終着駅 もしくは 希望(スペランツァ)の物語(2021)

ろんど087

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第3話 魔女 Maga

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 冬とは思えない暖かな陽気がこの街を包み込んでいる。
 心なしか「大道芸人の広場」もここ何週間かの閑散とした雰囲気とは打って変わって、人々の往来が多くなったようにも見える。
 季節外れの大道芸人も何人かがその広場で商売をしているし、お菓子やジェラートの屋台までが店開きをしていたが、さすがにジェラートの売れ行きは芳しくなさそうで、屋台のオヤジは少しばかり後悔しているようだ。

 そんな冬の隙間のような日――。

 絵描きは久しぶりにベンチに座って、道行く人をぼんやりと眺めながら、気晴らしに彼らの絵をスケッチブックに描いていた。
 風景画は描かない主義ではあったが、人々のスケッチは嫌いではない。
 その日の町の住人たちは昨日よりは少しだけ元気に見え、どうやらこの陽気を愉しんでいるようで、絵描きも少しだけ高揚した気分で、鉛筆を走らせる。
 もっともいくら陽気が良かったとは云っても、冬であることは紛れもなく、人々はやはりコートに身を包んで、他の季節よりは俯き加減ではあったものの。

 そこへ――。

「へえ~、やっぱり絵描きさんは上手だね。踊り子さんが凄く絵が上手だって云ってたけど、本当に上手なんだね」

 後ろから声をかけられ、絵描きがその声に振り返ると、そこに見知った顔がにこにこと笑って立っていた。
 見憶えのある若い娘である。

「君は……?」

 居酒屋「スペランツァ」のアルバイトの娘だった。

 そう云えばいつもカウンター越しにワインを注文する以外には接点もなく、こうして町の中で出会うのも初めてだ。
 だから彼女のことはほとんど知らなかった。
 絵描きは改めて彼女をよく観察する。
 ハイスクールを卒業したくらいの年齢。
 この町では珍しい赤毛の娘である。

 彼女は居酒屋にいる時のように、屈託のない笑顔で絵描きのスケッチを覗き込んでいた。
 その表情は、本当に彼の絵に感心しているようで、少しだけ興奮しているようだ。
 そんなことを観察していた絵描きの視線に気づいたのか、彼女はふっと真顔に戻った。

「ああ、ごめんなさい。邪魔だったかな?」

 やや日焼けした顔に、少しだけ絵描きを気遣うような表情を浮かべた。

「いや、別に……。ええと……」
「ああ。自己紹介がまだだったね。みんなには『マギカ』って呼ばれてる」

 マギカ? 魔法使い?

「珍しいニックネームだな」
「まあね。でも気に入ってるんだよ」

 彼女はまた笑う。まるで太陽のような笑顔である。

「それにしても」と、マギカ。
「うらやましいなぁ」

 うらやましい? と、絵描きが怪訝そうな顔をすると、それに気づいてマギカは舌を出して見せた。

「ああ、ごめんね。あたしって絵心とかないんで、そうやって絵を描ける人を見ると尊敬しちゃうんだよね」
「尊敬? 大袈裟だな。ただの似顔絵描きだよ」
「似顔絵が描けるって凄いと思うよ。だってその人のことを知らないのに、ぱっぱっ、と描けちゃうんでしょ?」
「それほどではないけれども、一応、仕事だし――。それなりのデッサン力を身に着けて、あとはちょっとしたコツをつかめば、そんなに難しいことはないかな」
「コツ? どんなの?」
「愛情」
「愛情?」

 マギカは、ぷっ、と、吹き出して見せた。

「何が可笑しいんだ? 失礼だな」
「ああ、ごめん、ごめん。だって真顔で『愛情』とか云うから」
「でも本当なんだ。まあ『愛情』と云うと確かにちょっと、と、云う気はするだろうけど、要は似顔絵を描くモデルを好きだと思って、その人の良いところを見つけるんだ。それを少しだけ強調してあげればいい」
「良いところを見つける?」
「そうだ。悪いところを強調すると、たいていは殴られて似顔絵代を踏み倒される」

 絵描きは笑顔を作る。
 マギカも笑う。

「なるほどね。あたしもコンプレックスを強調されて描かれたら、張っ倒しちゃうタイプだな」
「だろ? それが一番の注意点だな」
 なるほど、仕事にはやっぱりノウハウって云うのがあるんだねぇ、と、マギカは呟いた。

