水の底のポートレイト

茜色

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Lesson 1

ネクタイ

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 ローテーブルを脇にどかし、桃をベッドの上に座らせた。
 正直ベッドに座らせることにためらいを感じたが、他に場所がないのだから仕方ない。俺は桃の正面にパソコンデスク用の安物の椅子を置いて、自分はそこに腰かけた。

 本棚を探したら、昔使っていたB4サイズのスケッチブックが1冊見つかった。デッサン用の鉛筆と消しゴムは、引き出しにまだ残っていた。俺は妙な展開に戸惑いつつも、一方で微かな高揚感を抱きながらスケッチブックを開いた。
「緊張しないで。普通に話したりしてていいぞ」
 そう声をかけ、真っ白な紙の上に桃の顔を描き始めた。

 不思議な気持ちだった。こんなふうにまともに絵を描くのは数年ぶりなのに、一度鉛筆を握ったら面白いようにかつての勘が蘇ってきた。ラインのぼかし方、影の入れ方、消しゴムの効果的な使い方。すっかり忘れたと思っていたのに、頭で考えるより先に自然に手が動く。
 桃がじっと俺の手元を見ている。と思うと、今度は俺の顔を真っ直ぐ見ながら他愛無い話をして俺を笑わせた。時々腰を上げて、「先生、ちょっと見せて」などとスケッチブックを覗き込んでくる。
 
 俺は本当に久しぶりに、絵を描くことを心から楽しんだ。桃の姿を自分の手で紙の上に表現することに、ある種の興奮を抱いていた。
 夏がもうすぐ終わろうとしている午後、俺はまぎれもなく幸福な優しい時間を桃と共有している気持ちになった。


 仕上げの消しゴムをかけ終わると、俺はできあがった絵を桃に見せた。
「・・・すごい・・・!やっぱり先生ってすごい・・・!」
 お世辞なのは分かっていても、悪い気はしない。自分でも久々に描いたにしては上出来だと思った。白い制服のブラウスに赤いリボンタイをつけ、ほんの少し唇を開いている桃。特徴を上手く捉えていると秘かに自画自賛する。

「こんなに綺麗に描いてくれて、ありがとう、先生・・・。」 
 自分の顔が描かれたスケッチブックを、桃は随分熱心に見つめていた。まるで記憶に焼き付けようとしているみたいだったので、俺は安心させるように笑った。
「おい、ちゃんと絵の具塗って仕上げてやるから、心配するな。すぐには無理だけど、なるべく早く完成させておまえにやるから」
 桃は顔を上げて俺の眼をじっと見つめると、「うん」と嬉しそうに頷いた。
「先生、ほんとにありがとう。私、すごく幸せ」
 そんなに大袈裟な言い方をしなくても、と俺が照れ笑いすると、桃はもっと楽しそうに「ふふっ」と笑った。

 俺はどこか浮かれていたのだと思う。さっきから桃の様子がどうもおかしいことに薄々勘付いていたのに、今はふたりきりの空間でこんなふうに桃の絵を描けたことに気持ちが浮き足だっていた。

「ねえ、先生。お礼にいいものあげる。・・・いいものかどうか、分からないけど」
 桃がおもむろに立ち上がり、椅子に座ったままの俺に近づいてきた。香水もつけていないのに、その身体から甘いような香りが仄かに立ち昇る。
「先生、眼、つぶって」
「・・・なんで?」
「いいから。私がいいって言うまで眼、閉じてて。動かないで。お願い」
 俺は迷った。このまま言いなりになるのはマズいのでは、という理性が働いていた。それでいて、このまま言いなりになってみたい強い欲求に揺り動かされた。
 今日は桃にことごとく押し切られている。教師がこんな腰抜けで良いわけがない。でも今日は桃の誕生日なのだし、今は夏休みだし・・・。そんな無意味な言い訳が頭の中をぐるぐる回り、気付けば俺は桃の言う通りに両の眼を閉じていた。

「・・・何する気だ?」
 俺は面白がっているような声で尋ねたが、実際はなんとも言えない緊張を感じていた。
「いいから、待ってて。まだ見ちゃダメ」
 桃が狭い室内を歩く音がする。やがて俺のすぐ近くに戻ってきたと思うと、いきなり何か細長い物を俺の顔に巻き付けた。目隠しをされているのだと気付いたときには、後頭部でギュッと結び目が作られていた。

「おい・・・!何だこれ?」
「ふふ。先生のネクタイ、借りちゃった。ごめんなさい、痛くない?まだ、動かないでね」
 心臓が勝手に騒ぎ始める。桃はいったい何をしようとしているのか。視界を遮られただけで、訳もなく不安になる。別にこんな目隠しなど手で掴んで取ってしまえばいいのだが、俺はその動作すらできずにいた。桃に逆らってはいけない気がしたからだ。今は、桃の言う通りにしてやらなければいけないような。

