嘘つきは秘めごとのはじまり

茜色

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恋人宣言

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 トイレの水を流すと、私は深呼吸してから個室のドアを開けた。
「お疲れさま」
 できるだけ穏やかな声で言いながら、鏡の前に立ち丁寧に手を洗った。

 隣で新人女子二人が硬直している。石川さんは完全に脅えながら「お、疲れ様、です」と、か細い声を出したけれど、相川さんは黙ったまま固まっていた。
 きっと頭の中で、この場をどう乗り切るべきか忙しなく考えているのだろう。トイレで会社の人間の悪口を言うのは厳禁。それくらい、教えなくても分かりそうなものなのに。

 私は化粧ポーチからファンデーションを取り出して軽くはたいた。それからグロスルージュを引き直し、わざと時間をかけて鏡を見つめた。
 新卒女子から見れば私などライバルにもならない「オバサン」扱いなのかもしれないが、こっちは彼女たちより4年も長く「女」をやりながら働いてきたのだ。
 年上の女を舐めるな。そう心で呟きながら、ビクビクしている石川さんの横を通り過ぎて化粧室のドアを押し開けた。

「香坂さん。あたし、今夜竹ノ原くんのこといただいちゃってもいいですか?」
 化粧室を出て上の階に戻ろうとした私の背中に、相川さんが開き直った声をぶつけてきた。
 ゆっくり振り返る。捨て鉢になったのか挑発的な眼をしている相川さんと、その後ろで慌てふためいている石川さんの姿があった。

「あたし、内定式の時から竹ノ原くんのことイイなーって思ってたんですよね。ずーっと。香坂さんって竹ノ原くんのお姉さんみたいな存在なんですよね?お姉さん的立場で、私のこと応援してもらえますかぁ?」
 もうやめなよ、と石川さんが顔をひきつらせて相川さんの腕を引っ張る。相川さんは引くに引けなくなったのか、ムキになって私に突っかかってきた。
「香坂さん、中山主任とつきあっとけば良かったのに。お似合いですよ、年齢もちょうどいいし。あのね、竹ノ原くんをいいかげん解放してもらえません?元家庭教師だからって、いつまでもそうやって束縛するオンナって怖いですよ。彼も迷惑だと思うし」

 さっきトイレの個室で耳にした暴言は、なかったことにしてやり過ごそうと思っていた。この子もまた、上手くいかない片想いにイライラしてああいう発言をしているだけなのだろうと思ったから。けれど、新卒にここまで言われて「分かりました」と身を引くほど私も寛大な人間ではなかった。

 社内恋愛は本来隠すべきものだと思ってきた。でも相川さんの失礼な発言を聞いているうちに、どうしてこんな人にまで気を遣って、何もないふりを続けなければいけないのか分からなくなった。
 もう嘘は嫌だと思った。嘘をつくから、誤解が生じて人を傷つけ、ややこしいことになる。私も陸も、もう二度と嘘はつかないと約束したのだ。


「・・・相川さん、そんなに年上の女が怖いの?」
 ずっと黙っていた私が思いがけないセリフを口にしたので、相川さんは一瞬ひるんだ顔になった。
「私、竹ノ原くんのこと弟みたいだなんて思ってないよ。彼のこと、男として好きだもの。本気よ」
 相川さんの頬がカッと赤らんだ。一歩後ろに控えていた石川さんも驚いた表情になり、それから何故かさっきより好意的な眼を私に向けてきた。
「そういうわけで、お姉さん的な立場であなたを応援するつもりはないの。ごめんね」
 相川さんは露骨にムッとして、何か言い返そうと顔を歪ませた。

 自分がこんなふうに堂々と本心を口にしていることに内心驚きつつ、私は今までにない爽快感を味わっていた。
 もしかしたら私のせいで陸がやりにくくなるかもしれないけれど、そうなったらなったで陸にきちんと謝ろう。彼はきっと分かってくれる。そんな気がした。

「随分、自信あるんだ。だからオバサンは図々しいんだよ」
 もう本性を隠そうともせず、相川さんは吐き捨てるように言って私を睨んだ。
 恋敵とは言え先輩にこんな言葉遣いをして、この子は社会人になった自覚が本当にあるのだろうか。しかもまだまだ人として未熟な二十代の私を、たかが4つ違いでオバサン扱いしているなんて彼女はあまりにも世間を知らなすぎる。

「相川さん。本当に彼を好きなら、酔っぱらったふりして家に連れ込むなんて小細工はやめて、堂々と告白してみたら?もちろん、私も遠慮はしない。彼のこと本気で好きだから、絶対諦めたくないの」
 そう言い切ると、今度こそ上の階に戻ろうと私は階段に向かった。数段上がったところで、踊り場の端っこに身を隠していた陸の姿に気づいてものすごく驚いた。


「陸くん・・・!」
「雛子さん、ありがとう。俺のこと好きってはっきり言ってくれて」
 陸が嬉しそうに眼を細めて、私の手をギュッと握った。
 そう言えば、まだきちんと「好き」だと伝えていなかったことに気づく。やはり今までの私は心のどこかで遠慮していたのかもしれない。

