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第四章 心を満たす魔法の手
情報が大事なのです
しおりを挟む「このパンなら、確実に食いついてくるだろうね。基本的には変わらないけど詳しい日程などを練り直さなくちゃいけない……さすがに考えていた以上のパンが出てきて心底驚いているから冷静に判断できているかなぁ」
あははっと軽やかに笑ったロン兄様は「本当に美味しくて、予想もしていなかったよ」と優しい声で、手の中にあるパンを見つめていらっしゃいました。
ロン兄様たちが知っている平べったくて硬いパンが常識であれば、私が皆様に作っていただいたパンは、全くの別物と言っても過言ではありません。
「本当はね、彼らが遠征討伐訓練に同行する前に決着をつけようと考えていたんだけど……これだけのパンが出てきたら、相手はなりふり構わず全力で潰しに来るだろうからね」
「それは同感だ……」
ロン兄様の意見に賛成のようであったテオ兄様は、ゆっくりと私の方へ視線を向けて言葉を続けます。
これから告げる言葉と共に私に降りかかる身の危険を慮ってか、その深い色の瞳には憂いの色が感じられました。
「ルナ……このパンをできるだけ聖都に広めてくれ」
テオ兄様がそう提案されますが、その言葉にリュート様がわずかな反応を示します。
「申し訳ないが、敵の狙いを分散させないためにも必要なことなのだ」
新しいパンを作っただけではなく聖都に広めることにより、相手はできるだけ早く私を排除しようとする。
噂の元を絶たなければ瞬く間に広がりを見せる可能性があり、それは誤情報であり大地母神様を貶めようとした愚か者の仕業だということにしたい枢機卿側にしてみたら、そうするしかありませんよね。
その分、身の危険が伴いますけれども……ふわふわなパンを作ると決めたときからわかっていたことですので、想定内です。
リュート様もそれを覚悟して守ると決めてくださいましたが、こうして反応してしまうのは彼が優しいからなのでしょう。
テオ兄様やロン兄様が何も感じていないわけではないと知っているし、わかっている。
だから彼は、言葉にすることなく静かに拳を握りしめました。
「連中の注意をこちらへ向けさせている間に、ちゃんと動いてくれよ?」
「勿論そのつもりだよ……ごめんね、リュート」
「いや、ルナがもう覚悟を決めているのに、俺がここでうだうだ言うのは違うし、全力で守るって決めているから、何も変わらないよ」
「……そうか」
この三兄弟の絆は深い……なんだか、前世の兄やベオルフ様に無性に会いたくなります。
前世の兄はロン兄様のように優しく、ベオルフ様はテオ兄様のように深い信頼を持って、私を安堵させてくれることでしょう。
やはり、兄弟姉妹の絆は強いものなのです。
「そちらへ注意が向いたら、こちらも動きやすくなるからね。神殿内部は複雑だけど、知り合いがいるから何とかなる。できるだけ早く内部の詳しい情報も仕入れてくるよ」
サラ様が自信たっぷりに言うので、リュート様は「本当に顔が広いよな」と少々呆れ気味に肩を竦めました。
大地母神の神殿関係者に『新たなパン』の情報を流し、こちらへ集中させる作戦でしたものね。
人の固定概念を覆し、噂を広めるのには時間がかかると思いますし、今からでも遅いくらいかもしれません。
「奥様はまだ本調子じゃありませんにゃ!だから、僕たちが作りますにゃ!」
