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三、アイゴー(哀号)

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 咽ぶ汽笛の音を響かせるジェットフォイルが、拡げていた翼を沈
めながら海面へと船底を密着させて行く。
 その姿は宛ら急速潜航を仕掛ける潜水艦のようだ。
 やがてスピードを落とし、ゆっくりと接岸態勢に入っていく。
 そんな風に厳原港の桟橋に着岸するジェットフォイルの一部始終
を、到着ロビーの中から飽くことも無く眺める。

 そんなとき、ふと脳裏を過ぎった画像。
 スマートフォンの中で見た、弟の婚約者の笑顔。
 あの船の中に、史樹の婚約者が居る。
 弟の婚約者だと言うのに、一度しか、しかも画像でしか、彼女を
見たことがない。
 彼女が韓国人でなかったら、恐らく何度かは実際に会っていただ
ろうと思うが・・・・・。

「兄さん、頼む。これを恵美に渡してくれ」

 そう言ってUSBメモリーをこの手に握らせた史樹。
 弟のことを考えれば、どうしても瞳が滲むのを禁じ得ない。
 直ぐに両の瞼を両の掌で拭った。

 史樹の愛した女に初めて会う日に、こんな無様な顔を見せられは
しない。
 何度か顎を振って頬を滴り落ちて来る雫を払い、千切れるほどに
唇を噛み締めた。

 絶対に彼女を見逃してはならないと心に決め、定刻より早めに到
着ロビーにやって来て、こうして桟橋を眺めながら早や三十分。
 漸くジェットフォイルの船員が、桟橋に舫い綱を投げるに至った。

 無論ここ厳原の港に、史樹の姿は無い。
 
 それはつまり、下船してくる客の中から自身の眼だけを頼りに、
史樹の婚約者朴恵美を探し出さなければならないと言うことだ。
 ところが彼女を探し出す上で頼りに出来るものと言えば、一昨日
の夜史樹から送られて来た、メール添付の彼女の画像しか無いと言
            ‐55‐ 




う有様である。

 果たして彼女だと分かるだろうか?

 しかしそんな思いも、どうやら杞憂に終わりそうだ。
 気が動転していたのか、今頃になってやっと気付いたのである。
 今日がゴールデンウィークを前にした、平日の朝であることに。
 下船して来る韓国人らしき旅行者は大勢居るが、それ等の殆どが
現役を退いたのであろう高齢者だった。
 土日や祭日ならまた違うのかもしれないが、こんな何でもない平
日に一人旅をする若い女など、彼女以外には居よう筈も無い。
 これなら画像でしかその顔を知らなくても、何とか探し出せる。
 それにしても下船してくる韓国人の多いこと。
 韓国からの船なので当たり前のことだが、此処が日本であること
を疑いたくなるくらいだ。  
 そう言えば厳原港までの道中で、タクシーの運転手がしてくれた
話を思い出した・・・・・。

 この時期厳原のメインイベントである厳原港まつりは、本来「厳
原港まつりアリラン祭」と言うタイトル名だったらしい。
 それが数年前からアリラン祭の文字が削除され、尚且つ恒例とな
っていた朝鮮通信使行列も、それと同時に沙汰止みになったそうだ。
 何でも対馬観音寺の仏像が盗まれ、それを韓国の警察が回収した
にも拘ら、過去に日本が盗んだものとして、返還差し止めの仮処分
を出した韓国の司法当局への抗議の為に、そうしたのだと言う。
 そこからはずっと中止になったままだとか・・・・・。
 ところがその仏像事件以降、物珍しさからか韓国からの観光客は
増加の一途を辿っていると、溜息混じりに話していた。
 島民の心情としては総じてマナーが悪く、対馬を韓国の領土と公
言して憚らない連中が多く来たところで、嬉しくは無いらしい。
 只、現実はと言うと、島の人口より、日本本土からの観光客より、
そしてその二者を足した数値より遥かに多い、韓国からの観光客を
頼りにしないことには島の経済が成り立たないのだとか。

「でも仮に元は韓国の物だとして、盗んだ仏像は返さなきゃね」
 と、そうそのとき訊くとはなしに訊いてみたのだが、「さあ、何
時になることやら」と答えた運転手のルームミラーに映った口元が、
苦虫を噛み潰したように歪んでいた。
 やがて運転手は、吐き捨てるように言い放ったのである。
「反日無罪と言うことでしょ」、と。
            ‐56‐ 



 

その言葉が、耳に残って離れない。

 それがまるで、史樹と朴恵美の仲を引き裂く呪文のように聴こえ、
何度も、何度も、そして何度も、心の襞に絡み付く。
 またそれは史樹が必死に調べていた、宗武志と徳恵翁主を引き裂
いた呪文でもある。

 何故両親は、史樹と朴恵美とのことを許してやれなかったのか。
 何故自分は、二人の力になってやれなかったのか。

 日韓に纏わる歴史なんて、知らなかったんだから仕様が無い。
 そんなこと聞いたことも、教わったことも無いんだから。
          
 そうして尤もらしい言葉を幾ら並べても、それは言い訳であり、
自身の犯した不実でしか無い。
 そうしたことを今回の一件で、痛切に分からされることになった。
 本気で韓国人の女を愛した、史樹のお陰で・・・・・。

