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彼のお願いと彼女の願い
しおりを挟む金髪がさらりと揺れて、申し訳なさそうに振り返ったヘルゲンがお茶の好みを尋ねて来る。
お茶などを嗜む趣味もないので「お構いなく」と無難な返事をして促されるままソファに座るといつもより熱っぽいヘルゲンの瞳がイリアを捉え、イリアは顔に熱が集まって息が浅くなった。
「あ……えっと、」
「すみません。あまりにも魅力的で……」
「そんなっ、私は既婚者ですし」
「ええ、勿論知っておりますよ」
優しい香りのするお茶がイリアを少し安心させる。
少しの間カップの中を見つめてから恐る恐るベルゲンを見ると、彼の神秘的な金色の瞳にまた囚われてしまった。
「ーーっ、」
「お口に合いますか?」
「はい!えっと、その……」
「そうですよね、本題に入りましょう」
聖職者だというのにやけに艶やかに感じるヘルゲン。
彼はまるで初対面の時の優しげな様子とは別人のような色香を纏った笑みと相変わらずの丁寧な所作でイリアとの距離を詰めた。
「私はとある場所に大切な忘れものをしました……貴女にしかお願いできる人がいないのです」
「わ、忘れ物ですか……?」
イリアの手を取って撫でるヘルゲンの手はいやらしさこそ感じないものの腰の力が抜けて背中をぞくりとさせるような手付きだ。
期待と不安の混じったイリアの潤んだ瞳を見つめ返してヘルゲンは「ウィクトル大公領」と呟いた。
「えっ……!?」
「用事で立ち寄った際にうっかり落としてしまって、今はとある人物が大切にしてくれている筈なんです」
手から太腿へ、そっと身体をなぞって頬を撫でたヘルゲンの指は唇を愛撫でもするかのように触れて、テンタシオンとヘルゲンの顔が交互に浮かんでチカチカするイリアの混乱した脳内に優しげな声で刷り込むように話し続けた。
「ん、でも私はウィクトル領には……」
「ええ。今は忘れものはそこではなく、入る事も出る事も難関のブリーズ領にあるのです」
「ブリーズ領?」
「物資の取引でも、食糧の取引でもかまいません。今現段階でウィクトルとの繋がりがあるあなた方ならば入札できる筈」
「ブリーズ領の仕事を取れと……?」
「できれば、ですが。大切なもので他に代わりが効かないのです」
イリアはどこかぼやっとする頭で、熱くなってきた身体をぎゅっと自分で抱きしめたまま、ヘルゲンに撫でられるたびに身を跳ね上げた。
「お願いします、どうか私を共にブリーズ領へ連れて行って下さいませんか?」
とうとう抱きしめられたイリアはヘルゲンの背に手を回し、期待を口にした。
「私の願いを聞いて下さるなら、夫にかけあいますわ」
「実は鍵は閉まっていますよ」
ヘルゲンが一瞬見せた冷ややかな表情になど気が付かない。
イリアの頭の中はすっかりと目の前の美男子のことでいっぱいになり、その日からイリアは慈善活動と公務を死に物狂いで頑張った。
夫婦関係が良好に見えるのも、ヘルゲンの教えのせいだった。
イリアはひっそりとヘルゲンを愛人として扱い、ヘルゲンの願いを叶えるべく、よい子爵夫人としても振る舞った。
その甲斐あってウィクトル大公家からの直々の案件ではなかったが、大公家からの仕事でブリーズ領に立ち入る商談との取引をやっとの思いでこぎつけたのだ。
「エリックあのね、今度の商談との視察だけれど……」
「ああ、イリアには過酷な場所だよね。僕がーー」
「いいえ!私自ら行ってみたいの。きっと勉強にもなるわ」
「けれどあの場所は……」
エリックはブリーズ領の近況を聞いた所為か余計に不安になっていた。領主達はお飾り。王宮から派遣されてきた者達が運営を維持しているのだという。
けれども確かに、イリアは成長した。
子爵夫人としての執務もよく頑張ってくれていたし、自分が関わった仕事を最後までやり遂げたいというのも理解できる。
潤んだ目で不安げに見上げるイリアの頭を撫でて、エリックは「それなら今回はお願いしようかな」と微笑んだ。
今回は食糧、主に田舎の土地で野菜がよく育つヒリング子爵領で伝統的な干した野菜に目をつけた商談との取引だ。
元より慈善事業に力を入れていたイリアが提案したのは慰問と調理の指導を兼ねての視察だった。
まさか、本人が行くつもりだとは思ってもいなかったが……
王宮からの人手が殆どのブリーズ領はいくら監獄といえど安全である筈だとエリックはこの件を彼女に一任する事にした。
イリアもまた少し強引で苦しい言い分であったが、上手く行ったことに安堵していた。
こうした彼女の私利私欲に塗れた些細な行動が、かつて愛し尊敬していたテンタシオンとその家族へまたしても波風を立てるとは思いもしていなかったのだ。
勿論それはテンタシオンやルージュにとっても思いもしないことだったーー。
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