う服装だった。ボクは二日酔いなのに涼しい顔をしているのが気に入らない。

「なに、仕事してた?」

 少し落ち着いた頭痛を気取られないように聞いてみると、「はい、これ」とコンビニの袋を渡される。

「二日酔いだろ?
 今日はもう休みにしてダラダラしてな。無理してたんだろ?」

 アルコールのせいか途中から記憶がないせいで何を話したのかと不安になるけれど、大輝は気にする様子もなく冷凍庫にアイスを詰め始める。

「コンビニに行ってたの?」

「だいぶ前にな。
 下の冷蔵庫に入れてちょっとだけPC確認してたら紗凪が起きた音が聞こえたから」

「あ、何かやることある?」

「何もないよ。
 データだって、二日酔いの頭でやって不備があったら二度手間だし。
 まだあと5日もあるんだから今日はダラダラする日。
何なら迎酒する?」

「………無理」

 二日酔いの頭痛を思い出し頭を押さえたボクに「食べれるならアイスも食べな」と言った大輝は「オレも今日は部屋でダラダラしてるから用があったら呼んで」と笑う。

「あ、でもシャワーくらい浴びたら?」

 昨日と同じ服を着たボクを見て苦笑いをし、「着てないジャージ置いてあるから使って」と自室に向かう大輝に「ありがとう」と答え、浴室に向かう。
 シャワーの後にアイスを食べれば心も身体も少しは楽になるかもしれない。

「依存、か」

 何が好意で、何が依存させるための行動なのか、その線引きはどこなのか。
 そんなことを考えてしまったのは、大輝があまりにも甲斐甲斐しいから。

「この部屋も、早く出ないと」

 そっと呟いた言葉はシャワーの音にかき消された。
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