私のことを嫌いなはずの冷徹騎士に、何故か甘く愛されています ※ただし、目は合わせてくれない

夕月

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1巻

1-2

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「わたしのお友達も、恋人と一緒にユスティナ様の祝福をいただいたって喜んでたわ。わたしも来年には、マリウス様と祝福をいただけるかしら」

 ローシェは、ひとつ年下の婚約者と一緒にユスティナの祝福を受ける未来を想像して、幸せそうに微笑む。その表情は、思わず誰もが見惚みとれるほどに愛らしい。

「そうね、きっとユスティナ様も喜んで祝福をくださるわ。楽しみね」

 笑ってうなずきながら、シフィルは話題を変えるように軽く首をかしげた。

「何だか疲れちゃったし、そろそろ帰りましょ。ローシェも無理をすると、また熱を出すわよ」
「もうそんなに身体は弱くないわよ。シフィルは心配性ね」

 くすくすと笑いながら、ローシェはシフィルの腕に抱きつく。小柄なローシェの身体を、まるでエスコートするように守りつつ、二人はゆっくりと会場を出た。
 最後に一瞬振り返った時、会場の奥にエルヴィンの姿を見つけてシフィルの心臓が跳ねる。シフィルとも顔馴染みの騎士と何やら話しながらこちらを見ているその視線に気づかないふりをして、背を向けた。


   ◇◆◇


 帰宅してドレスを脱ぎ、入浴を済ませて楽な部屋着に着替えたシフィルは、疲労に小さなため息をついた。
 ローシェが見立ててくれたドレスは、繊細なレースやリボンがあしらわれていてとても素敵だったけれど、やっぱり自分にはあまり似合わないと思う。
 飾り気のない服の方が、着ていて安心する。甘く可愛らしいデザインは観賞用だな、と脱いだドレスを見て、シフィルはまたため息をついた。
 勢い良くベッドに倒れ込みながら、シフィルは今日のことを思い返す。
 エルヴィンは、何故シフィルと一緒にユスティナの祝福をもらうなどという暴挙に出たのだろう。大勢の前で祝福を受ければ、シフィルが逃げられないと考えたのだろうか。
 確かにここ、ルノーティス王国においてユスティナの祝福は大きな意味を持つ。聖女の祝福を受けたということは、国の守護神である月の女神に二人の仲が認められたのと同じだからだ。女神公認の恋人同士となれば、その間に割って入る者などいない。この国は女神の力によって守られているため、国民の誰もが女神の意思を何よりも尊重するのだ。

「……だけど、祝福なんて私には何の意味もないわ」

 つんと痛んだ鼻の奥を誤魔化すように、シフィルはつぶやいた。
 エルヴィンが、シフィルを恋人として想っているわけがない。彼は単にシフィルを、ローシェの代わりとしてそばに置くつもりなのだろう。
 酷い扱いだと思う。だけど、それでも彼のそばにいられるのならと思う気持ちもどこかにあるのだ。
 だって、シフィルはずっとエルヴィンのことが好きだから。一緒に過ごしていれば、いつかはエルヴィンもシフィルを見てくれるかもしれない。
 そこまで考えて、シフィルはずきりと痛んだ胸を押さえた。

「馬鹿みたい。ありえないわ。本当にそうなったら、傷つくくせに」

 薄くにじんだ涙を枕に押しつけて、シフィルは強く目を閉じた。
 エルヴィンは、いつだってローシェを優しい瞳で見つめている。その眼差しを、自分にも向けて欲しいと何度願ったことだろう。
 だけど、エルヴィンはシフィルを見るたびに険しい表情を浮かべる。不機嫌そうな彼の視線に耐えかねて、シフィルはエルヴィンと顔を合わせることを避け続けてきた。
 ローシェと第三王子マリウスとの婚約が決まった時、シフィルは妹の幸せを喜ぶのと同じくらい、彼女とエルヴィンが結ばれなかったことを密かに喜んでしまった。好きな人の失恋を喜ぶなんてと、あとから酷い自己嫌悪におちいったけれど。
 もっとも、ローシェの婚約が決まったからといって、エルヴィンがシフィルを見てくれることはもちろんなかった。相変わらず嫌そうに眉をひそめられるたびに、きっと彼の失恋を喜んだ罰が当たったのだろうと思ってしまう。
 それでも、と枕から顔を上げてシフィルは三度目のため息をつく。たとえ愛されなくても、ローシェの代わりだとしても、他の誰かがエルヴィンと幸せそうに手を取り合うのを見るよりはいくらかましだろうか。だってシフィルがそばにいる限り、エルヴィンは他の誰とも結ばれることはない。
 恋人でもないのに束縛したがる自分の醜い心に、シフィルは思わず顔をゆがめた。
 あの祝福をどう受け止めるのが正解か分からず、答えの出ない問題にぐるぐると頭を働かせているうちに、シフィルは眠っていた。


