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プロローグ
0-3 私の決意
しおりを挟むそんな中でも、極悪非道の姉は健在であった。
私の意識が戻ったと知るやいなや、部屋へ確認しに来て誰にも気づかれないように舌打ちをしたのだ。
本当に根性がねじ曲がっている。
罪の意識は無いのだろうか。
その隣では、婚約者――いや、もう既に元婚約者らしい彼が、気まずそうに下を向いている。
さらりと流れる銀髪が鬱陶しく、今にも泣きそうな翡翠色の瞳で見つめてくれるなと考える日が来るとは思わなかった。
本当に情けなく、不義理な男である。
私が眠っていたのは半年だ。
たった半年の間に、元婚約者は姉との間に子供をつくっていた。
生きるか死ぬかもわからない私ではなく、子供を身ごもってしまった姉を妻としたのは男の責任だが……順番が違うだろうと憤りを覚えてしまう。
それだけではない、姉には次期後継者としての座も奪われてしまっていたのだ。
半年も目を覚まさない娘よりも、素行に問題があろうとも有能な元婚約者を夫として家を継ぐほうが現実的だし、おそらくヒークス侯爵家が裏で手を回したのだろう。
この状況を覆すなら、あの時の事件を白日の下にさらす必要がある……が、そこまでして取り戻したい婚約者かと問われたら、労力をかける価値はないと返答できる。
とりあえず、元婚約者は裏切りを知った時点で信頼関係は破綻した。
少しずつ時間をかけて信頼が愛情へ変わっていくこともあるのだろうと考えていたのに、酷い裏切りだ。
恋愛感情を抱いて婚約を決めたわけではなかったから、そこは互いに判っていることだと思っていた。
その考えが間違っていたのか、元婚約者は違ったようだ。
もう姉の夫となった人のことなどどうでも良いが……見過ごせないのは私を階段から突き落とした姉のことである。
時間が経ってしまったために、もし何かしらの証拠が残っていたとしても、既に回収されているだろう。
それに、私を事故に見せかけて階段から落としたことを立証したくても、目撃者がいない状況では難しい。
日本の警察ならいざしらず……いや、警察でも難しい事件になるのだろうか。
そんな、どうてもいいことを考えてしまうのは、軽く現実逃避をしているからかもしれない。
やはり、ショックだったのだ。
本来なら私が家を継ぐ予定だったし、結婚の日取りも決まっていたのに……。
しかし、全ては遅く、姉に婚約者も次期後継者の座も奪われたというオチである。
「現状は理解しました。私のこれからについてお話がしたいです。今後の事を考えるなら、どこか専門の施設に入るか、領地へ戻って別棟で暮らすのが一番だと思うのですが……」
「何を言うの! 専門施設となれば僻地にある治療専門の修道院でしょう? 奇妙な噂があるから駄目よ。あとは、別棟は老朽化が進んでいて危ないわ。心配しないで……貴女は私の娘。今からでも婚約者を見つけてみせるわ!」
「父に任せなさい。何としても素晴らしい相手を見つけてやるからな!」
私の両手を握って涙を流す両親には申し訳ないが、階段から落ちたときに打ち所が悪かったようで右足はほとんど感覚が無く、左足にも麻痺が残った。
こんな傷物の娘を嫁にもらってくれるような男性などいるはずがない。
おそらく、何らかの問題を抱えている男性か、後妻に収まるくらいだろう。
未来は明るくないが……とりあえずは、少しくらい仕返しをしておこうと、黙ったままの姉を見据えた。
「しかし……怪我の発端となり、婚約者も奪ったような形になった姉からの謝罪がないのは、どうなのでしょう」
憮然とした表情で睨み付けると、姉は驚いたような顔をして此方を睨み付けてくる。
大人しかった私が噛みついたことが、そんなに意外だったのだろうか。
「仕方が無かったのよ……家のためですもの」
「聞いた話では、子供が出来た方が先なんですよね?」
「それは……」
「私が階段から落ちたとき、どうして助けてくれなかったのですか?」
「あれは、気分が優れなくてよろけてしまっただけで……」
「へぇ……あんな場所でタイミング良く……ねぇ」
「ご……ごめんなさい」
「何に対しての謝罪でしょうか」
間髪入れずに淡々と言葉を返す私に苛立ったのだろう、目尻をつり上げて姉が私を睨み付けたのだが、元婚約者が前に出て頭を下げた。