 朴恵美が到着ゲートから出てくるまで、今少し時間があるようだ。
 手持ち無沙汰に、史樹のUSBメモリーのデータを保存させたタ
ブレット端末を、ブリーフケースの中から取り出す。
 最も記憶に残っているデータは、まさか史樹が朴恵美のことをそ
こ迄本気だとは思っていなかった、去年の冬頃のものだ。
 画面をスクロールさせる。
 これだ。やはりこれが、これ等の言葉が、何度読んでも胸を締め
付ける。


二○十九年十二月八日(火)

【日韓に於ける八月十五日の真相、武志と徳恵への供養】

 奇しくも七十四年前の今日十二月八日は、帝國海軍機動部隊が真
珠湾攻撃を敢行した日。
 この日の勝利を最後に、ミッドウェイ海戦での大敗、レイテ海戦
での大敗・・・・・そして大敗、大敗、また大敗・・・・・或いは
広島・長崎への原子爆弾の投下まで、日本帝國は坂道を転がり堕ち
る様に、敗戦への道を直(ひた)走りに走った。
 その阿鼻叫喚の坩堝の中で、大本営は満州からも、支那戦線から
も、南方からも撤退しようとはせず、無作為に戦線を拡大させたま
             ‐57‐ 




ま最後の時を迎えるに到る。

 日本がアメリカに負けることは、自明の理であった。
 しかし大本営はそのことには気付かないふりをして、戦争を続け
たのである。
 それ以上の罪が有るだろうか?

 そうして最後の最後には、「国体護持」だけを条件に、ポツダム
宣言を受諾することを御前会議に於いて決した。
 結果先帝は祭祀権と統帥権の二大権を取り上げられた上、日本の
象徴と言う形に落ち着くことになる。
 果たして本当にそれは、国体護持と呼べるものなのだろうか?

 満州を始め、北は樺太に千島列島、そして朝鮮に台湾、香港、シ
ンガポール、果てはニューギニア、ソロモン諸島まで、統治或いは
占領した地域を総て放り出してまで守るべき国体護持とは、先帝を
日本の象徴とすることを意味していたのか?

 無論、答えは否である。
 何故なら先帝を日本の象徴にしたのは飽く迄もGHQであり、ア
メリカの意思だからだ。

 それは終戦直後北白川宮道久王を隠蔽すべく、戸籍簿の大半が焼
失していた広島に平民として匿うと言う、陸軍中野学校の「皇統護
持作戦」発動に於いて明らかとなる。
 つまりその発令者である大本営参謀本部は、GHQに依って先帝
と皇室を抹殺されるかも知れないと言う、懸念を抱いていたのだ。
 詰まるところ帝國政府は、国体護持をポツダム宣言受諾の条件に
出したものの、その本音の部分ではそれさえ受け入れられない場合
もあると、端から想定していたのである。

 要するに死に体の帝國政府は、最後に見栄を張りたかったのだ。
 叶えられないかも知れない、危なげな「国体護持」と言う見栄を。
 謂わばポツダム宣言は受諾したが、「無条件降伏はしなかった」
と、言う、体裁を繕う為に引っ張り出された尤もらしい「条件」こ
そが、国体護持なのだ。
 如何にも日本人らしい、考え方ではある。

 この国体護持を敢えて喩えるなら、日本帝國が終戦間際、悔し紛
れに吐いたげっぷのようなもの。と、でも言うべきか。
             ‐58‐ 



 
そのことは今以て国家の体を為していない、現在の日本を見れば
一目瞭然だ。
 それは本土決戦を望む、徹底抗戦派の若手将校等を抑え込む為の
方便であったのかもしれないし、今一度現人神たる大元帥陛下を神
輿に担ぐ機会さえあれば、日本帝國を再興させることも可能だ、と、
帝國政府のそう言う思惑もあったのかもしれない・・・・・しかし
何れにせよそのとき既に、日本は終わっていたのだ。

 どう足掻いても、日本帝國は消滅するしか無かったのである。
 
 ならば日本が統治、或いは占領した地域のことはどうなる。
 満州は? 台湾は? 香港は? シンガポールは? 
 そして朝鮮はどうなる。

 悲しいかな、大本営も帝國政府も、そんなことは全く眼中に無か
った。
 確かに本土以外の統治先のことなど、構う余裕は無かったかも知
れないが、ポツダム宣言を受諾する際の条件を付けるのなら、その
ような中途半端な国体護持よりも、統治先の独立と平穏を懇願すべ
きだったのではあるまいか。
 先帝自身もそんな中途半端な、帝國政府とGHQとの折衷案とも
言うべき国体護持の形を、とても望んでいたとは思えない。
 
 もっと言えばアメリカの奴隷と成り果てた現人神を、マッカーサ
ーの木偶と成り果てた大元帥陛下を目の当たりにした戦犯は、A級
であろうと、B級であろうと、C級であろうと、神州の為に命を掛
けた彼等は、死刑執行の前に何を思ったろうか。

 また極東軍事裁判の正当性は、何処にあるのか?
 ハーグ条約に違反する原子爆弾の投下は、何故裁かれないのか?
 それこそ日本軍の戦犯などとは比べ物にならない量の、非戦闘員
の大量虐殺である、人体実験とも言える広島・長崎への原子爆弾の
投下を敢行したトゥルーマンの罪は、何故問われないのか?

