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1泊目 優しい嘘はお嫌いですか?
第5話 亀裂
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《椎名悟視点》
俺はたぶん、昔から少しだけ舐められやすい。
他の子たちよりも身長の伸びが悪く、小柄だからだろうか?
だから、当時小学4年生だった俺は、近所に住む一つ上の学年の悪ガキ達に毎度のように囲まれていて――
「こらあんた達! またさっくん苛めて! 覚悟しなさい!」
――だから、新品のセーラー服に身を包んで、それでも男子顔負けの迫力でいじめっ子達を追い払ってくれるゆい姉は、俺にとって憧れだった。
ゆい姉は、昔から仲の良いご近所さんの1人娘だ。
ご近所と行っても、互いの家は2キロも離れている。親同士が知り合いだから、頻繁に会っているうちに仲良くなった関係だ。
長い黒髪に、色白な肌。
優しげな顔つきなのに、俺を助けてくれるときは、キリッとしていて――
最初は、ヒーローみたいでカッコいいなと、そう思った。
段々と、時折見せる女の子らしい表情に、心をほぐされるときが増え。同じ表情を、別の誰かに向けているのを見ると、すごくもやもやして。
ゆい姉から漂ってくる甘い香りにドキドキして。
――憧れから恋へ。それを自覚するのに、さして時間はかからなかった。
でも、思いを伝えることはできなかった。
それはたぶん、今の関係性が変わるのが怖くて。もし、憧れの相手に否定されてしまったときの自分を、想像するのが怖くて。
――だから。
俺が中学生になり、ゆい姉が高校生になってしまうまで、時の流れを許してしまった今。今日のことは、意気地無しな俺への罰だったんだろう。
「私ね、好きな人ができたの」
いつものように、進展のない楽しい時間を過ごしにゆい姉の家へ行った俺は、文字通り固まってしまった。
「え? 好きな人……?」
「うん、そう。好きな人」
微笑んでそう反芻するゆい姉。
その笑顔を見ていられなくて、俺は目を逸らす。だから――ゆい姉の綻ばせた唇が、微かに震えていることに、俺は気付けなかった。
「そ、そうなんだよかったね」
掠れた声で、なんとかその言葉を引っ張り出す。
なんとか、自分の気持ちを押し殺したまま伝えられた。正直、この瞬間の俺は後生に誇ってもいいことだと思う。
でも――隠してしまったから。
「ありがとう。それでその人はね、半年くらい前に、私がおばあちゃんの家に帰ったときに会ったの」
呆然と、その場で立ち尽くすことしかできない俺の前で、ゆい姉は言葉を続けた。
――やめて。
「喫茶店に寄ったときに偶然会ったんだけどね。すごく優しい人で、私よりちょっと年上なんだけど、すごい大人びてて」
――やめてくれ。
俺は、奥歯が割れそうな程に歯を噛みしめる。
聞きたくなんてなかった。
憧れの人の――自分が恋い焦がれる相手の、好きな人の話なんて。
愛おしい声で、知らない相手の好きなところを聞かされるなんて、一体どんな罰ゲームなんだ。
そして――思考がグラグラと揺れる俺に気付かず、どこか心ここにあらずといった表情で話をしていたゆい姉は。追い打ちを掛けるように、その一言を告げた。
「だから私――その人の近くで過ごしたいなってずっと思ってて。だから、私思い切っておばあちゃん家に住むことにしたの」
「っ!」
思考に、空白が生まれた。
半年前におばあちゃんの家に行ったときに意気投合した年上の相手。
その人の近くにいるため、この街を――俺の側を離れることを決めた。
それは、その人のことが好きだから――
好きな人がいるというだけでも受け止めきれないのに、次々と明かされていく聞きたくない真実。
だから俺は、僅かな希望の糸に縋ろうとした。
「いつ、引っ越すの……?」
俺は、祈るような気持ちでゆい姉に問う。
まだ大丈夫だ。彼女がここを離れてしまうまで、まだしばらくの猶予があるのなら。それまでの間に、思いとどまらせることができるかもしれない。
彼女の祖母には何度も会っていて仲が良いし、結託して彼女を止めてもいい。
そんな半年やそこらしか付き合いのないヤツなんかに、負けてたまるか。
遅すぎる決意を固め、彼女の返答を待つ。ゆい姉は、悲しそうな顔をしていた。大好きな人に会えるのに、思い詰めたような顔で、ゆい姉は言った。
「……明日」
俺はたぶん、昔から少しだけ舐められやすい。
他の子たちよりも身長の伸びが悪く、小柄だからだろうか?