「ドーンと任せて欲しいですにゃっ!」
リュート様は、二人の言葉を聞いて少し思案してから、コクリと頷きます。
「そうだな。レシピがあれば、カフェたちにも作れるだろうし、店で提供すれば、噂は一気に広がるだろう」
「聖都に噂を広げるならば、城の関係者にも広めておくほうが良かろう。それは俺に任せるがいい」
「私は神殿関係者に当たりますわ」
「僕は魔術師関連に顔を出して広めてみるよ」
レオ様とイーダ様とボリス様が口々にそう言ってくださって、心強いですね。
「店での仕込みは任せたぞ、カフェ、ラテ。……兄さんたちは、できるだけ早期解決してーんだよな」
カフェとラテがお任せですにゃと力強く胸を叩く様子を見て目を細めて頭を撫でていたリュート様は、ロン兄様の考えを読み、念の為の確認だというように尋ねました。
そんなリュート様に「さすが俺の弟!」と喜びの声を上げたロン兄様は、遠慮なくリュート様を抱きしめて頬ずりしそうな勢いですが、さすがにここでは暴走することもなく、柔らかな口調で語りかけます。
「リュートの考えている通りだよ。こういうことって、下手をすれば多くの人命に関わるからね」
「そして、この新しいパンを知る者全てが狙われる可能性があるから、狙いを一点に絞りたい……ってところか」
「そうだね。相手の狙いが広範囲に分散したら、とても守りきれない。それに、生半可な準備じゃ逆手に取られそうだから、万全の準備をした後、一気に叩きたい」
「だったら、日時もある程度絞れたほうがいいな……」
リュート様はじっくり考えたあと、私の方を見てニッと笑いました。
おや?
これは……悪巧みの顔ですね。
でも、それもカッコイイのです!何ですか?リュート様、お願いですか?
どーんと来いなのです!
「ルナ。来週の土曜日にでもさ、新作パン出さない?そうだな……常識から外れた、とんでもねーパンがいい」
「とんでもない……パンですか……」
頭の中にいろいろなパンが浮かんでは消えていきます。
あまり奇抜すぎても受け入れられないかも知れませんし……
視線を彷徨わせていると、脳裏に何かひらめくものがありました。
「あまり奇抜すぎても受け入れるのに時間がかかるでしょうから、このパンに合う、クリームパンを作りたいです」
甘い香りに、トロトロの甘いクリーム。
絶対に合いますよね。
すぐさま反応したチェリシュが目をキラキラさせて「クリームなの!」と大はしゃぎです。
「クリームパン……か」
リュート様はそう呟くと、黙りこくってしまいました。
どこか哀愁漂うその姿にドキリとしてしまうくらいの何かを感じたのですが、その正体を理解することが出来ません。
ただ……懐かしむような、愛おしむような……言葉にするには難しい感情を秘めているように見えました。
「だ、駄目……ですか?」
「あ、いや、それがいいな。最初から奇抜すぎたら皆ビックリしちまうだろうし……まあ、コレだけでもかなり驚いているけどな」
まるパンでも驚きなのですもの、食パンやクッペやカンパーニュなどはどうなるのでしょう。
あ……!
酵母が出来たのなら、ドーナツもできますし、パンケーキも良いですね。
夢が膨らみますっ!
思いつくパンの名前を上げながら指折り数えていると、みんなの頬が少し引きつった気がしますけど、まだ序の口ですよ?
最終目標は、日本のスーパーやコンビニで手に入る一般的な惣菜パンと菓子パンですよね。
考えるだけでもわくわくしてきます!