 しかしそんなことを声高に発言してみたところで、今の凡その日
本人にはそれ等を論じる見識とて無い。
 今やアメリカの敷いた線路の上を、唯、唯、歩くだけの日本人。 

 でも戦争が終わってからは平和なんだし、それで良いでしょう。
 日本も悪いことをしたから、原爆を落とされたんでしょう。
            ‐59‐ 

 

 
今更昔のこと言われても、ちょっと・・・・・。
 それよりアメリカと言えば留学とか、旅行とかでしょう。
 ロスにするか、それともシスコにするか、でもニューヨークもい
いし、近場でハワイでも良い。

 仮に太平洋戦争について、或いは対戦相手のアメリカについて論
じたとして、それが返って来る凡その同世代の日本人の答え。
 彼等の本音は、そんなところだろうか。

 しかしそれは今の日本人が昔の日本人を、或いは日本の歴史を無
視するのと同義だ。
 生きた時代が違うだけなのに、日本人が同じ日本人を無視する。
 自身が日本人であることも忘れ、同じ日本人が日本人を。

 原子爆弾の凄惨に晒された広島や長崎の人々を、
 そして今や遊び呆ける為だけに存在するハワイの、
 殊に今も尚米太平洋艦隊司令部の置かれるオアフ島パールハーバ
ーに、早期講和のみを戦争終結の唯一の方途と信じ奇襲攻撃を掛け
た山本五十六を、
 またその山本率いる連合艦隊の帝國海軍の軍人達が、
 まるで存在しなかったかのように・・・・・無視する今の日本人。
 もっと言えば、パールハーバーに散った米海軍の英霊も含め。

 真実を何も知らない、何も知ろうとしない今の日本人。

 そして同じように真実を伝えてくれない、今の日本のテレビ。

 唯、唯、視聴率を上げる為だけに存在する、今の日本のテレビ。
 欧米人との混血のハーフタレントや、欧米からの帰国子女だけを
持て囃し、太平洋戦争とその時代を忌避する、今の日本のテレビ。
 或いは逆に在日韓国人や、在日二世、三世と言った、韓国や朝鮮
の血を引くタレントの出自には一切触れず、単に日本人として扱う
嘘吐きの、今の日本のテレビ。
 帰国子女であっても、それが韓国での留学経験や芸能活動の経歴
であれば、そのことについては一切触れない、今の日本のテレビ。

 それに加え手前勝手な理屈で韓国人や朝鮮人の事を蔑む、嫌韓や
右派の日本人。
 また日韓に纏わる歴史を全く知らない癖に、見た目やフィーリン
グだけで、韓流ドラマやKポップファンを気取る今の日本人。
            ‐60‐ 



 
 何時から、そんな日本と、日本人になったのであろう。
 そして何故日本人は、そんな愚を犯すようになったのか。

 それは日本が統治或いは実行支配していた先を放り出して、逃げ
帰った時からではないのか?
 また戦後日本帝國に纏わる総ての真実を消滅させようとして、現
実逃避に走ったからではないのか?

 そのことは朝鮮半島に於いて、最も顕著となる。

 もし帝國政府が仮に国体護持ではなく、統治先の独立と平穏が条
件でないとポツダム宣言を受諾しないと回答していたら、もしかす
れば韓国は、世界一の親日国家になっていたかもしれない。

 例えば朝鮮半島全土の権益の総てを、李氏朝鮮の継嗣である昌徳
宮李王世子垠(しょうとくきゅうりおうせいしぎん)を国王と定め、
独立した大韓民国政府に対し帝國政府が直に返還していれば、朝鮮
半島は南北に分断されずに済んだかもしれない。
 ソ連を後ろ盾にした金日成の出番も、或いは無かったかもしれな
いのだ。
 無論昌徳宮李王世子垠は、日本帝國の皇室典範に定められた王公
族であり、往時は日本人であった。
 しかしそれは彼の意思に関係なく、帝國政府に依ってそうされた
のだから、往時朝鮮人の彼に対する求心力は健在であった筈。
 仮にその主張の下に、関東軍が鴨緑江(おうりょくこう/압록강
/アムノックカン=中国と朝鮮の国境に沿って流れる緑の大河)で
蘇(ソ連)軍と対峙し、その条件を連合国側が承諾するまで武装解
除しなかったとすれば?
 米軍が駆け付けるまで、金日成を、そして日ソ不可侵条約を一方
的に反故にした蘇軍を、一歩も朝鮮に近付けなかったとすれば?

 或いは終戦期より少し時代を遡れば、国際連盟が認めていなかっ
たのは飽く迄も満州帝國に関してであり、朝鮮に関してはその限り
では無かったのだから、帝國政府が潔く満州帝國の権益を捨ててい
れば、太平洋戦争自体が回避され、必然的に朝鮮は南北に分断され
ずに済んでいたかもしれないのだ。

 しかし現実はその逆であった。
 
 国際連盟を脱退するほど、満州帝國に固執した日本帝國。
            ‐61‐ 



 
そして日本帝國から、満州帝國防衛の為に差遣された関東軍。
 最後にはその関東軍が、駐留していた満州の地から日本本土に逃
げ帰る為の撤兵ルートとして朝鮮を利用し、延いては朝鮮人と朝鮮
半島を犠牲にすることになる。

 往時日本帝國を動かしていたのは、陸軍省、大本営参謀本部を始
めとする所謂東京の陸軍中央であった。
 その陸軍中央出身の将校等が少なからず出仕する関東軍もまた、
陸軍中央に勝るとも劣らぬ力を持っていたと言えよう。

