嘘つきは秘めごとのはじまり

茜色

文字の大きさ
11 / 21

微熱のとき

しおりを挟む
 毎年新入社員が配属された後は、飛ぶような早さで日々が過ぎていく。
 右も左も分からずにいた1年生が日を追うごとに引き締まった表情に変わっていったり、逆に精気が抜けて迷いが顏に表れるようになったり。そんな様子を横目に見ながら、私たち先輩社員も季節の変化に追い立てられるように日常の業務をこなしていく。

 5月末、陸は住宅課に配属された新人の中で一番最初に契約を取った。
 新人なので、込み入った商談は当然上司に同席してもらっている。けれども陸はその顧客にマメに連絡を入れて売り込みに余念がなかったし、相手方の都合に合わせて夜間にプランと見積りを持参して家を訪ねたり、休日出勤も面倒くさがらずに積極的にこなしていた。その熱意が顧客に伝わり、見事初めての成約となったのだ。

 根が真面目なのは以前から知っていた。けれども高校生の頃の陸は時間に縛られたり他人とペースを合わせるのが苦手そうだったので、社会人になってからの姿には正直驚かされた。一度残業時間中に給湯室で顔を合わせた時、私がそれを指摘すると陸はちょっと照れくさそうな顔になった。
「俺みたいな怠け癖のある人間は、意識して自分を動かさないとどんどん甘えちゃうから」
 夜食のカップ焼きそばにポットのお湯を注ぎながら、陸は自分に言い聞かせるように呟いた。
「自分でそうやって気づいてるんだから、立派だよ」
 私がそう言って微笑むと、「これでも必死なんだよ。雛子さんにがっかりされたくないから」と、どこまで本気か分からない口調でニヤッと笑った。

「あのさ、雛子さん。・・・今度、ゆっくり話す時間作ってくれる?俺の仕事のドタバタがもう少し落ち着いたら」
 カップ焼きそばを手に給湯室を出る間際、さりげなさを装って陸が私に尋ねてきた。眼に少しだけ弱気が見え隠れし、私の胸に母性にも似た優しい気持ちが揺らめいた。
「うん・・・。そうだね、一度ちゃんと話そう。陸くんの契約のお祝いもしなくちゃね」
 そう言って頷くと、陸は心底嬉しそうな顔で微笑みながらフロアに戻って行った。


 中山主任は懲りずに私をデートに誘い、定期的にメールを寄越し、仕事中も何かと声を掛けてきた。
 デートには一度も応じなかった。私は言葉に気をつけつつ、おつきあいできないことを何度も伝えた。主任はそれでもへこたれず、「まあ、そのうちきみの気持ちも変わるだろうから」と理解しがたいポジティブさを見せるだけだった。
 最初の頃は、一度OKした自分が悪いのだから主任には申し訳ないという気持ちの方が大きかった。けれどもあまりにもこちらの気持ちを無視して好意を押し付けてくるやり方にだんだんストレスが溜まっていき、私は本気で悩むようになっていた。
 最近では仕事で会話を交わすことも苦痛に感じるようになり、そんな私の様子を見て絵梨が「もういっそ、竹ノ原とつきあってるとでも言った方が主任も諦めるんじゃないの?」とけしかけてきたりした。
 そんなことをしたら、今度は陸にとばっちりが及ぶかもしれない。中山主任は今でも私と陸の関係を注視している。家庭教師と元教え子という間柄ゆえに仲がいいと納得してはいるようだけれど、もし私が陸にそれ以上の感情を抱いていると見抜かれたら、諦めるどころか主任は陸に辛く当たるような気がして心配だった。

 告白される前は、仕事熱心で人当たりも良い中山主任がとても好人物に見えていた。粘り強く顧客を口説き落とすやり方にはみんなが一目置いていたし、私も「デキる人なんだな」と素直に尊敬していた。それが、一度恋愛の絡んだ感情をぶつけられて以来、主任の粘着質な性分に気づいて不安を感じるようになってしまった。
 私はいつしか中山主任のその折れない強さを、「怖い」と思うようになっていた。


 6月の初旬に、分譲課の飲み会があった。先月の契約数が目標を達成したのでその打ち上げと、別の支店に異動になる社員が一人いたため送別会を兼ねた集まりだった。
 会社でよく使う居酒屋での、ありきたりな飲み会。広めの個室を借り切って、みんなが思い思いに席を移動しては休日前の夜の解放感に浸っていた。

 私は少し離れた席から、陸がビールを美味しそうに飲む姿をこっそり見つめた。
 そう言えば陸は、未成年だった高3の時点でかなりお酒が強いと自慢していたっけ。実際にアルコールを飲む姿を見るのは初めてだけれど、たしかにたいした飲みっぷりだった。顔色もほとんど変わらないし、嫌な酔い方もしていない。グラスを持つ仕草はあまりに自然で、お酒の弱い私よりよほど肝が据わった大人に見えた。

 陸の隣には、同じく新入社員の女子がぴったりと張り付いていた。
 相川さんと言って、陸とは別の分譲地の販売センターで営業見習いをしている子だ。小柄で眼がクリクリしていて、飲み会ではいつも男性社員の輪の中に入ってはしゃいでいるタイプだった。
 一見可愛らしく無邪気に見えるけれど、抜け目なさそうな眼つきが印象的な今時の女子。人間観察が趣味の絵梨が、「相川は要注意」と4月の時点でチェックを入れていたのをふと思い出した。

