嘘つきは秘めごとのはじまり

茜色

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年下の男の子

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 大学4年の夏休みに、家庭教師のアルバイトをした。

 思ったより早い時期に住宅メーカーから内定をもらえたおかげで、その夏の私はかなり気が緩んでいた。
 大学の仲間たちとの旅行と、お盆に実家に帰る以外はこれと言って予定もない長い休暇。時間がもったいないからバイトでも探そうかと思っていたところ、友人から家庭教師の職を紹介された。

 大手の家庭教師派遣会社と違って地域密着型の小規模経営のところだったが、友人が以前から登録していて働きやすいと聞いていた。
 それで夏休みの間だけバイトさせてもらうことになり、さっそく登録に出掛け必要な(やや退屈な)研修を受けた。
 そうして家庭教師デビューすることになった私に回ってきたのが、来年大学受験を控えた高校3年生の男の子だった。

 実は2年前にも、人に頼まれて三カ月ほど臨時の家庭教師をしたことがあった。なのでド素人というわけではなかったけれど、それでも高3の夏休みという大事な時期に、女子ではなく男子生徒を教えるというハードルの高さに正直身構えた。
 けれどもその男の子はもともと成績自体にさほど問題はなく、ただ英語だけがどうにも要領が掴めないという話だった。年明けの入試に備え、受験英語のポイントを教えてくれれば良いとのことだったので、それなら私にもできるかと思い引き受けることにした。


 7月の後半、私のアパートからバスで15分ほど行った分譲地にある、青い屋根の大きな一戸建てを訪ねた。
「今日からお世話になります、家庭教師の香坂雛子こうさかひなこと申します」
 愛想のいい母親に出迎えられ挨拶していると、すぐに2階から息子本人が降りてきた。

 ・・・これは、敵わないな。
 彼を一目見るなり、私は情けないことに怖気づいてしまった。頭の中で想像していたタイプとはまるで違っていたからだ。

 その男子生徒は、名前を竹ノ原陸たけのはらりくと言った。
 陸は私より4つも年下なのに、妙に達観したような眼をしていた。人目を惹く顔立ちはかなり整っていて、一見細身に見えるのに肩や腕の造りは大人の男の人と同じくらいがっちりしていた。
 きっと中学生くらいまでは『美少年』で通っていたのだろう。でも18歳の今は、既に『少年』と呼ぶには無理があるほど『男の人』の匂いを発している。大学では女の子とばかり吊るんでいて男兄弟もいない私にとって、陸のくっきりとした存在感は本能的な不安を感じさせるものだった。
 
 ・・・この子、絶対私より経験豊富だ。
 そんな引け目を感じて緊張感丸出しだった私に、陸は意外にも「先生、よろしく」とニコリと笑いかけてきた。
 少し眩しそうな眼で私を見ている。笑うと意外なほどあどけない優しい顔になった。その表情を見たら、私の緊張もふわりと解けるような気がして気持ちが楽になった。

「あら、良かった。仲良くなれそうね。この子、面倒くさがりで予備校なんてとても通えないから、来ていただけて助かります。どうぞよろしくお願いしますね」
 おおらかそうな母親に微笑まれ、これならなんとかやっていけそうだとホッとした。
 私と母親のやり取りをそばで陸がじっと見つめているのに気づき、不思議と耳が熱くなるのを感じて戸惑った。


 週に2日、たまに臨時で3日。私は陸の家に通うようになった。
 エアコンの効いた陸の部屋で、英語と、補助的に時々国語を教える日々。陸のお母さんが用意してくれる麦茶やアイスコーヒー、お菓子をお供に、私たちは基礎の問題集から順番に取り掛かっていった。 
 陸はたしかにマイペースな自由人という感じで、予備校通いが向いてなさそうなのも分かる気がした。けれども私が勉強を見ている時は、とても前向きに課題に取り組んでいた。
 問題を解く際に勘違いしやすいクセがあったのでそこを指摘してあげると、「ああ、そうやって読めばいいのか!」と素直に喜んで見せたりした。そんな時は年相応の無邪気さが表れ、なんとなく弟ができたような気持ちになって私も結構嬉しかった。