 時は終戦間際、昭和二十年七月二十八日調印の「鮮満産業提携強
化に関する協約」に基き、陸軍中央の許可を得た関東軍が作戦地域
を朝鮮まで引き下げる。
 それは所謂第八計画と呼ばれる、関東軍が朝鮮総督府に突き付け
た協約と言う名の強要であった。
 またその第八計画に伴い本来朝鮮全土を作戦地域としていた朝鮮
軍は、京城から百キロメートル近くも南方に引き下がった朝鮮南部
のみを、彼等の作戦地域とすることになる。
 果たして昭和二十年七月末日に、秦(はた)関東軍参謀長は京城
(けいじょう/日本統治時代のソウルの呼称)に転進した。

 往時北方の蘇軍と南方の米軍と言う、戦略上到底勝てる見込みの
無い二方面の敵と対峙していた帝國陸軍。

 確かに関東軍に取ってもそうとしか出来ない計画と言えば、そう
としか出来ない第八計画だったのかも知れない。
 しかしどう考えてもそれは朝鮮を守ろうとしたものでは無く、朝
鮮と朝鮮人を犠牲にしたとしか言いようのないものであった。
 そして関東軍が南進すると言うその第八計画の根本には、最悪朝
鮮半島が戦禍を被って瓦礫の山になっても良い、連合国の好きにす
れば良いのだと言う、至極投げ遣りな思念が潜んでいたと思う。
 また其処に関東軍の、そして第八計画を許可した陸軍中央の、朝
鮮と朝鮮人に対する蔑みの念も透けて見えてくる。

 何故なら往時朝鮮半島全土は、植民地と言えど日本帝國たる神州
の一部だったのだから、死守こそすれ其処を放り出して逃げ帰るこ
となど有り得ない筈だ。
 益してや徹底抗戦派が多数を占める陸軍中央ならば尚のこと、関
東軍の南進に反対こそすれ、許可を出すことなど有り得ない筈。
 ならば何故第八計画は、関東軍に拠って立案されたのか?
            ‐62‐ 




 また何故第八計画を、何ごともなく陸軍中央が許可したのか?

 その答えは唯一つ。

 それは朝鮮が日本帝國の一部とは言え、朝鮮人は飽くまで朝鮮人
であって日本人ではないのであるから、それ等を犠牲にすることは
已む無し。
 と、言う往時の日本人の手前勝手な理屈。
 或いは朝鮮より、朝鮮人より、日本本土が、日本人の方が尊い。
 と、言う往時の凡その日本人の概念が有ったからだ。

 日本帝國の臣民であるとして、無理矢理日本人にした朝鮮人に対
しての、最後の最後にした仕打ちがそれなのである。
 
 往時の戦況や、米軍に依る内地への大規模爆撃。
 最早死に体となった日本帝國の状況を鑑みれば、そのことを批判
するのは同じ日本人として忍びない・・・・・。
 無論日本人の私としても、そのように考えてしまう節はある。
 しかし朝鮮と朝鮮人を陸軍中央が見捨てたと言う事実は紛れも無
く、今更その史実を曲げることは出来ないのだ。

 そうしたことは、往時の沖縄戦に於いても共通している。
 沖縄戦を敢闘した三十二軍を、陸軍中央は捨石に使ったのだから。

 沖縄戦が始まって以降、参謀本部動員班は三十二軍に後詰の援軍
を送るどころか、逆に沖縄へと差遣した三十二軍四個師団のうち一
個師団を台湾へ、迫撃砲二個大隊をフィリピンへと転用した。
 参謀本部作戦課の立てた作戦に基くそれ等動員は、飽く迄沖縄戦
を本土決戦迄の時間稼ぎと捉えていた帰結だったのである。
 また沖縄戦の行われた三ヶ月の間に、夥しい数の非戦闘員に過ぎ
ない沖縄県民はその命を虚しくした。
 彼等は皆日本帝國臣民として、祖国の為に潔く散華していったの
である。
 彼等は血を流し家屋財産を失ってまで、祖国の為に敢闘した。
 それなのに陸軍中央は、牛島司令官を始めとする三十二軍と共に、
沖縄県民をも見捨てたのである。
 ならば陸軍中央に取って沖縄は日本本土では無く、沖縄県民は日
本人ではないと言うことになる。

そのような沖縄戦に関して、東京に住まう平凡な一日本人である自  
            ‐63‐ 





分には、沖縄県民に対して掛ける言葉とて思い付かない。  
 沖縄独立論が今になって論じられるのも、無理も無いことだ。

 第八計画と沖縄戦、それ等二つの出来事は、言い換えれば日本人
が日本人を見捨て、見殺しにした史実である。

 では、果たして第八計画立案と沖縄戦動員の根拠とは何か?

 それは恐らく・・・・・最終的には現人神たる大元帥陛下の御座
す宮城を、つまりは東京を最後の決戦場と定め、その宮城を枕に討
ち死にする為だったように思う。
 その為にそれ等以外のものは、如何なるものであっても顧みない。
 無論それが、尊い人命であってもである。

 朝鮮がどうなっても、朝鮮人がどうなっても良い、関東軍は撤兵
ルートを確保し何としても内地に辿り着き、東京での対米英との決
戦に備える。 
 また沖縄や、沖縄県民がどうなっても良い、その決戦に備える為
の時間稼ぎが出来れば・・・・・。
 それが関東軍や陸軍中央参謀等の偽らざる本心であり、第八計画
立案と沖縄戦動員の根拠だったのではないか。

