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1巻
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しおりを挟む第一章
「お前は私の妹、リーザをどう思う」
国王陛下に問われ、私、レオンハルト・ローゼンベルクは言葉に詰まった。
「リーザ殿下、でございますか」
「可愛いとか優しいとか、美しいとか」
なんだこの質問は。仮にもここカルター王国唯一の国境を守護する『氷将レオンハルト』に向けての問なのだろうか。私にそんなことを聞いてどうするんだ?
私は動揺して、国王陛下の麗しき紫紺の瞳から目をそらした。
「うーむ、リーザ様ですか」
答えにくい。国王の実妹でありながら、いまだに嫁のもらい手がない姫。
趣味が爆弾作りだということだけは、知っている。が、知っていても理解はできない。
その話にどう反応すればいいんだ。
地下牢などの安全な場所で作業に励んでください、とでも申し上げればいいのか。
――いやぁ、私は御免ですな。あの手の娘御は。
思わずそんな言葉が口から出そうになった。
いや、ダメだ、こんな答えでは。
いいところもあったはずだ。顔が綺麗とか、ほかにも……顔だけは綺麗とか……
「美人ですな、非の打ちどころもなく」
「そうか、君の気持ちはしっかりと私の心に収めた」
国王陛下がとろけるようなほほえみを浮かべてうなずいた。
「どんな気持ちを、ですか?」
「リーザを美しいと言ってくれた、お前の優しい気持ちをだよ」
私は、我が国最強の論客――すなわち陛下が語る話の続きを、固唾を呑んで待った。
「ああ、レオン」
真っ白な手袋に包まれた手を胸に当て、夢を見るような目をして陛下が言った。
「君の優しさに心からの感謝をささげよう」
――来る! 陛下の無茶ぶりが来る!
「どうか私の愛するリーザを引き取っ……じゃなかった、娶っておくれ、我が腹心よ」
これはまたとんでもない一撃が飛んできた。
いやいや、これは。面白い、ハハハ。正直に認めよう。動揺して手が震えている。
「リーザをローゼンベルク家に降嫁させると、正式に決定した。ははっ、感動で声も出ないか」
「わ、私の意思は? 私の意思を、確認してない、陛下、恐れながら」
やばい! 声が裏返った! それ以前に、ちゃんと話せてない!
「……リーザが爆弾ばっかりいじっているから、『危なすぎる』と苦情が殺到してな。兄である私は、貴族院のお偉方に烈火のごとく説教され、リーザは座敷牢に軟禁されてしまった。お偉方は『リーザ姫はずっと座敷牢に閉じこめておけ』と言っている」
陛下は自分の都合だけを並べ立て、大きくため息をついた。
麗しいお顔には、疲労がにじんでいる。
――危ないから、座敷牢に閉じこめておけばいいじゃないですか! なんで私がそんな姫君を押し付けられるんですか!
もちろん、そんなことは口が裂けても言えない。
でも嫌だ。そんな変人姫を押し付けられるのは、嫌だ。
「お前も四十だろう。年貢の納めどきだ、レオン」
年貢の納めどきくらい、自分で決めさせてくださいよ! なんで陛下が決めるんですか!
「お前は、私に忠誠を誓ってくれたはじめての騎士なんだ。信用しているんだよ」
陛下は、よよよと目頭を押さえた。
今度は泣き落としか! くそっ!
私は相手に泣かれてしまうと強く出られないのだ。弱点まで完璧に把握されている!
「おめでとう」
「な、何がです」
「結婚、おめでとう。お前の花婿姿が見られるんだな、嬉しいよ」
国王陛下が涙をにじませて私にほほえむ。
だが嘘泣きなのは丸わかりだ。
「陛下、あの、陛下、お慈悲を……。私は、まだ結婚なんて……」
しない! 絶対にしない! したくない!
押し付けられてまで結婚なんかしない! 私はこの二十年、仕事一筋でやってきたんだ。今結婚して、この国の守護という重責をおろそかにしたくはない!
そもそも私が四十歳まで独身でいた理由は、認めるのもせつない話だが、多忙で婚期を逃したからだ。しかし独り身だと仕事に集中できて、むしろいいと思っている。
いや、負け惜しみなどでは断じてない。そもそも私には弟が三人、妹も三人、甥姪に至っては三十人近くいるのだ。自分の子に爵位を継がせたいという願望はないし、優秀に育っている甥がいるから、彼にあとを任せようかと思っている。ゆえに、跡継ぎの問題もない。
「君の母君、極北の大巫女であらせられるミラドナ様にも、すでに許可はいただいた」
なんだと、陛下はあの鬼ババ……ではなく偉大なる我が母君にまで、手を回していたのか!
