蝙蝠怪キ譚

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第1章《ミイラ取りを愛したミイラ》

第1章終話『家族だった人』

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「さあ、お姫様のお目覚めだ──」


「ぃあ、────ぅ?」


「おい、おい、おい!」

 産声のような嗚咽に、ボクは、がたがたと音を立てて、椅子をひっくり返してしまった。
 聞こえるはずもない、少女の小さな呻き。それはまさしく、煙を上げるダンボールの中から聞こえたもので。

「ま、さか」


 


 煙から、影が飛び出した。
 それは細く、枯れ木にも似た手。ではない。
 白く艶のある長い五指を携える、少女の手だった。それは、準備体操でもするように、ボクらの眼前で開いては閉じてを繰り返している。そしてぎこちなかった指の開きが大分滑らかになったかと思えば、

「…………ぃーぁめ、……え、い……っ」

 引きつった高い声が目の前の蒸気を、いとも容易く吹き飛ばした。一瞬で。モーゼの湖がごとく。
ぱっくりと道が開けて。ダンボールの中心に、立っていたのは。その正体は、

「ひ、さめ、………レイ。──お、あえり、お、かえりっ」

 白銀の無数の三つ編みを垂らす、ワンピース姿の少女は。初対面であるはずの彼女は。
 そうやって、どこか馴染のある言葉をボクにかけたのだ。ボクを待っていたかのように。ずっと待ち続けてくれたかのように。
 先ほどまではずの彼女は、そう、笑ったのだった。


 ◆◆◆◆


 つまり、要約するとこんな流れだ。


「えぇーっと、インスタントのカップ麺よろしく、お湯をかけて三分待ったらミイラちゃんを人間に戻せる、と。それで、三分も待つのが面倒だったから、お湯を適量の五倍注いだと。そういうことで良いんですね?」

 言葉にしてみたけど、突飛過ぎて訳分かんねえわ。
 
「うん、だってわたし待つの嫌いなんだもーん。それに、こっちの方が早く蘇生させられるしね」

 なんなんだこの生物教師は。原理とか理論とかが壊滅してるぞ。適当な返事をしたのは、もちろんタオセイ先生である。この状況を作った張本人も何を隠そう彼である。

 有り得ない。まずミイラは死体のはずである。死体を生き返らせるってどういう原理だ。

「ま、ミイラも乾燥ワカメもそんな大差ないからねー」

「あるわ、大ありだわ」

「それにこの子は死んでなかったし、眠ってるだけみたいだったから、試しに生き返らせてみたんだよ。成功成功」

「あんた一体何者なんだよ!」

 ミイラの生死を何基準で判断してんだこの人は。実はUMA研究団体だとか、探検隊所属なのかもしれない。とにかく教師じゃないことは確かだ。ああ、見た目も路上で暮らしてきたような風である。
 はやく地元のジャングルに帰って欲しいところである。
 ミイラを生き返らせたという世界初の記録を村に持ち帰ればきっと人気者だぜ。だから早く帰省してくれ。

「丁度良いのでこの子と一緒に実家に帰省したらどうですか。タオせ……倒生先生」

「え、この子のことはレイ君の方が詳しいでしょ」

「何を根拠に」

「いやいや、“おかえり”って」

「身に覚えがありませんが」

「良いじゃない、可愛い女の子大好きでしょう」

「聞き方が悪いっ」

 確かに美少女は好きだ。しかも、ボクに擦り寄ってくれる(今はボクの腕に絡み付いてきている)美少女だぜ。ちょっと年上の巨乳の白髪の美人の三つ編みの、どっかわいい女の子だぜ。このチャンスを逃したら、氷雨レイには二度と春が訪れないかもしれないんだ。
 だが、ボクにも一端の人間として、譲れないプライドがある。そう、一人の男として言わせて貰おう。

「ボクは、年下が好きなんです」

「このロリコンが」

「そこまで言います!?」

 確かに、ボクの守備範囲は10~15歳までの小さな女の子だけれども。
 ボクに言わせれば、未成熟と言われる時期が一番成熟しているように考えられるのだ。成長と幼さの狭間とは、なんと完璧なものなのだろう。そこには、ボクらの持つものとはまた違った輝きがある。ボクはそこに惹かれているのだ。近くに小学校があったりしたら、日中はそこに釘付けだっただろう。我ながらに無くて良かったとさえ思っている。

「うっわ……」

「ガチのトーンで引かないでください、ボク、部長ですよ」

 何の権力も持たない肩書きを振りかざし、ボクはタオセイ先生にそう言った。さっきからこの男にまで引かれているのか。悲しすぎる。
 はるかなんてフォローにすら入ってくれもしない。どころかミイラちゃんと何やら楽しげに話してるし。相変わらず彼女はボクにべったり着いているが。

「へえ、そっか。じゃあ君はレイ君と二人で暮らしてたんだね」

「うん、そうなの。わたし、ずぅーっとレイのお世話係だったんだから。お姉ちゃんって呼んでくれても良いのよ?」

「おいおい、ボクの居ないところで過去がどんどん捏造されてないか」

 この子と二人暮らしとか普通に常軌を逸してるわ。
 
 幾分か流暢に話せるようになったらしいミイラちゃんを見れば、ものの見事に可愛いウィンクを飛ばされてしまった。
 さらに、見れば見るほど不健全である。やや小さめのワンピースは、レースにも似た薄い布地で、体のラインがくっきりと測れるようになっているのだ。そんな彼女に密着されて、ボクはこれほどまでに年下好きであることを後悔したことはない。

