ひと匙分の恋模様

85式

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鉄紺と碧

肉まんふたつ

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 夏が終わって、秋が来て、吐く息が白くなりかけた暗い帰り道のこと。私は初めての買い食いをした。

 部活で禁止されていたから、なんとなく縁遠かったのはある。そもそも買い食い、それも歩きながら食べるなんて行儀の悪いことは、とてもじゃないけれどやりたくはなかった。それにやる機会もなかった。
 クラスのちょっと不真面目な子達に「優等生すぎる」と馬鹿にされるんだろうけど、親から真面目に育てられたんだから仕方がない。
 だけど、付き合い始めた彼も真面目で、部活一筋で、コンビニ禁止とか買い食い禁止なんて先生に言われたら、意地でも守るタイプの人だった。だから付き合い始めても、部活を引退するまで縁がなかったんだ。

 「少し、寄っていきませんか」

 そう言って誘ったのは君の方だった。私は、冷えた手にカイロがわりの温かいコーヒーがあれば、と思って、何も考えずにそれを了承した。少し節の目立つ男子の指が、コンビニの灯りを示している。
 学校から家までの少しの距離だけれど、育ち盛りの空腹と、寒い季節にさしかかる頃の気温には抗えない。

 「何買います?」
 「コーヒーか、コンポタがいいかなって」
 「あ、じゃあ自分は……」

 「いらっしゃいませ」が私たちの会話と、更に入店の音楽と重なった。飲み物はレジ前のスペースにあるから、そのままレジに並べば買える。
 彼は何を買うのだろう、と視線を巡らせたが、彼は私の隣から離れないまま、一緒のレジに並んでいた。
 私の目線より上の、彼の顔を見る。夜の寒さのせいか、ほんのりと頬が赤らんでいるような気がした。店の照明のせいだろうか。
 その横顔が、唐突に思えるタイミングではっきりと口を開いた。

 「肉まんふたつ、ください」

 大きめの、運動部特有の声が、はきはきとその注文をする。店員さんが注文の内容を確認してくるまで、私はその声に聞き惚れてしまっていた。
 彼が視線を向けて促してくれて、ようやく気がついて。それでケースの中の、熱々に熱せられた缶コーヒーをひとつ、追加でお願いした。
 お財布を探すフリで手元を見ていたけど、恥ずかしくて赤くなった顔が耳まで熱いのも、きっとバレていたに違いない。
 だって、店員さんがくすくす笑っていたんだもの。
 恥ずかしすぎて、店を出るまで君の顔を見ることなんて出来なかった。震える手のせいで、上手く小銭が出てこない。どうしようかと焦っていたところで、そっと君の声が降ってきた。

 「あの、今日は自分が出します」
 「……お、お願いします」

 何回恥をかくんだろうと、そう思いながら、今日は大人しく彼の言葉に甘えることにする。次があったら、今度は私が奢る番だ、と決めた。
 店を出て、彼が先に袋を探る。取り出された、膨らんだ三角形の紙袋がふたつ。

 「……私のは、缶コーヒーですけど」
 「一緒に、食べませんか」
 「……えっと、」
 「そのために、2個。買ったんで……」

 コンビニのビニール袋を見ていた視線を、彼の顔へと向ける。私のその視線から逃げるように、彼は曖昧な顔で目を逸らしてしまった。
 赤い顔が店の灯りに照らされて見えて、なんだか気恥ずかしくなって。照れ隠しでしかないけれど、私はその空気を誤魔化すように袋を受け取りテープを剥がす。白い肉まんから、ほんのり湯気が立つ。
 ぺり、と音がして彼の方を見ると、私と同じようにテープを剥がしている音だった。彼も包装紙は破かないように開けるタイプで、こういうところは私も彼もよく似ているように思う。
 そして彼が自分の袋を開けるのを確認して、肉まんをふたつに割った。さっきよりももっと湯気があがって、美味しそうな匂いが広がった。
 濃すぎない薄茶色の中身ごと、白い皮にかぶりついた。けれど、そこがコンビニの目の前だったから、なんだか行儀が悪い気がして、そそくさと歩き出す。これはこれで「行儀の悪い歩き食べ」だ。

 「あ、ちょっ……待ってください」

 私につられて彼も歩き出してしまったから、仕方なくふたりで帰路につく。そう、これは仕方のないことなんだと言い訳をしながら。
 赤信号はふたりで渡っても交通違反だけど、周りに気をつけながらなら、歩き食べはマナー違反くらいで済む。いや、どちらもよくないのは当然知っている。それなのに、ふたりだけの秘密が増えてしまったみたいで、私は変にどきどきと胸を高鳴らせていた。
 彼も同じように感じてくれているのだろうか。

 私の視線が、彼の手にかけられたままのビニール袋に移る。また思考が少しだけ、よこしまなものになる。
 その缶コーヒーを取るふりをしてその腕にしがみついたら。人目を気にしない、恋人達のように腕を絡められたら。君は笑って受け入れてくれるんだろうか。
 ふと顔を上げた瞬間に、こちらを振り向いた君と視線がぶつかった。

「……おいしいですね」
「……はい」

 恥ずかしくて、そう言って誤魔化すのが、精一杯だった。お互いに視線を逸らして、真っ赤な顔を隠し合う。
 君にべたべたと甘えられる日は、まだまだずっと、先の話になるんじゃないかなあと思った。
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