Ambitious! ~The birth of Venus~

海獺屋ぼの

文字の大きさ
35 / 50
DISK2

第三十四話 月を見上げる蟾蜍は怯えた顔で――

しおりを挟む
 高橋さんはまるで講談師のように話を続けた。

 ようやく鴨川月子と対面という場面だ。

 彼の話し方に俺はすっかり引き込まれていた。

『会議室に着いたときはさすがに興奮しましたね。敵地ですし、お話を伺っていた鴨川さんが目の前だったんですから……』


「おいでやす」

 僕が部屋に入ると彼女はそう言って出迎えてくれた。

 画面では見たけれど実物はさらに美しかった。

 本当に彼女は40オーバーなのだろうか?

 彼女の年齢を知らなければ20代にさえ見える気がする。

 《美魔女》という言葉はよく聞くけれど、彼女のために作った言葉ではないのだろうか?

 そう思ってしまうほどだ……。

 僕はいつも通り名刺を取り出して彼女と横にいる男性に手渡した。

 男性の方は『アフロディーテ』のベーシストのようだ。たしか名前は佐藤亨一。

「この度は時間とって頂き誠にありがとうございます! ご多忙とお聞きしていたので恐縮です」

「ほんまやで! こんなつまらんことで呼び出されるなんて迷惑な話や!」

「まぁまぁ、月ちゃん。せっかく話し合いの場が出来たんだからいいじゃない」

「ま! ウチは話し合うことなんか無いけどな!」

 なかなかだ。最初からこちらの要求を飲む気などさらさら無いらしい。

「いやー、せっかくお近づきになれたんですからお手柔らかにお願いします……。それはそうと1つお願いしてもよろしいですか?」

 僕は鞄から色紙とマジックペンを取り出す。

「なんやねん?」

「お仕事とはいえ、こうしてお会いできたのでサイン頂きたいと思いまして……。こんな近くで鴨川さんにお会いできる機会なんてありませんからねー」

「は? あんたアホちゃうんか?」

「いえいえ、仕事上では互いのメリットを探りたいところではありますが、正直お会い出来たこと自体はとても嬉しいのです。画面越しで見ただけでしたが、鴨川さんすごくお綺麗だし、会ったら絶対サイン貰おうと思ってたんです」

 僕は照れ笑いを装って彼女のサインが欲しくてたまらないような顔をした。

 彼女の顔を伺うと少しだけ顔が緩んでいる。

「ま、サインぐらいならえーやろ! 特別やで!」

「ありがとうございますー! 家宝にします!」

 彼女は慣れた調子で色紙にサインを書いた。

 メジャーアーティストはサインを頻繁に要求されるのか書き慣れている。

 ベーシストは彼女の横で穏やかな笑みを浮かべていた。

 しかし彼の目は欠片も笑っていない。

 どうやら彼は僕と同じ種類の人間のようだ。

 彼から強かな交渉人の匂いがした。

 もしかしたら『アフロディーテ』の要は彼なのかもしれない……。

「ほら! 書いたったで! 大事にしーや」

 僕は大事そうにサインを受け取ると机の端にそれを置いて、その流れで話を切り出した。

「いやー、本当に感激だなー。では本題に移らせていただきます」

 僕は今回の企画の趣旨を彼らに機械的に説明した。

 感情や熱意など一切込めず機械的に……。

「で? だからなんやねん? おたくらの事情なんか知らんよ?」

「ですが鴨川さん? 僕だって仕事でこのような企画をやっているのです。さすがに手ぶらでは帰れませんので」

「だーかーらー!! ウチはな! 『バービナ』に活動なんかさせとうないねん! そこまで調べとるんやったら分かるやろ!? あの子らにはこのまま干上がってもらうねん!」

「失礼ですが、音楽活動をするのは個人にしても企業単位にしても自由のはずです。本来、あなた方の事情に関係なく我々は『バービナ』の企画を進める権利があります」

「知ったことか!! ええか? ウチがないゆーたらないんや! お若いの!」

 鴨川月子はそう言うと酷く怖い顔になる。

 なるほど……。松田さんが言っていたのはこれのことか。

「どうしても弊社の妨害をなさる……。そうおっしゃるんですね?」

「妨害しとるんはお前やろ!? なんであの子らが売れるようなことしたがるんや? 意味わからん!」

 支離滅裂だ。自己中とかでは無い。とにかく、精神的にオカシイ。と思った。

「あの鴨川さん……。なんでそこまで彼らを妨害したがるんですか? 確かに彼らはあなたを裏切ったのかもしれない。だとしてもそこまで執拗に妨害工作をするのはあまりにも不条理です」

「あんな! あいつらは……。京極裏月はウチの顔に泥を塗ったんや! あれほど可愛がってやったのにウチの好意に唾を吐いたんやで! そんなクソガキ許すわけないやん!!」

