重なる月

志生帆 海

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14章

追憶の由比ヶ浜 15

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「じょうちゃん!」
「りゅ、流兄さん、その呼び方は……ちょっと」

 流兄さんに訴えると肩をグイッと組まれ、小声で囁かれた。
 
「へへへ、兄さんが俺のこと『りゅうちゃん』って呼んでくれたから嬉しくてな。だから俺も弟を可愛く呼んでやろうと思ったのさ。なぁ『じょうちゃん』あれ? お前の肌つやつやだな。何かいいことでもあった?」
「ちょ、ちょっと……やめて下さいよ」
「照れちゃって」
 
 流兄さん始終、上機嫌だった。さては離れの茶室で、翠兄さんとさぞかし良い時間を過ごせたのだな。それはそれで安堵するが。

 車から降りた時、翠兄さんは取り繕っていても……かなり情緒不安定なのが分かった。晒した感情をケアするのは、恋人である流兄さんの役目だ。だから全部任せたのだ。

 そういう私も、洋を抱いて……癒やして……仲睦まじい時間を過ごしたばかりなので上機嫌だ。

 それに『じょうちゃん』なら、さっき洋がいきなり呼んでくれた。

 いい歳をして「ちゃん」付けなど小っ恥ずかしいが、幼い頃、兄たちがよく甘味屋のおばあさんからそう呼ばれて、可愛がってもらっていたのを羨ましく思っていたのは事実だ。

 愛想がない子供だったので、近づけなかっただけで、私だって……仲間に入りたかった。

「丈……翠の傷痕の件……洋くんから聞いたか」
「はい」
「どうか……翠を頼む。なるべく目立たなくしてやってくれ、20年近く背負って来た苦しみから……もう解放してやってくれ」
「はい、頑張ります」

 流兄さんは、最後に真剣な声になった。

「はい、実は……私はここ数年『創傷外科治療』つまり『怪我』『傷』『傷痕』の治し方に関する知識・技術について学んでいたのです。だから一度翠兄さんをしっかり診察し、懇意にしている形成外科医と治療方法を考えてみたいと思います」

 兄の心臓の下の火傷痕は根性焼きの痕だった。

 私も流兄さんも洋も……皆、その傷の在処を知っていたが、見てはいけないもの……腫れ物のように扱って、ここまで来てしまった。

 翠兄さんが、水面下でそんなに苦しんでいるとは知らずに。

 私は洋と知り合ってから……いや、洋が義父によって深手を負ってから、人の内面と外面の傷に関心を持つようになったのだ。

 私の場合は外科医なので、目に見る傷を目立たなくする方法に対して、形成外科医とチームを組んで研修を続けていたのだ。まさかここで役立つ日が来るとは……これも縁なのだな。
 
「そうか、頼りにしているよ」
「あ……でもその前に海里先生の診療所に何か手がかりがある気がするので、洋と行ってきます」
「そうか、宜しく頼む」

 流兄さんが、頭を下げる。
 
「よして下さい。私にとっても大切な実の兄です」
「そうだな。俺は本当に丈が弟で頼もしいよ」
 
 翠兄さんに頼りにされ、流兄さんの役に立てる。そのことが不器用な弟の私には……心底嬉しかった。

「丈、良かったな」
「……洋のおかげだ」
「いや丈の人徳だよ」
「ふっ、洋は私を上機嫌にさせる天才だな」
「何年付き合っていると? 俺達は、この世だけじゃないよ! いろんな世で俺は……いつも丈の傍にいただろう?」
「あぁそうだな」

 洋の澄んだ瞳は、月を受け止める湖のようだ。

 輪廻転生という言葉を信じられるか――

 答えはYesだ。

 不思議な縁が何重にも絡まった出会いが、ここにある。

 翠兄さんも、洋と同じで悲しみに溢れた瞳で、月を見上げていた人だ。

 もう悲劇は繰り返さない。

 この世で終わりにする。

 だから力を合わせる。

 そのために……ここ、月影寺に集ったのだ。


 
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