 終戦から僅かに五年前の昭和十五年九月、帝国主義者であり枢軸
国である日独伊の三国は手を結んだ。
 その際ナチスと手を組むことを、陸軍に対し命懸けで猛反対した
往時の海軍次官山本五十六は、昭和十八年四月ブーゲンビル島の上
空で米戦闘機の襲来を受け、炎上する乗機の中に於いて終戦を待た
ずして英霊となった。
 しかし彼は終戦時の、日本帝國の末路を予期していたように思う。
 ナチスと手を組めば、何れは米英と戦うことになる。
 そうなれば日本は敗ける、と。
 米国公使館附駐在武官だった山本は、日本帝國が米国に勝てるこ
となど絶対に無いのだと言うことを知っていたのだ。
 そして彼はナチスと手を組んだ日本人の、大和民族が大東亜の民
族の中で最も優秀であると言う驕りと高ぶりから来る、朝鮮や沖縄
に於ける不幸も予期していたのでは・・・・・。
 ナチスの純粋アーリア人種が世界で最も優秀であるとした、優性
学理論にも通じる日本人の歪んだ優越感。

 無論それは、陸軍中央や関東軍参謀等に於いても然りであった。 
            ‐64‐ 


 
朝鮮や沖縄を見捨てた彼等の、心の襞に絡み付く歪んだ優越感。
 拭い切れなかったその優越感が、これ等悲劇を生んだのだ。

 では、その歪んだ優越感の起源とは何か。
 突き詰めればその答えこそが、太平洋戦争の起源でもあった。

 夥しい数のユダヤ人をガス室に送ったナチスドイツ。
 そしてそのナチスドイツと、三国同盟に拠って結び付いた日本帝
國もまた、満州や朝鮮の無辜の民を見殺しにした。

 かつて日本帝國政府は、満州族を、朝鮮民族を、そして遡れば琉
球民族をも、大和民族に捏造しようと画策した。
 彼等の文化を、或いは言葉を取り上げ、日本帝國の色に染め替え
たのである。
 しかしそこまでしておいて、終戦間際日本帝國を動かしていた陸
軍中央と、満州帝國を動かしていた関東軍の参謀等は、恰も彼等を
日本人では無いかのように見捨てた。
 
 太平洋戦争の目的とは、一体何だったのであろうか?
 日本帝國をして、戦争へと突き進ませた所以は?
 それは如何なる戦争にも必ず付き纏う大前提でもある。
 即ち戦争と言うものは、聖戦でなければならないと言う大前提だ。

 しかし往時より日本には欧米に於けるキリスト教のように、社会
に広く浸透した宗教が存在しなかった。
 未だに無宗教の者が大部分を占める日本人である。
 江戸期に鎖国していたこと、或いはキリスト教が禁教だったこと
が影響しているのかもしれない。
 何れにしても戦争をする為には、聖戦のシンボルとなる神が必要
となってくる。

 そしてその聖戦のシンボルとして祀り上げられた神こそが、誰あ
ろう現人神(あらひとがみ)こと、天皇陛下であった。
 誰が考えたのかは知らないが、宗教の根付かない日本帝國の聖戦
の神として天皇を祀り上げるとは、実に巧妙で的を得た配置である。
 と、同時にそれは、世にも恐ろしい戦争遂行の為の神でもあった。
 兎にも角にも日本帝國は人間である天皇を現人神と崇め、日本国
民唯一の信仰を国家神道と定めるのである。

 そうして日本人が自らの手で捏造した神である天皇と皇室は、戦
            ‐65‐ 




争遂行の為にとことん迄に利用された。
 然して終戦間際の日本帝國政府要人に、国体護持をポツダム宣言
受諾の唯一の条件と謂わしめた思惟の奥底に、その捏造された神へ
の畏敬の念が籠められていた事は言う迄も無い。
 結果本来の彼等の思惑とはかなり違う形ではあったが、曲がりな
りにも国体護持の条件を連合国側に呑ませることに繋がったのも、
そうしたことが有ればこそであろう。

 終戦後天皇が人間宣言をする迄、その存在を神と崇拝していた日
本帝國と日本人。
 否、今も尚、日本人の心の内奥に深く根を張って拭い切れない、
国家神道の呪縛。
 つまりは戦争の為に実しやかに設えた国家神道こそが、日本人を
戦争へと駆り立てた張本人なのである。

 それはまた日本人が日本人に仕立てた朝鮮民族を、
 日本人が日本人に仕立てた満州族を、
 日本人が日本人に仕立てた琉球民族を、
 日本人自身に見捨てさせ、見殺しにさせた大義名分でもある。

 そしてそれこそが、戦争と言う名の悪魔に依って捏造された呪文。

 沖縄県民の怒りも、韓国人の反日感情も根源は総て、戦争と言う
名の悪魔に魅入られた日本帝國が、その呪文を唱えたことに有る。

 戦後日本に返還された沖縄と、独立を勝ち取った韓国。

 そのどちらが幸福であったかを、沖縄県民以外の日本人に云々す
る権利は無いが・・・・・唯一つ、揺るが無い事実がある。
 毎年八月十五日が沖縄県民に取っての終戦念日であるのに対し、
韓国国民に取ってはその日が光復節であると言う事実だ。
 それは徹底して反日を主張出来る韓国国民と、反日を主張しよう
にも日本人であると言う矛盾を抱える沖縄県民との、似ているよう
でいて決定的に相違している点である。

 そうした意味で、韓国は沖縄よりもまだ報われていると言えよう。
 何となれば、反日の意思で日本を恨むことが出来るのだから。

 戦後日本への帰属を求めた沖縄県民の意を汲んだと言う建前の下、
沖縄を駐留米軍の基地としてしか利用価値が無いと判断したアメリ
            ‐66‐ 




カ政府は、米軍基地を残置する条件で沖縄を日本に返還した。
 以降沖縄県民はその日から、反日運動をしようにも出来なくなっ
てしまう。
 自らの意思で自らを、憎むべき日本人に戻してしまったのだから。

 例えばである・・・・・。
 戦後GHQが日本を去った後、沖縄が日本へ帰属を望んだように、
もし韓国でも日本に帰属すべし。
 と、言う風潮が沖縄同様に巻き起こったら?

