ようこそ、宿屋「お天気うさぎ」へ

果 一

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1泊目 優しい嘘はお嫌いですか?

第9話 本音なんかじゃ終わらせない

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 《床波七海視点》

 砂嵐のようなノイズが、私の視界をコンマ数秒遮る。
 その次には、今まで悟くんの視点で見えていた景色がセピア色に色褪せ、ゆっくりとフェードアウトしていく。
 後に残されたのは、上も下もない、辺り一面が真っ白な世界。
 その中心で、私は悟くんの過去を追体験した余韻に浸っていた。

「なるほど。これが、彼が抱えていたものですか」

 声がして横を見ると、同じく過去を見ていたオーナーが、神妙な面持ちで頷いている。
 人にはそれぞれ、後悔というものがある。どれだけ真っ当に生きても――いや、真っ当に生きようとすればするほど、きっとそれに囚われるのだ。

 なら、今回の場合は?
 心の表面を怒りで覆った悟くんの抱えている“後悔”は、一体何なのか。
 その答えは――

「彼の口から、聞くとしましょう」

 不意にそう言って、オーナーは後ろを振り返る。
 私もまた、オーナーに続いて後ろを振り返った。

 何もない、空白が続くだけの精神世界。
 そこに、精神世界の主がいた。即ち、椎名悟本人が。

「あれ? ここは……?」

 悟くんは、キョロキョロと辺りを見まわしている。
 そんな悟くんへ、オーナーは優しげに微笑んでから、

「ここは、第二の部屋――寝ている間、お客様の意識が存在している場所です」
「意識が存在してる?」
「はい。僕は今、深い眠りの中にあるあなたの意識に、直接干渉しているんです。だから、そちらからすると、会ったばかりの人間が出てくる妙にリアルな夢を見ている、といった具合でしょうか」

 困惑顔の悟くんへ、オーナーは淡々とした口調でそう告げた。
 第一の部屋は、その人の過去を見るもの。
 第二の部屋は、その人と夢の中で干渉するもの。
 この二つの部屋の違いは様々あるが、一番大きなものは、その人の意識に干渉できるか否かだ。

 だから、第二の部屋は対話室なのだ。過去を知った相手の心を紐解くための。

「単刀直入にいきましょう。あなたは、ゆい姉に対して謝りたいことがある。違いますか?」
「なっ!」

 不意にオーナーの口から放たれたその言葉に、悟くんは目を見開いた。
 その感情は、起こったことを把握していることへの驚きと、そして――ズキリという、胸の中心を刺すような痛みだった。
 
 まるで、悟くんの心情がわかるような口ぶりだが、知ったかぶっているわけじゃない。
「うん、わかるよ。全部わかってる」とかなんとか、わかってないくせにとりあえず寄り添っとく系の彼氏とは違う。
 本当に、彼の心が伝わってくるのだ。

 だってここは、他ならない悟くん自身の精神世界なのだから。

「そんなわけ、ないだろ! 謝るのは、ゆい姉の方じゃないか!」

 それでも、悟くんは自分の胸の痛みを必至に誤魔化すように吠えた。
 
「だって、勝手すぎる! 俺に気を遣いたくないからとか、それであんなこと言うなんて……なんで、あんな言い訳をしたんだよ!」

 怒りが、私の胸に流れ込んでくる。
 突然に訪れた理不尽と、思い人から意識されていなかったんじゃないかという懸念と、その他諸々の思いが。すべて、怒りとなって放たれる。
 その怒りはすべて、自分を裏切った思い人に対するもの――

「ちくしょう! 言い訳なんてされなきゃ……俺は、!」

 絞り出すように放たれたその言葉は、紛れもなく、悟くん自身に対して向けられたものだった。
 つー、と。透明な筋が、悟くんの頬を伝う。

「俺、言っちゃったんだよ……ゆい姉に「幸せになりに行くんだろ、だったら勝手に行っちまえよ」って……」

 一筋だった涙は、反対側の目からも溢れる。
 一度溢れ出した涙は、もう止まらない。大雨で崩れた堤防が、水をせき止める能力を失うように。
 悟くんの言葉に嗚咽が混じり、それでも涙と独白は止まらない。

「ゆい姉は、幸せになりに行くんじゃなかった。大変なことがあって、一番辛いのはゆい姉のはずなんだ。お婆ちゃんが心配で、せっかく作った友達ともお別れしなくちゃいけなくて!」

 ――夢に理性なんてものは効かない。
 本音と建前を使い分けて生きている人間が、唯一裸になる場所が無意識下の精神世界だ。
 なればこそ、この場にいる彼は、胸の内に秘めた思いを隠せない。

 日頃気持ちに蓋をしていようが、この場所はすべてを暴き出す。
 人は。他人を欺くことはできても、自分を欺くことはできないのだから。

 悟くんの心は、自分の不甲斐なさへの怒りで満ちていた。
 自分を裏切って、1人だけ幸せになろうとしていた人は。不幸のどん底にいながら、最後まで自分を気遣っていた。

「なのに俺は、自分がこの世で一番不幸な人間だって顔をして……ほんとうに辛いのは誰だよ、バカ野郎!」

 仕方ないのかもしれない。
 好きな人にあんなことを告げられて、精神がまだ未熟な中学1年生に「取り乱すな」なんて言う方が酷な話だ。
 でも、どんな事情があれ、言ってしまったのなら――

「これから、謝りに行かれるのですか?」

 目の前で打ちひしがれる1人の少年に、私は問いかける。
 少年は泣きはらしてウサギのように真っ赤になった目で私を見て、

「謝ったら……許してくれるのかな?」
「さあ、それは神のみぞ知るといったところでしょうか」

 私の歯に衣着せない答えに、すがるような目を向けていた悟くんの顔が強ばる。
 彼は、私達に本音を聞かせてくれた。ならば、私達も本音でそれに答えねばなるまい。だからこれは私の嘘偽りない本心。
 ただし――

「悟くんは、どうしたいんですか? 許してほしいから謝るのか。とりあえず後腐れないように社交辞令的に謝って楽になりたいのか。それとも――大切な人を傷つけたままでいたくないから、謝るのか」
 
 ――傷つけるための本音なんかじゃ、終わらせない。

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