だから、当時小学4年生だった俺は、近所に住む一つ上の学年の悪ガキ達に毎度のように囲まれていて――
「こらあんた達! またさっくん苛めて! 覚悟しなさい!」
――だから、新品のセーラー服に身を包んで、それでも男子顔負けの迫力でいじめっ子達を追い払ってくれるゆい姉は、俺にとって憧れだった。
ゆい姉は、昔から仲の良いご近所さんの1人娘だ。
ご近所と行っても、互いの家は2キロも離れている。親同士が知り合いだから、頻繁に会っているうちに仲良くなった関係だ。
長い黒髪に、色白な肌。
優しげな顔つきなのに、俺を助けてくれるときは、キリッとしていて――
最初は、ヒーローみたいでカッコいいなと、そう思った。
段々と、時折見せる女の子らしい表情に、心をほぐされるときが増え。同じ表情を、別の誰かに向けているのを見ると、すごくもやもやして。
ゆい姉から漂ってくる甘い香りにドキドキして。
――憧れから恋へ。それを自覚するのに、さして時間はかからなかった。
でも、思いを伝えることはできなかった。
それはたぶん、今の関係性が変わるのが怖くて。もし、憧れの相手に否定されてしまったときの自分を、想像するのが怖くて。
――だから。
俺が中学生になり、ゆい姉が高校生になってしまうまで、時の流れを許してしまった今。今日のことは、意気地無しな俺への罰だったんだろう。
「私ね、好きな人ができたの」
いつものように、進展のない楽しい時間を過ごしにゆい姉の家へ行った俺は、文字通り固まってしまった。
「え? 好きな人……?」
「うん、そう。好きな人」
微笑んでそう反芻するゆい姉。
その笑顔を見ていられなくて、俺は目を逸らす。だから――ゆい姉の綻ばせた唇が、微かに震えていることに、俺は気付けなかった。
「そ、そうなんだよかったね」
掠れた声で、なんとかその言葉を引っ張り出す。
なんとか、自分の気持ちを押し殺したまま伝えられた。正直、この瞬間の俺は後生に誇ってもいいことだと思う。
でも――隠してしまったから。
「ありがとう。それでその人はね、半年くらい前に、私がおばあちゃんの家に帰ったときに会ったの」
呆然と、その場で立ち尽くすことしかできない俺の前で、ゆい姉は言葉を続けた。
――やめて。
「喫茶店に寄ったときに偶然会ったんだけどね。すごく優しい人で、私よりちょっと年上なんだけど、すごい大人びてて」
――やめてくれ。
俺は、奥歯が割れそうな程に歯を噛みしめる。
聞きたくなんてなかった。
憧れの人の――自分が恋い焦がれる相手の、好きな人の話なんて。
愛おしい声で、知らない相手の好きなところを聞かされるなんて、一体どんな罰ゲームなんだ。
そして――思考がグラグラと揺れる俺に気付かず、どこか心ここにあらずといった表情で話をしていたゆい姉は。追い打ちを掛けるように、その一言を告げた。
「だから私――その人の近くで過ごしたいなってずっと思ってて。だから、私思い切っておばあちゃん家に住むことにしたの」
「っ!」
思考に、空白が生まれた。
半年前におばあちゃんの家に行ったときに意気投合した年上の相手。
その人の近くにいるため、この街を――俺の側を離れることを決めた。
それは、その人のことが好きだから――
好きな人がいるというだけでも受け止めきれないのに、次々と明かされていく聞きたくない真実。
だから俺は、僅かな希望の糸に縋ろうとした。
「いつ、引っ越すの……?」
俺は、祈るような気持ちでゆい姉に問う。
まだ大丈夫だ。彼女がここを離れてしまうまで、まだしばらくの猶予があるのなら。それまでの間に、思いとどまらせることができるかもしれない。
彼女の祖母には何度も会っていて仲が良いし、結託して彼女を止めてもいい。
そんな半年やそこらしか付き合いのないヤツなんかに、負けてたまるか。
遅すぎる決意を固め、彼女の返答を待つ。ゆい姉は、悲しそうな顔をしていた。大好きな人に会えるのに、思い詰めたような顔で、ゆい姉は言った。
「……明日」
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