黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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狭間の村と風の渓谷へ

23.風の渓谷を知っているか?

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「朝から、こんな美味しい食事にありつけるなんて、贅沢よねー……って、アンタたち……なんか、ボロボロじゃない?」

 ぐったりしている自分の従者に声をかけるのだが、ノエルに追いかけ回された結果、体力という体力を極限にまで消耗させられた二人は、まともな返事も出来そうにない。
 食事すらまともに取れない様子を上機嫌で眺めるノエルは、「ボク、頑張ったでしょ!」と言わんばかりに尻尾を振っていた。
  さすがにコレはやり過ぎだから少し手加減をしてやるように言うと、ニコニコしながらノエルは「わかったー!」と返事をしてくれるのだが、本当にわかっているのかどうか怪しく感じてしまう。
 まさか、日頃の鬱憤をここで晴らそうとしていないだろうな……
 黒狼の主であるハティに、随分とイライラしている様子だったので、どこかで発散させてやらなければならないのだろうが、彼らは普通の人間なのだ。
 全員が主神オーディナルのような、途方もない体力と力を持っているなどと考えて貰っては困る。
 それならば、人並み外れている弟に任せたら良い遊び相手になるやもしれないと考え、焼きたてのパンを頬張った。
 具材を中に入れて焼く判断は正解だったようで、これならいくつでも食べられそうである。
 焼いたベーコンとジャガイモをパン生地で包むだけで、これほど美味しいのなら、他の食材も包んでみたくなるが、次は何が良いだろうか。

「うわ……このスープはなに? 食べたことがない味だけど……美味しい……」
「体に染み渡るような、上品な塩味だ……素晴らしい! この澄んだスープはどうだ! 野菜の甘みとコクが何とも言えず……」

 あ、ナルジェス卿の病気が出る……と、思った瞬間、隣に座っていたアーヤリシュカ第一王女殿下が、彼の顔にパンを押しつけ「コレも食べてみて」と有無を言わさずに口の中へ押し込む。
 いきなりのことで、ナルジェス卿が目を白黒させているのが面白かったのか、ノエルは「ぷくくっ」と独特な笑い方をして、同じようにパンを頬張った。

「しかし……ジャンポーネの醤油が、此方の料理とマッチするとは……意外でした」

 ホクホク顔でスープを掬って食べているマテオさんを見ながら、料理を教えてくれる人の腕が良いのだと伝えたら、優しくニッコリと微笑まれた。

「仲睦まじい様子で、微笑ましいですなぁ」
「特に意味は無いのだが……」
「えー? ベオはルナと料理をしているとき、とても嬉しそうだよー?」
「そうか?」
「うん! ルナも嬉しそうだし、昨日なんてずーっとルナがくっついてたしー」

 それは、私がエナガの姿になった時の事を言っているのか?

「そうなのですか? いつもそんな感じなのでしょうか」
「いっつもだよー! 昨日は特にルナが離さなくて、ボクと取り合いになったんだもんっ!」

 ルナは酷いんだよーと、ノエルは昨晩のことを必死に身振り手振りを交えて、マテオさんに報告しているのだが……頼むから、小鳥の姿になった事実だけは伏せておいて欲しい。
 あの姿は、ルナティエラ嬢とノエルと主神オーディナルと時空神だけが知っていれば良い……好き好んで変じたわけではないからな。
 自らの指にはまっている、ルナティエラ嬢と同じ変化の指輪を見て、思わず溜め息がこぼれた。
 ルナティエラ嬢とノエルのエピソードは微笑ましい姉弟のような話だと感じたのか、マテオさんは終始ニコニコしており、その頃になってようやくスープが飲めるようになった従者の二人は、自分たちに注意が向かないかヒヤヒヤしながら朝食を食べている。
 やり過ぎるとトラウマになりかねないので、ノエルには手加減のコツを教えないといけないな……
 しかし、ノエルの訓練法には、何か懐かしい物を感じる。
 そうだ、父が私や弟に追い込みをかける様子と似ているのだ。
 もしかしたら、私が父にしごかれている姿を、どこかで観戦していたのかも知れない。
 主神オーディナルとノエルなら、コッソリとやりそうだ。

「凄い……このスープ……体に染み渡る……」
「癒やされるぅ……」

 あれだけ追い詰められても、これくらいで回復して食事が出来るということは、やはり、それなりの実力があるということなのだろう。
 ノエルが気にして強化を図るということは、主神オーディナルから何らかの指示を受けている可能性もあるので、彼らには申し訳ないのだが、どこまでセーブすれば良いのか判断が難しい。
 内通者が近くに居る状態で手の内を見せすぎるのは良くないとは言え、何もしなければかえって怪しまれる。
 私が警戒していると悟られてしまえば、折角の情報源が途絶えてしまう。
 内通者がいるということをナルジェス卿には伝えるとして、問題はアーヤリシュカ第一王女殿下だろう。
 彼女は、良くも悪くも嘘が苦手なタイプだ。
 そういう彼女だからこそ、王太子殿下は気に入っているのかもしれないが、少しくらい表情を変える事無く相手に思惑を読まれない努力はして欲しい。
 かといって、元々、表情が動かない私には、それに対して適切なアドバイスは出来ないのだが……
 こういうことが得意な人物はいただろうかと考え、相応しい相手が全くいない事に溜め息が出た。
 ある意味、正直者ばかりが集まっている集団だと誇れば良いのかわからないが、それも悪くないだろう。
 それに、この離れの館には容易に近づけないはずだ。
 ナルジェス卿やアーヤリシュカ第一王女殿下がいるだけでも目立つというのに、喋るカーバンクルのノエルがいるのだから、どこへ行っても目立ってしまう。
 出来るだけ影に潜んで行動をしたいヤツからしたら、迂闊な行動は危険だと判断し、一定の距離を保つはずである。
 一応、警戒はしておくが、基本的にこの離れの館は安全だろう。
 粗方食事を終え、人心地ついてお茶を飲んでいると、ナルジェス卿は本題に入るかのように書類をテーブルの上に広げた。