 そのことに気付かないアメリカ政府ではあるまい。

 今となっては韓国国民がそんなことを言おう筈も無いが、しかし
沖縄が日本へ帰属することを望んだその裏には、紛れも無く反米の
意思が存在した。
 実際時を同じくして、往時の韓国社会でも沖縄と同様に反米思想
が芽生えていたのは事実である。
 日本に帰属していたときの方が良かったとは言わないまでも、米
国に占領されている今よりは、その時の方が幾らかましだった。
 と、韓国の国論がそう言った方向に向かう可能性は、そのとき充
分にあった筈である。

 そこで出てくるのが、例のアメリカ政府に依る反米の意思を、反
日に摩り替えたと言う説・・・・・。

 往時のアメリカ政府に取っての韓国の国土は、冷戦状態にあった
ソ連へと通じる、北朝鮮への盾とでも言うべき要衝の地であったの
だから、強ち前述の説も全くの仮説とも言えまい。

 そしてその期の韓国の大統領は、李承晩・・・・・。

 また武志が徳恵との別離を余儀なくされた一九五十五年六月も、
その時期であった。
 反日無罪、親日有罪の国論へと導かれた、最も顕著な時代である。

 それこそ武志の履歴にしろ、武志と徳恵の夫婦関係にしろ、それ
等の史実が事実である必要の無かった時代だ。
 仮に武志が徳恵を愛していて、徳恵も武志を愛していたとしたな
ら、それは李承晩に取って不必要且つ削除されるべき史実である。
 畢竟武志が徳恵を苛め抜いたせいで徳恵の精神疾患は齎され、ま
            ‐67‐ 




た徳恵の知的障害も無かったことにする。
 加えて武志は徳恵の看病もしなかったし、武志も徳恵も双方が双
方を愛していなかったことにする。

 李承晩に取っては、それこそが最も必要な史実だったのではなか
ろうか。
 それが事実に反することであっても、それが事実から歪曲してい
ることであっても、だ。
 
 事情はどうあれ住み慣れた日本を、松沢病院を去ることが、本当
に徳恵の病を治癒することになったのだろうか?
 或いは日本より韓国の方が彼女の病を治癒する上で、より良い選
択であったのか?

 などと・・・・・今になって問うことさえ許されない、日本人の
自身。
 精神科医とは言え日本人である自分が、韓国の映画や小説の原作
者に、益してや韓国政府にそうした質問を投げ掛けたりしようもの
なら、外交問題にさえ発展しかねない。
 それが偽らざる、現状の日韓関係である。

 日本人と韓国人は、恋することさえ許されない。
 益してや結婚することなど以ての外である。

 例えば徳恵が言ったとされる、「大韓民国、私達の国」と言う言
葉が実際のところ仮に、「武志さん、何処に居るの? 武志さん傍
に来て」と、日本語で呟いたとしたら・・・・・その言葉は確実に
封殺される筈だ。

 それが奇麗事では済まされない、韓国人の日本人に対する憎悪が
導き出すであろう当然の帰結。
 そしてその憎悪を生み出したのは、日本人が韓国人に対して重ね
て来た不実の連鎖だ。

 然して仮にそれが真実であったとしても、日本人が日韓に纏わる
史実について言うべきではないことが幾つかある。

 例えば元首相のA氏が、創氏改名のことについてこう言及した。

 創氏改名が起こったのは満州帝国を立国してから以降の話で、そ
            ‐68‐ 




れは朝鮮半島に住まう朝鮮人が満州で商売をしたり生活をしたりす
るのに、朝鮮名より日本名の方が何かと都合が良かったので、日本
名が欲しいと言う朝鮮人の要望に従って創氏改名は行われた。
 従って帝國政府が強制したものではない、と。

 確かにそう言う側面はあったろう。
 そうした元首相A氏の発言自体、それが真実ではないと言い切れ
るものではない。

 しかしそれが真実であったとしても、そのことを公にすることで
果たして、日韓関係が改善されるものなのだろうか。
 またそのことに言及すれば、より良い未来の日韓関係に繋がるの
だろうか。

 言わずもがな、答えは否である。

 また歴代の首相が従軍慰安婦問題を言及する際、確かに慰安婦を
募集したことはあるが、それは飽く迄もその対価を支払う上で募っ
たものであって、軍によって強制的に徴用したものではないと断定
している。

 確かにそうなのかも知れない・・・・・。
 しかしこれも先に述べた、創氏改名の場合と同じである。
 そのことを公にしたところで、日韓関係の改善には繋がらない。
 益してや米英を始めとするピュリタンな国々に於いてその発言は、
昔の日本人のしていた売春と言う不実を、今の日本人が追認したに
過ぎない。
 何故なら敬虔なクリスチャンに取ってそうした性行為は、強制で
あったとしても金銭を支払っていたとしても、総ては不順異性交遊
であり、人が犯してはいけない不実でしかないからだ。

 所謂日本人に取っては至極当たり前の、「金を払ってするのと、
金を払わずにするのとでは罪の重さが違う」と言う論理は、ピュリ
タンな国々の敬虔なクリスチャンには通用しないのである。
 或いはまた、セックス産業を徹底的に取り締まれば性犯罪が増加
すると言う統計学的なデータも、彼等には通用しない。