「ほら、息子をお願いします、ありがたいお話感謝しますと、一筆いただいたよ」
陛下が得意げに取り出したのは、間違いなく我が母の筆跡による『結婚立会人の書面』。
い、いつの間に……!
陛下はどうしてこんなに策士なんだよ!
そういえば、陛下は去年の北方駐留軍の予算枠をどうやって拡大なさったんだろう。
貴族院の面々は、『軍にこれ以上の予算はつぎこめない!』って喚き散らしていたのに、翌日には予算が一・五倍になっていた。
怖い。頭がよすぎる国王陛下に、口で勝てるわけがない。
あと母上! まず、息子に一言断ってくれ。
いくら独身のまま四十になったからって、焦りすぎだ!
「取り急ぎ誓約書に一筆もらえないかな、早く話を進めたい」
「あ、ハイ」
ああ、口が……口が勝手に「ハイ」って言ってしまった。理由は簡単。逆らう気力が尽きたからである。
こうして私は、二十三歳の厄介者……ではなく、麗しき王女殿下を娶ることになった。
◆
わたしは、カルター王国の末席の王女、リーザ・カルター。
そしてこの国の国王陛下は、わたしのお兄様。
妾腹の子だったわたしたちは、お母様が早くに亡くなり、お城のすみっこで生きてきた。
お兄様が王様になれたのは、正妃様の子全員がお姫様だったから。
実は、五年前にお父様が突然亡くなるまで、次の王は正式に決まっていなかったみたい。
この国の王位継承権は、もちろん正妃の子が優位だ。だから当然、王位継承者を決める際には、異母姉様のだれかが『女王』になるべきだ、という声が多かった。
けれど、どの異母姉様も『国の舵取りなど無理です』と辞退された。お姫様として優雅に幸せに育った異母姉様たちは、王になるための勉強をまったくしてこなかったから。
それで五年前、当時二十二歳で政務を手伝っていたお兄様に、お鉢が回ってきたらしい。
以降お兄様は、日々仕事に追われている。それはこの国がお祖父様の代の失政で傾きかけているせい。お父様は命がけで国を立て直そうとしたものの、再建は完全にはうまくいかなかった。その負債を背負わされて、お兄様は『貧乏くじ王』なんて陰口を叩かれている。
亡くなったわたしたちのお母様は、異国からカルターの大学に留学して理学を勉強していたみたい。賢くて、向学心に溢れた女性だったと聞く。そしてお父様の目に留まり、愛妾になったあとも、いろんなものをお城の塔で作っていらしたんだって。
お兄様いわく、お母様はいつも優しく明るい人だったそう。顔も覚えていないけれど、自慢のお母様。
お母様に似たのか、わたしも計算や理学にはちょっぴり自信がある。侍女には勉強より、女の子らしく刺繍やダンスを学ぶべきと言われていたのだけど。
だからわたしも何かをもっと勉強してお兄様の助けになれないかって必死で考えていたある日、部屋にいると、庭のほうから声が聞こえた。
「もっと質のいい爆弾さえあれば、鉱山の採掘作業がはかどるのになぁ」
「ローゼンベルクの新しい鉱山か。大雪の山岳地帯じゃ苦労するわな」
思わずバルコニーに出て手すりから身を乗り出すと、わたしの耳に話の続きがはっきり届く。
「結局、除雪がてら手で掘るのが一番早いんじゃねえか? きつい仕事だよなぁ」
「火薬を作るのは難しいらしいからな。今、どの国もこぞって火薬の研究してるんだろう?」
男の人たちの声は、そのまま遠ざかってしまった。
気づいたら、わたしは指の色が変わるくらい強い力で、手すりを握りしめていた。
もし火薬の研究が進めば、お兄様の取り組んでいる交通整備のための掘削作業もどんなに楽になることだろう。
そのとき、ひらめいてしまった。
――わたしが爆弾を作ればいいんじゃないかしら、って。
お城には山のように本がある。
その中に、爆弾の作り方が載っている本もあるはず。
わたしはいつも、お兄様から「思いつきがズレている」と怒られる。だけど、一度好奇心を感じたら、なんと言われても、思い留まれない。体が勝手に動いてしまうから。
爆弾を作ろう。そう思いついたあとの、わたしの行動は早かった。
乳兄弟のヴィルヘルムを護衛代わりに連れて、城下町へ買い物へ向かう。そして「爆発岩の粉末」や「黒輝石の粉末」など火薬の原料を買い、自己流で爆弾作りをはじめた。
でも、一生懸命がんばったのに、わたしの爆弾はきちんと爆発しなかったのだ。
どの本に載っている製法を試しても、思いどおりにはいかなかった。
簡単にはあきらめられなくて、わたしはより一層爆弾作りに没頭した。
お兄様はカンカンになって怒ったわ。
『お前はなぜ、そんなに爆弾が作りたいんだ!』って。
だって、爆弾があればお兄様のお役に立てる。それに爆弾作りからは学ぶことが多くて、研究すればするほどハマってしまった。
――そして気がついたら、わたしは『変人姫』と呼ばれるようになっていた。
万年火薬臭くて、服はボロボロ、髪はぐしゃぐしゃ。仕方ないわ。十八歳から二十三歳になる今まで、わたしは研究一筋だったんだから。お洒落に興味を持つ余裕もなかった。
みんなは楽しそうに、汚れた恰好をするわたしの悪口を言った。妾腹の姫様は、生まれが悪いせいか、行動まで妙ちきりんだって。
こんなつもりじゃなかったんだけどな?