   ◇◆◇


 久しぶりにエルヴィンと会話をしたせいか、夢の中でシフィルは幼い頃を思い出していた。それは十に満たない年頃の、まだエルヴィンとの仲が良かった日々のこと。


 おさな馴染なじみだったシフィルとエルヴィンは、毎日のように一緒に過ごしていた。
 本を読むことが好きなシフィルに、エルヴィンはいつも付き合ってくれていた。二人で手を繋いで図書館に通い、借りてきた本を庭のベンチに座って読むのが日課。時折そこにユスティナが合流することもあったけれど、王女である彼女は幼い頃から多忙だったので、ほとんどの時間はエルヴィンと二人きりで過ごした。
 シフィルが大好きな絵本を読んで聞かせるのを、エルヴィンはそばで黙って聞いていてくれた。幼いシフィルが絵本の中のお姫様に憧れるのと同じように、彼は大きくなったらお姫様を守る騎士になるんだと目を輝かせて語ってくれた。
 お菓子を分け合って食べたり、遊び疲れて庭で二人して眠ってしまったり、木の枝を剣に見立てて騎士のまねごとをするエルヴィンを応援したり。
 きらきらとした幼い日々の楽しい思い出は、シフィルの心の奥に大切にしまい込まれている。
 小さな頃からまわりの女の子たちより背が高かったシフィルは、それを揶揄からかわれることも多かった。そのたびにひっそりと傷ついていたのだけど、エルヴィンだけは一度だってシフィルをそうやって揶揄からかったことはない。
 彼の方が少しだけシフィルよりも背が高かったおかげもあるだろうけれど、エルヴィンはシフィルの姿勢が良いところが素敵だと褒めてくれたし、まっすぐに咲く背の高い花を指さして、シフィルのようだと笑ってくれた。無邪気に告げられたその言葉は、幼いシフィルにほのかな恋心を芽生えさせるのに充分だった。
 いつもシフィルの手を引いてくれて、隣で一緒に本を読んでくれたエルヴィン。明るい笑顔を向けられるたびに、シフィルの胸はとくとくと弾んだ。
 だけどゆっくりとあたためていた小さな恋心は、表に出せないまま心の奥底に沈められることになる。


 それは三つ下の妹、ローシェも一緒に過ごすようになった頃だった。
 幼い頃は身体が弱かったローシェを、エルヴィンはいつもいつくしみの目で見守っていた。
 将来の夢は騎士になることだと語るエルヴィンのそばにはいつも、お姫様のように可憐なローシェ。その光景は幼いシフィルが見ても、まるで絵本の中のお姫様と騎士のようだった。
 その頃からシフィルは、自分の外見がお姫様に向かないことを知っていたし、エルヴィンがローシェに向ける優しい眼差しを見て彼の想いを理解していた。お姫様を守る騎士を目指す彼が、ローシェに惹かれるのは当然だ。
 だから、シフィルはエルヴィンに憧れた幼い想いに蓋をした。大人になった今も、伝えることのできない気持ちが心の奥底でくすぶっているけれど。
 そしてシフィルが自分の想いを押し込めた頃から、エルヴィンとの距離は少しずつ遠くなっていった。ローシェを大切そうに見つめるエルヴィンのそばにいることが辛くて、何かと理由をつけて彼と顔を合わせるのを避けていたし、そんなシフィルをエルヴィンは引き留めようとしなかった。
 そのうち、エルヴィンはシフィルの顔を見ると嫌そうな表情を浮かべるようになった。眉をひそめ、目すら合わせたくないというように顔を背けられる。妹のローシェに向けるものとは全く違う険しいその表情に、顔を合わせるたびにシフィルは傷ついた。
 何が彼の気に障ったのかも分からず、理由を聞くことすらできないまま十数年。嫌われていると分かっていてなお諦めることのできない想いを抱えつつ、シフィルは時々遠くからエルヴィンの様子をうかがう日々を過ごしていた。
 いつか彼が他の誰かと結ばれたら諦められると思っていたのに、エルヴィンはそれすら許してくれないらしい。叶わぬ想いを抱いてローシェを見つめるエルヴィンを、シフィルはこれからすぐそばで見ることになるのだろうか。
 いっそのこと、嫌いになれたら楽なのに。
 夢の中でも涙があふれて止まらない。


