中世ヨーロッパ風異世界で婚約破棄された貴族令嬢の物語

中七七三

文字の大きさ
1 / 2

1.都市貴族令嬢ソニアの日常

しおりを挟む
 二階の大広間の長いテーブルに召し使いが大きなリネンの布をかける。
 床まで届く大きさなのは、食事中にそれで口や手を拭くためだ。

 多くの召し使いたちが手際よく料理を並べていく。
 その食欲をそそる匂いが、リビング・ダイニングともいえる大広間に広がっていく。

 昨日、焼かれたパンが厚切りで乗せた白い皿が人数分並べられる。
 スプーンとナイフがテーブルに並ぶ。この世界ではまだフォークは作られていない。
 基本、スープはスプーン、肉や魚はナイフで切って手で食べるのである。
 だから、手洗い用の水の入った盤が、テーブルには置かれていた。

 使用人が大きな両手鍋エキュエルを運んできた。
 去勢鶏の肉を煮込んだブエールがたっぷり入った両手鍋エキュエルが置かれる。
 金よりも高級といわれる貴重な香辛料をたっぷり使ったシチューとスープの中間のようなような料理だ。 
 更に野兎の肉をグリルしたのち、野菜と合わせ葡萄酒、香辛料、塩などで煮込んだ料理も続く。
 次から次へと手際よく、料理が運ばれてくる。召し使いたちがよく教育されているのがその所作で分かる。
 テーブルには、リンゴ、イチジク、ナッツなども並ぶ。 
 素焼きのピッチャーには葡萄酒が注がれ、各人用のコップもおかれた。
 当然、水差しも置かれている。
 
 この食事のラインナップを見ただけで、生活水準が分かろうと言うものだった。
 とんでもない上流階級である。

 ミダダという都市で、毛織物交易を営む豪商ラドネイ家の晩餐の光景だ。
 この家は商人でありながら、貴族の称号を得ている「都市貴族」と言われる存在である。

 ミダダは、エルドーラといわれる大陸西方地域の内陸部に位置する。
 インランド海に流れ込むバーセル川沿いにあり、また周辺の街道も整備され、物流の中継都市として繁栄していた。
 定期的に開かれる大市では、周辺都市からも多くの人が集まる。
 
 大都市ミダダは、名目上は神聖ドライゼ帝国の領土に含まれることになる。
 ただ、皇帝が直接の支配権を持っているかというと、そうではない。
 神聖ドライゼ帝国は、皇帝が絶対的な権力を持ち、全国に徴税権を持つような中央集権的国家ではない。
 皇帝、領主貴族、都市貴族、教会の高位聖職者の権力が重複し、その微妙なバランスの中で成立している国家だった。

 ミダダは有力な都市貴族による自治が行われている「都市国家」のような街だ。
 ラドネイ家はその有力な貴族の中のひとつに数えられている。 
 
 芸術的なまでの美しさで料理が配列され、召し使いは部屋の後ろに並んで立った。
 そして、召し使いの一人がベルを鳴らした。食事の準備が終わったことを知らせるベルであった。

        ◇◇◇◇◇◇

「天におられる私達の父よ 我らを創造し見守られる主よ、今日というに日に、我らが糧をお与えくださったことを感謝します。この地上に住まう我らが罪をお許しください。常に主と共にあることに感謝の祈りを捧げます」

 透き通るような声音で、神への感謝の声が響いた。
 食事前の祈りは、家族の中で一番若いラドネイ家の一人娘ソニアが行うことになっている。

 流れるような長い金色の髪をした美しい少女である。
 ほっそりした身体に、白い肌。その白さは氷雪の上の雪ですらくすんで見えるほどの透明感を持っていた。
 長く金の濃いまつ毛の下に大きなブルーの瞳が神秘的な色合いで輝いている。
 一目で心臓を鷲づかみにされるような美貌の持ち主だった。

 神の恩寵を一身に受けたかのような美貌の少女は一六歳になっていた。
 この国の上流階級ではすでに、結婚適齢期と言っても良かった。
 事実彼女は近々に結婚することになる。

 相手は領主貴族インドミタブル家の嫡男である。
 インドミタブル家は、帝国領内でも有力な貴族だ。
 
 身分や家という存在が重みをもっているこの世界では結婚は個人の問題ではない。
 それは「家」と「家」の繋がりを作るためのものとなってくる。

 いわゆる政略結婚だ。

 ソニアが五歳のときに婚約し、婚約式も挙げている。
 教会立ち会いの下で「本人の同意」を確認する。
 そして結婚時の「新婦の持参金に関する契約」も交わされる。
 更に神に対し「将来に向けて誓い」を行うものだ。

 皇帝にとっては、帝国版図内の有力貴族が、婚姻により関係を深めていくのは政治的に好ましいものではなかった。
 しかし、「帝国」と名乗りつつも、貴族に対し相対的な優位にしか保持していない皇帝は、この種の問題に介入できなかった。

 教会が結婚を「秘蹟」として、自らの利権としていた。
 このことは皇帝にとっては頭の痛い問題であっただろう。自分たちの結婚ですら、教会の許しがいるのだから。
 それは、教会を通じた領主貴族、都市貴族の連合が皇帝のあずかり知らぬところで出来あがるということだ。
 これは、現時点でも万全と言えない皇帝の権力基盤を揺るがしかねない問題を内包していた。
 
 しかし、一六歳の少女であるソニアにとってはそのようなことは意識の外だ。

 貴族の令嬢として恵まれた教育は受けていたが、それはあくまでも貴婦人となるためのものだ。
 権力や政治のあれやこれやなど、貴婦人には必要ないことだった。

「この鳥のブエールはとても美味しいです。素晴らしいです」

 彼女は料理に対する称賛の言葉を口にした。

 彼女の言葉を皮切りに、他の者からも料理に対する称賛の言葉が続いた。
 良い仕事をした者には、すぐに称賛を与える。
 それは、人の上に立つ貴族として当然のことであった。

「ありがとうございます。料理長にはしかとお伝えいたします」

 召し使いを取り仕切る家宰セネシャルのサバラが恭しく頭を下げて言った。

 家宰セネシャルとは召し使いを取りまとめ、この家の財務、法律関係の諸事務をこなす存在だ。
 身分は貴族に極めて近い。尊敬されるべき専門家だ。

 彼には一人息子がいたが、一〇歳になったときに、家を飛び出した。
 本来であれば家宰セネシャルを継ぐ身であったのにだ。
 それまではソニアの良き遊び相手であり、幼馴染と言える存在だった。

  ソニアはふと幼き日のことを思い出した。幼馴染であった彼のことを思い出した。
 二歳年下の男の子だった。今はどこで何をしているかも分からない。
 
 彼女は上流階級の女性らしく、礼儀作法になかった所作で優雅にブエールをすくい口に運ぶ。

 それは都市貴族の令嬢として当然ともいえるほどの、幸せな日常の姿であった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ

青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。 今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。 婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。 その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。 実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

婚約者が聖女を選ぶことくらい分かっていたので、先に婚約破棄します。

黒蜜きな粉
恋愛
魔王討伐を終え、王都に凱旋した英雄たち。 その中心には、異世界から来た聖女と、彼女に寄り添う王太子の姿があった。 王太子の婚約者として壇上に立ちながらも、私は自分が選ばれない側だと理解していた。 だから、泣かない。縋らない。 私は自分から婚約破棄を願い出る。 選ばれなかった人生を終わらせるために。 そして、私自身の人生を始めるために。 短いお話です。 ※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

処理中です...