今頃わたしの爆弾のおかげで、カルターの土木工事は華麗なる発展を遂げているはずだったのに。
「あ、れ……?」
わたしは軽いめまいを感じて、おでこを押さえた。
いつからだろう、爆弾のことを考えると、めまいがするようになったのは。わたしはめまいをこらえて、長椅子に横になった。頭が重たくて仕方がない。
気分の悪さにため息をついた、そのとき――
「リーザ!」
部屋の扉の向こうから、わたしを呼ぶ声が聞こえた。
わたしは慌てて起き上がり、ふらつきながら扉を開けた。そして、驚きで目を見開く。
「おにい……さま?」
わたしが住んでいるのは、城の敷地の片隅にある、かつて物見台として使われていた高い塔。多忙なお兄様が、わたしのいる塔まで会いにくるなんて。一体どうなさったのだろう。
「リーザ、お前をこんなところに閉じこめて、すまなかった」
「閉じこめる?」
お兄様の言葉を繰り返した瞬間、ぐらりと視界が歪む。わたしは昔から、この部屋で暮らしていたのではなかったのかしら。一体いつ『閉じこめられた』の?
思い出そうとするが、頭がぐらぐらして、よくわからない。
「話があるんだ。やっとお前を託せる男を見つけた」
お兄様が、わたしの部屋に足を踏みいれて言う。
「なんの、はなし、ですか?」
わたしはかすれた声で聞き返した。
言葉が、うまく出てこない。お兄様に聞きたいことがたくさんあるのに。
わたしは一体、どうしてしまったの?
「お前の降嫁先が決まったんだよ、リーザ。レオンのところだ……」
びっくりするほどやつれ果てたお兄様が、そう言ってぎゅっと目をつぶった。お兄様の苦しげな表情に、心の奥がざわざわする。
何か言ってさしあげたいのに、頭が働かなくて、何も言えなかった。
お兄様の白い手袋に包まれた指が、わたしの頬を撫でる。
ああ、お兄様にこんなふうに撫でてもらうのは、久しぶりだ。
そう思い、わたしはゆっくりと目を閉じた。
わたしの脳裏に、銀色の二つの月が浮かぶ。不思議、綺麗な、丸い月……
なんで月が、二つ浮かんでいるのかしら……?
やがて、意識は深く沈んでいった。
――わたし、お嫁に行けるんだ!
