ようこそ、宿屋「お天気うさぎ」へ

果 一

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1泊目 優しい嘘はお嫌いですか?

第6話 逃げ出したって仕方ない

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「あし、た……」

 その言葉に俺は、自分の耳を幾度となく疑った。
 だが、「明日」という単語に、それ以上の意味はない。太陽が地平線に落ちて、また昇ってきたときが、タイムリミット。

 俺の儚い希望は、粉々に砕け散った。
 焦り、重い腰を上げて固めた決意は、やはり遅すぎたのだ。彼女の思いには、周回遅れで追いつけないくらいに。

 そのとき、俺の中で必死に堪えていた何かがぷつんと切れる音が聞こえた。

「……なんで、急に行っちゃうんだよ」
「急な話で、本当にごめんね。でも、私は好きになった人がいて、彼を支えたくて――」
「好きになった人って、そんな顔も名前もしらないヤツを追いかけたいなんて言われても、納得できねぇよ!」

 それは、やってはならない行為だった。
 目の前にいる相手に「好き」の一言も告げられない臆病な自分が、一番大切に思っている相手の思いを否定するなんて。
 でも――

「俺……達を残して、1人だけ行くのかよ! ズルいだろ、そんなの」

 もう限界だった。耐えられなかった。
 今この瞬間、この世界で俺が一番惨めな気がした。
 単なる八つ当たりだとわかっていても、やるせない思いが言葉となって溢れてしまう。

 目の前にいるゆい姉は、押し黙ったままだった。
 突然の激高の意味を受け、わけもわからず硬直しているみたいだった。

「ソイツのことだって! さっきから聞いてれば、好きだとか支えたいとか、それだけじゃないか! 俺はそんな相手に……そんなヤツに!」

 そんなヤツに、俺は負けたのか。
 名前も教えてくれない。ソイツが何をしているヤツで、どんな人間なのかも。勿論、聞いていたら聞いていたで耐えられなかっただろうが。

 感情がぐちゃぐちゃだった。
 脈絡もないことを口走り、意味の無いことに怒り狂い、好きな相手を困らせている。
 そんなことはわかっている。わかっているけれど、わかっていることと相手に配慮できるかはまた別に話だ。

「さっくん……」

 どこか悲痛な面持ちで俺に手を伸ばすゆい姉。
 カチンときた。
 自分は幸せになりに行くくせに。そんな、心の底から悲しんでるみたいな顔で俺を見るな。見ないでくれ。

「やめてよ!」
「っ!」

 乾いた音が響き、一泊遅れてゆい姉が息を飲む。
 彼女が伸ばした手を、俺が払いのけていた。

「幸せになりに行くんだろ! だったら、俺なんかほっといて勝手に行っちまえよ!」

 そう一方的に吐き捨てて、俺は踵を返してゆい姉の家を飛び出した。
 
「さっくん!」

 後ろから、自分を呼ぶ愛しい声が聞こえる。
 でも俺は耳を塞いで、ただひたすらに走り続けた。
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