「ベオルフは、風の渓谷を知っているか?」

 ナルジェス卿から意外な言葉が出たので、思わず反応してしまう。
 まさか、彼の方から来るとは……

「エスターテ王国との狭間にあるという?」
「ああ、やはり知っていたか。実は、その近辺にある村で、疫病が流行っているという噂があってな……私は一度調査へ向かわなければならないのだ」
「疫病?」
「うむ……何でも、高熱を発して動けなくなり、発病から数週間で命を落としているらしい」

 ルナティエラ嬢が【黄昏の紅華】を含んだと思われる食事をした時の様子を思い出す。
 彼女も高熱にうなされ、かなり衰弱していた。

「一見すると風邪のようなのだが、どうも様子がおかしいというのだ」
「様子が?」
「うむ……それが、どの調査書を読んでも曖昧で、直接視察へ行こうと判断した」
「疫病であれば、貴方がその病にかかる可能性もありますが?」
「私はこの地方の領主だ。疫病を恐れて視察へ行かず、被害を広げるのは領民のためにならない。噂が広がり、領民に不安が伝染しているのだ……私に出来ることをしなければ……」

 一応、疫病対策はしていくから大丈夫だと笑うナルジェス卿の決意は固い。
 これは、何を言っても現地へ赴くつもりなのだろう。

「私も同行しましょう」
「え……い、いや、もし疫病であったら……」
「ボクやベオが、疫病なんかにやられるわけないじゃーん。オーディナル様の加護があるんだよー? それに、マテオさんも大丈夫! 問題なのは、ナルジェスやアーヤの方だよ?」

 マテオさんは、主神オーディナルからいただいた外套があるから問題はない。
 ノエルの言う通り、渓谷へ赴くことで危険にさらされるのはナルジェス卿やアーヤリシュカ第一王女殿下なのだ。
 しかし……

「本当に、疫病であれば……だがな」
「ベオルフ?」
「先に伝えておく案件が一つ。黒狼の主ハティに繋がる内通者が本館にいます。それと、おそらく……今回の件は、疫病ではありません」

 私の言葉に、ナルジェス卿はガタリと音を立てて椅子を蹴飛ばすような勢いで立ち上がる。

「オーディナル様から……何か?」
「それについて、詳しく言えません。しかし、その症状に覚えがあります」
「覚えがあるって……何? どこかで流行していたの? ……ていうか、オーディナル様って、そんなにホイホイとベオルフに情報をくれるわけ?」

 アーヤリシュカ第一王女殿下が驚いたように目を丸くしているのだが、先ほど姿を見たばかりの従者二人はサッと顔色を変えて主を止めに入った。

「い、いけません。ベオルフ様に何かあれば、オーディナル様の逆鱗に触れます」
「本気でヤバイんですって!」
「何よ、アンタたち。まるで、その目で見たみたいな口ぶりじゃない」

 詳しくは語れないが、主を止めなければならないと必死になる従者二人と、その様子を見て「ぷくくっ」と笑うノエル。
 少しばかり複雑な表情で彼らを眺めてから、主神オーディナルからいただいた外套を誇らしげに眺めるマテオさんを順々に見たあと、神妙な面持ちのナルジェス卿へ視線を戻した。

「訳あって、私は風の渓谷にあるピスタ村へ行かなければなりません」
「ピスタ……? そういえば、その村の出身だった男がいたな。案内は彼にさせよう」
「もしかしたら、それが狙いなのかもしれませんが……ここへ置いていくより、手元で監視した方が良いでしょう」
「まさか、その内通者が……」
「そういうことです。出来るだけ悟られないようにお願いできますか?」
「つまり、疫病という噂すらデマである可能性があるのか……わかった。これでも、辺境の地を治める者だから安心して欲しい」

 微笑むナルジェス卿に頭を下げると、今度はアーヤリシュカ第一王女殿下を見つめる。
 彼女はついてくる気なのだろう、従者に何かを言って準備をさせようとしているのだが……大丈夫だろうか。

「アーヤリシュカ第一王女殿下……」
「私も行くからね?」
「……しかし」
「疫病の可能性は低いんでしょ? むしろ、何を隠しているのか洗いざらい白状して欲しいんだけど?」
「無理を言わないでください。確証のないことをお話しすることは出来ません」
「そういうことなら仕方ないけど……わかったら、情報共有ね」
「わかりました。あと……」
「わかってるわよ、内通者に悟られないように……でしょ? 任せなさい!」

 これほど信用のおけない「任せなさい」は、セルフィス殿下以来だなと頭痛を覚えた私に、ノエルは「大丈夫ー? アーヤは素直な良い子だから、きっと平気だよー」という慰めの言葉をくれたのだが、その素直さが今回は裏目に出そうなのだとは言えず、深い溜め息をつくのであった。

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