炎のトワイライト・アイ〜二つの人格を持つ少年~

蒼河颯人

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第一章 崩れ去る日常

第二十話 芍薬の夢

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 ――目覚めよ……。
  
 どこからか優しい声が聞こえる。
 
 (……誰……?)
 
 真っ暗闇の中。寒くも熱くもない空間。
 横たわる茉莉は、目を瞑ったままその声を聞いていた。
 そっと柔らかい何かに抱かれているような心持ちがする。 
 
 (……ここは……?)
 
 確かめようにも身体が重くて動かない。指一本動かせない。まぶたなんて上に漬物石を乗せられたかのようだ。
 
 (妙に静か過ぎる。私は確かに済北図書館の通りにいた筈。あれからどうなったのだろう? みんなは?)
 
 どうにも出来ずにいると、また声が聞こえてきた。
 
 ――これ、そこな娘。
 
 (……誰かが私を呼ぶ声が聞こえる……一体誰だろう? )
 
 ――早う覚醒めざめよ。
  
 (私……? ……あなたは……誰……?)
 
 茉莉はまぶたを何とかこじ開けてみた。視野がはっきりして来ると、意外な光景が彼女を待っていた。
 
 一人の小柄な女性がにっこりと茉莉に微笑みかけている。その女性は垂髪で暖色系の女房装裳を身にまとっていた。あれは紅匂襲くれないのにおいかさねだろうか。芍薬の花を模した紋が織り込まれている。その身体からは薔薇に似た、甘くて優しい芳香が漂っている。
 
 (この香り……ひょっとして……)
 
 平安装束の女性は一言も発さず、こくりと頷いた。気品漂う桜色の瞳が優しく微笑んでいる。うりざね顔で富士額。その白い額には赤い芍薬の花の印があった。紅をひいた小さな唇を開くと、鳥がうたうような、丸みのある声が響いてきた。
 
 ――わらわは芍薬神。遠い昔、人の姿をしていた頃は“芍薬の君”と呼ばれていたこともあった。呼び名は気にせぬ故、好きに呼ぶが良い。
 
 (芍薬姫……! 吸血鬼と恋をしたあの……!?)
 
 茉莉は目を真ん丸にしている。 
 愛した相手を死に至らしめる血を持つがために自ら死を選んだ姫。芍薬の化身。
 その姫が自分の目の前にいる。
 
 (サイトで見かけた物語の関係者をこの目で見る日が来るなんて驚きだわ!)
 
 その姫君は、春の小川のようにさらさらと揺れる黒髪をその背に流し、花のように可憐で美しい姫だった。しかし、身体は何故か宙に浮いている。見たところ実体ではなさそうだ。
 
 ――今は神霊の身じゃ。幽霊みたいな者と思ってもらって構わぬ。
 
 茉莉は何か喋ろうと懸命に口を動かそうとした。しかし、唇は全く動かない。まるで縫い付けられているかのようだ。
 
 芍薬神はその様子を見ると、横たわる茉莉の元にゆっくりと舞い降りて来た。彼女は呪文を唱えると、茉莉の額に雪のように白い人差し指を置いた。すると、そこから温かい何かが流れ込んで来た。ふわふわとした、雲に包まれているような心地がする。
 
 (何だろう。頭の先から足の先までじわじわと伝わってきた。何だか凄く気持ちが良い)
 
 春の陽気を感じ、芽生える植物の気持ちってこんな感じなのだろうか。
 
 芍薬神は程良い湯に浸かったような表情をしている茉莉を見ると、静かに頷く。それを合図に茉莉は身体をぴくりと動かした。
 
「あ……声が……やっと出た。口も手足も動く!!」
 
 茉莉は身をゆっくりと起こしてみた。掌を眺め、両手の指を開いたり閉じたりしている。笑顔が戻った。
 
 (先程まで自由が効かなかったのに……)
 
 彼女は顔を上げて芍薬神の顔を見つめた。改めて良く見てみると、姫は衣の上にひらひらとした布をまとっている。裳や引腰とは異なる。天女の羽衣のようだ。
 
「ありがとうございます」
 
 ――礼には及ばぬ。そなたはもう少しで危ないところであった。わらわの力でなくては、魂を黄泉の国から引き戻せぬからの。
 
「……え!? 私魂が抜けかけていたのですか!?」
 
 芍薬神はこくりと頷いた。茉莉は背筋が凍る思いがする。まさか自分が本当に死にかけていたとは。
 
「ところでここはどこですか?」
 
 ふと我に返った茉莉はあたりを見渡した。何もない空間だった。自分と芍薬神、二人しかいない。
 
 ――ここはそなたの意識の世界じゃ。まぁ、夢みたいなものと思うが良いぞ。
 
 それを聞いた茉莉は少ししょんぼりした。今起きていることが自分の夢の中だとしたら、信憑性のあることとは言いにくい。誰に言っても自分の妄想としか思ってもらえないだろう。彼女自身、今自分が見ていることを信用して良いのか分からない状態だ。
 
