中世ヨーロッパ風異世界で婚約破棄された貴族令嬢の物語

中七七三

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2.夜の訪問者の慈悲深き笑み

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 プライバシーのある個室があるという時点で、ソニアは紛れもなく貴族令嬢だった。
 少なくともこの世界の庶民では望むべくもないことだ。

 彼女は部屋のイスに座り手紙を書いていた。
 蜜蝋のロウソクの火がゆらゆらと揺れ、机に広げた書写版に下書きをしていた。
 長方形の板に蜜蝋を塗り、先の尖った尖筆で文字を書くのだ。
 金属製のモノが広く使用されていたが、彼女が手に持っているのは高級な象牙の尖筆だった。

「ああ、どうも上手く書けないわ」

 ソニアは尖筆の逆にして丸まった方で書写版をこする。

 塗られた蜜蝋が伸ばされ、文字が消えていく。

 書写版はこうすれば、何度も描きなおしができる便利な道具だった。
 
「なんか、こう…… しっくりこないのよね」

 手紙を書くための羊皮紙は高級品だ。
 豪商であり都市貴族のラドネイ家とすれば買うのに困るということはない。
 しかし、書き損じで無駄にするのが憚られる物であるのも事実だ。
 そもそも、書き損じるということ自体、ソニアのプライドが許さなかった。

(アドルドが読んでくれるんだから、私のことをもっと好きになって欲しいし)

 ソニアは婚約者であるアドルト・サー・インドミタブルに手紙を書いていたのだ。
 当然、そこには相手に捧げるべく詩編も書かれる。上流階級貴婦人としての当り前の教養だった。
 いつもであれば、スラスラと彼への想いを詩に乗せることができたが、今日はどうも上手くまとまらなかった。

 彼女は非常に幸運なことに、恋をしていた。しかも、その相手は婚約者である。
 この時代では望んでも中々得られない贅沢だった。

 この世界に恋愛が無いわけではない。
 宮廷恋愛物語が語られ、書も出ている。
 ただ、それは無いわけではないが、成就するのが珍しいというものだ。
 特に、貴族などの上流階級の女性にはそのような自由はない。

 だから、物語としての恋にあこがれがある。ソニアもそれは同じだった。

 少しませた子どもであったソニアは五歳のときに、アドルドと初めて出会った。
 彼が一三歳のときだった。年齢差は八歳。
 この時代の結婚相手とすれば、むしろ歳の差が接近していえたであろう。

 五歳で一目ぼれだった。
 教会の大聖堂で出逢った彼は、貴公子という言葉そのままの存在だった。
 見上げるように背が高く、精悍で爽やかな印象の人だったのだ。

 それは、今でも変わらない。

 ソニアは一六歳となり、アドルドは二四歳となった。

 最近は、インドミタブル家が主催するパーティで会った。

 婚約者だといっても、早々頻繁に会えるモノではない。婚約も結婚も当事者だけのものではないからだ。

(アドルドは素敵なのはなぜ? アナタの髪が青みがかっているのはなぜ? アナタのことを思うと私の心がかき乱れるのはなぜ?)

 ソニアは詩編を書き綴る。自分のアドルドに対する思いを書いていくのだった。
 そして、彼の姿を思い浮かべ手を止めた。

 青みがかった黒髪に、整った顔立ち、無精ひげが全く無いのは、他の男とは全く違っている。
 それは、インドミタブル家の財力を示すものだ。
 人の肌を傷つけることなく、キレイに髭を剃り落すには、熟練の理髪師と交易でなければ手に入らない東方産の剃刀が必要だった。

 インドミタブル家は名門だった。それはソニアでも知っている。
 帝国領内に多くの荘園をもつ大貴族といっていい。

 恋愛に夢る一六歳のソニアにとっては、恋愛とは結婚によりアドルドと一つになることであり、それ以外のことには関心がなかった。
 不安よりも彼との生活への期待の方が大きかった。