   ◇◆◇


 翌朝目覚めると、瞼が盛大に腫れていた。夢の中だけでなく、実際に泣いていたらしい。
 慌てて目元を冷やしながら、シフィルは大きなため息をついた。ただでさえ目つきが悪いのに、腫れた目だと更に不機嫌に見えそうだ。
 ようやく少しましになった目を押さえつつ、シフィルはのろのろと立ち上がった。ユスティナを訪ねて、祝福を取り消してもらえないか頼んでみなければならない。
 おさな馴染なじみの幸せを心から喜んで祝福を与えてくれた彼女の笑顔がくもることを考えると、何度もため息がこぼれ落ちる。
 気乗りしないままぼんやりと着替えをしながら、シフィルは鏡の前で左胸をそっと撫でた。そこにある若葉のような形をした銀色のあざは、おおやけにしてはならないシフィルの秘密。
 もっとも家族はもちろん知っているし、他にもこのあざの存在を知っている人は何人かいる。
 エルヴィンも、そのうちの一人だ。


 この国で生まれた子供は、七つになると聖堂に行って女神の加護を受ける。聖堂の奥にある神樹に祈りを捧げ、加護を得るのだ。加護を与えるのは国の守護神である月の女神と、その眷属けんぞくの星の女神たち。大半の子供は健康をつかさどる緑の星や勉学をつかさどる青の星、そして勝利をつかさどる金の星の女神の加護のいずれかを得る。
 だけど、時折珍しい加護を得る者がいる。
 中でも一番珍しいのは、月の女神の加護を得た者。その加護は、王家の血を引く女性にのみ与えられるものだ。彼女らは強大な女神の力を扱うことができるようになり、聖女と呼ばれる。王女ユスティナがこれにあたり、彼女は聖女として女神の力を使ってこの国を守っている。
 そしてシフィルが得たのは、銀の星の女神の加護。魔除けの力を持つこの女神の加護を得た者は、身体のどこかにその印である銀色のあざを与えられる。
 このあざを持つ者は、血を女神に捧げて祈れば美しい結晶を作り出すことができる。魔除けの石と呼ばれる名の通り、人々を襲う魔獣を寄せつけない効果があり、その結晶の美しさと魔除けの力欲しさに銀のあざ持ちは狙われやすい。
 だから聖女とは異なり、この女神の加護を得た者はそれをおおやけにすることはほとんどない。もちろん、シフィルも同様だ。
 一応、国の記録として加護の種類は登録されるけれど、本人以外が閲覧えつらんすることは基本的にできない。そのためあざを見られることがなければ、他人に知られることはない。
 シフィルが銀のあざ持ちであることをエルヴィンが知っているのは、加護を得た時に一緒にいたためだ。
 エルヴィンとシフィルとユスティナは、おさな馴染なじみの三人で手を繋いで聖堂の神樹のもとへと向かった。その頃は、エルヴィンとの関係はまだ悪くなかったから。
 そこでユスティナは月の女神の加護を得て、シフィルは銀の星の女神の加護を得た。エルヴィンは、金の星の女神の加護を得たので、騎士を目指す彼にはぴったりだなと密かに嬉しくなったことを覚えている。
 その時に左胸に与えられた銀のあざを隠すために、エルヴィンはシフィルに上着を貸してくれた。それはエルヴィンがシフィルを守ってくれた唯一の出来事で、シフィルは今でもその時の彼のぬくもりを忘れられずにいる。
 シフィルがあざをもらったのとほぼ同時期に、エルヴィンとの関係は悪化していった。
 きっとエルヴィンは、シフィルの力を欲しているのだろう。魔獣の討伐などの危険な任務につくことも多い騎士なのだから。


