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第五章 勇者ミンネ
1.勝負の朝
しおりを挟むドサッと身体が地面に投げ出される。
とっさに受け身を取ったが、腕が石にぶつかった。
「痛ッ……乱暴だな」
扉に向かって苦情を言おうとしたが、そこには、もう扉はなかった。
立ち上がり、辺りを見渡す。
真っ暗だ。リノが書いた図によれば、今は三日目の夜中のはずである。
ぽぅっと光の玉を出し、あたりを照らす。ミンネが使った三本の矢をまとめたものが転がっていた。もといた場所に戻ってきたようだ。
暑い。――帰ってきたのだ。
矢に巻かれたツタを解き、腰紐にはさむ。
矢は矢筒に戻しておいた。
ミンネは湖のほとりに移動し、野営の準備を手早く整え、さっさと横になった。
期限は明日の昼。夜明けに発てば、朝のうちに麓につくことができるだろう。不意も打てる。
明日は、勝負の日だ。
体調を万全にするのも、戦士の務め。ミンネは、この長い長い一日のことを振り返りながら、目を閉じた。
朝を待たず、ミンネは出発した。
野営の支度はもう必要ない。邪魔になるだけだ。
最悪の事態を考えれば、ミンネは今日の昼に命を失う。
夜を迎えることはないのだ。
世話になったな、とクマの皮をなで、スッと立ち上がる。
リノからもらった袋から、トーブテの紋章の入ったアメを一粒出し、口に放り込んだ。
身体に力が湧いてくる。
「オオカミめ。首を洗って待っていろ」
魔女の街で立てていた作戦を、今こそ実行するときだ。
爛々とした目で山の麓に向かって吐き捨て、ミンネは、シカのように身軽に山道を駆け下りた。
――麓が近くなった。足音を殺し、ミンネは身を隠す。
狩りの時と要領は同じだ。
内門の下にある、沢の近くに天幕が見えた。
天幕は、どれも長かそれに準ずる者たちが用いる格の高いものだ。それぞれに一族の神話が描かれた織物でできている。
トトリ村のものは、火竜と女神が描かれている。あれはミンネのために用意されたものだ。
その中に、ひときわ大きな黒い天幕がある。
オオカミが荒地を駆ける模様。あれは、ダーナムの天幕だ。
その他に、いくつあるだろうか。
祈るような思いで、ミンネは天幕の数を数えた。一、二……
北部五族、南部七族。
(十二ある)
この臼山に、各地の長が集まっている。
(あぁ、よかった!)
ミンネは目を閉じ、天に感謝の言葉を捧げた。
パチュイは成功した。険しい山を越え、南部の長たちをこの場に連れてきたのだ。
よい風が吹いている。
(このままドラドの思い通りになど、させてたまるか!)
ミンネは感情のたかぶりとは裏腹に、注意深くあたりを探った。
萌黄色の布をまとった女たちの姿が見える。
モラーテの巫女たちだ。
道をさえぎっているのはドラド兵で、南部の長たちの姿もあった。
彼らは皆、背丈より高い杖を持つので、遠目でもわかる。
「我らは千年、臼山で祈りを捧げてきた。なぜ、ドラドは我らの行く手を遮るのか」
「ここを通せ。火竜に祈りを捧げたい。今こそ、祈りを捧げるべき時であろう」
ミンネは、感動をもって彼らの言葉を聞いた。
まさしくその通りだ。
我が子を失った火竜の心をなぐさめるために、今こそ祈りが必要な時である。
火竜を思う心を強く持った者たちが、蒼の国に正しく存在していることを心から嬉しく思った。
それ以上にミンネを喜ばせたのは、ドラド兵の注意が、南部の長たちに注がれていることだ。
(好機だ)
米を炊く匂いがただよってくる。
ちょうど食事時のようである。ますます好機だ。
トトリ村からの道中、いつもダーナムに食事を運んでいた従者の姿が見える。
(兄上。私に力を貸してくれ)
ミンネは、目を閉じ呼吸を整えた。
勝負の時だ。
てのひらの、少し上のあたりを見つめる。
ぽぅっと光の玉が浮かんだ。
目を閉じ、呼吸を整える。
膳を持った従者を中に入れるために、見張りの兵ふたりが、天幕を持ち上げる。
(今だ!)
光の玉は、従者の後ろをついて天幕の中へと入った。
「なんだ? ホタルか?」
見張りの兵が戸惑いの声を上げている。
天幕が下ろされた直後、天幕の中から叫び声が聞こえた。
「うわぁ!」
「おのれ! 怪異か!」
目で確認をせずに、光の玉を扱うのは難しい。目を閉じて集中し、闇雲に暴れまわるよう手を動かした。
かしゃん、との器が落ちた音もする。
バッと布を跳ね上げ、小麦色の髪の男が飛び出してくる。
抜き身の剣を持ち、血走った目で辺りをにらみつけていた。
(オオカミめ!)
ミンネは、光の玉を操っていた手をおろし、すかさず背の矢筒から矢を抜き取ると、弓を構えて弦をギリッと引きしぼった。
このまま、あの暴君の心臓をつらぬいてしまいたい。
だが、ミンネはそれをしなかった。
自分は誇り高い女神の血を引く娘だ。
復讐で命を終える、殺人者ではない。
狙いを定め、パッと矢を放つ。
「う!」
過たず、矢はダーナムの剣を弾いた。
ガラン、と剣が重い音を立てて落ちる。
「誰だ!」
ダーナムが叫ぶより早く、ミンネの足は地を蹴った。
枝が頬をかすめて傷をつくったが、構わなかった。
サルよりも素早い動きでダーナムの後ろに回ると、端に石を巻いたツタをひゅん、と回し、胸のあたりでギュッと締め上げた。
「な、なんだ!」
「約束通り戻ってきたぞ!」
ダーナムの手は、必死に剣を探ろうと忙しく動いたが、剣はミンネの矢で地面に落ちている。手は空しく宙をさまよった。
「小娘め! だましたな! 卑怯者!」
「どちらが卑怯だ!」
叫ぶなり、ミンネはダーナムの喉笛に、石刀をぴたりと押しつけた。
辺りを見渡せば、北部の長たちも、南部の長たちも騒ぎに気づいて集まっている。
「放せ! 放さねば村を襲わせるぞ! 役立たずの小娘が!」
「黙っていろ」
石刀に力をこめる。
ダーナムは、チッと舌打ちをして、わめくのをやめた。
この場にいるのは、長たちの側近、護衛の他は、ドラド兵が数十人。
トトリの兵はその半数ほどしかいない。
その中に――パチュイの顔が見えた。
よかった。
無事だった。
心は安堵を覚えたが、ミンネは決して腕の力をゆるめなかった。
そうして、ミンネは集まった長たちに語りかける。
「蒼の国の長たちよ。皆様に危害を加えぬことを約束します! ドラド兵は剣を捨てよ! 武器を捨てるのだ! トトリの兵は、彼らを縛り、木にくくれ!」
突然のことに、ドラド兵は戸惑っている。ミンネは続けた。
「小娘よと侮るな! この男は、我が兄の仇だ! 殺すと決めれば、私はためらわず殺すだろう。王殺しの片棒をかつぎたい者は、名乗りを上げるがいい!」
「んーッ!」
石刀を、のどぼとけにあてる。ダーナムはくぐもった悲鳴を上げた。
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