ようこそ、宿屋「お天気うさぎ」へ

果 一

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1泊目 優しい嘘はお嫌いですか?

第8話 感情なんかグチャグチャで

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「やっぱり、聞こえていたのね」

 ゆい姉のお母さんは、バツが悪そうな、それでいて悲しそうな顔をした後、

「本当の事よ。悟くんには、辛いと思うけれど」

 そう答えた。
 信じたくはなかった。ゆい姉のお婆ちゃんの容態が芳しくないというのもそうだし、何より。それが本当なのだとしたら。

「じゃあ、ゆい姉が言ったのはなんなんだよ。好きな人ができたから、近くにいたくて引っ越すんだって言ってたのは……」
「! あの子がそんなことを……」

ゆい姉のお母さんは少しだけ驚いたあと、「でも、そうね」と何かに納得したように頷いた。

「あの子がもしそう言ったのなら、あなたに傷付いて欲しくなかったってことじゃないかしら」

 それが、全ての答えだった。
 ゆい姉は、好きな人のところに行くんじゃない。そんなのは嘘で、だからあのとき、俺の神経を逆なでした「好きな人」は、名前も魅力もわからない薄っぺらな虚像でしか無かったのだ。
 本当の理由は、祖母が危篤だから。それを、彼女のお婆ちゃんと仲が良かった俺に悟らせないように、気を遣って嘘をついた。ただ、それだけの話。
 だから――

「ふざ、けんな」

 ふつふつと、怒りがこみ上げてくる。
 俺に気を遣うなら、もっと違った方法があったはずだ。なのに、よりによって選んだ嘘が、好きな人ができた?
 そんなの、なんの気休めにもならない。むしろ、俺にとっては一番触れられたくない逆鱗だ。

「っ! 悟くん!?」

 慌てたようなゆい姉のお母さんの声を置き去りに、俺は踵を返して掛けだしていた。
 一度は入った家の玄関を飛び出し、暗くなりつつある世界へと飛び出す。

「なんで、そんな嘘をつくんだよ!」

 自分は大丈夫だから、心配しないでと言いたかったんだろう。
 それがわからないほど、俺はゆい姉と長い時間を共に過ごしていない。でも――受け入れられる嘘じゃなかった。
 だって、俺の前で「好きな人」の話題を出して安心させようとしたのは。俺が、男の子としてそういう対象に見られていないからではないのか?

「全部、ゆい姉のせいだ!」

 今俺がみじめなのも。張り裂けそうなほどに胸が痛いのも。
 余計な嘘で俺を騙そうとしたゆい姉のせいだ。あんなことを言った、ゆい姉が悪いのだ。
 
 悲しみを怒りで誤魔化し、俺はアスファルトに八つ当たりするように踏みしめて走り続ける。
 走って、走って、走り続けて――それが、俺の気持ちを誤魔化してくれるのになんの手助けもしてくれないとわかった頃、俺は自然と足を止めていた。

「……ちくしょう!」

 悪態だけが、すっかり日の沈んだ夜に溶けて消えていく。
 俺は、胸に泥を詰め込んだような息苦しさを抱えたまま、静かに元来た道を引き返した。

 帰って、一体何をするのかもわからないまま、真っ暗な道を歩く。
 やがて帰り着いた家の玄関から漏れる明かりを見ながら、俺の行く先も照らしてくれたらいいのにと、そんな益体もないことを思いながら玄関のドアノブに手を掛け――

「……え? 俺、なんで……ここ、?」

 ――玄関の扉の先は、知らない場所だった。
 どこかレトロな雰囲気のお店――というか、宿屋みたいだった。そのカウンターに、2人の男女がいた。

 1人は、長身痩躯で糸目な、優しそうな若い男。
 そしてもう1人は、感情の読めない瞳を揺らす、ボブカットの小柄な少女。

「いらっしゃい。ようこそ、宿屋「お天気うさぎ」へ。ご宿泊は、1名様ですか?」

 動揺する俺に、ボブカットの少女が、作り笑いを浮かべてそう言ってきた。

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