 最初に不安を感じたのが嘘のように、陸は私に懐いてくれた。
 見た目が大人びたイケメン風なのでこっちが勝手に身構えてしまうが、実際の陸はとても気さくで明るく、適度にルーズで、でも根っこはちゃんと真面目な子だった。
 ただ、やはり男の子にあまり免疫のない私よりはよほど世慣れている感じで、Tシャツ姿のその背中から、既に男の色気のようなものが漂っているのには少々面食らった。

 実際私が竹ノ原家に通い始めて間もなく、陸は「雛子センセー、彼氏いるの?」と単刀直入に聞いてきた。
 正直、私にはまともに彼氏と呼べる存在など今までいたことがなかった。
 時々男の子に告白されたりはするし、軽いデートくらいは何度か経験している。ただ私自身がどうにも異性が苦手で、なかなか周りの同級生のように上手に恋愛をできずにいた。

 仲良しの友人の大半が大学4年間のうちに初めてのセックスを済ませていて、キスもしたことがない私は天然記念物扱いだった。世の中には私のような女の子は案外たくさんいるのかもしれないけれど、いかんせん世界の狭い学生にとって、自分だけが取り残された感覚はかなりのコンプレックスになっていた。
 陸に彼氏の存在を聞かれた時、「いない」どころか「彼氏いない歴=年齢」とは言えなかった。
 そんなことを正直に話して、年下の男の子に馬鹿にされたくない。そう思った私はつい見栄を張り、咄嗟に「いるよ」と嘘をついてしまった。

 陸は私の返事に一瞬黙った後、「ふーん、やっぱいるんだ。先生、可愛いもんね」とお世辞を言った。それから「彼氏ってどんな人?」とか「つきあって長いの?」「いつもどこでデートしてるの?」などと矢継ぎ早に質問してくるので、私はつまらない見栄を張ったことをすぐに後悔した。
 なんとかこの場を取り繕うために、同級生の男子や過去にデートしたことがある相手をいろいろ思い浮かべ、適当に「彼氏像」を作り上げて口から出まかせを言ってその場をしのいだ。

 嘘は一度ついてしまうと、ほころびが出ないよう更なる嘘を重ねることになる。私はボロが出るのが怖かったので、かなり軽めの答え方をした。
 要するに、そんなに一人の人と長くつきあってるわけじゃなく、その時に気に入った相手と気軽に恋を楽しんでいる、というような雰囲気を匂わせたのだ。そういうことにしておけば、多少辻褄が合わなくてもバレにくいだろうと思った。我ながら姑息だと思ったけれど、引っ込みがつかなくて陸には本当のことが言えなくなってしまった。

 陸が私の言葉をどこまで信じたかは分からない。けれども彼は私のことを、意外に遊び慣れていて恋愛経験もそこそこ豊富な女子大生だと思ったらしかった。私はそれ以上突っ込まれないよう、逆に陸の恋愛について逆質問した。

「陸くんも、彼女いるでしょ?モテそうだもんね」
 私がそう聞くと、陸は「うーん・・・」と一度考えるような様子を見せてから「まあ、いるよ」と素っ気なく答えた。
「どんな子?同い年?」
「うん・・・。フツーの子だよ。結構カワイイけど。エッチの相手としては悪くない」
 淡々と答える陸の言葉に、予想していたとはいえ何故か胸の奥がズキリと痛んだ。

 やっぱり普通にセックスとかしてるんだ・・・。
 本人から聞かされるその事実は、ウブな女子大生にはそれなりにショックだった。

「雛子センセーは?彼氏とのエッチはどう?相性いいの?」
 陸は私の瞳をじっと見つめながら聞いてきた。まるで本心を探ろうとするかのように。
 いったい何てことを聞くのだろうかと内心心臓がバクバクしていたが、動揺しているのを絶対悟られたくなくて私は思いきりクールな表情を作って微笑んだ。
「今の彼はまあまあかな。一応満足してるよ」
 これは、大学の友人が前に口にしていたセリフを完全に真似したものだ。常に彼氏が途切れない恋愛体質の子で、私には未知の世界だと思いつつ記憶の片隅に残っていた。

 陸に「へぇー。さすが大人の女は余裕あるね」と言われ、いったい誰のことだろうと冷や汗をかきそうになった。
 陸はそれきり黙ってしまい、バサバサと音を立てて新しい問題集のページを開いた。
 自分から聞いてきたくせになんとなく機嫌が悪くなったように見え、私は陸が何を考えているのかまったく理解できずに戸惑った。


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