「先生、怖がらないで。大丈夫だから、じっとしてて」
「いや、怖くはないけどな。・・・なあ、これって・・・、えっ?!」
 今度はもう一本のネクタイで両手首を縛られた。さすがにちょっとこれはどうなのかと慌てる。
「痛いこととかしないから、平気よ、先生。そのままでいて」
 視界を覆われ、手の自由を奪われ、桃の甘い澄んだ声と吐息が耳をくすぐる。自分の息が浅くなるのを感じて、俺はゴクリと唾を飲んだ。

「なあ、早瀬・・・。これ、冗談にしてはキツ・・・」
 言い終わる前に、何かで口を塞がれた。
 柔らかくて温かくて、少し甘いソーダ水の味がする。重ねられているそれが桃の唇だと分かった途端、俺の身体の芯がカッと熱くなった。

 俺は今、教え子にキスされていた。

 桃は俺の肩に手を置いてバランスを取るようにしながら、ぎこちない様子で俺に唇を重ね続けた。
 どう唇を動かせばいいのかも分かっていないような幼さの一方で、その柔らかい感触はゾクゾクするほど『女』だった。俺は反射的に縛られた両手を浮かせた。思わず桃の腰に手を伸ばしてしまいそうになったのだ。
 落ち着け。冷静になって、この子の身体を引き離せ。上手に諭して、間違いに気づかせてやれ。
 そう頭の中で警鐘が鳴っているのに、本能が抵抗していた。椅子に押さえつけられたまま桃のくちづけを受け止め、その甘い唇から時折漏れる恥じらうような吐息にあおられる。
 下腹部に血液が集中する感覚に、俺はいよいよこのままでは不味いと焦った。

「早瀬・・・。ダメだよ、こういうのは・・・」
 なんとか唇をずらし、説得力のない情けない声を出す。桃が両手を俺の頬にそっと当てた。夏なのに、ひんやりと冷たい指先が気持ちいい。俺が今すべきことは、この手を押し戻して、叱って、この子を家に帰らせることなのに。
「先生・・・、私・・・」
 桃はもう一度俺に唇を押し当ててきた。さっきよりもっと強く、角度も深かった。
 頭の中が沸騰しそうになる。唇が濡れて、唾液が口内に入ってくる。俺は不覚にも荒い息を漏らし始めた。

 桃の身体が更に近づく気配。俺はますます追い詰められた。桃の太腿と思われる感触が、俺の腿の外側に擦れる。
 身じろぎする音。桃が俺の両脚の上に、またがるようにして腰を下ろした。

「おい・・・、ダメ、だって・・・」
 桃に乗っかられた下半身が、情けないほど簡単に反応しようとしている。
 桃はキスをやめようとしない。俺は言葉だけで抵抗しながら、桃の舌がどうしようもなく欲しくなって息を吸い込んだ。
 開いた口の隙間で、どちらからともなく濡れた舌先が触れ合う。いや、舌を伸ばしたのはたぶん俺の方だ。ちゅくっ、と湿った音を立てた二つのそれは、もうどんな言い訳も意味を成さないほどにあっという間に一つに溶けあった。

 目隠しされていて良かったのかもしれない。きっと今の俺は、ひどくだらしない顔をしている。
 ジーンズ越しに感じる桃の太腿の感触に溜息が漏れ、行き場のない縛られた手首がプリーツスカートの裾にくすぐられて気が遠くなりかけた。

「先生・・・。まだ、動かないで」
 ようやくキスをやめた桃が、俺の唇を指先でそっと撫でた。その指を舐めたい衝動をグッと堪える。
 俺は何も答えられないまま、自分がどう行動すべきなのか必死で頭を巡らせていた。なのに何も浮かんでこない。頭が真空状態になったかのようだ。
 ネクタイで隠された暗闇の向こうで、何か衣擦れのような音がしていた。俺の脚の上で、桃の身体が不安定に揺れる。そのたびに太腿を刺激され、俺の股間は今や苦しげにジーンズを押し上げていた。桃に気付かれたくなかったので、縛られた両手で硬くなっている部分を覆い隠したがきっと無意味だったろう。

 突然、何か柔らかい物を顔に押し当てられた。一瞬息ができなくなる。
「ん・・・・!」
 鼻先が柔らかさに少し埋まり、すべすべした感触に身体じゅうの血が逆流した。
 桃が俺の頭を両手で抱きかかえるようにして、自分の裸の胸を押しつけていた。

 大きくはないが、信じられないくらいなめらかで瑞々しいふくらみが、俺の鼻や頬、そして唇を優しく包みこんでいる。
 こんなことが許されるわけがない。でももう無理だ。限界だ。
 俺は早瀬桃の乳房を食べたくてたまらなかった。
「・・・先生」
 尖ったつぼみを唇にそっと当てがわれ、目隠しの中の視界が真っ赤に染まった。


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