「ところで」と、絵描き。 
「マギカ、君は大学生なのかい?」
 そう訊ねた。

 何故なら彼女はシンプルなセーターにマフラーを巻いて、ミニスカートとタイツにブーツを組み合わせたこの町では最近よく見かける典型的な女子大生の服装であったからだ。
 正直なところ地元の大学生で大道芸人に興味を持つ者がそれほどいるとは思えなかったし、ましてやこんな風に声をかけて来る者などほとんどいなかった。
 大抵の人間にとって、大道芸人はジプシーの次にロクでもない人間に分類されているものだ。

「ええ。あそこに通ってるの」

 彼女が指差す先は、この町にいくつかある大学のひとつだった。
 時計台がかすんで見えている。確か国立大学で留学生も多いと聞いたことがある。

「君は、留学生? この国の人じゃないだろう?」
「うん。ずっと南の国から来たんだよ。それより――」

 マギカは後ろで手を組んで、上半身を傾けて絵描きに顔を近づける。

「隣、座っていいかな?」
「え? ああ、すまない。気づかないで……」

 マギカは苦笑して、絵描きの隣に腰をかける。

「ふふ。面白いね、絵描きさんって。芸術家は気が利かない、とか、空気が読めない、とか云うけど、本当なんだね」

 ずけずけと、彼女は云う。
 絵描きは苦笑いを浮かべた。

「芸術家、なんて――」

 芸術家にあこがれてはいたが、今の絵描きはただの大道芸人のひとりである。
 所詮はこの「大道芸人の広場」に集まって来る他の「芸術家もどき」や「芸術家崩れ」と同じような「まがい物」でしかない。
 そんな絵描きの内心など知ってか知らずか、マギカは絵描きに体をぴったりと寄せて腰掛けると、きらきらした目で彼を見上げる。

「絵描きさんも、この国の人じゃないよね?」
「ああ。ぼくはずっと東の国から来たんだ」

 その近過ぎる距離感に何となく決まり悪い思いを味わいながら、絵描きは答えた。
 しかしマギカの方は気にしている素振りも見せない。
 魔女、と云う言葉が似合う娘だ。

「うん。絵描きさんは東洋系かな、って、ずっと思ってた。だから一度こうやって、お話してみたかったんだ」
「ぼくと?」
「そうだよ。この町で暮らす異国人仲間としてね」

「異国人仲間か……」
 彼は呟く。

「どうしたの?」
 マギカがその絵描きの言葉に不思議そうに訊ねる。

「いや、この町の人たちって昔からこんなに異国人に冷たかったっけな、と、思って」
「異国人に冷たい? そうかな。何処でもこんなもんじゃないのかな?」

 彼女は可愛らしく首を傾げる。
 その仕種はまだ若々しく初々しい娘そのものである。
 ふわり、と、いい香りが漂って来る。
 胸の奥が疼くような不思議な感覚を絵描きは憶えた。

「何処でもこんなもの、か」と、絵描き。
「じゃ、大学では、どうなんだい? やっぱりみんな冷たいのかな?」
「同じようなもんだよ。まあ、異国人だから、と、云うよりは、全体的に他人に無関心って感じではあるけどね。――ってかさ、絵描きさん、昔は、って年寄り臭いよ。まだ若いくせにさ」
「君よりは年上なのは確かだけどね」
「そうだろうけど……」

 マギカはそう云うと、ぼんやりと広場の風景に目をやる。

「あの、さ」と、マギカ。
「あたし、あんまり友達がいないんだけど、絵描きさん、あたしの友達になってくれる?」
「友達に? ……君は、変わっているね?」
「変わってる? どうして?」
「この町で大道芸人と友達になろうなんて考える人間は珍しいからね。大道芸人なんか所詮はジプシーとそれほど変わらないと、みんな思っているんだろうから」
「そうなの? そんなことないと思うけど。少なくともあたしはそんな目で人を見たりしてないよ」
「まあ、みんな口ではそう云うけれど、腹の中ではわからないから」
「ありゃ、シニカルな台詞だね」

