重なる月 ~いつの時代も月は見ていた~

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 93

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 翠兄さんは、静かな足取りで診察室の窓辺に歩み寄った。

 そしてカーテンをそっと指先でつまみ、光の加減を確かめるように揺らす。

「丈、この窓、いいね。とてもいい光が入ってくる」

 カーテン越しの光が、翠兄さんの美しいカーブを描く頬をふんわりと照らしていた。

 その横顔は凛としているが、どこか眠たげだ。

 ふいに、兄さんがくすっと笑った。

「……僕の秘密を話そう」
「何です?」
「実は朝から張り切りすぎて、少し眠いんだ」

 なっ、なんだ、この破壊的な可愛さは?

 小さな呟きに、私は思わず笑いそうになったが、咳払いしてぐっと堪えた。

「コホン、診察室で仮眠してもいいですよ」
「えっ、だめだよ。僕は手伝いに来たんだから――あ、そうだ、これ」

 そう言いながら翠兄さんは鞄の中から、丁寧に畳まれた布巾を取り出した。

「これは流に作ってもらったんだ」

 そこには、月の刺繍があしらわれた布巾が二枚。

 刺繍は、三日月と半月だった。

「どちらが丈っぽいと思う?」

 その一言に、また笑みがこぼれてしまった。

 質問しておいて、すでに兄さんの心の中では決まっている顔だろう。

 小さい頃は何でもできる兄が完璧すぎて、近寄りがたかった。

 だが今は違う。

 なんだろう?

 兄はこんなに幼く、無邪気だったか。

 こんなに人として可愛らしかったか。

 きっと……流兄さんの影響だろう。

 布巾を手にして嬉しそうに立っている姿が、なんとも言えず可愛い。

 これ以上見つめていると、流兄さんに殴られそうだ。

「……三日月の方ですね」

「ふふっ、当たりだよ。丈は三日月のように、いかなる時も洋くんをすっぽり受け止めておくれ」

 嬉しそうに微笑んで三日月の刺繍の入った布巾を手に取り、私の聴診器を磨き始めた。

「丈は、丈先生なんだね」

 その姿はまるで、仏具を磨くときのように厳かだった。

 私はそんな兄の後ろ姿を見つめながら、自然と胸が熱くなるのを感じた。

「兄さん自ら、ありがとうございます」

 翠兄さんは顔を上げて、いたずらっぽく言った。

「お礼は珈琲がいいな。少し眠たいし、糖分も欲しいな」
「了解しました。甘めで淹れます」

 

 翠兄さん好みの、ほんのり甘めの珈琲を淹れて差し出した。

「はい、お待たせしました」
「ありがとう、丈」

 翠兄さんはにっこりと笑って、診察室のソファに腰を下ろすと、珈琲を両手で受け取った。

 ん?

 湯呑みでもないのに、なぜ両手で?

 そして――なぜか、カップをそっと、くるり。……くるり。

 まるで、お抹茶でもいただくかのように、品よく一周。

「……兄さん、何をしているのですか」
「えっ…… あ、いや……癖、かな? 長年の習慣って怖いね」

 翠兄さんは肩をすくめて、照れくさそうに笑った。

 その不思議な仕草さえも絵画のように美しく、品があるから困ったものだ。

 流兄さんが虜になるのも分かるな。

 が、次の瞬間――

 ぽたっ、ボタボタ……

「あ……」

 胸元の白いスウェットに、珈琲が派手に零れてしまった。

「……ああ、こんなに汚してしまった」

 翠兄さんはじっと見つめて、潔く――

「脱ごう」

 えっ……私は構わないが……

「待て! 待て待て、翠ー 脱ぐな!」

 どこからか流兄さんがすっ飛んできた。

「だって、シミになるし……」
「肌着、着てないだろ! 暑いから嫌だって」
「……あ。うん、着てない」
「だからぁ、脱ぐなァ!!」

 私はやれやれという顔で、タオルを取りに洗面所へ向かった。

 流兄さんがスウェットの裾を必死に押さえつけている横で、翠兄さんはまるで「何が問題なの?」というとぼけた顔。

「僕、別に恥ずかしくないよ。ここには丈と洋くんしかいないし」

「こっちが恥ずかしいんだよ!」
「えっ? どうして」
「だからぁ、昨夜のこと覚えてないのか」
「なんだったかな?」
「ここにも、ここにも、こっちにもつけてって言っただろう。俺のキスマークだらけなんだよ!」
「あ! あぁぁ……」

 その瞬間、私は思わず噴き出してしまった。

 この二人、私たち並みにいちゃついている。

「くくくっ」

 思わず声を上げて笑ってしまった。

 翠兄さんはぽかんとしていたが、すぐに頬を赤らめ、流兄さんの肩にそっと額を寄せた。

「りゅーう、ごめん」
「反省してるか?」
「……もちろん」
「やれやれ」

 私は笑いながら、タオルを差し出す。

 静かだった診療所に、朗らかな笑い声が満ちていく。

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