寵愛のテベル

春咲 司

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香鶯祭3

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 それは不思議な感覚だった。
 一年前は体が強張って綺麗に回れなかったターン、足がもつれて上手く踏めなかったステップ。それが今はどうだろう。体は羽根のように軽くて、ターンも鮮やかに決まった。ステップは流れるように踏むことができる。
 そして一つ一つが綺麗に決まるごとに、ルドルフは優しく微笑んでくれる。
 気付けば二人の周りには人垣が出来ていた。刺すような視線は羨望に変わり、心ない言葉の雨も止んでいる。

 ふと、視界に夜光蝶がかすめる。
 その瞬間、ハーミヤは自分が蝶に思えた。ルドルフという月光花に吸い寄せられた夜光蝶。丁度今日のドレスは蒼だったので、なおさらそんな気がしてならない。だけどきっとルドルフでなければ、自分はきっと輝けないだろうと思った。

「ルドルフ、私今とても楽しいです」

「私もです」

 ハーミヤはいつの間にか声を上げて笑っていた。心の底からこんなに楽しさが込み上げてきたのはいつ以来だろう。
 もうすぐ曲が終わってしまう。まだ踊っていたい、終わらないでほしい、そんな気持ちになったのは初めてだった。

 やがて音が消え、二人は静止する。ルドルフと向かいあったままお辞儀をし合うと同時に周りから盛大な拍手が送られた。皆一様に笑顔だった。ワルツを踊りきった二人は周囲から沢山の賛辞を受けた。
 呆然と立ち尽くしていたハーミヤの頬を涙が伝う。何故なのかはわからない。自然と流れたものだった。ルドルフはそれをただ黙って優しくすくった。

「ルドルフ、あの、もう一曲踊ってくれませんか?」

 ハーミヤは屈託無く笑いながら隣に立つルドルフを見上げる。その言葉にルドルフは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
 しかしそれも直ぐに柔和な表情に変わる。

「貴女がそう望むのであれば、何曲でもお相手致します。ですが……」

「きゃっ」

 ルドルフはハーミヤを軽々と抱き上げると、彼女の足を見つめた。

「怪我をなさっているのであれば話は別です」

 ハーミヤも慌てて確認すると、確かに足の指と踵が擦り剥けて血が滲んでいた。履き慣れないヒールでできた傷だった。ハーミヤは踊りに夢中で、指摘されるまで全く気が付かなかった。
 自覚した途端にヒリヒリと傷が痛み出す。一曲しか踊れなかったのは残念だが、諦めるほかになさそうであった。

「あの、私行きたいところがあるのですが、連れて行ってくれますか?」

「もちろんです。でも足の手当てが先ですよ」

 ルドルフはそう言うと城内に向かって歩き出した。すると周囲の人垣が割れて道ができた。その中をハーミヤは抱えられながら後にした。

「やっぱり、ここからならよく見える」

 北塔最上階の窓からハーミヤは外を眺める。そこからは舞踏会の様子がよく見えた。
 人垣が二つほど出来ていて、一つはランズールとクレアのペア。もう一つはフレイアと壮年の男性のペアのようだった。

「特等席ですよ、ルドルフ」

「ハーミヤ様、まずは手当てをしませんと」

 はしゃぐハーミヤの後ろ姿にルドルフは声をかけた。
 言われて足を怪我していたことを思い出したハーミヤは、部屋の中央にある長椅子に座った。石造りの椅子はひんやりと冷たいが、それが今は心地良かった。
 ルドルフは目の前に膝をつくと、失礼します、と声を掛けてハーミヤの靴を脱がせると、擦りむけた足を消毒して、手早く白い包帯を巻いた。
 ハーミヤは手当ての終わった足に触れる。この足が先ほどまでステップを踏んでいたと思うと、感慨深かった。

「私、今日は本当に幸せでした。ダンスがこんなに楽しいなんて思ったの、凄く久し振りな気がします」

 ハーミヤが笑い掛けると、ルドルフは顔を綻ばせた。

「私もです。やっと貴女の心からの笑顔が見られましたから」

 月明かりに照らされてルドルフの銀の髪が輝く。その美しさに吸い寄せられるように、ハーミヤは彼の髪を撫でた。

「ルドルフの髪の色ってとても綺麗ですよね。瞳の色も。他の誰も持っていない特別な色。私は好きです」

 ハーミヤがそう述べると、ルドルフは一瞬驚いたような顔をして、淋しそうに微笑んだ。

「……ルドルフ、どうかしたんですか?」

「何故ですか」

「だって、なんだか泣きそうに見えます」

「私が、ですか?」

「はい」

 ルドルフは驚いた様子で聞き返した。
 だがハーミヤにはそう見えた。顔だけでなく声すらも、今はどこか元気がない気がした。
 ほんの少しの沈黙の末、ルドルフは口を開いた。

