嘘つきは秘めごとのはじまり

茜色

文字の大きさ
10 / 21

平行線

しおりを挟む
 水曜日の午後。私はデートではなく改めて話したいことがあると言って、中山主任と喫茶店で落ち合った。
 定休日なのに顧客の都合で午後からアポイントが入ってしまったそうで、主任はいつものスーツ姿で昼下がりのカフェに現れた。
「デートに誘っておきながら、結局仕事になっちゃったよ。ダメだねー、この業界は」
 私が改まった顔をしているのをわざと無視するように、妙に明るい声で主任は笑った。まるで深刻な話になるのを避けるように。

 コーヒーとアイスティーが運ばれてくるとすぐ、私は背筋を伸ばして中山主任を真っ直ぐに見た。
「今日は私、主任に謝るためにここに来ました」
 中山主任は黙ったまま、私の瞳の奥をじっと見据えた。ひるみそうになるが、テーブルの下で拳を握りながら思い切って切り出す。
「主任とのおつきあいの件、やっぱり遠慮させてください。本当に、ごめんなさい・・・」
 そう言って、私は主任に向かって頭を下げた。

 一度は了承したものの、やはり主任とは仕事上の良い関係のままでいたいと思い直した。とても失礼なのを承知の上だけれど、どうか今まで通りの関係でいさせてほしい。私は勇気を出してはっきりそう伝えた。
「お気持ち、本当に嬉しかったです。主任のことは尊敬しています。主任は優しくてお仕事もできて素敵な方です。私なんかよりもっとふさわしい女性がいらっしゃると思います」
 そう一気に言って口を噤む。喉がカラカラに乾いてすぐにでもアイスティーを飲みたかったけれど、ぐっと我慢した。

 中山主任は私の言葉に驚かなかった。ただ私の顔をしばらく見つめてから、やけに落ち着いた物腰でコーヒーを一口啜った。
「・・・そんなにオレをおだててくれるのに、男と女としてつきあうのはダメなんだ。」
 自嘲するような笑い方をしてから、主任は「まあまあショックな展開だな」とポツリと呟いた。
「・・・本当にごめんなさい。私が軽率でした」
 しばしの沈黙。気まずい空気に胃が痛くなりかける。店内に流れる軽快なBGMが白々しくて、今すぐ逃げ出したいような気持ちになった。

「変だと思ってたんだ。せっかくOKの返事をくれたのに、きみは前よりオレによそよそしくなったよね?」
 中山主任は嫌に淡々とした様子で私に尋ねた。
「いえ、そんなこと・・・」
 否定しかけたものの、実際はその通りだったので私はうなだれた。

「理由、聞いてもいいかな?」
「えっ・・・」
「つきあえない理由。だって、一度は受け入れてくれたじゃない。きみなりにオレとつきあってもいいと思った瞬間があったわけでしょ?でも現実には、受け入れた直後からきみの様子がおかしくなった気がする」
「それは・・・冷静になって考えたらやっぱり、仕事上の関係でいた方がいいと・・・」
「他に好きな男でも現れたのかな?」
 妙に乾いた声で聞かれ、私は言葉を失った。

「そうなの?オレなんかが吹っ飛ぶような、本命が登場した?」 
「いえ、そんなんじゃ、ないです・・・」
「そう?違うの?」
「・・・違います。そういう理由じゃないです」
 私は嘘をついた。いくらなんでも、そうだと答えるのは主任に失礼すぎると思ったからだ。主任は探るような視線を私に向けた後、ホッとしたように破顔した。

「そっか。違うんなら安心した。だったら、オレ諦めないよ」
「えっ、あの・・・」
「きみの気持ちがまた変わるまで根気よく待つよ。オレがちょっと焦りすぎたんだ、ごめんな。他に好きな男もいないなら、もう少し時間をかけてオレを好きになってもらえるよう、がんばるよ」
「いえ、あの、待っていただくなんて悪いです。そんなこと言わないでください」
「悪くないさ。オレが勝手に好きなんだから」
 主任は熱のこもった眼で私を見つめた。
 やり手の営業マンとはこういうものなのだろうか。簡単には諦めない粘り強さを感じて、内心かなり戸惑った。

「・・・竹ノ原は関係ない?」
「えっ、竹ノ原くん・・・?いえ、どうして・・・?」
 いきなり陸の名前を出され、心臓がドキンと小さく跳ねた。
「香坂さん、アイツとよく話してるよね。えらく親密な感じがするから、ひょっとしてアイツとの間に何かあるのかなって。まさかきみみたいな誠実な人が、あんな生意気そうな若造に熱上げるとも思えないんだけど」
 主任らしくないやや棘のある言い方に驚いた。陸のことをそんなふうに見ていたなんて、これはいわゆる嫉妬なのだろうか。
 多少なりとも私が原因で、主任が陸に悪い感情を持つなんてことはあってほしくない。少し迷ったものの、やはり陸との関係を話しておくことにした。
 
