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第一章
1-28 舞矢 蓮太郎
しおりを挟む体が重い……目が開けられない。
真っ暗な世界で体を横たえるだけしかできない私の体は、あまりにも頼りなくて……
階段から落ちて意識を失い、暫く眠ったまま目を覚まさなかった時の事を思い出す。
まさか、あの時と同じように長期間に渡り目を覚まさないことはないはず。
そう信じてはいるけれども、なんだかとても心細い。
最近はずっとそばにいたコルもいなければ、優しく包み込んでくれるようなゼオルド様もいない。
クロヴィス殿下やアニュス様、ネレニア様やヒューレイ様。
いつもそばに居てくれたロレーナや、何かと世話を焼いてくれるランスもいないのだ。
どこを見ても、瞼を開いているのかわからないような暗闇ばかり。
耳が痛くなるほどの静寂の中には、何の気配も感じられなかった。
ゼオルド様やコルはどうしているだろうか。
クロヴィス殿下には、迷惑をかけてしまって申し訳ないという気持ちが募る。
「ここへ来るのは二度目だな」
いきなり声がした。
その言葉が耳に入ると同時に視界が開け、どこまでも続く青い空と何の障害物も無い草原に心地良い風が吹き抜けていく空間へ放り出された。
確かに、ここへ来たのは二度目だ――
記憶にはないはずなのに、そう感じる。
広大な草原に、とても不自然な白い木製のテーブルセットが置かれており、そこに一人の男性が座っていた。
よっ! と言って気さくに手を挙げる彼にも見覚えがある。
「コルに任せられるところは任せないと、普通の人間が持つ魔力量じゃ、扱い切れない物も出てくるぞ?」
「……初代国王陛下が最初から注意書きをしてくだされば良かったのでは?」
「ノートにちゃんと書いていただろう? 多分……小さい文字で……」
視線をわずかに逸らして「多分な? 多分」という言葉を繰り返す。
おそらく、記憶が曖昧なのだろうということは理解した。
「初代国王陛下の小さな文字は潰れて読めません」
「……先生にもよく字が汚くて読めないって言われてたっけ」
カラカラと笑う彼は、私に力を継承してくれた初代国王陛下に間違い無い。
そうだ、階段から落ちて半年の間眠っていたが、私はただ眠っていたのでは無く、彼とこうして話をしていたのだ。
日本の話や世界の話で盛り上がり、何か大事なことを頼まれた気がする。
それだけが思い出せない。
「まあ、とりあえず座ってお茶でもどうだ?」
「その前に、色々とお話が――」
「大事なことは以前に話をしただろう? 覚えていないのは、まだ必要が無いからだ」
「では、今回の神様の件は?」
「アレは俺も想定外だな。運が良かったのか悪かったのか……ヒナリちゃんの婚約者が結んだ縁だからなぁ」
ある意味、凄い逸材だよなと彼――舞矢 蓮太郎は笑った。
短く切りそろえた黒い髪と、悪戯っぽく笑う黒い目が印象的な青年だ。
いつまで経っても少年のような心を持ちながらも、国のために身を粉にして働き、礎を築き上げた偉大なる人である。
「師匠と呼べば良いですか?」
「え? あー……それもいいけどさ、前みたいに蓮太郎さんって呼んで欲しいかな」
彼の本名を知る者は、彼が異世界から渡ってからというもの天空神と時空神以外には存在しない。
本名を知られることを恐れた……いや、警戒した結果である。
それで、寂しい思いをしてきたと語っていたことを思い出す。
「蓮太郎さん、コルを私に預けて良かったのですか?」
「良いに決まってるだろ? だってさ、あんなに楽しそうなコルは久しぶりに見たよ。俺の死期が近づいているとわかってからのコルは、無理して笑っていたからさ……」
「いずれ……私も同じ思いをさせてしまいますね」
「俺たちは人間だからな……」