「陸くん、もしかして全部聞いてたの・・・?」
 途端に恥ずかしくなり、私は頬を赤らめながら陸を少し睨んだ。
「聞いてたよ。雛子さんのかっこいい啖呵に惚れ直しちゃった」
 そう言って、陸は私を優しく抱きしめてきた。

 大好きな匂いに包まれ、力が抜けるほど安心する。
 うっとりしながら陸の身体にくるまれていたが、階段の下に相川さんと石川さんがいることを思い出して焦った。恐る恐る階下に視線を向けると、女子二人が眼をまん丸にして私たちの抱擁に釘付けになっている。

「陸くん、見られてる・・・」
「うん、知ってる。いい機会だから、もっとはっきり見せつけようか」
 陸はニヤリと笑うと、私の頬に手を添えていきなり唇にキスをした。

「えっ、うそっ・・・!」
 階下から、ちょっと興奮したような石川さんの声が聞こえた。相川さんは衝撃で固まっているようだったけれど、そんなことはすぐに私の頭から吹き飛んでしまった。
 陸はここがどういう場所かも忘れたように、それはそれは甘く深いキスを私に仕掛けてきた。最初は慌てた私も、陸の想いに応えたくなって大きな背中に両手を回した。

 唇が優しくて温かい。少しだけ触れあう舌先から濡れた音がこぼれ、私の胸を熱くときめかせる。
 誰に何を言われても、後ろ指をさされても、私はもう陸を好きなことを決して隠すまいと思った。

「ふうっ・・・。雛子さん、エロくて最高」
 人前でするには少々長すぎるキスの後、陸は唇をぺろりと舐めてなまめかしく微笑んだ。
「陸くんのせいでしょ・・・?もう、どうなっても知らないからね」
 私が唇を尖らせると、陸は「大丈夫だよ」と耳元で囁いた。

「相川、見てのとおり俺は雛子さんとデキてるから。しかも俺の方が夢中なの。ずーっと前から」
 階下で蒼ざめた顔を強張らせている相川さんに向かって、陸はあっけらかんと言い放った。
「それに相川さ、この前の飲み会の後、近藤を部屋に連れ込んでヤッたらしいじゃん。アイツ、『相川とつきあってる』ってみんなに触れ回ってるよ」
「なっ・・・、違っ・・・」
「頼むから俺をお仲間に引き入れないでくれる?興味ないし迷惑だから」

 相川さんの眼が吊り上がり、歪んだ唇が震え始めた。横で押し黙ったままの石川さんは、何故だかちょっと笑いをこらえているように見える。
「行こう、雛子さん」
 陸に優しく手を引かれ、私は階段を上がってレストランの出口へと向かった。


 店の外に出ると、心配げに待っていた絵梨が私と陸の姿を見てホッとした顔になった。しかも私たちが手を繋いで現れたので、「お、ようやく腹くくったか」とニヤニヤ笑いかけてきた。
 絵梨のそばに立っていた久保田課長が、私と陸の手繋ぎを見てギョッとした顔になる。すぐに他の社員たちも気づき、「何だ何だ、酔っぱらって色気づいたか?!」とにわかに騒ぎだした。
 陸は一度私の顔を見ると、悪戯っぽい眼で軽く頷いた。もう引き返さないからね、と念押しするように。

「あのですね、ちょうどいい機会なんで、どさくさ紛れにここで発表します」
 店先でワイワイやっている同僚たちに向かって、陸がやや声を張り上げた。
「皆さんにお伝えしておきます。えー、僕と香坂さんは、つきあってます!って言うか、もう婚約しますんで、横取りとかしないでくださいね!この人、僕の婚約者ですから。以上!」
 居合わせた全員が呆気にとられ、一瞬しんと静まり返った。やがて「ウソー!!」「マジか?!」と仰天したような声が上がり、その場はちょっとした騒ぎになった。

「・・・陸くんったら、酔っぱらってるでしょ」
「酔ってないよ。俺、酒強いもん。今日はいつも以上に冴えてるし」
 なんだか陸の顔は誇らしげだ。私は恥ずかしいのと胸がいっぱいになったので耳まで紅くなってしまい、みんなに思い切り冷やかされた。

「おまえなぁ・・・。入社数か月でどれだけ調子に乗ってるんだよ・・・」
 久保田課長が疲れた顔で陸をたしなめる。
「すみません、自分でも身の程知らずなのは分かってます。でも、これからますます本気でがんばりますから、今日だけ許してください、課長!」
 陸が長身を折り曲げてぺこりと頭を下げると、課長が呆れたように陸の頭をパシッと叩いた。でも眼は笑っている。その横に寄り添って楽しげに笑っている絵梨の姿を見て、私は今になって初めて絵梨の15歳上の彼氏の正体に気づいて「あっ!」と声を上げてしまった。


 みんなの囃し立てる声に送られながら、私と陸は手を繋いだまま駅へと歩き出した。
 背後から、「あれー、ボクちんの彼女がトイレから戻ってこなーい」と酔って騒ぐ近藤くんの声が聞こえてきたので、私たちは顔を見あわせてちょっと笑った。


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