「あの、社内の人たちには黙ってるつもりだったんですけど・・・。実は竹ノ原くんと私、昔の知り合いなんです」
「えっ、本当に?」
「はい、今まで黙っててごめんなさい。私、大学時代に家庭教師のバイトをしてたことがあって、竹ノ原くんはその時の生徒なんです。偶然再会してお互いびっくりしたんで、それで懐かしくて時々話してるんです」
「・・・そうなんだ・・・。それは驚いたな。もっと早く言ってくれればよかったのに」
 中山主任は目を丸くし、それから腑に落ちたように二、三度頷いた。

「ごめんなさい。社内で大っぴらにすると面白半分に見られそうな気がして黙ってたんです。主任にもなんとなく言いそびれちゃって」
「別に隠すことないのに。・・・でもそうか、それなら仲良さそうなのも納得だ」
 私の言葉を信じたのか、中山主任はあからさまに安堵したような笑顔を見せた。その陽気な笑みにやや良心が痛む。

「そっか。・・・ただの元生徒ってだけなんだね?」
 私は心の奥のためらいを押し隠して、小さく頷いた。これ以上、余計な勘繰りをされたくなかった。
「じゃあ、ひと安心だ。いや、オレはね、まさかとは思ったけどきみが竹ノ原に口説かれでもしてるんじゃないかって心配してたんだ。きみに限って、そんなナンパみたいな手には乗らないと思ってたけど」
「そんな・・・」
「まあ、きみなら大丈夫だと思うけど、ああいう見た目の良さで売ってるような若い男には近づかない方が身のためだよ。いくら元生徒でもね、もう会社では線引きした方がいい。年上の女の子がうっかりああいうのに近づくと、ボロボロに傷つけられて泣くのがオチだからね」
 中山主任は本気でそう思っているようで、いやに真面目な顔で私に忠告した。胸の奥に矢が刺さったような気がして私の頬が強張った。

「いや、とにかく聞いてスッキリした。うん、やっぱりオレはきみがその気になってくれるまで気長に待つよ。ゆっくりでいい。食事とか、こうしてたまにお茶でもいいから、のんびりやっていこうよ」
「いえ、それはできません。私はやっぱりそういうこともしない方がいいと・・・」
「まあ、そう言わないで。焦らなくていいからさ」

 こっちは断っているのに、どうしてこんなふうに無理矢理前向きに捉えようとするのだろう?
 なんとか分かってもらおうと言葉を探したけれど、ここで揉めて中山主任の機嫌を損ねるのも良くない気がして途方に暮れた。
「本当に、自分でも勝手なのは分かってるんです。でもきっと私なんかじゃ主任のご期待に沿えないと思います。どうかおつきあいの件はなかったことに・・・」
「本当に好きなんだよ」
 中山主任はまるで私を責めるような口調で訴えた。

「中途で入社して慣れないオレに、きみが丁寧に業務を教えてくれた。オレが理解しやすいように噛み砕いて時間を割いて。教え方が上手で、きみの優しい人柄が伝わってきた。あの頃からずっと、きみのことを想ってたんだよ。オレのその想いを、どうか無下にしないでほしい」
 そう想ってくれるのはもちろんありがたいことだけれど、主任の態度は私の気持ちなどお構いなしのように見えて単純に喜ぶ気持ちになれなかった。
 ふと、5年前に陸を教えていたときのことを思い出した。あのとき陸にも、「雛子先生は俺が理解しやすいように工夫しながら教えてくれるよね」と言われた。「先生、優しいよね」と、眩しい笑みを浮かべながら。
 陸に言われた時はとても嬉しかったのに。どうして眼の前にいる中山主任の言葉には、素直に頷けないのだろう。


 私の意思を受け入れようとしないまま、中山主任は「アポの時間だから」と席を立った。
 奢ってくれるというのを頑なに断り、私は自分のアイスティーの代金を支払った。店を出て別れる間際、これだけは言っておきたくて私は主任を呼び止めた。

「あの、竹ノ原くんのことですけど」
「・・・うん、何?」
「彼は外見の雰囲気と違って、中身はすごく真面目で努力家なんです。独特のペースで動くから生意気に見えるかもしれないけど、誤解しないであげてください」
 陸をかばった私を、雑踏の中で中山主任がじっと観察している。私は慌てて「勉強を教えてた時の印象ですけど」と付け足した。
「なるほど。さすが元先生、教え子が可愛いんだね」
「別に贔屓してるわけじゃないんです・・・」
「分かってるよ。香坂さんは優しいからなぁ。了解。アイツのことは色眼鏡で見ずにちゃんと指導するよ」
 いつもの穏やかで優しげな顔に戻って中山主任は微笑んだ。
「ありがとうございます。あの、私がお礼を言うのも変ですけど」
「ははは。教え子って言うより、お姉さんと弟みたいな感じだな。うん、悪ガキの弟を心配するいいお姉さんって感じだ。きっと彼にとってもきみは頼れるお姉さんなんだろうね」

 中山主任の言葉は、遠回しに釘を刺しているように聞こえた。
 私と陸では姉と弟のようにしか見えないのだから、変な気を起こすんじゃないぞと。いい気になっても馬鹿を見るだけだぞと。
 そして私は単純にも、主任の言葉に現実を突きつけられてこっそり傷ついていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

カラフル

凛子
恋愛
いつも笑顔の同期のあいつ。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

処理中です...