「やだ、うそぉー!竹ノ原くん、すごーい!」
 何がすごいのか知らないけれど、さっきから相川さんは黄色い声を上げながら陸にしきりに話しかけている。さりげなくボディタッチも忘れない。陸もまた、他の同期と混ざって楽しそうに相川さんと会話している。その様子を遠くから眺め、今さら陸との年齢差をしみじみ感じてしまった。
 たかが4歳。されど4歳。白地に淡いストライプの入ったワイシャツ姿の陸が眩しくて、何故か私はいたたまれない気持ちになった。
 夏の日に、「暑い暑い」と連発しながら、Tシャツの裾をまくっていた陸の姿が不意に懐かしく思い出された。

 途中で私の隣に中山主任が割り込んで来た。この後の二次会に行こうと誘いながら、私の二の腕に軽く触れてくる。
「そうですねー、絵梨たちと相談してみます」
 そう言って笑顔で会話を終わらせ、まだ話しかけてくる主任を置いて私はトイレに逃げた。
 ブラウス越しでも、触れられた箇所に違和感が残っていた。鏡を見ると、やけに疲れた顔の女が映っている。
 私は化粧を軽く直し、気合いを入れるように頬っぺたをパンパンと両手で叩いた。そろそろ一次会はお開きの時間だ。今日はもう帰ろう。家に帰って、買い置きしてある大好きなアイスクリームを食べてゆっくりくつろごう。

 私が出るのと入れ替えに、相川さんが同期の事務の女の子と一緒にトイレに入ってきた。
「あ、お疲れ様でーす。・・・でさ、竹ノ原くんたらさ・・・」 
 ろくすっぽ私の顔も見ずに、楽しそうに鏡の前に陣取る新入社員。舐められたものだなぁと苦笑いを浮かべながら、またしても4つの年齢差に軽い溜息をついた。


 一次会がお開きになり、絵梨がトイレに寄ってから帰りたいと言うので私ももう一度つきあった。おかげで中山主任に掴まらずに済んだので、内心かなりホッとしていた。
 毎度のことだけれど、女子社員たちはほぼ全員が一次会だけで我先に帰っていく。残っていてもオジサンたちの下手なカラオケとセクハラにつきあわされるのがお決まりのパターンなので、女子は飲み会がある度にいかにして二軒目をパスするか知恵を巡らしていた。

 執拗な誘いから上手いこと逃れ、私と絵梨は速足で駅へと向かった。去り際にチラリと振り返った時、店先で新入社員の面々が課長たちに腕を引っ張られて掴まっているのが見えた。陸の隣には相川さんが寄り添っていて、さりげなく陸のスーツの袖をつまんでいるのが見えた。
 ・・・もしかしたら、陸と相川さんはつきあっているのかもしれない。
 その可能性を想像した途端、自分でもびっくりするほど胸がズキリと痛んだ。

 家の方向が違う絵梨と途中で別れ、私は自分が乗る路線の改札を抜けて階段を上った。
 月曜日の9時半。駅のホームはそれなりに混んでいて、私は人と人の間を縫うようにしてホームの端っこを目指した。
 やっと人の少ないスポットを見つけて小さく息をついた時、背後から「雛子さん!」と耳に馴染んだ声に呼び止められて驚いた。

「陸くん・・・!え、どうして・・・?」
「良かった、追いついて。雛子さん、結構歩くの速いから」
 走ってきたのか、陸は少し息を弾ませながら私のすぐ隣に立った。驚いて思わず陸の顔をまじまじと見上げてしまう。陸たち1年生は、二軒目に行くはずではなかったのか。

「雛子さんと一緒に帰りたくて、腹が痛いってみんなに嘘ついてきちゃったよ」
 陸は悪びれもせず、楽しそうに笑っている。
「え・・・、行かなくて大丈夫なの?課長たちに誘われてたでしょ?」
「うん。でもさ、どうせひどいカラオケ聞かされて、酌させられるだけだよ?先月までにさんざんつきあったから、そろそろ逃げてもいいかと思って。腹が痛いからトイレ行くって言って、そのままバックレてきた」
 あっけらかんと話す陸に、呆れるやら可笑しいやらで吹き出してしまう。

「後で叱られるんじゃないの?」
「平気。課長には『体調不良』ってメールしておくし。それに俺以外の新人たちも、上手いこと逃げてダーツバーに行くらしいから」
「相川さんは・・・」
「・・・ん?相川がどうかした?」
「陸くんがいないと、淋しがるんじゃない?」
 つい気になって聞いてしまい、ヤキモチみたいに聞こえるだろうかと後悔した。
「あー、アイツはキンキンうるさいから近藤に押し付けてきた。近藤が相川のこと好きらしいからちょうどいいよ」
 陸は、「あー疲れた」と肩の筋肉をゴリゴリ回しながら、秘密を共有するような眼で私に笑いかけた。

 アナウンスの後に、下り電車がホームに滑り込んでくる。ドアが開くと、陸は私の肩をそっと包むような手つきで車内へと促した。
 触れるか触れないかの大きな手。さっき少しだけお酒を飲んだせいか、私の頬はやけに熱く火照っていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

独占欲全開の肉食ドクターに溺愛されて極甘懐妊しました

せいとも
恋愛
旧題:ドクターと救急救命士は天敵⁈~最悪の出会いは最高の出逢い~ 救急救命士として働く雫石月は、勤務明けに乗っていたバスで事故に遭う。 どうやら、バスの運転手が体調不良になったようだ。 乗客にAEDを探してきてもらうように頼み、救助活動をしているとボサボサ頭のマスク姿の男がAEDを持ってバスに乗り込んできた。 受け取ろうとすると邪魔だと言われる。 そして、月のことを『チビ団子』と呼んだのだ。 医療従事者と思われるボサボサマスク男は運転手の処置をして、月が文句を言う間もなく、救急車に同乗して去ってしまった。 最悪の出会いをし、二度と会いたくない相手の正体は⁇ 作品はフィクションです。 本来の仕事内容とは異なる描写があると思います。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

処理中です...