そう思いながら、わたしはむくりと起き上がった。
あれ? いつの間に長椅子で眠ってしまったんだろう。最近、急に眠くなることが多いなぁ……
お兄様は、いつ帰ったのかしら。
ぼーっと考えていたけれど、不意にどうでもよくなった。
そんなことより、お兄様が決めてくださった旦那様のことを考えよう。
わたしの旦那様になるのは、王立騎士団、国境警備軍総指揮官を務めておいでの、レオンハルト・ローゼンベルク将軍。この国最高の武人のお一人に数えられる方だ。
レオンハルト閣下は極北の秘境レヴォントリの巫女を母に持つという。そして国境の街ローゼンベルクを統治する侯爵家の当主様でもある。
わたし、実は子どもの頃に、レオンハルト閣下に会ったことがある。とても優しく接していただいて、以来、たまにお姿を見かけるたびに、胸をときめかせていた。声をかける勇気はなくて、見つめているだけだったけれど。
わたしはため息を吐いて部屋の中を見回した。
テーブルの上には、お兄様が届けてくださった、彼からのお手紙があった。
『リーザ様。至らぬこともあるかと思いますが、今後ともよろしくお願いします』
それだけ書かれた、そっけない手紙だ。
でも、このそっけなさが、軍人らしくて素敵。
氷のような冷たい容貌で『氷将』と呼ばれるレオンハルト閣下は、貴族の令嬢やお城の侍女たちの憧れの的。でも、仕事一筋で近寄りがたい存在として扱われ、ずっと独り身でいらした。
嘘みたい。ずっと憧れていた最強の将軍様の、お嫁さんになれるだなんて。
お城では顧みられないわたしだけど、実は世界で一番幸せな女の子なのかもしれない。
そう思いながら、わたしは飾り気のない手紙に、そっと口づけをした。
◆
国王陛下に結婚話を持ちかけられてからわずか半月後、王都で結婚式が執り行われた。
リーザ姫は、豪華絢爛なドレスを着て、繊細で美しいベールをかぶっている。
私にはよくわからないが、侍女たちが褒めていたので、あのドレスは大層綺麗なんだろう。
式の間、私は、異常なほど緊張していた。一方のリーザ姫は大人しくしてくださっていたので、ほっとした。お約束どおり、新郎の挨拶は噛みまくった。
リーザ姫を私に押し付けることに成功した国王陛下は、式の間中、上機嫌。
厄介払いができたからだろう。
リーザ姫は将軍レオンハルトという名のなんでも屋に押し付けた。
――これにて安泰。カルター国の支配者階級の方々は、正しい判断をなされた。私にとっては大迷惑な話ではあるものの。
式が終わると、花嫁は着替えのためにどこかへ連れていかれた。
ああ、疲れた。しかし、リーザ姫がどんなお嬢さんなのかさっぱりわからない。まあ、彼女はまだ若いし、世間も知らないだろうから、私が大事にしてやらねば……もし、とんでもないわがまま娘だったら、どうしよう。
「レオン。式の直後に申し訳ないが、これから軍事会議に顔を出してもらえないか」
ボーッとしていた私の控室に、陛下が顔を出す。
それって、今、私に頼むべきことなのだろうか。そう思っても、ほかならぬ陛下の頼みだ。私は頭をボリボリかきながらうなずいた。
「はい、この花婿衣装のままでいいですかな」
「衣装なんかなんでもかまわない……レオン」
陛下が私のすぐそばに歩み寄る。それから、麗しい顔を私の耳に寄せて囁いた。
「どうか、リーザを頼む。お前にしか、あの子の未来を託せない」
思いのほか深刻な声音に、私は驚いて顔を上げた。紫紺の瞳に切羽詰まった光が浮かんでいるのを見て、言葉を失う。いつも薄笑いを浮かべている陛下らしくない。
陛下はすぐに私に背を向け、入り口に待たせていた近衛隊員たちに囲まれて部屋を出ていってしまった。
「お待ちください陛下、会議の場所がどこか聞いておりませんぞ」
そうだ、花嫁のことをだれかに頼まねば。今頃、一人で心細い思いをしているかもしれない。
なんで私はこんなにも忙しいのだ……今日くらい、花嫁と過ごさせてくれてもいいのに。
◆
「リーザ様には、王都にあるレオンハルト・ローゼンベルク侯爵のお屋敷に、先に向かっていただきます」
質素な服に着替えさせられたわたしは、侍女の言葉に、ホッとしてうなずいた。お式が終わってからずっと放っておかれて、お城に帰ってもいいのか、それともレオンハルト閣下が迎えにきてくださるのかわからず、不安になっていたところだった。
「あの、ここで待っていればいいの? わたし、どうしていいのかわからなくて」
「はい、ローゼンベルク家の方がお迎えにいらっしゃると思います。あ、そうそう。今宵、おしとねに入られましたら、リーザ様のほうから『旦那様、帯を解いてくださいませ』と申し上げてください。ふん。閣下はさぞ、積極的で奔放な娘だと驚きになることでしょう。そのあとはすべて、閣下にお任せになりますように」
侍女がつまらなそうにそう言った。