 ――エルヴィンにはもう、魔除けの石を渡しているのにね。
 銀のあざを撫でながら、シフィルは疲れたような笑みを浮かべる。
 エルヴィンが騎士学校に入学する時に、ローシェと共に入学祝いとして渡した守り袋の底に、こっそりと自分の血から作った魔除けの石を忍ばせておいたのだ。彼が怪我なく卒業できることを祈って。
 だけど、嫌いなシフィルが渡した守り袋を、今もエルヴィンが持っているとは思えない。ローシェと一緒に渡したから何とか受け取ってもらえたものの、シフィルが一人で渡そうとしたならきっとその場で断られていただろう。
 あの時も、とても嫌そうな表情でにらまれたことを覚えている。


 ローシェの代わりとして、そしてこの血が目当てでエルヴィンはシフィルを手に入れたいのだろう。
 銀のあざ持ちにはあとひとつ女神の力が備わっていることを、きっとエルヴィンは知っている。
 それは、あざを持つ者が初めて結ばれた相手に、女神の加護をうつすことができるということ。
 加護がうつった相手は魔除けの石を作ることはできないけれど、その代わりにあらゆる魔獣から身を守れるようになる。それは、騎士にとって喉から手が出るほどに欲しいものに違いない。


 だけど、とシフィルはため息をついて首を振った。
 エルヴィンは、何も分かっていない。
 銀の星の女神は、愛をつかさどる月の女神の眷属けんぞく
 愛のない二人が結ばれたところで、加護はうつらない。


 シフィルが加護をうつしたいと思う相手はエルヴィン以外にはいないけれど、もし彼と結ばれて加護がうつらないことをたりにしたら、シフィルはどんな顔をすればいいか分からない。
 きっとエルヴィンは落胆するだろうし、二度とシフィルを見てくれなくなるだろう。
 そろそろこの不毛な恋を諦めて、新しい恋をすべきなのは理解している。シフィルだって、もう結婚を考える年なのだから。
 ずっと叶うはずもないのにエルヴィンだけを想い続けたシフィルは、男性と付き合ったこともない。もっとも、シフィルを好きだと言ってくれる人など今まで一人もいなかったけれど。
 ローシェのように誰かに見初みそめられることはないにしても、せめて昨日の夜会でもう少し積極的に人の輪に入っておけば良かったと後悔しつつ、シフィルは再び重たいため息をついた。
 その時、部屋の扉が控えめにノックされた。

「――シフィル?」

 響いたその声に、シフィルの胸は痛いほどに締めつけられた。

「エル、ヴィン」
「朝早くから、すまない。どうしても会いたくて。……中に、入っても?」

 呼びかける声は、今まで聞いたことがないほどに優しい。
 どうして彼は、こんな声でシフィルに話しかけるのだろう。いつだって彼がシフィルを見る目は険しくて、眉間に深い皺を刻んでいるのに。
 成長してからは直接話しかけられたことすら、ほとんどないのに。

「待って、――いいわよ」

 慌てて鏡をのぞき込み全身をチェックして、シフィルは跳ねる鼓動を落ち着かせながら返事をした。
 ゆっくりと扉が開き、まず目に飛び込んできたのは色とりどりの花束。
 驚きに目をしばたたくシフィルの前に、大きな花束を抱えたエルヴィンが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

「えっと……」

 シフィルは戸惑いつつ、花束とエルヴィンの顔を交互に見る。よく見るとエルヴィンの頬は若干っていて、無理をして笑みを浮かべていることが分かる。シフィルを見ているようで見ていない、遠い目をしているところも、昨日の夜会の時と同じだ。

「何の用?」

 一瞬どきりとしてしまったことにため息をついて、シフィルはエルヴィンを見上げる。わざわざ花束まで持って、無理に笑顔まで作って、そこまでしてシフィルの持つ加護が欲しいのだろうか。それともローシェの代わりか。

「いや、昨日の話……途中だったから」
「話すことなんて、何もないわ。私はローシェの代わりになる気はないし、ユスティナ様の祝福だって、受け入れたつもりがないもの」

 言いながら痛む胸を押さえて、シフィルはにらむようにエルヴィンを見た。こちらを見下ろすエルヴィンの眉間には皺が寄っていて、どうやら表情を取り繕うことをやめたらしいことに気づく。
 ――ほら、そんな目で見るくせに。
 不機嫌そうな、嫌なものでも見るような視線。
 ここまで彼に嫌われる理由は、正直シフィルもよく分からない。
 いつからか、エルヴィンはシフィルを見るたびにこんな表情を浮かべるようになった。
 その理由を問いただすことが怖くて、シフィルはいつだってエルヴィンの姿を見ると逃げ出していた。
 だって、彼の口から直接嫌いだと告げられたら、立ち直れないだろうから。