あんぱんが食べたいのですが、まずは小豆を見つけないといけませんよね。
「今後も新作パンで困ることは無さそうね。お母様は常連になって毎日買いに行くわ」
「奥様、俺様たちも作るぞ」
「あら、あなた達も一緒に新作パンを買いに行けば良いのよ。そして、ルナちゃんとお話しながら教えてもらえばいいわ。弟子なのだから、出向いて学びなさい」
「お、おう!」
「はいですにゃぁっ」
お母様に許可をいただいた二人は嬉しそうに尻尾を揺らし、カフェとラテも「来るにゃ?いつ来るにゃ?」と嬉しそうです。
「まあ、これで相手の狙いは奥様とカフェとラテ……つまり、店に絞られるいうことやな」
「あと追加で『新作パンを作るときに、関係者が集まる』という噂も流せば良かろう。新作パンを根絶やしにしたいのならば間違いなく来るわい」
「なるほど……そうしたら、奴らは関係者が集まるのを待って一網打尽にする計画を立てさせるわけですか」
「情報が重要じゃな」
優雅に笑う愛の女神様に頷いたロン兄様は、ゆっくりと背後にいる黒騎士様たちの方に振り返りました。
「つまり、君たちの働きにかかっているということだ。君たちが気取られないように情報を集めて、怪しまれないように『新しいパン』の噂を流し、指定された日に来るよう誘導する。大地母神様の教えを守る神官ではなく、枢機卿の耳に確実に入れるんだよ?」
朗らかに微笑むロン兄様に応えるように、黒騎士様たちは一斉に頷きます。
全員が何かを感じているのか真剣な表情をし、手元のパンをじっくり見ているので、思わずこちらの体にも力が入ります。
黒騎士様たちが感じている重圧に比べたら微々たるものでしょうが……今回は黒騎士様たちの働きにかかっているのですもの。
緊張しますよね。
「本来、こんな美味いパンが出来たら、大地母神様の神官であれば、仕える女神様の意図を理解して喜ぶはずなんですけど……」
「リュート様の推測通りだったら、この美味しいパンは彼らの教えを根底から覆すよな」
「噂が広まれば広まるほど不利になって、狼狽えますよね」
「大地母神様が本来求めていたパンがどっちかって、実物見たら誰だってわかると思いますし」
「その辺り突かれたら、絶対に慌てだすよな……でも、逆なでしすぎない程度か……いつもはリュート様がその辺りを判断してくれていたから……」
「正直、無駄にハイスペックなリュート様センサーがないから、面倒だしやりづらいっすね」
例の失言くんの言葉にピシリと固まった黒騎士様たちに「あん?」とガラの悪い声をかけたリュート様の気をそらすためか、いち早くフリーズから復活した黒騎士様の1人が慌てて口を開き話題を変えます。
「えー、あー、たっ、確か、『パンは人が飢えぬように与えられた大地母神様の慈悲であり、人間が作り与え、万人が口にできるもの』っていう教えだっけ?」
「お、おう!それそれ!でもさ、今までのパンだったら、歯が弱っちまった爺さんや婆さんは食えなかったし万人の口には入ってないよな」
「これだけ柔らかいパンなら、牛乳に浸さなくても良いよな」
「ポーションで煮てもいいっすよ?」
その最後の言葉に反応したリュート様が、無言のまま失言くんの足を蹴りました。
ゴスッというスゴイ音がしましたから、かなり力が入っていたのか、言葉にならずうずくまっている彼には申し訳ないのですけど……自業自得ですよ?
そのお話は、リュート様にとってのトラウマとも言えますもの。
「じょ……冗談……だったの……に、思いっきり蹴らなくても!」
「うるせーわ!テメーも食ってみるか?鍋いっぱいのポーション煮は、軽く拷問レベルだからな?俺はそれをどれだけ食わされたと思っている……お前はまず鍋2杯からはじめてみるか?」
「あ……いや……さすがにアレは遠慮するっす!」
そんな物を良く食べたな……と、愛の女神様が口元を押さえて呆れ返っているところを見ると、本当にすごい味なのですね。
何事も笑って乗り越えそうなパワーに満ち溢れているセバスさんでさえ、少し頬を引きつらせているようですもの。
アレン様とキュステさんは「ない、それはない」と首を振っていますし、レオ様たちも口元を押さえて呻いている様子でした。
全員がそんな様子を見せると、反対に興味が湧いてきてしまいますが……何故か、全力で止めるベオルフ様が見えた気がして思いとどまります。
それに、リュート様が泥だって仰ってましたもの……
トラウマレベルになるくらい忘れられない味なのでしょう。
ご愁傷様です、リュート様。早く忘れられるといいですね……と、心の中で呟きました。
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