「本当に申し訳ない。私の妻が原因で怪我をさせてしまった……そして、貴女に相談も無く婚約破棄を……いや、子供が出来てしまったから、婚約破棄をせざるを得なかった」
「順番が違いますよね」
「君の言う通りだ……申し開きも出来ない」
平身低頭の姿勢で謝罪をする元婚約者を静かに見つめるが、何を言ったところで変わる事などあり得ない。
しかも、姉を選んだ元婚約者に帰ってきて欲しいわけでも無いのだ。
「お父様とお母様に今後をお願いいたします。こんな私を娶ってくれる方がいらっしゃるのでしたら、何も言わずに嫁ぎます。その代わり、その人を私に近づけないでください。今後一切の関わりを断ちたいと思います」
姉に――いや、姉であった人に向かって冷たく言い放つ。
何か感じるものがあったのだろうか、両親は私の言葉を受け入れて部屋から姉であった人を追い出した。
わずかな抵抗を見せながらも、引きずられるように追い出される姉を呼び止めた。
「これが妹として最後にかける言葉となるでしょう。お姉様……見ていてください。私は貴女よりも、必ず幸せになります。人の幸せを横から奪っても幸せにはなれない。それを立証してみせます。私にここまで言われる覚えがありますよね? 何をしてきたのか自分が一番良くわかっているはずですもの」
「アレはわざとではないわ!」
「どこの国か忘れましたが……『因果応報』という言葉があります。良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという意味です。人を陥れた罪は巡り巡って必ず返ってくるのだと覚えておいてください」
私の態度と言葉に、とうとうキレたらしい姉が罵詈雑言を投げかけてくるが、知ったことでは無い。
さすがに「アンタなんて死んでしまえば良かったのに!」という言葉は聞き捨てならず、父と母が激怒して、彼女の頬をひっぱたいた。
悔しそうに睨み付けてくる姉は、この先、平穏無事な生活など送れないだろう。
殺人未遂が立証されたら死刑が確定するのはわかっているが、それでは生ぬるい。
私の全てを手に入れて幸せになったつもりの姉に、見せてやらなければ……姉は姉で、私は私なのだと。
相手に成り代わって幸せにはなれないのだと――
とりあえず、私が幸せになって、見返してやらなければならない。
そのためには、何が必要だろうか。
考えを巡らせている私の部屋で、いつまでも突っ立っている元婚約者を横目で見る。
全く動く気配のない彼に、低い声で問いかけた。
「いつまで私の部屋にいらっしゃるおつもりですか? 未婚の女性の部屋に、既婚とは言え若い男性が長居するものではありませんよ」
「あ、いや……その……君は……そんな人だったかい? もっと、おっとりと優しい……」
「私だって怒ります。人間ですもの、当たり前ではありませんか」
「お、怒っているのかいっ!?」
先ほどから何を言っているのだろうか……この人は私が感情のない人形だとでも思っているのだろうか。
呆れた……と、小さく呟く私の声を聞いた侍女が動き、退室を促す。
それでも居座ろうとする元婚約者を、部屋に戻ってきた母が追い出した。
今更何の話があるというのだろう。
全く、二人揃って訳がわからない。
「さあ、無理はいけません。ククルーシュのように聡明な娘であれば、きっと良い縁談が見つかるはずです。貴女は体力を戻すことだけを考えて療養しなさい」
「お母様……」
「母のお願いです。どうか……幸せになって」
「大丈夫です。必ず幸せになりますから、見ていてください」
私をベッドに寝かせ、眠るまで手を握って幼い頃のように優しい声で語りかける母に感謝する。
全てを傷つけてしまうのでは無いかと心配になるほど尖っていた心が、丸く優しくなっていくのを感じたからだ。
母は強し――
いつか、母のように包み込むような優しさを持てる日が来るのだろうか。
大きな海を思わせるような女性になりたいな……
そんな理想を抱きながら、前世の記憶のおかげで幸せのラインが下がって、何にでも感動できそうな自分に笑いながら眠りに就いたのである。
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