「ローシェは関係ない」

 眉間の皺を更に深くして、エルヴィンは硬い口調で首を横に振る。先程の穏やかな声は、今はもう欠片かけらも残っていない。

「俺は、ローシェじゃなくてシフィル、きみが欲しいんだけど」

 告げられた言葉とは裏腹に、エルヴィンの表情は苦虫を噛み潰したようだ。
 そんな顔をしながらシフィルに花束を押しつけるように差し出してくるのだから、意味が分からない。
 受け取った花束は、淡い色合いでまとめられた可愛らしいもの。きっと、ローシェをイメージして作られたものなのだろう。

「どうか、話を聞いてくれ。渡したいものもあるんだ」

 必死な様子で言われて、シフィルは大きなため息を落とす。こんな朝早くにわざわざ訪ねてきたエルヴィンを話も聞かずに追い返したら、両親に何を言われるか分からない。
 幼い頃からの付き合いということもあってか、両親はエルヴィンをとても気に入っている。冗談混じりにシフィルをとつがせたいと話すこともあって、そのたびシフィルは冷や汗をかいていた。エルヴィンがシフィルを嫌っていると、何故か両親は気づいていないのだ。シフィルが、顔を合わせる機会を避け続けているせいもあるだろうけれど。
 ともかくエルヴィンの来訪は両親も知っているはずで、このまま彼を帰すわけにはいかない。
 シフィルは、渋々ながらエルヴィンを迎え入れるために、部屋の中へと一歩下がった。

「どうぞ、話は座って聞くわ」

 ソファを指し示すと、エルヴィンは不機嫌そうな表情のままうなずいてゆっくりと部屋の中へ入ってくる。
 そんな顔をしてわざわざ嫌いな相手を訪ねてくるなんて、エルヴィンは本当に何がしたいのだろう。


「お茶でも飲む?」
「いや、このあとすぐに仕事に行かなければならないんだ」

 だから、と言って、エルヴィンは制服の胸元から四角い小箱を取り出した。中央に金の箔押はくおしが施された濃紺のビロードの箱は、シフィルもよく知っている。王都で最近絶大な人気を誇る、有名ジュエリーショップのものだ。
 いぶかしげに眉をひそめたシフィルの前で、エルヴィンは小箱を手に身を乗り出した。

「シフィル、俺と結婚してくれないか」
「は?」

 ぱかりと蓋を開けられた中には、大きなダイヤが輝く指輪。横から見ると台座部分にリボンがあしらわれている珍しいデザインだ。可愛らしいものが好きなシフィルは思わず見惚みとれかけて、慌てて首を振る。

「え、いや何言ってるの。さっきの話、聞いていたでしょう」
「ご両親には、また改めて挨拶にうかがう。だけど、シフィルの返事を聞きたい」
「返事も何も……」
「ユスティナ様に祝福をいただいた俺たちなら、うまくやっていけると思うんだ」

 声に必死さをにじませて、シフィルの言葉に重ねるようにエルヴィンは言う。その表情はやっぱり不機嫌そうで、不本意だが仕方なくと顔に書いてある気がする。

「女神の祝福は、そんな万能なものではないと思うわ」

 目を伏せて、シフィルはつぶやく。
 エルヴィンは、シフィルのことをローシェの代わりとしか思っていないだろうし、彼が求めるのは女神の加護だけ。それでどう、うまくやっていけるというのだろう。
 だけど、とシフィルは唇を噛む。
 これはもしかしたら、女神が与えてくれた慈悲なのかもしれない。
 叶わぬ想いをいつまでも捨てることのできないシフィルを、女神が憐れんだのだろうか。
 それならば、覚悟を決めよう。たとえ愛されなくとも、彼のそばにいることを。
 きっと辛い日々になるだろう。それでも、シフィルはエルヴィン以外の誰とも結婚したいとは思えないし、エルヴィンが他の誰かと結ばれるところも見たくないのだから。
 シフィルは一度きつく目を閉じると顔を上げた。声が震えないように、涙がこぼれないようにゆっくりと息を吸って、笑みを浮かべる。