 マギカは横目で、やだやだ、と、絵描きをと見つめ、それからすぐにまた笑顔に戻る。

「そんな一般論はいいとして、どうなの? あたしと友達になってくれるの?」
「え?」と、絵描き。
 どうやらこの娘は本気で云っているらしい、と、彼は気づいた。

「もちろん、構わないけど」
 おずおずと答える。
 マギカは満足そうに、うん、と、頷いた。

「ありがと。何のかんの偉そうなことを云っちゃったけども、やっぱり異国でひとりって寂しいからさ」
 ペロッと舌を出して見せた。
「男友達とか、いないのか?」
「あ、無粋だね、絵描きさん! そんなこと訊かないの! いたら友達になってなんて云わないよ」
「それはそうか」

 なるほど、確かにこんな似顔絵描き風情に友達になってくれ、などと云うからには、本気で友人が少ないのだろうな、と、絵描きは納得する。
 その絵描きの様子に、マギカは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんなさい。その、誰でもいい、とか、そう云う意味じゃないし、絵描きさんがヒマそうだから、とか、そんな意味でもなく、本当に絵描きさんと友達になりたいんだからね。誤解しないで」

 絵描きは、え? と、マギカの顔を見ると、思わず吹き出した。

「な、何よ?」
 マギカは頬を染める。
「ああ、何と云うか……、そんなにぼくはヒマそうに見えるのかな、と、思って――」
「だ、だからそうじゃないって云ったでしょ?」
「確かにヒマ人だけどね」

 だから、と、マギカは云いかけてから、自分がからかわれていることに気づいたようだ。
 彼女は可愛らしく、ぷくっ、と、頬を膨らませた。

「絵描きさん、意外と意地悪なんだね」
「悪かった。そんなつもりはなかったんだけど」

 そう云いながらも、絵描きは笑いをこらえるような表情を見せた。

「ん、もう。そんなつもりだったって、顔に描いてあるよ。絵描きさん、他人の顔を描くだけじゃなく、自分の顔に自分の気持ちを描くことも出来るんだね」
「あんまり上手いジョークではないね、それは」

 絵描きが云うと、マギカが頭に手をやって笑った。

「あは、確かに」

 それからふたりは笑い出す。
 何だか、久しぶりにこんなに笑ったな、と、絵描きは思う。
 それから彼はスケッチブックを閉じ、画材――彼の画材は色鉛筆だけであったのだが――をバッグにしまい込んだ。

「あれ? 止めちゃうの?」

 マギカが少し残念そうな表情で訊ねた。

「ああ」
「あたしが話しかけたから? ごめんなさい」
「いや、そうじゃないよ。どうせヒマ人だし」
「あ、まだ云うの?」

 マギカが、意地悪、と云って、肘で絵描きの脇腹を小突いて見せる。

「いやいや、別に意地悪で云ってるんじゃないよ。せっかくこうして異国人同士、友達になれたんだから、街の散策でもしてみないかと思ってね。異国人目線でいろんなことがわかるかも知れないじゃないか? マギカはこの町に来て、まだ日が浅いんだろ?」
「うん。夏にこの町に来て秋に大学に入学だから、まだ半年にもなってないよ」
「それじゃ、ぼくの方がこの町では先輩だ。これから町を案内してあげよう。もっとも――」と、絵描き。
「君がぼくと同じようにヒマ人だったら、と、云う条件つきだけど」

 マギカはベンチから立ち上がると、絵描きの前に仁王立ちし、ピースサインを出して見せる。

「オーケイ。あたしもヒマ人だよ。……ってさ、これってデート?」

 絵描きは、何と答えたものか、と、思いながらも黙って頷いて見せる。

「やった! この国に来て、初デート」
「そんなに喜んでもらえると、ぼくも嬉しいな。けど、気が利かなくて、空気が読めない、しがない似顔絵描きだから、君のデートのお相手としてお眼鏡に叶うかは請合えないけどね」
「あ、またそんなこと云う……。本当、意地悪だよね。やだなぁ、大人って」

 マギカは、つん、と、そっぽを向く。

「じゃ、君は子供なのかい?」

 絵描きはベンチから立ち上がる。
 その腕にマギカは自分の腕を絡ませて来た。

「子供かどうか、試してみる?」

 やっぱりこの娘は、マギカだ。魔女、いや、小悪魔かも知れないな、と、絵描きは思いながら、苦笑するのだった。
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