「それはどういう意味?」
「どうもこうもありません。初夜のご挨拶です。女としての常識ですよ、リーザ様」
女としての常識……それは残念ながら、わたしが持ち合わせていないものだ。
侍女の言葉は、お兄様が教えてくださった内容と同じだった。初夜の場で何をすればいいのかとお兄様におうかがいしたら、お兄様はなぜか耳まで真っ赤になられて『レ、レオンハルトに帯を解いてもらえばいい。あとは彼に任せるんだ。いいね、リーザ』と教えてくださった。そのことを思い出し、わたしは侍女にうなずいた。
「わかった、ありがとう。もう下がっていいわ……」
降嫁が決まってからというもの、以前から冷たかった侍女たちがますます冷たくなった。わたしが閣下に嫁ぐのが面白くないのだろうと薄々わかっていたものの、嫌われるのはやはり心が痛いものだ。
結婚式の日の花嫁って、こんなに寂しいものなのだろうか。
侍女が部屋を出ていった直後、力強くドアが叩かれる。わたしは驚いて飛び上がると、弱々しく返事をした。
「申し訳ない、遅くなって! お迎えに上がりました。奥方様、わたしは閣下の副官のヘルマンと申す者です」
扉を開けたのは、驚くほど大柄な銀髪の男性だった。
「こ、こんにち……は……あ、あの……」
わたしは知らない人が苦手なのだ。うまく言葉が出てこず、椅子の上で縮こまる。
「あ、失礼。いきなり大男が現れたら驚きますよね。こんなナリをしておりますが、私は熊ではなく一応人間です。さ、奥方様、お手をどうぞ」
ヘルマンさんが、おどけたように一礼する。いつもイライラしている侍女より、ずっと優しそうに見えた。わたしは少しだけホッとする。そして、ヘルマンさんに手を取られ、馬車に乗せられて式の会場をあとにした。
「閣下は本当にお忙しくて、式のあとですぐに軍事会議に入ったんです。でも、会議が終わったら奥方様のところに戻られますからね」
移動中、ヘルマンさんは明るい声で色々と話しかけてくださった。わたしは貴族の館が立ち並ぶ通りを眺めながら、ヘルマンさんの言葉にうなずく。
「閣下のお屋敷は質素ですが、きっと落ち着きますよ」
今になって、わたしはだんだん不安になってきていた。わたしはお城から出たことがほとんどないし、まともに話をしたことのある男性は、お兄様と乳兄弟のヴィルヘルムくらいだ。
心細さでにじんだ涙をぬぐい、わたしは精一杯明るい声で親切なヘルマンさんに答えた。
「ありがとうございます。今日から……閣下にきちんとお尽くしします」
ああ、今日からはお兄様ともヴィルヘルム――ヴィルとも、気軽には会えないんだ。
今更、そんな大事なことに気づいて、また涙がにじんでくる。
……ううん、今は楽しいことを考えなきゃ。
初夜って、旦那様と一緒に寝るのよね。旦那様に抱かれて寝るはず。ちゃんと事前に恋愛小説を読んで学習しているから、知っている。あの本は頭のいいヴィルが『これなら……お前に読ませてもいい……』って、選んでくれた小説だから、内容も信用できると思う。
一緒に寝たら何をお話ししようかな。わたしは動物の話をするのが大好き。元気いっぱいしっぽを振る犬や、のどを鳴らして甘えてくる猫、大空をはばたく鳥。どんな動物も大好き。自分も動物になってみたいと夢見ることもよくある。一匹の小さな獣になって、カルターの大自然を思いきり走り回りたいなって、ぼんやり想像をするのも大好き。閣下は動物はお好きかしら。お好きだといいな……
「さ、奥方様、ここがローゼンベルク家の公邸です」
お屋敷に到着すると、五十歳くらいの女性が出迎えてくださった。
「はじめまして、奥様。私、こちらのお屋敷で働いている侍女です。まあ、こーんな可愛いお姫様がお嫁に来てくださるなんて、閣下は果報者ですこと」
大柄な女性が満面の笑みを浮かべて言った。
広いお屋敷の中を案内してくれ、寝室と、そことつながる湯殿の場所を教えてもらった。ヘルマンさんも彼女も本当に親切で、驚いてしまう。
作ってもらったスープとお茶をいただいて、わたしはようやく落ち着いた。
「お風呂に入られたら、このお部屋で旦那様をお待ちくださいね。私は朝、またご飯を作りにまいりますから。何かあったらヘルマン様か、警護の騎士様にお申しつけください」
「あ、ありがとう、ございます」
優しく笑いかけてくれた彼女に心から感謝し、お風呂で体を念入りに清めた。
「あら……?」
だが、体を清めたあと、用意していただいた寝巻きを着ようとして、わたしは首を傾げた。ずいぶん薄いし、すぐにズルズルと脱げてしまう。
わたしは帯を頼りなく巻いて寝台にちょっと横になった。今日は慣れない華やかな場にいたせいで疲れてしまったのか、頭が重い。わたしはゆっくり目を閉じた――
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