「……分かったわ。結婚、しましょう」
「本当か」
「ただし、条件があるの」

 不機嫌そうな顔をしながらも、わずかに身を乗り出したエルヴィンを手で制して、シフィルは笑みを深める。絶対に泣き顔なんて見せてはならない。

「条件……、それは、どういう」
「式は挙げない。それから夫婦のいとなみは、拒否します。ただ、魔除けの石はあなたに作って渡すわ」
「魔除けの……? いや、それよりせめて式は」
「条件がのめないのなら、話はこれで終わりよ」

 立ち上がろうとしたシフィルの腕を掴んで、エルヴィンは慌てた様子でうなずいた。

「分かった、シフィルの希望通りにする」

 眉間の皺を深くしながら、エルヴィンはシフィルをにらむように見る。きっと、シフィルが条件を出したことが気に入らないのだろう。大嫌いだと言わんばかりのその表情が、ローシェに向けるものと同様に柔らかくほころぶ日は来るのだろうか。
 ――期待なんて、しちゃいけない。そばにいられるだけで、いいと思わないと。
 一瞬鼻の奥がつんと痛んだのを誤魔化すように咳払いをして、シフィルは微笑みを浮かべた。

「ありがとう。どうぞよろしくね、エルヴィン」
「こちらこそ。必ず、幸せにすると誓う」

 誓いの言葉を口にしているとは信じられないほどに険しい表情で、エルヴィンは小箱から指輪を取り出すと、シフィルの指に滑らせた。
 大好きな人にプロポーズをされて、素敵な指輪までもらったのに、シフィルの気持ちは沈み込んでいく一方だ。
 だけど、それを気取らせないように、シフィルは笑顔を貼りつけた。自分が選んだ道だ。傷ついて泣くようなことは、決してしない。


 指輪をシフィルに渡したあと、また来ると言い置いてエルヴィンは慌ただしく部屋を出ていった。急いで仕事に向かうのだろう。
 両親やローシェにどうやって報告しようかと考えながら、ふと窓の外を見たシフィルは、小さく息をのんだ。
 庭の隅に、エルヴィンの姿があったのだ。そばにいるのは、ローシェだ。
 仕事に行くから急いでいたのではなく、ローシェに会うためだったのだろうか。
 シフィルの胸が、ずきりと痛む。
 ローシェはこちらに背を向けているので表情は分からないが、どうやらエルヴィンに何かを一生懸命に訴えているようだ。エルヴィンは機嫌の良さそうな表情で、何度もうなずいている。そんなにローシェに会えるのが嬉しいのか。
 二人の間に何もないことは分かっていても、シフィルに向けるものとは全く違うその表情に、胸が苦しくなる。
 込み上げてきた涙をこらえて、シフィルは窓に背を向けた。


   ◇◆◇


 エルヴィンがシフィルの部屋を出た瞬間、横から伸びてきた手がぐいっと腕を掴んだ。か弱いのに有無を言わさないその手の主は、シフィルの妹のローシェだ。

「……こっちに来て」

 低くつぶやいた彼女に引っ張られるようにして、エルヴィンは歩き出す。せっかくシフィルにプロポーズを受け入れてもらえて幸せな気持ちでいっぱいなのに、ローシェは随分と不機嫌な様子だ。
 ローシェがエルヴィンを連れていったのは、屋敷の庭だった。周囲に誰もいないのを確認したあと、彼女は目をつり上げてエルヴィンをにらみつける。

「どういうつもりなの、エルヴィン。こんな朝早くから押しかけるなんて」
「すまない、仕事に行く前にどうしてもシフィルに会っておきたかったから」
「お母様からあなたが来ていると聞いて、わたしがどれほど驚いたか分かる? お母様もお母様よ。こんなに朝早い訪問を許すなんて」

 不機嫌そうに腕を組みながら、ローシェは大きなため息をついた。王子にも見初みそめられたほどの妖精のような美貌を持つ彼女だが、気心の知れたエルヴィンの前では完璧で可憐な淑女の仮面を脱ぎ捨てている。そして彼女の愛する姉、シフィルが絡むとローシェの沸点は非常に低くなる。


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