 彼女は怒りに任せているのか口調が荒い。

 その上、机をバンバン叩く。

 それほどの怒りなのだろうか……。

 いや、違う。これは怒りなんかじゃない。

 この感情は……。

 そこから僕は鴨川月子の中にある感情の正体にある仮説を立てた。

 そして、普段なら絶対にしないこと……。営業マンとして見つけても決して触れないこと。それに触れると決めた。

 僕は地雷原で鬼ごっこをするような気分で彼女と向き合った。

「鴨川さん、あなたの怒りはよく分かりました。さぞ嫌な思いをされたのでしょう。でもね、本当に京極さんに抱いた気持ちは怒りですか?」

 僕の言葉に鴨川月子は急に表情を変えた。

 顔の筋肉が機能するのを止めたかのように表情が消えていく。

「お前何が言いたいんや?」

 彼女が強くあろうとしていることが手に取るように分かった。

 だが、どんなに強がろうとそこに現れた感情を隠すことは出来ないらしい。

 不思議なのは隣にいる佐藤というベーシストだ。

 僕がここまで彼女を追い詰めたというのにまるで助け船を出すつもりがないらしい。

 おそらくだが……。彼も鴨川月子のこのやり方には賛同しかねるのだろう。

 酷い男だ。優しそうにしていて実は欠片も優しくない。

 ただ、優しそうに見せるのが上手いだけだ。

「では申し上げます。鴨川さん、あなたは『バービナ』が許せないんじゃないですね? 僕が見た感じですが、彼らは才能があるアーティストだと思います。ほら、僕もプロモーションのプロの端くれですからね。それくらいは分かります」

「だから何が言いたい!? ええ加減にせんとほんま潰すぞ!!」

「もっと言えば、成功するアーティストだと思うわけですよ! 特に京極さんはあなたと比較してもかなりいい線まで来ている。このまま成長すればいつか『アフロディーテ』に追いつく……。いや、いずれ必ず追い越すでしょう」

「マジしばくで!? 殺したろうか? あー!?」

 ここまで来れば後は核心だ。

 ナイフを握って彼女の胸を一突きするだけ。

 それだけで死ぬ。

「そしてこれはあなたも感じていることだと思います。ですからはっきり申し上げます。あなたは怖いんだ。『バービナ』が成長してあなたに取って代わられるのが怖くて怖くてしょうが無いんですよ。だから怒りと理由を付けて彼らを妨害する。違いますか?」

 そこまで話すと鴨川月子は身を乗り出して僕の胸ぐらを掴んできた。

 既に会話が成立する状態では無い。

「ちょっと月ちゃん落ち着いて!」

 佐藤は鴨川月子を力で押さえつけたが、彼女は止まらなかった。

 胸ぐらを掴まれながら、僕はどうダメ押ししようか考えていた。

 どうしたらこの女を再起不能まで追い込めるだろうか?

「もっと言えば、その怖がっている様子を悟られたくないんですよね? 周りの人間にも世間にも決して悟られたくない。だってあなたは酷く怖がりの痛がりですもんね。僕にはあなたが今までどうやって生きてきたかはわかりません。正直知りたくも無いですし。でもね、少なくともあなたの周りの人間はあなたの本心に気づいているはずですよ? ねえ、佐藤さん?」

 僕はこのタイミングで押さえ込むのに必死な佐藤に話を振った。

 さすがの彼も僕に怒りを覚えたしれない。

「高橋さん……。申し訳ないですが、これくらいにしてくれませんか? これ以上はもう無理です」

「ですね……。では、良い返事を期待しておりますので……」

 僕は鴨川月子を放置してそのまま帰ることにした。

 僕が会議室を出るまっで彼女はありったけの罵詈雑言を浴びせてくれた。

 ありがたいことに――。


 そこまで話すと高橋さんは急にトーンを落とした。

『……。という訳で大変でした。あんなに罵声浴びせられたのは久しぶりでしたねー』

「なんか大変でしたね……。でもそれじゃまとめられなかったんじゃないですか?」

『ハハハ、別にその場で彼女を説得できるなんて思ってもいなかったですよ! ただ、材料を揃えに行っただけですから』

「材料?」

『ええ。いいですか松田さん? 交渉するために一番必要なものは材料なんですよ。交渉材料。今回の案件において僕はそれを持っていなかった。だから調達する必要があったのです』

 彼はもったいぶった言い方をした。いったいどういう意味だろう?

『僕はね。身を守るために常にテープレコーダーを携帯しています。特に、今回のようにバックに反社会的組織がいるような相手なら尚更です』

「まさか……」

『そうなんですよー。さっき話した会話すべて録音しておきました。彼女が馬鹿で助かりました。あそこまで罵詈雑言吐いてくれれば十分です。あとはこれを交渉材料に彼らに納得して貰えばいいだけですから。幸いなことに僕にはゴシップを扱う出版社の伝手がたくさんありますし、どこでもこんなスキャンダルは欲しいはずですからねー』

 俺は正直、高橋さんが怖くなった。そこまで織り込み済みだとは……。

「でも……。高橋さんは大丈夫なんですか? 鴨川月子のバックには……」

『それは心配に及びません。そっち関係のパイプもありますから』

 俺は彼に礼を言うと同時に恐怖に駆られた――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

処理中です...