 そんな豊満な体つきとは対照的に、どこか甘えた風な話し方もまた一興。何なんだこの完成された少女は。
 この子がダンボール箱に入っていたら、一〇〇〇人中一〇〇〇人のボクはこの子を拾って帰るだろう。

「そう考えると、これはボクへのご褒美なのかな。部屋中央に美少女が宅配されるっていう……」

 そうとしたら、季節はずれで変態思考なサンタさんもいたものである。絶対にボクと気が合うだろう。

 こほん。

 そう、ではなく。

「もし良ければ、名前から教えてくれないかな。あの、……君」

「なーなーっ。えーっと。な、まえはユリィ、……“ユリィ・ブレイズ”って言うの。ね、聞き覚えあるでしょ、レイ」

「ユリィか……ごめん、分からない」


 ボクからの自己紹介は必要なさそうだった。
 残念ながら、引きこもりだったボクに、外人の知り合いは居ない。当然、うつむく彼女のことを、思い出してあげることすら出来なかった。
 なら気になることは、ダンボール(彼女)を誰が運んできたのかってことと、彼女の言う“氷雨レイ”が誰なのか、についてだ。
 一目見ただけで彼女を笑顔にし、“おかえり”とまで言わせた女たらしの“氷雨レイ”。聞く限りはボクだけれど、この子と暮らしたことは無い。もし接触したとしていても、それはボクからすっぽ抜けている過去の話だ。

「どうやってミイラになったかは、覚えてるかい?」

「んんー……それがね、思い出せなくって。長い間、誰かと話してないとミイラになっちゃうとか、そういう体質なのかも」

「それはそれで凄いけどな……。じゃあ、ボクとの暮らしが終わったのっていつだった?」

「暮らしが……終わる?」

「ああ、君がミイラになっちまったとき、そこにボクは居たかな。何か、起こっていたかな」

 例えば、ユリィがミイラになって、ボクが記憶を失ってしまうくらいの、事件があった、とか。

「────ら」

 紡がれる。他意の無い無垢な少女の唇から。

「あのとき、ら……“ラギョウハカセ”が来ていたの」

「ら」


 “ラギョウハカセ”。

 足から、力が抜けていく。曇った表情のまま、彼女は続けた。

「そう、あんまりよく思い出せないんだけどね。確か、……だんだんと部屋が暑くなって、レイが倒れてそれで、何かを、盗ったの、彼が」 

「ラギョウ、ハカセが……何を盗ったんだ」

「多分、レイとわたしが、大事にしていた何かを。奪ってったの、あの人。レイもわたしも抵抗して、なのに、駄目で。よく分からないまま、今目が覚めて。だから、ほんとにレイが、あなただけでも生きててくれて良かった……」

 言葉を詰まらせる彼女は、見ているだけでボクまで耐え難い気持ちに飲まれていく。“ラギョウハカセ”が何なのか。ずっと、目を向けなかった過去には、一体どんな不思議があるのか。
 積み上げてきたものの責任から、逃げることなんて許されない。いずれ向き合わざるを得ないそんな過去に、肩がずっと重くなる。

 知らないを貫き通すんじゃない。知るんだ。

 知ろうとするんだ。

 ボクは息を吸った。

「君に“ただいま”って言う“氷雨レイ”はもう、居ないけど。今のボクはきっと、君の知るボクとは別物なんだろうけど」
 
「良いのよ、そんなこと。わたし、気にしてない」

 気にしてないなんて、そんなこと、あるもんか。こんなに、待たされて。こんなに、泣きそうな顔をして。
 だからボクは、謝罪じゃない。何の効力も無い、免罪符を今更ながら掲げるのだ。

「──おかえり、ユリィ。ボクのこと、ずっと心配しててくれて、ありがとう。まっさらな氷雨レイとして、またよろしくね」

「レイ……! あなたこそおかえり、なのよ。うん、わたしね、ずっと、ずっと待って……」

「待たせて、ごめんよ。ユリィ」
 
「じゃ、じゃあ、じゃあじゃあじゃあねっ。一緒に、また一緒に住んでも良い? あなたの隣に、居ても良い? ミイラに戻るのは、寒いし、冷たいし、い、嫌なことばっかりだから、だから」

「当たり前じゃないか。もう二度と“家族”を一人にさせたりなんかしないよ」

「あ────」

 絶対に。もう忘れない。
 大きく揺れ動いたその琥珀色の瞳に、ボクは誓った。ユリィ・ブレイズは、どうにもボクの“家族”になる運命らしい。干からびていた所為か、頬を滴るその雫は、朝露のように美しかった。
 再会の味を噛み締めて、氷雨レイのミイラ騒動は落ち着いたのである。

「話したかったこと、たくさんあるの」

「もちろん、全部聞く」

 ミイラの少女に、蝙蝠少年は深く微笑みを返す。何年も前に、そうしていたように。でも、初々しいようなその笑みの交換は、確実に、ボクの心を照らしていた。これは、不思議部の活動なんてやっていられないなあ、と。美しいミイラの少女と、ボクらが盛り上がったのはまた別のお話である。


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