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DISK2

第三十三話 煙と何とかは高いところが好き

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 テレビ局からの指定は意外とざっくりしていた。

 簡単に言えば『番組の雰囲気に合った楽曲を自由に作れ!』という内容だ。

 俺は業界に疎いからよく分からないけれど、ジュン曰くその程度のモノらしい。

 まぁ、担当者によってはうるさいことを言われるらしいが……。

 番組の内容は新社会人を応援するバラエティのようだ。

 ローカルタレントが新社会人に張り付いて、彼らの仕事を応援する……。といった感じの企画らしい。

 俺たちは楽曲作りと練習を並行して行った。

 俺もジュンも仕事が終わるとすぐにスタジオに直行した。

 七星は春から東京の大学に通うようで、それを理由にして彼は早めに都内で部屋を借ている。(だから練習には毎回参加していた)

 実際はウラの部屋に入り浸っていたようだが……。

『お世話になっております。新栄堂の高橋です!』

 顔合わせから1週間後、高橋さんから電話が掛かってきた。

「お世話になっております。先日はありがとうございました! 高橋さんその後、何か進展ありましたか?」

『いやー、なかなか手強かったですが、どうにかプロモーションの段取り組めそうです! お待たせして申し訳ないです』

「手強い? ですか?」

 いったい何が手強いのだろう?

『ええ、お話には伺ってましたがあそこまで面倒な女性はなかなか居ませんね! 広通さんもいくらドル箱だとしてもあんなの抱え込んでたんじゃ担当さん可愛そうだと思いましたよー』

 俺はそこまで聞いて高橋さんが何をしたのかを概ね把握した。

 おそらく彼は鴨川月子に会ったのだ。

「鴨川月子にお会いになったんですか?」

『はい、お会いしました。広通さん……。『アフロディーテ』にプロモーションしてる広告代理店さんですけどね……。から圧力が掛かりましてねー。あまりにも理不尽な要求だったので突っぱねてたら、彼女から直談判させろと弊社に連絡があったんですよ』

「それは大変でしたね……。お察しします」

 本当にお察しする。

『いえいえ、久しぶりに骨が折れる仕事でしたが楽しませて貰いました。たまには広通にも一泡食わせてやりたいですかねー』

 そう言うと彼は空気が抜けた風船のように笑った。

 特徴的な笑いだ。つられて笑いそうになる。

 彼の口調はどことなく百華さんのそれに似ている気がする。

 もしかしたら彼も北海道出身なのかもしれない。

 高橋さんは笑いながら、経緯を教えてくれた。

 予想通り、想定の範囲内のあの女の話を――。


『せやからゆーてるやろ! おたくらの『バービナ』担当者だしーな!』

 そんな感じで電話が掛かってきたようだ。

 僕は電話対応してくれた事務員に同情した。

 横目で対応している彼女を見ると受話器を持つ手が震えている。

 結局その場はどうにか納めて、折り返し電話するということで話が付いたらしい。

 さてどうしたものか……。

「お疲れー。クレーム対応ご苦労さん!」

「本当ですよー。なんですかあの女!? ヒステリーで延々とグチグチ言いたいこと言いまくって!」

「まぁ話は聞いてたよ! 相当なキチガ……。おっと失礼。変わり者らしいからねー」

 僕はわざと言葉を間違えてから訂正した。

 放送禁止用語を言いかけるのは実に楽しい。

「もー! 高橋さん担当なんだから早く電話代わってくれればいいのに! ずっとニヤニヤ私たちの会話聞いてるだけなんですもん!」

「まー、いーじゃないの! でもお陰で彼女がどんなタイプなのかわかりかけてきたよ……」

 僕はお詫びに缶コーヒーを買って彼女の机の上に置いた。

 安定と実績のボス・レインボーマウンテン。

 さて、鴨川月子をどう落とそうか?

 僕は思考を巡らせながら事務机に向かった。

 ネットで検索してみると彼女の画像が山のように表示される。

 正直な感想を言おう。

 彼女は芸能人のなかでもかなり上位にランクインするであろう美人だろう。

「ふーん、なかなかいい女じゃないっすかねー」

「何言ってんですか! 今からその女のことで対応するんでしょ!」

「そうなんだけどさ! ほら見てごらんよ! 画面で見るとかなりお綺麗だよ! もし歳が近いなら口説きたいくらいだ」

 僕の反応に事務員は呆れたのか、湯飲みを乱暴に置いてそのまま行ってしまった。

 若干、お茶が机にこぼれる。

 鴨川月子か……。会ってみたいな。

 僕は頭の中で彼女の攻略本を作成していった。

 交渉術こそこの世で一番の処世術だ――。

 手始めに『アフロディーテ』の所属事務所に電話した。

 どうにか鴨川月子に会えないか交渉するためだ。

 最初、渋っていた担当者も僕の同情するような態度に次第に鴨川月子に対する愚痴を言い始めた。

 ここまで来ればしめたものだ。

 そこからは相手が自分から罠に飛び込むのを待つだけでいい……。

 結局、担当者も面倒くさくなったのか僕と鴨川月子の商談をセッティングすると約束してくれた。

 本当に心から同情いたします――。


 高橋さんの話に俺は引き込まれた。

 その話し方、間の取り方は独特で蜜のように纏わり付く。

 営業スタンスは俺とはまるで違う。真逆と言っても良いかもしれない。

 彼はある意味、気持ち悪い能力を持っていた。

 頭の回転が速く、常に相手の思考の裏側を見透かす……。

 そんな特殊技能。

 彼は相手を気持ちよくさせるのも、イライラさせるのも得意なのだろうと思う。

『というわけで鴨川さんと話することになりましてね。そこからが大変だったんですが……』


 『アフロディーテ』にアポを取った日、僕は敵地へ乗り込んだ。

 彼らが僕を呼び出した場所はよりによって広通の本社だった。

 よりによって、だ。

 さすがに僕も広通の本社ビル前に立つと入るのに気が引けた。

 日本屈指の大(ブラック)企業。新入社員の墓場。

 弊社もブラックだから人のことは言えないけれど……。

 その巨大すぎるビルの正面玄関から中に入る。

 正面の自動ドアを潜ると、空調費だけでビルが建ちそうな吹き抜けが現れた。

 受付までたどり着けるか不安になるほどの巨大なエントランスだ。

「恐れ入ります。本日『アフロディーテ』様とアポイントメントを取らせていただいております。新栄堂の高橋と申します」

 僕はそう言うと受付に名刺を差し出した。

 受付の女性はにこやかに名刺を受け取ると口が裂けるほど口角を上げた。

 絵に描いたような営業スマイルだ。

 うちの事務員にも見習って貰いたい。(まぁ腹の中では「何しに来たこのボケ」と思っているかもしれないけれど)

 僕はエントランスのソファーで待つことになった。

 腰掛けたソファーは本革で弊社の応接室にある安っぽい合皮ソファーとはわけが違う。

 いや、自社批判はこれくらいで止めておこう……。

 数分後。

 先ほどの受付の女性が担当者を連れてきてくれた。

 受付の彼女は歩き方さえ美しく足下から花が生えてきそうだ。

「高橋様! 大変お待たせしております。では、ご案内いたします」

 僕は営業担当に案内され、エレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターは恐ろしくスムーズで逆に気持ちが悪くなる。

 40階。

 そんな高層階に鴨川月子は待っているようだ。

 煙と何とかは高いところが好きなのだろう……。

 40階に着くと僕は会議室に案内された。

 営業担当者は静かに会議室のドアを開く。

 開いたドアの先に念願の彼女の姿を見つけた。

 さあ、ここからが本番だ。
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