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四、王太子という男、危険

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「シシーと呼んでも?」




そう言った彼の紫色の瞳に吸い込まれてしまいそうで、頷くのが精一杯だった。シシーリアは物怖じしない性格な上に自分の持つ力を信頼している。

そんなシシーリアが思わず、瞳の奥に宿る狂気にも似た何かが危険だと感じて無意識に距離を取ろうとすると、ぎゅっと引き寄せられた腰に力が入った。


彼女ですら抗えない。それほどまでにこの王太子は強大だった。



ただ頷いただけの私に満足したように抱擁した王太子殿下の意図が分からなくて妙に緊張した。


初めて、誰かに対してこのように感じた。

言葉では言い表せない不思議な感覚、けれどこの甘く誘い込まれるような彼の香りが好きだと感じた。


(危険な人だけれど、きっと悪い人じゃない)


勿論、彼は皆が知る王太子なのだ。


彼に近ければ近いほど知る彼の国民には見せない素顔は決して、品行方正な優しい王子様なんかじゃなかった。



頬から首筋に彼の手が降りてきて、くすぐったいのと不安とで小さく声が漏れる。


「あ…っ」

「シシー、聖女はクビになったんだって?」

「はい……」

少し睨みつけるように王太子の胸を押し返して答えると、彼の瞳は恍惚とした色を滲ませてから私を解放するとクスクスと笑った。



「じゃあ僕のモノにならない?」

「……」

「ただの秘書のようなものだよ。僕専属の」

「ですが、まだ私は学生です」

「じゃあ、予行練習。僕の元で働く為の」



確かに、婚約者も聖女という地位も無くなったシシーリアが王太子の専属の秘書の地位を受け入れることは名誉挽回にもなる。


実際にはそのような役職は無く、とうに秘書官がいるだろう彼の望むものはこの力か?彼の手足となれと言っているのか?

きっとと言う言葉には何か別の理由があるのだろう。


けれど、いくら侯爵令嬢といえど一度これほどまでに派手に訳アリとなってしまえば、もうまともな縁談など来ないかもしれない。


いくら、父と弟に嫌われていようとも、これ以上家門に迷惑をかけるのは嫌だった。


それに……


(好きに生きると決めたのだもの、挑戦してみたいわ)


「分かりました、けれど一度家にも相談させて下さい」

「ああ、勿論だよ」

「ありがとうございます、殿下」

「あ、そうだ僕の所は過酷だけど大丈夫?」

「はい」



彼が自ら軍を率いて防衛戦に参加する事も、彼がとても残虐な人間だと言う事も、その他の王太子のその見た目からは考えつかない邪悪さはある程度の貴族達の間では周知の事実である。


そんな彼に着いていくと言う事、もしかしたらそんな彼の手足になると言うことはそれなりに血生臭い覚悟が必要だろう。


「ほんとに?」と真っ直ぐに見つめてくるアメジストの瞳に呑み込まれそうだ、「ほんとに、です」とうわごとのように呟いて返す。


確かに、彼の側に立つとすればどんな屈強な騎士よりもシシーリアは役にたつだろう。


(利害の一致のようなものかしら?)




「僕はきっと君を大切にするよ。安心して」


ほいほいと戦場で討った首を投げて歩くような男の「大切にする」ほど信憑性のないモノは無かったが、何故か今はアランの中途半端な正義よりも、父の厳しいだけの言葉よりも、他の誰の言葉よりもしっくりときた。

役に立つ限り、大切にするという風に受け取ると妙にしっくりきたからだ。


(どの道もう、決められた侯爵令嬢の道から外れてしまったもの。ならば……)


「きっと後悔させませんわ、殿下」

「敬語」

「?」

「無くていい」

「でも……っ」

「敬語使うと口塞ぐね」

「ちょ……引き寄せないでくだ……、塞ぐってどうや……て!?」


顔を近づけて唇は触れる寸前。

悪戯に微笑んだ顔の良い主君に心臓の音はバラバラに鳴って五月蝿い。


(これだけで人が殺せそうね)


「わかっ……たわ」

「よろしい。それと……」

「シシーはもう僕のだ。忘れないで」

「…?はい」

(分かってないなぁ……まぁゆっくり堕ちて来なよシシー)




ふわりと笑って頬に口付けたイヴァンに何故か背中が震えた。



瞳を揺らして、恐怖とも期待ともとれる色を見せたシシーリアの何処か大人びた表情にイヴァンはどきりとした。


彼女より美しい生き物が居るのだろうかと、ふと疑問に思う程だった。













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