「ふ~ こんなものでいいかしら」

 彼女は悪戦苦闘しながらも、書写版に下書きした文面を読み返す。
 小首を傾け少し考える。蝋燭の火が金色の長い髪を照らす。

 彼女は尖筆を動かした「はしたない女と思われないか」と思い、少し表現が直接的過ぎたかと思ったところを書き替えた。

 その時だった。ドアを叩く音が聞こえた。 
 彼女が入室を許可すると入ってきたのは、お付の女性召使ではなく、家宰セネシャルだった。
 彼が、彼女の部屋にやってくるなど、滅多にあることではなかった。

「お休みのところ失礼いたします。お嬢様」

  儀礼になかったうやうやしいお辞儀をし家宰のサバラが言った。
 どことなく、言葉が硬く、顔色もよくなかった。

「どうしたのですか? この様な時間に?」

「御父上、サムウル様がお呼びにございます」

「お父様が? 一体なんの用事でしょうか」

「私の方からはなんとも、申し上げられません」

 サバラは硬い表情のままだった。 

「分かりました」
 
 彼女はイスから立ち上がりサバラの開けたドアから部屋を出た。
 後から、アバラがついてくる足音が響いていた。

 彼女は背と手に汗をかいていた。
 緊張していた。この様な時間にソニアを呼びだすのは、今までになかったことだ。


(何か、お父様の不興をこうむるようなことをしてしまったのかしら……)

 彼女は記憶を掘り起し、何かなかったと考えた。しかし、思い当たることなど何もなかった。
 
        ◇◇◇◇◇◇

「これはこれは、美しいお嬢様だ。どのようなことがあっても、アナタの魂はきっと私が救ってあげましょう」

 父親の部屋に入ると、見知らぬ男が立ち上がり、ソニアに向けてそう言った。

「神父様……」
 
 ソニアは呟く。
 聖職者であることを示す足もとまで隠す黒い服。

 棒で組み立てたような痩せ細った背の高い男だった。
 初老に差しかかったその顔には、見る者の心を安心させるような柔和な笑みを浮かべていた。

「お父様、なぜ、この様な時間に神父様が?」

 ソニアは父親の方を見やった。
 彼女の父親は真っ青な顔で、窓際の執務用の座っていた。
 肘を机につき、祈りをささげるかのように顔の前で腕を組んでいた。
 その腕が細かく震えていた。

 「お父様?」

 娘の問いかけにも彼は、目をつぶり、一言も声を発さなかった。

 裕福な都市貴族に相応しい豪奢な部屋の中、父親は弱々しくしく縮こまっているように見えた。
 そのような父親を見るのはソニアにとって初めてだった。

「なにかの、間違いだ…… バカな…… どこのどいつが」

 父親がやっと口を開いた。空っぽになった肺の中から無理やり絞り出したような声だった。

「なんですの? これは? この方は―― えッ?」

 ソニアの声が震えていた。普通ではないことが起きている。
 そして、この男の服の胸に縫いこまれた紋章に目が止まり、言葉を詰まらせた。
 神の御印と、剣に絡むヘビが描かれた紋章だった。

(なんで、そんな…… いったい……)

 ソニアはガクガクと膝が震え、立っていられなくなった。
 そしてその場に座り込んでしまった。
 
 スッと手が差し伸べられたそれは老神父の手であった。
 
「大丈夫、ご安心なさい。私があなたを正しい神の信仰の元に連れ戻してあげましょう」

  その顔には揺るがぬ信仰に支えられた、慈悲深い笑みが浮かんでいたのだった。

 異端審問官――
  
 神への信仰を忘た異端者の魂の救済を行う機関――
 魂の救済のためには手段を選ばぬ者たちだった。

 その男は、この世界で最も恐れられた機関の一人であることをソニアは理解した。
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みんなの感想(1件)

にんげんだもの

ヨーロッパ中世の歴史小説みたいですね。いろいろなことに挑戦してすごいと思います

2017.08.21 中七七三

感想ありがとうございます。覚えたことを使いたくなってしまったのです。

解除

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