重なる月

志生帆 海

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16章

天つ風 17

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「翠、似合っているぞ」
「流、これ……ちょっと若作りじゃないか」
「んなことない!」

 僕は流の見立てで、ブルージーンズに白いリネンの七分丈のシャツを着ていた。

 鏡に映る自分の姿に、どこか落ち着かない気分になってしまった。

「楚々とした翠には、やっぱりフレンチリネンの白シャツが似合うぞ」
「うーん」
「どうした?」
「いや、最近は和装が主になっているから、胸元がスースーして」
「どれ?」

 流がシャツの胸元を摘まんで、中を思いっきり覗く。

「あ、こら!」
「ははっ、ご馳走さん」
「前に、洋くんにもしていたよね」
「あっちは冗談で、こっちは本気だ」

 一度抱きしめられ首筋をぺろっと舐められた。

「あぅ!」

 変な声を出してしまい、慌てて口を塞いだ。

「うううう、色っぽい声だな。あーあ、名残惜しいが、煩悩は封印だ」

 流が真面目な面持ちで、シャツのボタンを一番上までしっかり留めてくれた。

「キツくないか」
「大丈夫だ」
「翠の乳首は誰にも見せたくないから封印だ」
「も、もう」
「おっと時間だ。開会式にも応援団が出場するらしいぞ。見たいだろう?」
「うん! 見たい。ところで流のその格好は?」
「ん?」

 ブラックジーンズにグレーのTシャツ。

 ロックバンドのボーカルのようなファンキーな出で立ちだと、含み笑いをしてしまった。

「カッコいいだろ」

 分厚い胸板を叩いて自慢するので、最後は苦笑してしまった。

「流こそ目立ち過ぎじゃな?」
「そうか~」

 やれやれ、どこ吹く風と聞き流している。

 それにしてもTシャツの前後の、『R』という文字が気になる。太く勢いのある書体で描かれているので、まるで躍動感のある龍のようにも見えるよ。

 僕の視線に気付いた流が、悪戯っ子のようにニヤッと笑う。

「これ、いいだろ? 俺のイニシャルだよ」
「あぁ、なるほど、でもそんなの着るなんて珍しいね」
「まぁな! あの頃のように気合いだ、気合い。あと、翠が迷子にならないように目印さ」
「おいおぃ、僕をいくつだと思っているんだ?」
「ごめん、兄さん」

 しおらしく謝られると、もうそれ以上は何も言えないよ。

 僕は流にかなり甘く出来ているからね。

「流、もう行くよ」
「了解!」

 体育祭は平日開催にも関わらず、賑わっていた。

「ここから見よう、もう間もなく始まるぞ」
「うん」

 僕たちは、父兄の集団から少し離れた場所に立った。

 皆、我が子が高校生活を謳歌している姿を見たいようで、ビデオやカメラを構えて張り切っている。

「ん? 俺たちもビデオやカメラが必要だったか」
「いや、この目に焼き付けるので不要だ」
「ふっ、兄さんのそういう潔い所いいな」

 でもね、僕も同じだよ。

 息子が頑張っている姿を見たくて駆けつけたのだから。

 ふと薙が幼稚園の年少の時、運動会に行ったのを思い出した。

 小さな赤ちゃんがスクスクと成長していく姿に、僕は記憶に眠る流の姿を呼び起こして、密かに胸を焦がしてしまったのだ。

 流のことはもう忘れないといけないのに……

 そう思うが止められなかった。

 帰りたい、北鎌倉へ――

 あの空気が吸いたい。

 蓋をしていた想いが、少しずつ出てきてしまう。

 そんな僕の変化を、彩乃さんは見逃してくれなかった。

……
「翠さん……あなたには誰か好きな人がいたのね、私と結婚する前に……酷いわ。まだ忘れられないの?」
……

 思えばあの頃から、少しずつ歯車がずれてしまった。

 僕は彼女からの信頼をすっかり失い、彼女の機嫌を損ねたくないので、意のままに従うようになって……

 全部自分がまいた種だった。

 あれから随分時が流れた。

 薙が月影寺にやってきた時は中2の二学期。

 体育祭は春に終わっており、その後も関係が良好とは言えず、僕の方もままならない状況に陥ってしまったので、学校行事に顔を出せるのはやっとだ。

 本当に……ようやくなんだ。

 やっと、ここまで到達した。

 ここは、もがいて、もがいて、ようやく辿り着けた場所だ。

 だから顔を上げよう。

 だから胸を張ろう。

 今日は僕達の息子の晴れ舞台だ。

「ウォォー」

 雄々しいかけ声と共に、黒い学ラン姿の集団が校庭に飛び出してくる。

 黄色いはちまきと襷が風に棚引いて、色鮮やかな世界だ。

 その中に、すぐに薙を見つけた。

 僕の高校の学ランを着て、真剣な表情だ。

 まるで昔の僕がそこにいるようだ。

 その目つきや仕草は、昔の流のようだ。


 フレーーーーーーーッ!
 フレーーーーーーーッ!

 僕たちを視界に捉えたようで、薙が真っ直ぐに見つめてくれる。

 キビキビとした動作で、大きくエールを切ってくれた。

 あぁ、そうか。

 薙は、僕と流を応援してくれているのか。

 それが直球で届いて、心が痺れた。

「翠、最高の光景だな! 薙が最高にカッコいいぞ!」
「あの子は僕たちの良い所を引き継いで、未来への道を切り開いていくんだね」
「あぁ、頼もしい子だ」
「僕たちの子だからね」

 


 



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