 そうした意味では、「確かに慰安婦は居たが従軍慰安婦はいなか
った」とする現日本政府の言い分は、韓国の提起する従軍慰安婦問
題の答えにはなっていない。
            ‐69‐ 



 
それは一生懸命言い訳をしたつもりが、世界に恥をさらしている
ようなものだ。
 しかしどう考えても正面切って応じようとすれば、必ず日本人は
韓国人に謝罪しなければならなくなる。
 そうなると国民の理解が得られなくなり、結果選挙で与党が勝て
なくなる。
 当然そうはなりたくない。
 だからこそ歴代の首相は、皆そのように答える。

 だが問題を提起する韓国側が問うているのは、それとは全く違う。
 朴槿恵にしても、金銭を支払っていようが、強制であろうが、日
本の男が朝鮮の女を性の捌け口にした不実について、大統領と言う
よりも女性として問い掛けているのだ。

 キリスト教の浸透率が日本より遥かに高い韓国である。
 それこそ慰安婦と言う名で売春と言う行為を美化した、往時の日
本人の罪をこそ問うているのではなかろうか。
 それなのにそれ等の問い掛けを何とかしてかわそうとする、日本
の政治家達。
 そうして事無きを得ようとしても 我々日本人が韓国人の理解を
得ることなど無いと言うのに・・・・・。

 それよりも、そんなことよりも先ず、我々日本人にはやらなけれ
ばならないことがあるのではないか。
 それは我々日本人が韓国国民に対し、衷心からの謝罪をすること
であり、眞(まこと)を尽くすことことだ。

 それが日本人に課された義務であり、使命だと思う。

 述べたいことがあるのであれば、その後で述べればいい。
 何を措いても韓国国民に聞く耳を持って貰ってからでないと、仮
令それが真実と言えど、我々日本人の投げ掛ける言葉は届かないの
だから。
 それにどう言いを訳しても、日本帝國が朝鮮半島に侵略して資源
を奪った事実や朝鮮の人々に対して強いた強制就労の事実、或いは
また朝鮮民族から言葉と文化を取り上げ、日本語と日本文化を押し
付けた事実などが消えることは決してないのだ。

 ところがだ・・・・そうは言っても、今の世代の日本人にそれ等
のことを理解させるのは、至極難解である。
            ‐70‐ 




 何故自身の身に覚えも無いことで、何故往時の日本人に替って自
分達が謝罪しなければならないのか。
 それが自分も含め、今の世を生きる戦争を知らない世代の本音だ
と思う。
 その上太平洋戦争や日韓に纏わる歴史は複雑で、一日や二日ネッ
トサーフィンをしたところで、易々と理解出来るものではない。
 
 しかし少なくともこれだけは言える。
 日本人が韓国国民に謝罪しなければならないそもそもの原因は、
戦争にあると言うことが。
 そして戦争をさえしていなければ、今のようなどうしようもない
日韓関係には陥っていなかった筈である。

 そう、正に戦争とは悪魔だ。

 その戦争と言う名の悪魔に魅入られた、往時の日本人と帝國政府。
 日本を西洋列強と比肩出来る国にしようとして、気が付けば何時
の間にか崩壊への道を直走っていた。

 外交よりも戦争を選んだその時から・・・・・。

 悪魔は囁く、「話し合っても分からん奴等はぶち殺せ! 領土を
増やすのだ。戦争に勝てば占領した国の言葉も文化も、もっと言え
ば憲法や法律まで自分の都合の良いように替えてしまえるんだ。そ
んな美味しいことがあるか? 戦争に勝ては、何もかも思うがまま
になるんだぞ」と。
 往時の日本人と帝國政府は、そんな悪魔の囁きにまんまと慫慂さ
れてしまった。
 
 そして日露戦争に勝利した結果日本帝國は大韓帝國を併合し、遂
には満州帝国の建国をも為し遂げ、以降武力を以てアジアを席捲し
ていくのだが、やがて敗戦しこの世から霧散して逝く。
 
 戦争に依って日本帝國が得たものは何もない。 
 凡そ三百十万の日本人を死に到らしめた太平洋戦争。
 その中には徴兵された朝鮮の若者も居た。
 そして勝ったアメリカも日本よりは遥かに少ないと言えど、九万
人以上の日本国民を死に追いやったのである。

 戦争をしていなかったら、そう言った災禍も、今のどうしようも
            ‐71‐ 




ない日韓関係も生じていなかった筈だ。

 思えば武志と徳恵も、太平洋戦争の被害者である。
 彼等のことを書いた韓国の小説の中で、そのことを最も顕著に代
弁している箇所がある。

「愛国心を持った武志が軍服姿で出征して行く様は、どうしようも
なく大日本帝國の兵士だった」と、言う一文だ。

 無論小説はフィクションである。
 とは言えどう考えても前述のような表現は、現実の武志を表現す
る言葉としては適切でない。

 と、言うのも武志は昭和十九年より、情報局総裁官房戦時資料室
第二課に於いて英文和訳に従事。
 終戦の僅か一ヶ月前の昭和二十年七月に、漸く二等兵として帝國
陸軍独立第三十七大隊に入隊し、間も無く柏八十三部隊に転属にな
っているのだ。
 つまり外地に出征した訳でも、実際の戦闘に加わった訳でも無い。
 こうしてざっと簡単に経歴を述べただけでも、彼はとても軍人と
は言い難い人物なのである。
 しかし視点を変えて見れば、それこそが韓国人の抱く日本人のイ
メージであり、原作者は単にそれを武志に投影して見せただけだ。
 小説は芸術であり、そこには表現の自由がある。
 故に原作者は韓国国民の反日の意思に応える為に、敢えて武志の
実像を追うことはせず彼の人物像を創作したのだと思う。
 無論そのことは、私を始め日本人なら皆不本意であろう。
 或いは武志も、草葉の陰で歯噛みしているかも知れない。

