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本編第一章

花は愛でられてこその花です2

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「ロイ様、あらお嬢様も、こちらにいらしたんですね」
「サリー!」

 そこにいたのはお仕着せに身を包んだサリーだった。かつてルシアンのお店に、娘のケイティと一緒に出張してもらい、帰国した今は我が家で通いの下級メイドをしてもらっている。明るく陽気なシングルママさんだ。16歳の娘がいるとは思えないほど、若々しい女性でもある。

「使用人たちの昼ごはんの支度も整ったので、ロイ様を探しにきたんですよ。あら、お嬢様、その花ってもしかして……!」

 私の手元を見たサリーが途端に頬を染めた。

「まぁまぁまぁ! 懐かしい! ダスティン領でこの花を見ることができるだなんて!」
「サリー、この花知ってるの?」
「えぇえぇもちろんですとも。お若い方はご存知ないかもしれませんけどね。この花は私が若い頃、プロポーズの必需品だったんですよ」
「それ、今ロイから聞いたわ。そんなに流行っていたのね」
「えぇ。ちょうどその頃に流行していた小説で、この花を持ってヒロインにプロポーズするシーンがあって。老いも若きも皆が真似したものですよ」

 サリーはしみじみと語りながら、私の手元の花を愛らしそうに見つめた。

「そうなんだ。サリーもこの花でポロポーズされたのかしら」
「とんでもない! あの朴念仁にはそんな気転も配慮もありゃしませんでしたよ。周りはみんなこの花でポロポーズされていて、その話をさんざん聞かせてやっていたってのに、なしの礫。思えばそのときからうまくいく予兆がなかったんでしょうね。だけど私も若気の至りでね。離婚して正解でしたね」

 サリーはアッシュバーン領の男性と結婚してダスティン領を出て行ったが、ケイティが3歳のときに離婚して出戻ってきていた。原因は相手の浮気だったとか。そんな話もサバサバしてくれる程度には吹っ切れているから、私も質問できたのだ。

「そうだったのね。それは残念だったわね」
「えぇもう! 私だけこの花を貰えなくて、当時はがっかりしたものでした。そんなわけでいい思い出がない花でもあるんですけど……でも、花に罪はありませんものね。あぁ本当に綺麗だこと」

 うっとりと、まるで乙女の瞳で見つめる彼女を見ていると、なんだか私ひとりがもらってしまうのも申し訳ない気持ちになって、思わずその花を差し出そうとしたそのとき。

「よければあなたにも差し上げますよ、サリー」
「え?」

 言い出したロイは、その流れで、まだ蕾だった一輪を切り取った。蕾ではあるがしっかり色づいており、今日明日には咲きそうな勢いだ。

「ええぇっ!? そんな、もったいない!」

 仰天したサリーが頬に手を当てたまま固まる。

「どうぞ」
「いえいえいえいえいえロイ様! そんな! 私なんかがもらっていい花じゃないですから!」
「だけどもう切ってしまいました」
「いやいやいやいやそうですけど!? なんで切っちゃったんですかもったいないでしょう!」
「花は誰かに愛でられてこその花です。こんな場所で密かに咲いているより、綺麗だと言ってくれる人の傍で咲いた方がいいでしょう」

 そして彼はさらにずい、とそれをサリーに向けて差し出した。勢いに負けたサリーが思わず受け取る。

「あぁやっぱり綺麗……じゃなかった、え? あの、本当に、いいんですか」
「えぇ」

 まだ目を白黒させているサリーに、私も声をかけた。

「いいじゃない、もらっておけば。そうだ、私のこの花も生けたいんだけど、花瓶ってあったかな」
「あります! 確か物置にいくつか用意があったはずです。おまかせください、とびっきりかわいいのを用意します!」
「えぇ、お願い」

 にっこりと微笑むと、サリーもようやく笑顔になった。

「やだ私ったら、お礼も言わずに。ロイ様、ありがとうございます。大切に飾ります」

 頬を染めて喜ぶサリーは、そのまま花の植えられた一帯を見つめた。

「それにしても、何か植えてあるなぁとは思っていたのですが、まさかこの花だったなんて。でも、なんでこんなところに植えてるんですか? 表玄関に植えたら、領民のみんなだって楽しめるのに」
「……本当にそう思う?」
「えぇ、もちろん。この花、私より上の世代はみんな知っているはずですよ。それくらいあの小説、流行ってましたから。みんな昔を懐かしく思い出すんじゃないかしら。絶対、見せてあげるべきです」
「だけどロイひとりだと人手が足りないって言うの。ほら、今は春の農作業で忙しいでしょう?」
「それなら私、手伝います! お嬢様もご存知のとおり、うちの畑は旦那様方に実験農場として貸し出しているので、今年は農作業がないんです。こちらのお屋敷の仕事も慣れてきましたから、時間を捻出できます。表玄関に移植しましょう!」
「い、いや、お嬢様、サリー……突然何を……」
「そうね! サリーもこう言ってくれていることだし、さっさと移しちゃいましょうか!」
「えぇ、いますぐやっちゃいましょう!」
「いやっ、ちょっと待っ……」

 狼狽える冷徹眼鏡執事と、その背中を勢いよく叩いて道具を取りに行かせようとする妙齢の下級メイドというなんとも珍しい光景を目の前で見つつ、これくらいの荒療治が必要だったのかもしれないと、ピンクの花を揺らしながら、私はひとり笑みを浮かべていた。





 結局、根付いたばかりの花を移すのはよくないだろうという結論に達し、花の移植は中止されたものの、花好きのサリーがあれこれ世話を焼き、尻込みするロイを焚き付けて表玄関に夏咲きの花を植えることになった。

 その花が美しく色づき始める頃―――。

 ダスティン領はかつてないほどのじゃがいもの大収穫に恵まれた。





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