 目を伏せた茉莉を見やった芍薬神は何を思ったのか、話題を少し変えた。 
 
 ――そう言えばそなた、芍薬屋敷にも足を運んでおったな。
 
「はい。……ひょっとして今までのことをご存知で?」
 
 思わず聞き返す声に対し、桜色の瞳をした姫はゆっくりと頷いた。どこか申し訳無さそうな表情をしている。
 
 ――存じておる。何百年もの間ずっと鳴りを潜めていた吸血鬼達が、暴動を始めてからずっと様子を伺っていたのじゃ。
 
 (じゃあ、白木先輩が殺された事件のこと、それ以前の事件の数々を全て知っているのか……)
 
 何とも言えない複雑な表情をする茉莉。芍薬神はやや伏し目がちになる。
 
 ――ずっと苦労ばかりかけてすまぬの。肉体を持たぬ今、わらわはこの地上では殆ど何も出来ぬのじゃ。主にそなた達を見守ることしか出来ぬ。
 
「では、どうしてここに?」
 
 ――そなたが持つ“芍薬水晶”。それに呼ばれて来たのじゃ。
 
 優美が買ったお守り。それに呼ばれて来たそうだ。目を大きく見開く少女を見ながら芍薬神は話し始めた。
 
 姫が死後神霊となる際、選び抜いた八枚の芍薬の花弁に術をかけておいた。人間が再び吸血鬼の脅威にさらされた頃に覚醒められるように。その花弁は術にかかった途端水晶に覆われ、八個の小さな水晶となった。つまりそれらは霊玉だ。
 
 八個の霊玉はいつか日の目を見るまで土の中にて長い眠りについていた。時を経てそれらが河西神社にて発見されたのが二・三年前。形が綺麗なのが幸いし、似た水晶が作られた。そして、色とりどりの勾玉をつけて御守りとして売り出されるようになった。玉石混淆だったその中から偶然とは言え、優美は本物の八個の水晶を選びだしたようだ。
 
 ――わらわの生み出した霊玉でなければ、今この姿でそなたの前にはおらぬ。
 
 茉莉は言葉が出なかった。まさかあの御守りが魔除け以上の力を持つとは一体誰が思うだろうか。ほっぺたを思い切りつまんでみたが、何故か痛かった。
 
 ――吸血鬼達を鎮静化出来るのは、その水晶に選ばれし者のみじゃ。芍薬水晶は全部で八個。うち一個だけが虹の色から外れておる。その一個を持つ者こそ、“選ばれし者”と言うことじゃ。
 
 つまり、桃色の芍薬水晶を持つ者が吸血鬼達を抑え込む力を持てるということだ。
 
「……ということは……私!? あの色は貰ったのが偶然私だったというだけです。 絶対無理ですよそんなの……!!」
 
 茉莉は恐ろしさのあまり両手を左右に振り、不可能のジェスチャーをした。抱え込むにはことがあまりにも重大過ぎて不安だらけだった。
 
 そんな彼女に姫は諭すように言葉をつなげる。
 
 ――そなた一人ではない。仲間達もいるであろう。その他七色の芍薬水晶を持つ者達はそなたの守護者となるよう運命づけられている。きっと力になってくれる筈じゃ。
 
 そこまで語ってから一呼吸おいた芍薬神は、頬を紅潮させていた。その顔の側をふわふわと羽衣が漂っている。
 
 ――彼等をこのまま看過させる訳にはゆかぬ。今度こそ永久に鎮静化させねばならぬのじゃ。わらわの霊玉が選んだそなたの力を是非ともかして欲しい。この通りじゃ。
 
 深々と礼をする姫。衣の上をさらさらと零れ落ちる黒髪の音が響いてきた。きらきらと艶めいている。その姿には有無を言わさない迫力があった。
 黄泉の国に行きかけていた魂を助けて貰っていることもあり、茉莉はその意に逆らえない。
 
「しかし、ただの人間である私が一体どうやって……?」
 
 ――そなたは息を吹き返した時点で既にただの人間ではなくなっておる。断っておくが、不老不死という意味ではないぞ。
 
「?」
 
 ――わらわの力を使えるという意味じゃ。吸血鬼達を鎮静化させる力。その力を執行出来るのはそなただけなのじゃ。
 
 (つまり、吸血鬼達に止めをさせる最終兵器を使えるのは私だけという意味か……)
 
 あまりの急展開に言葉が出ない。
 
 ――だがわらわの力を使いこなせるかはそなた次第じゃ。未来は己で切り開き、導き出すものじゃからのう。
 
「私が切り開く……」
 
 ――そうじゃ。さあ、もうゆくが良い。そなたを待っておる者達がいるであろう。
 
「私を待っている……」
 
 ――わらわがついておる。ただ、わらわは主に神界に身を置く立場ゆえ、人の住む外界に長くはおれぬ。だが、何か起きた時には駆け付けられるようにするつもりじゃ。
 
 立ち上がり、そっと微笑む芍薬神の顔がどんどんぼやけてくる。

 あっという間に目の前が真っ白になった。
 
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