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夢を見ていた。
天蓋付きの柔らかな寝台。窓から差し込む穏やかな朝陽。そして、銀の盆に淹れたての紅茶を載せ、恭しく一礼する男の姿を。
『おはようございます、セト様。今朝の紅茶はダージリンでございます』
洗練された所作。塵ひとつない燕尾服。私のためだけに存在するかのような、完璧な執事。
それが、私の知る「日常」だった。
「……っ」
目を開けた瞬間、鼻をついたのは紅茶の芳香ではなく、カビと埃、そして焦げ付いたような煙の臭いだった。
セトは、硬い寝台の上で身を起こした。視界に広がるのは、羽毛布団ではなく薄汚れた毛布。壁には煤がこびりつき、窓は分厚い板で打ち付けられている。
ここは、私の屋敷の地下にある隠し部屋だ。いや、正確には「かつて屋敷だった瓦礫の山」の下と言うべきか。
「夢、か……」
セト・ローレンス伯爵。
王国の美しき至宝と謳われ、数日前までは栄華を極めていたその名は、今や最も忌み嫌われる「旧体制の象徴」となっていた。
革命が起きたのだ。
貧困に喘ぐ民衆と革命軍が王都になだれ込み、貴族たちを片っ端からギロチン台へと送った。私の家族も、友人も、皆殺されたか逃げ出しただろう。
私だけが、こうして薄暗い檻の中で生き恥を晒している。
ガチャリ、と重々しい金属音が響いた。
セトの肩がびくりと跳ねる。重厚な扉が開き、一人の男が入ってきた。
黒髪に、氷のように冷ややかな瞳。かつて私の夢に出てきた男と同じ顔。だが、その纏う空気はまるで別人だった。
「お目覚めですか、セト様」
クラウス。
幼い頃から私に影のように寄り添い、わがままな主人の命令を一つ残らず遂行してきた忠実な執事。
彼は盆をサイドテーブルに置くと、私を見下ろした。そう、見下ろしたのだ。かつては私の靴に額を擦り付けていた男が、今はあからさまな嘲笑を瞳に浮かべて立っている。
「……食事の時間です」
置かれたのは、具のないスープと硬いパン。
セトは唇を噛み締め、震える手でシーツを握りしめた。
「……私は、いらないと言ったはずだ」
「また我儘を。それでは死んでしまいますよ」
「死んだ方がましだ! こんな……裏切り者に飼われるくらいなら!」
セトは叫んだ。
そうだ、この男は裏切り者だ。革命軍が屋敷を包囲した夜、混乱に乗じて私をこの地下室へ連れ込み、監禁した張本人。
外では私の首に懸賞金がかけられているという。クラウスにとって私は、金貨の袋か、あるいは生かして嬲るための玩具でしかないのだろう。
クラウスは、セトの罵倒を聞いても眉一つ動かさなかった。
ゆっくりとベッドに歩み寄り、逃げようとするセトの顎を乱暴に掴む。
「ご認識が甘いようだ。……今のあなたは伯爵ではない。私の慈悲によって生かされている、ただの同居人です」
「はな、せ……っ!」
「外に出れば即座に処刑。ここにいれば、衣食住は保証される。……どちらが良いかは、賢明な元・当主様ならお分かりでしょう?」
至近距離で覗き込む瞳には、昏い欲望の火が揺らめいていた。
それは、長年仕えてきた主人に対する忠誠心などではない。ずっと手の届かない場所にいた獲物を、ようやく泥の中に引きずり下ろした捕食者の目だった。
セトは戦慄した。
この男は、革命などどうでもいいのだ。ただ、私をこの閉ざされた空間で独占することだけを望んでいる。
かつて私が鳴らせば飛んできた鈴の音はもう聞こえない。
ここにあるのは、終わりなき支配と、甘美な地獄への入り口だけだった。
天蓋付きの柔らかな寝台。窓から差し込む穏やかな朝陽。そして、銀の盆に淹れたての紅茶を載せ、恭しく一礼する男の姿を。
『おはようございます、セト様。今朝の紅茶はダージリンでございます』
洗練された所作。塵ひとつない燕尾服。私のためだけに存在するかのような、完璧な執事。
それが、私の知る「日常」だった。
「……っ」
目を開けた瞬間、鼻をついたのは紅茶の芳香ではなく、カビと埃、そして焦げ付いたような煙の臭いだった。
セトは、硬い寝台の上で身を起こした。視界に広がるのは、羽毛布団ではなく薄汚れた毛布。壁には煤がこびりつき、窓は分厚い板で打ち付けられている。
ここは、私の屋敷の地下にある隠し部屋だ。いや、正確には「かつて屋敷だった瓦礫の山」の下と言うべきか。
「夢、か……」
セト・ローレンス伯爵。
王国の美しき至宝と謳われ、数日前までは栄華を極めていたその名は、今や最も忌み嫌われる「旧体制の象徴」となっていた。
革命が起きたのだ。
貧困に喘ぐ民衆と革命軍が王都になだれ込み、貴族たちを片っ端からギロチン台へと送った。私の家族も、友人も、皆殺されたか逃げ出しただろう。
私だけが、こうして薄暗い檻の中で生き恥を晒している。
ガチャリ、と重々しい金属音が響いた。
セトの肩がびくりと跳ねる。重厚な扉が開き、一人の男が入ってきた。
黒髪に、氷のように冷ややかな瞳。かつて私の夢に出てきた男と同じ顔。だが、その纏う空気はまるで別人だった。
「お目覚めですか、セト様」
クラウス。
幼い頃から私に影のように寄り添い、わがままな主人の命令を一つ残らず遂行してきた忠実な執事。
彼は盆をサイドテーブルに置くと、私を見下ろした。そう、見下ろしたのだ。かつては私の靴に額を擦り付けていた男が、今はあからさまな嘲笑を瞳に浮かべて立っている。
「……食事の時間です」
置かれたのは、具のないスープと硬いパン。
セトは唇を噛み締め、震える手でシーツを握りしめた。
「……私は、いらないと言ったはずだ」
「また我儘を。それでは死んでしまいますよ」
「死んだ方がましだ! こんな……裏切り者に飼われるくらいなら!」
セトは叫んだ。
そうだ、この男は裏切り者だ。革命軍が屋敷を包囲した夜、混乱に乗じて私をこの地下室へ連れ込み、監禁した張本人。
外では私の首に懸賞金がかけられているという。クラウスにとって私は、金貨の袋か、あるいは生かして嬲るための玩具でしかないのだろう。
クラウスは、セトの罵倒を聞いても眉一つ動かさなかった。
ゆっくりとベッドに歩み寄り、逃げようとするセトの顎を乱暴に掴む。
「ご認識が甘いようだ。……今のあなたは伯爵ではない。私の慈悲によって生かされている、ただの同居人です」
「はな、せ……っ!」
「外に出れば即座に処刑。ここにいれば、衣食住は保証される。……どちらが良いかは、賢明な元・当主様ならお分かりでしょう?」
至近距離で覗き込む瞳には、昏い欲望の火が揺らめいていた。
それは、長年仕えてきた主人に対する忠誠心などではない。ずっと手の届かない場所にいた獲物を、ようやく泥の中に引きずり下ろした捕食者の目だった。
セトは戦慄した。
この男は、革命などどうでもいいのだ。ただ、私をこの閉ざされた空間で独占することだけを望んでいる。
かつて私が鳴らせば飛んできた鈴の音はもう聞こえない。
ここにあるのは、終わりなき支配と、甘美な地獄への入り口だけだった。
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