少しだけしんみりしてしまったが、色々聞きたいことはあった。
でも、何から聞いたら良いのかがわからない。
調合のこと、国のこと、これからのこと……不安は色々あるが、それは以前、沢山話していたようにも思う。
「とりあえず、今は……力の使い方や限界を覚えること。コルに任せられることは任せること。力を使いすぎてぶっ倒れていたら、いつか本当に命を失いかねないから気をつけること」
指をピッ! と目の前に立てて私に注意をする彼に返す言葉などあるはずもない。
しゅんっとして小さな声で「はい」と答えたら、優しく頭を撫でてくれた。
友達……いや、兄? それとも……お父さん……かな。
見た目も私より歳が言った青年といった感じがするし、父ほど老けてはいないけれども、貫禄があるからそう感じてしまう。
「錬金術はイメージと発想が大事だ。好きにやってみるといい。そして、勘違いしてはいけない。錬金術は万能では無い。無から有を創り出せはしない。何かしらの対価を払っているんだってことを……」
「何かしらの対価ですか」
「ヘタをすれば、命を削って対価を払う物もある。いずれ、そういう代物にも出会うだろう。後悔の無い選択をすることだ」
「は、はい」
まるで先生だと思いながら、彼の言葉を今回はシッカリ覚えておこうと頭に入れて記憶する。
錬金術の先生の教えだ。
忘れてしまっては大変である。
「あとは……杖の成長に合わせて解放されるレシピがあるから、注意してノートは見ておくこと」
「文字が……」
「それは、本当にごめん! お詫びといってはなんだけどさ……素材集めに便利なアイテムが解放されているはずだから、コルから受け取ってくれ」
「素材集め……そうだ、それもしたいなぁ」
「今はダメだ。ヒナリちゃんの馬鹿姉貴がウロウロしているから、とっ捕まったら大変な目に遭うぞ」
「うぅ……」
「そこも気をつけた方が良い。ゼオルドや王家を頼りまくって、出来るだけ早く離れた方がヒナリちゃんのためだ。あれほど執着している上に、イカれた女は放置に限る」
言葉は悪いが正論だ。
何故私に執着するのかわからない。
おそらく、一生理解出来ないのだろうが、離れた方が良いことは誰に言われなくてもわかるというものだ。
「元婚約者を寝取っただけで満足していたら、多少はまともな生活をおくれたのにな……クロヴィスに目をつけられたら終わりだぞ」
「クロヴィス殿下……何をしようとしているのですか?」
「知らない方が良い。アレだけヤバイ奴だから、隔離したくもなるだろ?」
そういう方面で話が進んでいるのか……と、次の言葉も出てこない。
おそらく、アニュス様とウリアス夫妻も、その計画に手を貸しているのだろう。
もしかしたら、両親も――
いや、そうなったらトレッチェン家はどうなるのだろうか。
「心配しなくても殺しはしないさ。家の方も、子供が成人するまでカール・トレッチェンが頑張るだろうよ」
「そうですか……」
結局、父は姉夫婦に継がせる気が無いということだ。
後を継ぐならば勉強をしろ、力を付けろと言いながら……である。
父と母も、姉を絶対に許す気は無いのだ。
怒っているからといって追放するのではなく、手元に置いて指導するのは「さすが」の一言であるが……父と母が疲れてしまわないか心配であった。
「まあ、定期的にクッキーやドリンクを差し入れしてあげたらいい。そのうち、工房の窓口を設置出来るようになるはずだから、両親の部屋と今世話になっている屋敷に設置したらいいんじゃないか?」
「工房の窓口?」
「領地に戻ったら、専用の部屋を用意するって言ってただろう? そこを工房としてコルに設定してもらって、窓口で依頼を受けるんだ。品物は窓口から相手へ受け渡しが出来る。これは、時空神の力で作った物だから時間と空間を超える便利アイテムなんだ。経験を積んで設置できるように魔力を育てていくといい」