「昔、同じように私の容姿を褒めてくれる人がいました。その時のことを思い出してしまって」

 そう語るルドルフの目は、やはりどこか悲しげで、ここではないどこか遠くを見つめていた。

「大切な、人なんですか?」

 ハーミヤの問いにルドルフは頷く。
 それにほんの少しの淋しさを感じつつも、どんな人なのだろうと気になった。

「どんな人なのですか?」

 その問いにルドルフは悲しげな顔をした。
 だがその理由がハーミヤにはわからなかった。

「他者とは異なるこの姿を、気味悪がることもせず受け入れてくれた、優しい人でした」

 過去形のその言葉に、ハーミヤは僅かに疑問を抱いた。

「この容姿を見ればお分かりかと思いますが、私はこの国の生まれではないのです」

 ルドルフは静かな声で語り始めた。
 自分が隣国の小さな農村で暮らしていたこと。
 しかし村人の誰とも違う容姿を理由に、迫害されていたこと。
 少年時代にルドルフが経験した出来事は、ハーミヤの想像を絶するものだった。

 この二週間ハーミヤが見ていた限り、彼はこの国にとても馴染んでいた。だから容姿で辛い思いをした経験があることなんて思いもしなかった。

「ごめんなさい。私、嫌なことを思い出せて……」

 瞬きをすると、目に溜まっていた涙が堪えきれずに頬を伝った。

「もう昔の話です。だから泣かないでください。それに仕方がないことだったのです。人は自分とは違う存在に恐怖を抱くものですから」

 音もなく静かに涙を流すハーミヤに、ルドルフは言った。それから躊躇いがちにハーミヤの頬に触れると、優しく涙を拭った。

「でも、どんなに見た目が違っても、あなたもこの世界に生きる同じ人です。怖いことなんてなにもないのに」

 目を赤くしながらハーミヤが言う。そこには抑えきれない批難の色が滲んだ。

「ハーミヤ様のように思ってくれる人が、あの時の私の側には誰一人としていませんでした。ですが、出会ったんです。私を肯定してくれる人に」

「それが、あなたの大切な人?」

「はい。私は、その人を守る為に騎士になったのです」

 きっぱりとしたその言葉は、ハーミヤの胸に僅かな痛みを与えた。

「あなたにそんなに思われて、その人は幸せでしょうね」

「……そうなのでしょうか」

 精一杯の笑顔でそう言ったのに、ルドルフから返ってきたのは自信なさげな声だった。

「これは私の独りよがりな思いで、彼女と周囲を不幸にする行為でしかなかったのかもしれません」

「独りよがりだなんて、私はそんなことないと思います」

 気休めにしかならないかもしれないが、ハーミヤはそう言った。ルドルフは弱々しく微笑むと、目を伏せた。

「だけどそれを確かめる術もありません」

「何故?」

「彼女はもうどこにもいない。この世界のどこにも」

 ルドルフの静かな声が、石造りの壁に反響する。
 もはやハーミヤは掛ける言葉を失ってしまった。
 ハーミヤの頬を大粒の涙が伝う。止めどなく流れては、膝の上に組んだ手の甲に落ちていく。
 こんなに悲しいのは、彼の過去を哀れんだからなのか、それとも別に理由があるのか、ハーミヤにはわからない。

 だがルドルフがここではないどこか遠くを眺めていることに気付いた瞬間、ハーミヤは彼の胸に飛び込んでいた。
 ルドルフが息を呑むのがわかったが、ハーミヤは離れなかった。
 大切な人を守る為に騎士になったルドルフ。でも、その大切な人はもういない。なら今の彼に騎士でい続ける意味はあるのだろうか。
 恐ろしかった。いつかルドルフがここから去ってしまうかもしれないことが。そしてそんな風に思ってしまう自分の心が。

 外ではまだ舞踏会が続いていて、人々の楽しげな声が聞こえてくる。

「祭りの日にお聞かせするような話ではありませんでしたね。申し訳ありません」

 ルドルフはそう言うと、ハーミヤの肩に手を置いた。そして優しく引き離そうとする。

「お願い、離さないで下さい。これ以上、泣いている顔を見られたくありません」

 ハーミヤは顔を埋めたまま震える声で嘘を吐いた。
 本当は、逃げないように捕まえていたいだけなのに。
 しかしそれを言葉通りに受け取ったルドルフは、遠慮がちにそっとハーミヤを抱き締めた。

 窓の外、花火が上がる音がする。それは香鶯祭の終わりを告げる音でもある。
 美しい大輪の花が夜空に咲いても、ハーミヤは顔を上げられずにいた。
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