 しかし我々日本人はそれ等の史実を述べる前に、先ずその小説の
原作者を始め韓国国民に聞く耳を持って貰わなければならない。

 そしてその為にはどうすれば良いのか・・・・・。
 結局はそこに行き着くのだ。

 そして何故八月十五日を、日韓で終戦記念日と光復節と言い分け
ることになってしまったのか、我々日本人にはそのことを学びその
ことについて考えねばならない義務がある。
 またそれこそが宿命であり、歴史の闇に葬り去られた武志と徳恵
の「愛」への、最大の供養になるのではないだろうか。
            ‐72‐ 





 それ故に私は精神科医として、韓国人を愛した日本人として、何
としても今手掛けている、武志と徳恵の論文を完成させなければな
らない。

 武志の為、徳恵の為、また恵美の為に、何としても、だ。

 そして論文の冒頭で、一日本人として先ず韓国国民に謝罪しよう。
 何故なら私の論文を、韓国国民にも読んで欲しいからである。


 と、弟史樹の衷心より紡ぎ出した長い長い文章を読み終え、気付
かないうちに滲み始めていた両の瞳から、熱い滴を掌で搾り出よう
に拭った。

 しかし拭っても拭っても、拭い切れない滴と、滴。そして滴。
 もう一度そしてもう一度と、何度も、何度も、両の掌で瞳を拭う。

 史樹の婚約者に、こんな惨めな顔を見せることは出来ぬと胸中に
誓いながらも、それとは裏腹に熱い滴は次から次へと溢れ出て来る。

 つと前を向くと靄が掛かったようで判然としない視界の先に、通
関ゲートを通り抜けて来たのであろう女の姿が在った。
 純白のスーツに純白のロングコートを羽織り、真っ白な帽子の縁
を揺らしながら駆け寄って来る若い女。

 透き通るように白い肌と黒い髪。
 一目でそれが誰か分かった。

 そうして女を美しい。と、感じた自身を不謹慎だと自戒しながら
も、史樹が惚れただけのことはあると得心する。

 やがて自身の視界の中で、徐々に、徐々に、女の像が大きくなっ
ていく。
 手を振りながら、笑顔で近付いて来る。

 あ。と、思った次の刹那、最早女は胸に飛び込んでいた。

「史樹、会いたかった」

 胸に顔を埋め尽くす女に、(否、違う。俺は史樹じゃないんだ)
             ‐73‐ 




と、言おうとして果たせず、その代わりに呻くように低く、「朴恵
美さんですね。史樹の婚約者の」と、訊いた。

 次いで恵美の肩を両側から掌でゆっくりと押しながら、自身の胸
から剥ぎ取られた彼女の顔を見詰める。
 一瞬肩をぴくりと跳ねさせながらも、恵美は声を上げて笑った。

「ん。何? 何の冗談なの。会っていきなり・・・・・」

 微笑を湛えながらも吐き捨てるような口調で言い放ち、こちらを
きつく見上げて来る恵美に、顎を振って押し被せる。

「自分は成瀬洋樹と言います。史樹の兄の。
 お会いしたことは無いですが、史樹から聞いていませんか? 
 史樹には・・・・・弟には、一卵性双生児の兄貴が居るって」

 刹那全身を硬直させるや瞠目を禁じ得ない恵美は、無為に唇を蠢
かせた。
 やがて言葉を失ったままで、ゆっくりと後退る。
 そうして俯いた視線の先にこちらの左手を捉えると、再び駆け寄
った恵美は、自らの左手を重ねるや私の上着の袖を捲り上げた。
 何度ひっくり返しても、本来ならそこに有る筈の火傷の跡が見当
たる筈もない。
「火傷の跡・・・・・」
 顫動する唇で独りごちるようにそうと呟き、恐る恐るこちらを見
上げて来る恵美。
 熱い滴を溢れ出させたままの瞼を閉じることはせず、私は苦笑混
じりに応じた。
「史樹の火傷、自分のせいなんですよ。
 小さい頃自分がひっくり返した薬缶の熱湯を、史樹に被せてしま
って、それであいつ左腕に・・・・・」
 顎を振りながら、恥ずかしそうに頭を垂れる恵美。
「そうだったんですか。申し訳ありません。私・・・・・」
「いえ、お気になさらないで下さい。こう言うこと良くあるんで」
 応じる私に、恵美は伏目がちに問うた。
「で、史樹は今何処に?」

 問われた私は数瞬の後、低い声音で史樹の居場所を告げる。
 それを聴いた刹那、「え」と小さく呟いた恵美は、私の流す熱い
滴の意味を悟ったのか、「(アイ・・ゴー/哀・・号)」と途切れ
             ‐74‐  




途切れに呻き、開いた瞳孔をひっくり返すと黒目を失った。

 次いで、長い、長い、長い一瞬が過ぎていく。

 そうしてそのまま、恵美は私の胸へと再び飛び込んできた。



































             ‐75‐  
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