「ま、待ってください……情報量が多い!」
思わず頭を抱える私に彼は首を傾げて、そんなに難しいことを言ったか? と呟く。
「ゲームの基本だろ? 本拠地を設定して、依頼を受ける窓口を設置する。そのためには必要経験値が不足しているから、レベリング頑張れって話だ」
「いきなり、ゲーム的な思考になってるーっ!」
アハハハ! と楽しげに笑っていた彼は、何を思いついたのか、いきなり誰も気づいていない手記の場所を教えてくれた。
そして、これ見よがしに親指と人差し指で輪を作り、日本人ならではのお金のサインを見せてきた。
「翻訳して大金ゲットだぜ!」
「文字が読みづらくて、本当に大変なんですよっ!?」
「そこを主張して、金額をつり上げるんだって!」
「そこまで厚かましくなれません!」
「何言ってんだ。歴史的に価値のある手記だぞ? 自分で言うのも何だが、世界を救った勇者が残した、唯一無二の手記! すごいレアものでプレミアがつく代物なんだから、上手に使ってくれ。本当にヤバイのは処分しておいたし!」
「……わかりました。ありがたく使わせていただきます」
「日記みたいな物しか無いから、大丈夫大丈夫」
本当かな……と、心配になるが、彼なりに色々と気を遣ってくれたようだ。
実際に読めるのは私しかいないのだから、マズイと判断したら隠せば良い。
「しかし……まさか修繕費用だけであれだけかかっちまうとは……五百年後の世界を甘く見てたわ……マジで、昔は簡単に手に入っていた素材が、今では希少なんだな……」
「え?」
唐突な話題に驚いていると、彼は片目を瞑って至らずらっぽく笑う。
おそらく、今の私は知らないが、今後関わってくる重要な話のようだ。
「まあ、それはゼオルドに聞いたら良い……そろそろ帰らないと、今度はアイツのほうがぶっ倒れそうだし」
「アイツって……ゼオルド様?」
「コルもずっと泣いてるから、慰めてやって欲しい」
「わかりました。もう、お別れなんですね……」
「まあ、また機会がある気はするけど……今度はもっと先になりそうだ。俺は、天空神と時空神と一緒に見守っているからな」
「……はい。ありがとうございます……蓮太郎さん」
「おう! またな、ヒナリちゃん」
優しくて大きなゴツゴツした手が私の頭を撫でる。
強い風が草原を吹き抜けたかと思うと同時に、体が宙に放り出されたような感覚に身をすくめてしまう。
怖い!
体がビクリと震えたが、次の瞬間には浮遊感が跡形も無く消えていてホッとした。
どこまで落ちていくか判らないなんて、恐ろしくて心臓に悪い。
安堵の深い溜め息をついた私の耳に、何かの音が聞こえた。
何だろう……?
「ククル?」
聞こえてきたのは、恐る恐る問いかけるような声――
弱々しくかすれているが、聞き違えるはずがない。
「ゼオルド……さま?」
「っ!」
暗闇の中、動いた気配は二つ。
私の体を痛いくらいに抱きしめる、大きくて鍛え抜かれた硬い体からは大好きな彼の香りがした。
そして、私の首元に飛びついてきた小さな塊はコルだろう。
ぐりぐりと人間で言う頭部をこすりつけて、良かったと言っているように感じる。
月明かりしか無い部屋なので、コルが文字を書いていても見えないが……二人が喜んでくれていることが嬉しい。
「心配をかけて……ごめんなさい……」
「良かった……本当に良かった……コルも心配して泣いていたんですよ? もう、あんな無茶な事はしないでください。私の寿命が縮まります」
「はい……ごめんなさい……もう、二度としません……コルもごめんね……心配かけて……」
必死にしがみつく小さな鍋と、私たちを包み込むゼオルド様のぬくもり。
ああ、帰ってきたのだと実感して、私は二人を力一杯抱きしめた。
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